守ってあげる
「見るに堪えんな。唾棄すべき過去の自分を見せられるのは、もはや拷問だ。怒りと羞恥で、煮えくり返る思いだ」
素顔を晒したマッドハッターが、蔑むみたいな声を漏らす。
今の俺より背が十数センチ伸び、十数歳年を重ねた彼が。その成長を軽んじられたかの様な顔をして。
「あれは俺か? 未来の俺なのか?」
信じられない心が、認めたく気持ちが、言葉として知らず知らずのうちに零れていた。
『 "100パーセントあなた" って訳ではなさそうね』
思念が声に乗らず、骨伝導みたいに直接俺の脳に響いて来た。
俺はその発生源を見やる。
そこには赤龍の力が籠こもった、赤い剣があった。
『これからメインの通信は、こっちに切り替える。マッドハッターを欺く為に声も出すけど、そっちはフェイクだから気にしないで』
打ち合わせ通りだ。声で指示を出していると思わせ、それを利用して誤認させる。明日香は本当に、いい性格をしている。
『こっちからの通信は良好だけど、あなたから私へはどうかしら? ……今の質問への答えも兼ねて、ちょっと試してみましょうか」
なにか、嫌な予感がした。嗜虐の匂いがした。
俺は横目で明日香を見る。
彼女は視線を下に向けていた。
そして『よしっ!』と叫び、両手をスカートの裾に伸ばす。
スカートをガバッとめくり上げる。
"白の三角形" が顕れた。
夜空に煌めく "夏の大三角形" みたいに、燦然と輝いていた。
デネブが、アルタイルが、ベガが、俺の脳を焼き尽くす。
「なにしてんだ、てめぇ――!」
俺は抗議の声を上げる。念話なんか、まどろっこしい。声の限り叫ぶ。
明日香は、そんな俺をニヤニヤと見つめていた。
『あ~テステス。感度良好、ときめきマックス。あなたの興奮が、ビンビン伝わって来るわ』
てめぇ~。 俺は明日香の台詞に羞恥と怒りを覚え、睨みつける。
「そんな顔してもダ~メ。ちっとも恐くない。赤龍よりも赤い顔をして、脳内ホルダーに記憶させるみたいな遠い目をしてるんだもの!」
……ちくしょう。みんなお見通しでやがる。
「いったい何のお巫山戯だ……」
マッドハッターが、不快そうに呼びかける。
大切なものを穢されたみたいな顔をしていた。
「実験よ、構成物質を調べる」
この非常時に、なにしてやがるんだよ……。
「時と場所を弁えろ。サカるなら、他所でしろ。私の目の届かない所で!」
もっともでございます。マッドハッター様のおっしゃる通りでございます。
「あらっ? 理解してなかったのかしら。実験対象は貴方よ、マッドハッターさん。悠真はそのついで」
男性陣二人は、虚を突かれた顔をする。
「悠真を見て。顔を真っ赤にして、目を逸らして。それでも何かを思い出し、幸せな笑みを零す。これが標準的な男性の反応よ」
もうやめて! 俺のライフはゼロよ!
「まったく。何がいいのかよく解らないのだけど、とにかく男性はこの布地に反応する。その先が見える訳でもないのに、単なる無機物に恍惚となる。私も想像力には自信があるけど、男性の妄想力には及ばないわ」
すいません。冷静な分析はやめて下さい。虚しくなる。
男は、それでもそこにファンタジーを求める生き物なのだから。
「けれどマッドハッター、貴方は違う。何の興奮も興味も示さない」
マッドハッターの頬が、ピクリと動く。
「小児性愛者さんで、『十七歳のババァには興味がねぇ』とかじゃ無いでしょう」
彼の頬が、一層引き攣る。とんだ冤罪を着せられかけている。
「貴方の目は、若者の目じゃない。自分の未来を信じて切り開く、青年の目じゃない」
えらい方向から内面に切り込んで来やがった。
「貴方の目は、隠者の目。己の未来を捨て、後進にそれを託した目。親の、保護者の目」
マッドハッターは、三十歳くらいに見える。まだまだ枯れる齢じゃない。
「貴方は、純粋な “大道寺 勇哉“ じゃない。貴方の何パーセントかは、勇哉の父親―― “大道寺 直輝“ で構成されている」
父さん?
「考えてみれば、当然ね。この世界の "アユミ" はまだ三歳。保護者を求める年頃」
彼は黙っている。否定も肯定もしない。
「アユミは、 "ユウヤ" を求めた。愛しい、眩しい人を。そしてそれと同時に切望した。彼らを護ってくれる存在を。そこで見つけた。五・一五事件の夜、傷ついた勇哉を優しく抱きしめる人物を。……それをモデルとして混ざり合い、出来上がったのが貴方ね、 "マッドハッター" !」
彼は『ふぅ』と大きく息を吐く。
「 "名参謀" ではなく、 "名探偵" だったという訳か」
「私のジャンルは幅広いの。ちなみに今ハマってるのは、BLね」
『びーえる?』――マッドハッターは怪訝な顔をする。
よかった。世の中には知らない方がいい事もある。
「 "びーえる" が如何なる物が知らぬが、どうせ大した物ではあるまい。大衆小説で、惚れた腫れただけの、禁断の背徳感に溺れ、障害を乗り越える事が純愛だと勘違いした、ファンタジーに相違あるまい!」
……知らないんだよな?
激昂したマッドハッターは、さらに続ける。
「そんな物、火に焚べ、編集者もろとも燃やしてしまえ!」
言いやがった。焚書坑儒かよ。異端審問官かよ。
言っとくけど未来でそんな台詞吐いたら、炎上するのはそっちだからな。
なんか話が逸れて来た。
俺は本筋に戻そうとするが、それを押し留める奴がいた。
彼女は『ふふっ』と、乾いた笑い声を洩らす。
「発禁処分が怖くて、作家をやっとれっか――! こちとら "有害図書" の指定を、何度くらったと思ってんだ――!」
明日香が、吠えた、弾けた。積年の鬱屈が、噴出した。
『17歳が書く18禁』として、ネットで晒された事がある。
法的には問題ないが、マナーやらモラルとかで叩かれ、重版が取り止めとなった。
「売られた喧嘩なら買ってやる。矢でも育成条例でも持って来やがれ――!」
お前は、何と戦っているんだ……。
「道化も、その位にしておけ」
マッドハッターが、底冷えのする声を放つ。
「大方、私の戦意を削ごうという腹づもりだろうが、その手には乗らん」
いやそんな心算は、これっぽっちも無いのですが。
「私は油断をしないし、慈悲も与えん」
はいはい。
「だが、その死には、生の終わりには、敬意を払う。生半可な気持ちで、命は刈らぬ」
空気が、凍り始めた。死霊さえも震える程に。
「翻って、貴様らはどうだ。命を軽んじ、戦いを侮辱する。許しがたい所業だ」
彼は命というものに、真摯に向き合っていた。
死神の矜持が、そこに在った。
「私は "愚者" 。ナンバーは "ゼロ" 」
厳かに、静かに、彼は名乗る。
「 "ゼロ" には二つの解釈がある。『最初から何も無い』か、『持っていた物を全て失った』かだ」
彼の声は、愁いに満ちている。
「私は持っている、かけがえのないものを。これを幻だったと思いたくないし、失くしたくもない」
温かさを知った後では、凍える冷たさは耐えようが無い。
「私は、命を掛ける。この宝物を失わぬように」
真っすぐ迷いの無い目で、彼は誓う。
「その為に私は、努力をして来た。その私が、負ける筈がない! 貴様とは、過ごして来た日々が違う!」
揺るがぬ自信が、言葉に込められていた。
「随分と自己評価が高いんだな」
俺はそれが悔しくて、 "謙遜" という美徳で崩そうと試みた。
「なぜランスロットがこの世界に居たか、分かるか?」
そんな俺を歯牙にもかけず、彼は自分の正しさを証明しようとする。
「彼は私の対戦相手として、召喚された」
それは意外な言葉だった。てっきり傭兵として、使い捨ての駒として召喚したと思っていた。
「 彼だけではない。 "トロイア戦争最強の戦士" ―― "ヘクトール" 。 "百年戦争の英雄でありジャンヌ・ダルクの戦友" ―― "ラ・イル" 。"シャルルマーニュ十二勇士の一人" ―― "オジエ・ル・ダノワ" 。彼らを召喚し、戦い、己を高めた」
何故そんな真似を? 彼らを直接敵にぶつけた方が、手っ取り早いじゃないか。
「私は、彼らに頼らなかった。如何に強き力を持とうが、彼らにこの国の護りを委ねなかった。信用出来るのは、私とアユミだけ。大切なものは、己が手で護る。その為に、ただひたすら強くなった」
その考えは愚直で、険しく、……眩しかった。
「貴様は、英雄の域に達するまでに刃を交えた事があるのか? 限界の先を見た事があるのか?」
問いかける声は、威厳に満ちている。
成しえた者だけが持ち得る、強者の様相だった。
「返答は、要らぬ。答えは、剣で示してもらおう。研いだ牙を、見せてもらおう。……いざ!」
双剣を携えた勇者が迫り来る。
己の在り方を見せよと問うて来る。
剣による、問答が始まった。
乾いた剣戟の音が鳴る。
重い、足を踏み込む音が響き、床が砕け、半球形の穴が空く。
彼の双剣から唸るような声が発せられ、共鳴するように建物が軋む。
「吠えるな、干将・莫耶! いま、お前達の望みを叶えてやる。嘆きを、歓喜に変えてやる!」
彼は、双剣に呼び掛ける。
あの剣には、魂が宿っているのか。
俺は目を凝らし、それを見つめる。
何か、引っかかる物があった。
どこかで見たような気がした。
そんな俺の表情を見て、彼は『おやっ?』という顔をした。
「なんだ、気が付いてなかったのか。こいつらが、何者なのかを」
彼は呆れた口調で言い放つ。
「この上の階で、見ただろう。こいつらの、前世を」
この上の階? 殿倉 主馬との戦いの場か。
こいつらの前世? 主馬が見せた、殿倉家の過去か。
「殿鞍 綜馬を葬りし兼平 綱則の刀。大道寺 小夜が自害に用いし白刃。そいつらの、成れの果てよ」
ヒトではなく、モノ?
「ベータでの事で、理解したであろう。原初の思念は、光と闇、善と悪、祈りと呪いが、混然としている。異なる特性を持つそれらは、やがて水と油のように分離してゆく。より純粋な物として」
聡美が持ち去った “光る結晶“ と、ベータに残された “黒い汚泥“ 。
「綜馬と小夜の今際の際にも、同じ様な事が起きた。小夜姫の幸せを祈り、命を捧げた綜馬の心から湧き出す、昏い呪いの気持ち。自分の命を翼として、愛しい人の許へと羽ばたく小夜を蝕む、怨嗟の念。彼らが切り捨てた “想い“ が、こいつ等に遺された。そして、呪具が完成した。昇華する綜馬と小夜の対局の存在として」
“光“ は “闇“ を切り捨てる事で、一層輝く。
“闇“ は置き去られる事で、より影を濃くする。
「そしてこいつ等は出会い、魅かれ合い、求め合い、絡み合い、一対となった。離れがたい想いにより、一本の鋏と化した。……妖刀の類だ、こいつらは」
それは、綜馬と小夜とはあまりにも対照的な結合であった。
傷を舐めあっているのか。それとも自分より憐れな者を見て、己が心を慰めているのか。
「そんな呪具を、使うのか」
俺は嫌悪感を覚えた。それは何か、間違っている気がした。
己の在り方として、憐れなる者への接し方として。
「重要なのは、 “善いか悪いか“ じゃない。 “強いか弱いか“ だ。 “何を“ 成そうかでは無い。 “何が“ 成されるかだ。実現せぬ夢は、等しく無価値だ」
勝利のみを、結果だけを求める、歪さを感じさせる台詞だった。
「お前はやっぱり、俺とは違う。そんな考え方をする奴は、俺じゃない」
俺の言葉に、マッドハッターは顔を顰める。
「甘いな……。それは、人の為に生きる者が使う言葉ではない。自分の理想の為に、人をダシにしようとする、身勝手な奴の台詞だ。頑張りました、ベストを尽くしましたでは、救える命も取りこぼす」
彼の言葉は辛辣だった。
「……かもな。だがそれでも俺は求める、穢れなき勝利を。愛しい人への捧げ物が、傷物でどうする。一点の曇りもない物を用意しろ。それを怠るのは、愛が足らない」
『戯れ言を』――彼はそう言い捨て、攻撃を再開する。
斬撃は激しく速く、圧倒的だった。
足を踏ん張らねば、吹き飛ばされる。
少しでも防御が遅れれば、真っ二つだ。
巨人のように力強く、妖精のように俊敏だった。
だが、恐ろしくは無かった。負ける気がしなかった。
彼の限界が、見えたから。
彼は結果を、勝利を求め過ぎている。
彼は怖れている。敗北を、消失を、赤子のように。
『戦術を練り直してくれ。安全マージンは極小に』
『……いいの?』
『かまわん。即死しなければ、なんとかなる。そして……』
俺は明日香と念話で話す。
『犠牲を払うから、勝利を恵んでくれ』などと、甘えた事をぬかす気は無い。
だが選択肢を広げ、有効な手を打てる事は、アドバンテージに他ならない。
「さあ、かかってこい。お前の『弱さ』を、見せてやる!」
俺は覚悟を決め、挑発する。
「それが遺言か。貴様もやはり、 "愚者" だ!」
マッドハッターは力強く、上段から斬りかかって来た。強者の余裕を持って。
その瞬間、俺は勝利を確信した。
◇◇◇◇◇
『おかしい』――斬撃を打ち下ろしながら、マッドハッターは違和感を感じた。
力が、イメージ通りに刀に伝わらない。足が、思う様に大地を跳ねない。
まるで、水中に居るようだった。
「お前は、弱い!」
勇哉の声が、洞窟で聴く様にくぐもって聴こえる。
その言葉と共に、刃が飛んで来る。
『避けろ、確実に』――脳は、そうプログラミングする。
だが、エラーが生じた。足が腕が、起動しない。
神経回路をチェックする。異常はない。
なぜだ! 私は問いかける。
答えは、私の内に在った。
敵が、何体も見えた。四方八方から押し寄せて来た。
大道寺 勇哉が増殖し、群れとなって襲って来た。
どれを避ければいいのか、分からなかった。だから躰は、停止した。
敵が、目睫の間に迫る。
私は諦念し、剣を振う。
目算も無く、片っ端から敵を薙ぎ払う。
……優雅さの欠片も無い。
カウンターを狙うなど、望むべくも無い。
こんな無謀な真似は、いつ以来だろう。
◇◇◇◇◇
「お前の弱さは、『目が二つしかない』ことだ」
剣を避けきれず膝を突くマッドハッターに向かい、俺は言い放つ。
「 “第三の目“ を開けと言うのか、ベータのように!」
彼は双刀を支えとして立ち上がり、叫ぶ。そして手負いの虎のように睨みつけた。
「そうじゃない。自分一人でやろうとしているのが、大間違いなんだ」
俺は苦笑する。言い間違えたかな。
『気取った言い方をしたら、伝わらないわよ』――言葉の専門家から、追い打ちがかかる。
仕方ない。長くなるが、説明するか。
「お前は、『個』を突き詰めようとしていた。だが、それは脆い。大きさを、強さを求めた “恐竜“ が絶滅したように、予期せぬ災いには成す術がない。無駄に思える事にこそ、状況を一変させる “ゲームチェンジャー“ の可能性があるんだ」
俺の説明に、彼はさらに混迷を深める。
「この状況を作り出したのは、明日香だ。俺の目は、二つじゃない」
俺は後ろの明日香に顔を向ける。
「彼女はお前の周りの二酸化炭素の濃度を高め、重力バランスを崩した」
俺の言葉に、マッドハッターは目を吊り上げる。
その顔は、『それだけの事で?』と言っているみたいだった。
「普通の状況なら、なんてことはなかっただろう。だがお前は、極限状態にあった。俺に目を奪われ、全ての力を戦いに注ぎ込んでいた。余裕がなかった。気づかなかった。だから……罠に落ちた」
彼の貌に、納得と失望と後悔が浮んでいた。
「強者との戦いばかりを求めた、ツケだ。弱者との戦いを蔑ろにした、油断だ」
彼の表情は、絶望の色を濃くしていった。
「私が……間違っていたと言うのか」
それでも彼は、認めたくなかった。これまでの努力が、年月が。誤りだったとは。
「間違っていた訳じゃない。足りなかっただけだ、連携が。飛車は、単独では限界がある。銀や桂馬と連動させてこそ、その強さを発揮するだろう」
話していて思った。
これは、進化にも共通する事ではないだろうか。
「なるほど、私は飛車でも、横に進めない欠陥品だったようだな。他者を信じられず、前へ前へとしか進めない、愚か者……」
その声は、後悔と云うより、自責の念が強かった。
「だがそれでも、やらねばならぬ。大切なものを、守らねばならぬ」
目を爛々と輝かせ、自分に言い聞かせるみたいに、叫ぶ。
「あの方に、手を触れさせん!」
執念の灯火が、瞳に宿っていた。
俺たちは向かい合い、構える。
もう言葉は、必要なかった。
「だめ――――――っ!」
静寂の世界に、少女の声が木霊する。
土を蹴り上げる音と、ハアハアという息づかいが聴こえて来た。
俺は横目でその方向に視線を向ける。
軽機関銃を携え、弾帯を肩からぶら下げたアユミが、走っていた。
そして俺たちを見やると、思いつめた表情で叫ぶ。
「帽子屋さん、だいじょうぶ? ケガしてない? いま、助けてあげる!」
幼い高い声で必死に叫び、何かを決意したような鋭い目をしていた。
彼女は弾帯に取り付けられた、ラグビーボールみたいな形の、手の平サイズの扁長楕円体を引き剥がす。
アユミは大きく振りかぶり、それを俺たちに投げ込んだ。
いったい何をするつもりだ。俺は投げ込まれた物を凝視する。
目に映ったのは、シュールな光景だった。
その扁球には、短い手足が付いていた。
その物体は短い足を器用に組み、手にはティーカップとティーソーサーを持っていた。
そして球体中央部に大きく裂けて出来た口から、言葉を発した。
「Is the tea party over? (お茶会は、お開きですかな?)」
彼はそう言うと、ティーカップとティーソーサーをカチャリと音を立てて重ねた。
その瞬間、それは閃光を放ち、破裂した。
硬い金属片が、硫黄の匂いと一緒に飛んで来た。
ハンプティ・ダンプティかよ! でもって、手榴弾かよ!
ここは『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』ではなく、『修羅の国のアリス』の世界だったようだ。
「いい、狙いはユウヤ。帽子屋さんには当てないで」
アユミは飛んで行く破片に指示を出す。
『どっちが、どっちだい?』――ハンプティ・ダンプティは訊ねる。
「若い方! おじさんの方は、傷つけないで!」
その言葉に、マッドハッターは少し傷つく。
『違いが分からないよ。どちらも目が二つあって、真ん中に鼻、その下に口。一緒じゃないか。何かこう、目が右側にだけ二つあるとか、口が耳の横にあるとか、分り易い見分け方は無いのかい?』――ハンプティ・ダンプティは、ポンコツであった。
「止むを得んか。しょせん無差別殺戮兵器を擬人化した物。認識能力は、望むべくも無い」
マッドハッターはそう呟くと、俺に一撃を浴びせ、その場を離脱する。
『やべっ!』 体勢を崩した俺は、その場に取り残される。
『聖なるハグを!』――ハンプティ・ダンプティはそう叫び、肉薄して来る。
『致命傷だけは、避ける!』――俺は、そう決意した。
「悠真ぁ――――っ」
後ろで、明日香の叫び声がする。
「心配するな、死んでも死なない」
俺は彼女を宥めるように、自分に言い聞かすように、叫ぶ。
その瞬間である。黄金の膜が、俺の躰を覆い始めた。
ゆらゆらと震えながら、それは朧気に姿を顕す。
その姿は俺に感激を、感謝を、そして感動を与えた。
「 “双子座“ の “黄金鎧“ ……」
後ろで明日香も、涙を流していた。
キンキラピカピカの趣味の悪い、大切な大切な人が創った、この鎧を見て。
鈴の強い想いが、俺を死から守ってくれた。
俺を包み込む黄金鎧は、温かかった。
金属の冷たい感触では無く、人肌の温もりがした。
「ずいぶんと、派手な鎧だな……」
マッドハッターは、悪態をつく。
「最高だろう! こんな鎧、誰にも創れやしない!」
俺は胸を張って応える。
この輝きは、彼女の魂の輝きだ。
後ろで明日香が、笑っていた。
そんなやり取りをしていた俺たちの許に、アユミが辿り着いた。
「帽子屋さん、大丈夫? 痛くない?」
彼女は息を切らせ、マッドハッターの手を握り、上目遣いに尋ねる。
「ご心配をおかけしました。大丈夫ですよ、どこも怪我をしていません。……それより」
そんな彼女を眺めながら、彼は微笑みながら答える。そして真顔となり、問いかけた。
「いいんですか、こんな真似をして。勇哉くんに、嫌われてしまいますよ」
「うん、いいの。もしあっちが負けそうになったら、今度はあっちに加勢するから」
彼の問いに、彼女はあっけらかんと答える。
「なんですか、それは」
マッドハッターは、プッと噴き出す。
「わたしはね、わたしの大切なものを守りたいの」
少し大人びた貌で、彼女は呟く。
「『好き』って気持ちはね、それが生まれた瞬間光り輝いて、目がくらむの。もう他の物が見えない位に。けれどその光に慣れてくると、色々な物が見えてくる。憧れ、愛おしみ、……そんな温かい物から、それの影となる、妬ましさ、心細さ、一人占めしたいっていう浅ましさ。きれいな物ときたない物が、ごちゃ混ぜになって押し寄せて来るの。そんな中、必死になって守るの、この『好き』って気持ちを、穢さないように。それを大事に大事に育てる時間は、生まれた瞬間に負けない位、大切だと思う。その時間が、ユウヤとわたしには無かった。代わりに一緒に育ててくれたのは、帽子屋さん、あなただった。……だから、どっちも大切なの。ユウヤも、帽子屋さんも!」
何かが、伝わって来た。
「気の多い、女王さまだ」
彼は、そう苦笑いをする。
「『女の子は、ワガママな方が可愛い』って言ったのは、帽子屋さんじゃない」
アユミは頬を膨らませ、拗ねた表情をする。
「あなたは、世界一可愛い女王さまですよ」
彼はそんなアユミを見て、とろける様な貌をしていた。
「女王さまは、もういい……。お母さんを、したい」
彼女はギュッと手を握り、自分の不甲斐なさを嘆くように声を震わせる。
「おままごとでは何時だって、女の子は “お母さん“ なんだから」
俺たちは守っているつもりで、守られていた。
男の子は何時までも、女の子の子どもなんだ。
ままごとみたいなこの世界で、温かい光景を見せられ、そう思い知らされた。
最近のヒロインは、守られるだけの存在ではありません。
三歳児だって、戦うんです。
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