百鬼夜行
『膨張』――それを表現するならば、その言葉が最も相応しかった。
“ベータ“ と名乗った少年は、その存在をどんどんと増していた。
質量が、とかではない。その内包するエネルギーが、である。
「化け物――」
明日香が、思わず零す。
侮蔑とか恐怖とかではなく、素直な感想として。
それは人の、いや生物の範疇を超えていた。
例えるのならば鉄をも溶かす高熱の溶岩を、その身に宿している。
それも都市一つを飲み込むぐらいの量を、圧縮して。
そんなブラックホールみたいな、あり得ない存在だった。
「なんで崩壊しないの!」
鈴が、信じられない物を見る目つきで見つめる。
「エネルギーの吸収はまだ分かるよ。でも、なんであんな肉体で、あんな小さな脳で、あんな量を制御できるの。自転車にⅤ12エンジン積むようなもんじゃない!」
彼女たちの言う事は、よく理解できた。
だが何故可能なのか、それも理解できた。四百年前を覗いた俺には。
「あいつの仕業だ……」
俺はベータの後方を指差す。
そこには黒服のメイドが、じっと佇んでいた。
「あいつが、コントロールしている。何百何千という人工頭脳に繋げて」
主馬が語っていた新たなる人類の形―― “群体“ 。その原型が在ったではないか、岩鬼山に。
「並列処理? スパコンなの、あれ?」
鈴らしい解釈をする。
「有機体のな。あいつ等の神―― “シラ“ は、その眷属として多くの神馬を従えていた。四百年前その中の一頭が、殿倉家と相馬家のご先祖に “神の力“ を与えた。殿倉家には “未来を見通す力“ を。相馬家には “神と繋がる力“ を。そしてその神馬とは、 “シラ“ の複製体。そいつらは一つのネットワークとして繋がっている。つまり相馬 聡美は、何百何千の神の頭脳にタダ乗り出来る訳だ」
“湖月“ が “シラ“ に繋がっていると云うなら、他の神馬たちも繋がっている筈だ。
それは、 “シラ“ を中心とした巨大なネットワーク。
神馬たちの性格は、千差万別だった。だがその姿は、みんな “シラ“ そっくりだった。
湖月は言った。『我らは皆、シラ様の影。シラ様に創られた命』と。
つまり、そういう事だろう。
相馬 聡美に目を向ける。俺の声は、聴こえている筈だ。
彼女は愉快そうに、クックッと小刻みに笑っていた。
聡美は右手を前に突き出す。
人差し指と親指だけが伸ばされ、他の指は握られ、銃の形をしていた。
「バンッ!」 彼女は無邪気な声でそう叫び、腕を跳ね上げさせる。
赤く爛々と光る目は、追い詰めた獲物を見つめる捕食者の目だった。
「ベータの躰に精神エネルギーを集め、聡美がそれを制御していると云う訳?」
明日香が、得体の知れない物を探るように、恐る恐る尋ねる。
「ああ。その認識で間違いないと思う。そしてそれは最終形態ではない。蛹の段階だ。あいつらはこれから、違う存在に変化する筈だ」
俺は答える。確信をもって。
「なら、今のうちに叩かなきゃ。厄介な存在になる前に!」
鈴はそう言い、前に出ようとする。
俺は彼女の肩を掴み、それを押し留める。
「迂闊に近づくな! 呑まれる……」
俺は鈴の足元に視線を向ける。鈴も俺につられ、それを見る。
得体の知れない物が、流れていた。
「それに触れると、昏い感情に引きずり込まれる……」
液体とも気体とも判別がつかない、ねとねととした黒くおどろおどろしい物が、そこに在った。
それが列をなし、禍々しい蛇のように蠢いていた。
蛇は引き寄せられるみたいに、ベータに向かって進む。
何筋も何筋も、連なって。
「ひいっ!」と、鈴が悲鳴をあげる。
「あれは……」と、明日香が驚愕の声を洩らす。
「空襲で亡くなった人たちの、魂だ。苦しみに悶え、世の不条理を怨んだ……」
最早これは、悪霊と化している。百鬼夜行だ。
神の恩寵を捨て、破滅だけを祈る存在。
それが、 “新たな神“ を目指すベータに向かっている。巡礼のように。――なんの冗談だ。
「救いようは、ないの? あの人たち……」
鈴が、痛ましいものを見る目つきで眺めながら、問いかける。
「ない。あそこまで行くと、純然たる思念体だ。 “愛“ とか “慈しみ“ をこそぎ落とした、 “呪い“ と云う」
それは悍ましくも、哀れなる存在だった。
彼らも好きこのんで、そうなった訳ではない。そのように、追い込まれたのだ。
追い込んだのは、誰だ? 主馬か? それとも……俺か?
俺はぎゅっと手を握りしめる。血が流れる程に。
「来い! 哀れなる者どもよ!」
ベータが両手を広げ、彼らを迎え入れる。
黒い蛇は、彼の躰を伝い、登って行く。
「お前たちの無念、晴らしてやる! そしてその奥底にある願望を、満たしてやる。争いの無い分かち合う世界を、実現してやる!」
鬼気迫る表情で、ベータは叫ぶ。
その呼びかけに応えるように、怨念たちは我先にと駆け登る。
黒い塊は、ベータの光り輝く十二枚の翼に到達する。
その翼は漆黒に染まり、暗黒星雲の様相を呈していた。途轍もないエネルギーを秘めて。
翼が蠢き始めた。
まるで巨大な触手のように。
そしてそれはベータの躰を包み、顔だけを残し、膨らんでゆく。
その姿は、古の “クラーケン“ を彷彿させた。
恐怖の山脈が、そそり立つ。
「いざ行かん! 新世界へ!」
彼は雄叫びを上げる。
何かと決別するかのように。
黒い蝶が、羽ばたいた。
遂に人間、やめました。でも、恋愛はやめません。
『ブックマーク』、『星評価』、『いいね』をお願いします。下段のマークをポチっとして頂くだけです。それが執筆の何よりの糧となります。……筆者の切なるお願いです。