サバイブ
心は、どうやって生まれるのだろう。
感情は、どこから芽生えるのだろう。
僕は何時、誕生したのだろう。
一番古い記憶は、大きな海の中。
広い広い水の中、僕はプカプカと浮いていた。
目的も、喜びも、哀しみも無く。
そんな概念は、存在しなかった。 “在る“ という事さえ、想像できなかった。
世界は平穏で、静かで、……何の味も匂いもしなかった。
白衣の男たちが、何やらしていた。
『pH 7.4で良好に増殖』『核酸の細胞への導入確認。トランスフェクション成功です』――そんな声が聴こえる。
水越しに、ガラス越しに、それを眺める。
何の感慨も無く、夜空の星を見るように。
僕は段々と、大きくなっていく。
色々な情報が、流入して来た。
初めに言葉が。続いて数学、物理、地理、歴史、……そして生物学。
そうか僕は、 “クローン“ というのか。
理解した。何の感情も無く。
僕はまだ、誕生してなかった。
世界は、狭くなった。
世界の果てが、手を伸ばせば届く様になった。
当たると、カンという音がする。
この世界は、 “浮遊培養容器“ というらしい。
『指令が下りました。記憶の移植開始です!』
興奮した面持ちで、白衣の男が扉を開け飛び込んで来た。
『いよいよか』『失敗は許されんぞ』
他の白衣の男たちが、口々に叫ぶ。
一体なにが始まるのだろう。
男たちは機械にへばり付き、せわし気に操作を行う。
『注入、開始!』
その言葉と同時に、世界が塗り替えられた。
それは眩しい、温かい、優しい世界だった。
初めて味わう体験だった。凪いだ世界が、荒れ狂い始めた。
『ああ、そうか。これが “感情“ か!』
僕は初めて、言葉の意味を知った。
三重苦の少女が水に触れ、初めてその意味を知り叫んだ様に、僕も叫んだ。
「なおきさん、ナオキさん、直輝さん――!」
神の名を、真理の名を、愛の名を、何度も何度も連呼した。
初めて “幸せ“ の意味を知った。
彼は僕に呼び掛ける。 “主馬“ と。
その度に僕の躰の奥は、熱くなる。
彼は僕を、色々な世界に連れて行った。
空から眩しい陽が射し、キラキラと光りを撥ねかえす夏の海。
向日葵が咲き乱れる黄金の絨毯に寝そべり嗅ぐ、土の匂い。
蛍が乱舞する、清らかな小川。
世界は美しく、輝いていた。
だがそれ故に、哀しみが押し寄せる。
彼は呼びかけ、見つめる。だがその瞳に映るのは、僕であって僕でない。違う誰かだ。
“オリジナル“ ―― “アルファ“ だった。
僕はそれを、映画を観るみたいに眺めていた。
狂おしく、心が求める。『僕を見て』と。
だがそれは、叶わない。僕が見ているのは、過去の記憶だ。彼はもう――いない。
直輝さんの葬儀の場面が流れて来た。
年老い、やつれた、彼の遺影が飾られていた。
棺に納められるのは、彼が生前愛用した物と、若い頃の写真だけだった。
遺体は、無かった。戦地で亡くなった為、現地に葬られた。
いや、それは正しくない。
本当は、彼の躰は帰って来ていた。
一部だけ、右腕だけが。
直輝さんには、主馬の配下が付けられていた。
彼に何かあった時、その躰を持ち帰るようにと密命を受けて。
配下の男は、二つの物を持ち帰った。
一つは彼が肌身離さず持っていた、写真の入った銀のロケット。
もう一つは、直輝さんの右腕。片腕を失った配下の男が、『自分の腕だ』と偽り持ち帰った。
一つ目は直輝さんの息子に、二つ目は主馬に渡された。
これで直輝さんを、復活させる事が出来る。
彼の子ども達は、殿倉家に引き取られた。
だが彼らは、殿倉家に隔意を持っていた。
『殿倉は大道寺にとって代わろうとしている』――そんな口さがない街の声の、影響だろう。
いつか分かってくれる日が来る。主馬はそう願っていた……。
そして主馬も、年老いてゆく。
成長してゆく、大道寺・殿倉の子ども達を眺めながら。
いつの日か直輝さんを蘇らせ、その横にいる若返った自分を夢見ながら。
世界はきっと、変わるはずだと信じながら。
浮遊培養容器の僕の中に、主馬の想いが流れて来る。
「オールグリーン。すべて正常値。成功です!」
その言葉に、白衣の男たちがワッと喚声をあげる。
「さすが主馬さまだ。あの方の内包するエネルギーは凄まじい!」
「いや、あの演算予測こそ奇跡だ。一億回に一回の事象を、見事予見される」
「科学だけでは到達できぬ高みを実現なされた」
口々に、主馬への賛辞が述べられる。
浮遊培養容器の水が抜かれた。
容器が持ち上がり、空気が流れ込む。
初めて味わう感触だ。
これが外の世界か。
情報として与えられる疑似的な感触ではなく、自分の躰で直に感じる、生きた感覚だった。
風とは、この様に吹くのか。
匂いとは、これほど鼻腔をくすぐるのか。
新鮮な驚きだった。
大きなタオルを持った女性が、近づいて来た。
「失礼いたします」
彼女はそう言い、一礼する。
そして僕の頭を、胸を、腕を、足を、拭き始めた。
僕はなすがままに身を任せたた。
この女性は、敵ではない。
忠実なる “殿倉の同盟者“ 、 “相馬家“ の現当主、相馬 聡美だ。
「大道寺 勇哉が、やって来ます」
聡美は緊張した面持ちで、そう告げる。
「あの小僧がか!」
僕の言葉に、彼女はクスリと笑う。
「勇哉さんは、今の貴方より年上ですよ」
確かに今の僕の外見は15歳ぐらい。勇哉や亜夢美より年下だ。
「肉体的にはね。でも精神年齢なら、僕は44歳だ」
「実際に生きられた訳でもありますまいに。本当の貴方は、いま生まれたばかり。仮想体験を実体験と見做すのは、いかがな物かと……」
聡美は僕の髪をとかしながら、呟く。
「奴の目的は?」
「アメリアさんの奪還でしょう。それ以外に考えられません」
聡美はきっぱりと言い切る。
「あの娘は、殿倉の一族。如何に主家といえども、口出しされる筋合いはないんだけどね」
「『あれだけ蔑ろにしておいて、どの口がぬかす』と言うでしょうね、あっちとしては」
全くもって、その通りだ。
「直輝さんみたいに、こちらの事情をくみ取ってくれる――という訳にはいかないか……」
一縷の望みを託し、尋ねてみる。
「それは虫がいい話かと。蔑ろにしているだけでなく、人身御供にしようとしているのがバレているみたいですから」
そら、無理だ。
きれいに利害が、対立している。
「主馬さま――アルファさまは、青翠館地下一階で勇哉さんを待ち受けるそうです。貴方は私と一緒に地下二階に赴き、システムを死守せよと仰せつかりました」
聡美は僕に白い開襟シャツを着させ、黒いズボンを穿かせながら言う。
黒いメイド服を纏いその様な行為をする彼女は、一見ただの従者に見えるが、とんでもない。
彼女こそは、神のもう一つの力を秘めた人外の存在。
僕が “時間を司るもの“ ならば、彼女は “繋がりを司るもの“ 。
点と点であるものを繋げ、線に、面に、立体に押し上げるもの。
群体に昇華するに欠かせない存在だ。
「参りましょう。亜夢美さまがお待ちです」
彼女はそう言うとカツカツと靴を鳴らしながら実験室を後にする。僕もそれに続く。
実験室を出ると、そこは暗い部屋だった。
壁の両側に、水槽がずらりと並んでいた。
僕はその中身に目を奪われた。
「……あれは?」
聡美に、恐る恐る問いかける。
「失敗作です」
その水槽の中いは、手足を捥がれ肉片と化した物体が浮かんでいた。
何体かは、頭部が付いていた。
それは、よく見知った顔だった。いつも鏡越しに見る顔だった。
「……あれは……僕?」
十代、二十代、三十代……。色々な年代の “殿倉 主馬“ の顔がそこにあった。
「違います。あれは自我を持てなかった、記憶の継承が出来なかった、主馬様に成り切れなかった、ただの肉塊です」
僕も、ひとつ間違えればああなっていたのか。
「失敗作にも役目があります。なぜ失敗したかを究明すると云う、大切な。失敗は、無駄ではありません」
意味は、あるのだろう。だがそこに、尊厳は無い。
僕と彼等の違いは、なんだったのだろう。
「けれど彼等に、名はありません。存在したという事実さえも。在るのは、その失敗の理由のみ……」
彼らは、礎だ。羽ばたくための、足台だ。
僕は、そんな物になりたくない。
「貴方は誕生しました。新たな命として。 “ベータ“ という名で。 “オリジナル“ ―― “アルファ“ を超える者として」
失敗は、許されない。
犯した瞬間に、あの肉塊の仲間入りだ。
「私も、この身を、受け継いだ力を、すべてを捧げます。新たな世界の為に、……亜夢美さまの為に」
その言葉は、僕を傷つけた。
「……僕ではなく、亜夢美の為に?」
しょせん僕は、使い捨ての道具なのか。
「どちらでも同じでしょう。貴方さまと亜夢美さまは、一つとなられるのですから」
聡美にとっては、そうなのだろう。
だがそこには、大きな違いがある。
のみ込まれる者と、吸収する者。
僕は、生き延びたかった。
生への渇望に襲われた。
贄となるのは、真っ平だった。
「たとえ貴方が倒れても、貴方の遺志を継ぐ者はいますので、ご心配なく」
僕の気持ちを知ってか知らずにか、彼女は心無い台詞を吐く。
「僕は――負けない。勇哉にも、何者にも、……神さえにも!」
心から、叫んだ。
聡美にではなく、なにか得体の知れない巨大なものに向かって。
それは決意であり、誓いであった。
科学と魔術の融合で、ベータは誕生しました。
『ブックマーク』、『星評価』、『いいね』をお願いします。下段のマークをポチっとして頂くだけです。それが執筆の何よりの糧となります。……筆者の切なるお願いです。