ルールブレイカー
それは 細く細く そして長い 一本の糸だった
何百年に渡り紡がれた 糸だった
その糸に 無数の想いが へばり付く
昏い情念が やるせない無念が 纏わり付く
それは肉となり 鱗となり 糸は龍となる
一は全となり 全は一となる
新たな神が 誕生しようとしていた
「天地創造か、邪神召喚か。どっちにしろ、ろくなもんじゃねえ!」
俺は嘆きの声をもらす。
主馬が、違う存在に変貌しようとしていた。
「悲しみよ、ようこそ。恨みよ、忍び寄れ。錆びた時計が動き出すように、世界は進む。新たな刻を告げる鐘が鳴る。苦しみとの決別、希望の来訪は、目の前だ!」
主馬の躰に、黒い炎が吸い込まれてゆく。
その炎は意思を宿し、死んではいたが、存在していた。
その存在は、世界の一部であった。個として生き、世界を形作る歯車であり、燃料であった。
それが、いま、ひとつと成る。
個別の認識はあるが、繋がり、溶け合い、主馬のネットワークに組み込まれてゆく。
『一は全 全は一』――その概念が、実体化する。
蠢くエネルギーが、主馬の背から噴き出す。
十二枚の光る翼が、空を覆う。
その羽根一つずつに目玉が付いている。
無数の眼が、俺を睨みつける。
“群体“ ――その意味が、理解できた。
そして主馬本体も、変貌を遂げ始めた。
側頭部の白髪が、黒ずんでゆく。
唇の上がピンと張り、ほうれい線が消える。額の皺が無くなる。
眼がどんどんと澄み、潤いを帯びる。
身に付いた肉が、削ぎ落されてゆく。
時間が遡ってゆく。
彼はもはや、俺と同じ年代にまで若返っていた。
俺の父・直輝と、母・紗稀と、そしてソフィアと過ごしたあの神戸での夏の日に戻っていた。
翼が、しなる。
数百の眼が、こちらを向く。
『『『争いよ、消えろ!』』』
心の声が、エコーして聴こえた。
その言葉の意味は、美しかった。
皆が求めるものだった。
だがどうしてだろう。
その意味は美しくとも、内側から闇が溢れていた。
怨み辛みに塗れていた。
その言葉は祈りではなく、呪いだった。
魔王は、眷属たる亡者を取り込んだ。
「手に入れた……。ついに、ついに、ついに――――!」
彼は両手をぐっと握りしめ、新たな肉体を噛みしめる。
生命力にあふれ、無限の未来の秘めた肉体を。
夢にまで見た、不老不死の躰を。
そして振り返り、俺を可哀想なものを見る目で見つめる。
「原子に還れ! 哀しみよ去れ! そして甦れ! 無垢な魂のまま、直輝さんと一緒に――」
彼は掌を俺に向ける。
俺の本能が、警笛を鳴らす。これは、やばい。
光りが、放たれた。遅れて、雷鳴が響く。
雷が、俺に真っすぐ迫る。
肉がえぐれた。皮膚が焦げた。
大地は焼け、クレーターとなった。
だが直撃はしなかった。掠っただけだ。
手足は付いている。
内蔵も失われていない。
この位で済んで、僥倖だった。
既の所で躱す事が出来た。
よく避けれたと、自分でも思う。
カンだった。まぐれだった。
雷撃は、なおも続く。何度も何度も。
俺は必死に回避する。
『おかしい』――俺の頭の中に、疑念が浮かぶ。
一度目はまぐれ。
二度目は偶然。
だが三度目四度目となると、もはや表す言葉が無い。必然としか、言いようがない。
なぜだ? なぜ躱せる?
「きさま、一体なにをしたっ!」
主馬が憤り、疑問をぶつける。
そんなの、こっちが教えて欲しい。
俺はどうやって、この攻撃を避けているんだ?
間に合う筈がないんだ。この至近距離で、光の速度に。
主馬の予備動作、筋肉の動きで事前回避をしている訳ではない。
主馬の雷撃は、肉体から発せられてはいない。精神エネルギーによる物だ。
よって、そんな事前予測は不可能だ。
主馬みたいに、未来視や、時間を切り取る能力は、持ち合わせていない。
…………待てよ、もしかして。
俺は一つの仮説に辿り着く。
愕然とした。呆れた。そして神の底意地の悪さを痛感した。
「ははははは……」
乾いた笑いが出た。
貌は、引き攣っている。
主馬が怪訝そうな顔で見つめる。
「……はは。なんだ、これ? 神さま、あんた、何がしたいんだ?」
俺は呟く。まるで自分が理科の実験動物になった様な気分で。
「その神とは、私の事ではないな?」
主馬が訝し気に尋ねる。
ああそうか。こいつも人間やめていたんだっけ。
「ああ。俺をここに送り込んだ、性悪の方だ」
いったいこの世界には、神さまがどの位いるのだろう。
「その神とやらが、何か仕組んだと云うのか?」
主馬は不機嫌に訊く。やっと得られた万能感に、冷や水を浴びされた様に。
俺はその問いに答える前に、確認せねばならぬ事があった。
「そのお答えの前に、一つお尋ねします。貴方は随分前から、 “時を司る“ 能力をお持ちでしたね?」
俺の心は冷えていた。さっきまでの怒りも収まっていた。言葉遣いも戻っていた。
「……ああ」
主馬は慎重に答える。余計な情報を与えないように。
「……なぜ父さんを、甦らさなかったんです?」
主馬の頬が、ぴくりと動く。
「貴方が一番望んでいるのは、父さんの復活。飢えにも等しい、渇望。それを成さないのは、道理が合わない」
ずっと抱いていた疑問を、ぶつける。
主馬は、答えない。
「 “出来ない“ んでしょう。 “時を司る“ 貴方にとっても、叶わない事なんでしょう」
主馬はギリッと唇を噛む。
「貴方は、時を司る。だがそれは、限定された “時“ だ」
俺は追い打ちをかける。
「貴方の支配領域は、 “未来“ にしかない!」
確信を持って、言い切る。
目の前にいるのは “万能の神“ ではなく、狭い世界の神だった。
「それが……どうした! それで十分だ! 未来を支配する者は、全能だ!」
これまで片手から放っていた雷撃を、両手で放つ。
一つは直進し、一つは蛇行するように回り込んで来た。
そしてぶつかる数舜前、時が跳ぶ。どんな回避行動も無力化する為に。
「……無駄ですよ」
俺は身動き一つしない。
雷撃は二つとも、掠めるように逸れて行く。
「馬鹿な!」
主馬は愕然とする。
そろそろ種明かしといくか。
「 “過去“ は、 “未来“ を押し流す。川の流れが、そう在るように。いくら下流で水の流れを変えようと、上流から押し寄せる流れは、それを消し去る。堰をいくら築こうと、水路をどれだけ引こうと、轟々と唸る水流はそれを押し流す。そして残るのは、均された未来。厳然たる事実。貴方の努力は、水の泡……」
余りの衝撃に、主馬は硬直する。
唇も目も開いたままで、時間が止まっていた。
「過去を遡ることなど、神にも出来ぬ! それは、すべてを否定する所業だ! あった事を、なかった事には出来ない! 新たな事象を築く事だけが、許される! そんな事など、許されない!」
彼は認められなかった。その事実を、神の座から引きずり降ろされた事を。
「お忘れですか、僕がどんな存在なのか。八十年の時を遡った、僕を。自然の摂理に反した、僕を。貴方が “魔王“ ならば、僕は “破戒者“ です」
人は一度壁を越えると、次からはそれが容易になると謂う。
俺は一度、過去へ跳んだ。
命の危険に晒され、無意識下でそれを実践したのだろう。
……ふざけた話だ。
質の悪い詐欺に遭ったみたいな顔を、主馬はする。
そりゃそうだろう。俺だって納得出来ない。
召喚のオマケでこんな力を得るなんて。
そして否定するかの様に、主馬は攻撃を繰り出す。
空を切り裂く、雷撃を飛ぶす。
大地を溶かす、火焔を放つ。
鋭い刃先の、水流を穿つ。
『そんな筈はない。そんな筈はない……』 魘された様に、そう呟きながら。
攻撃は逸れる。すべてが徒労に終わる。
そして主馬の心が折れた。
頃合いだ。決着の時だ。
別に甚振っていた訳でも、余裕を見せていた訳でもない。
負けを認めさす事が、必要だったから。
未練を残し、迷い出ない様に。
主馬の攻撃が迫る。俺はタンとバックステップをする。
すべてが引き戻されて行く。雷も炎も水も……光も音も匂いも、そして時間さえも。
俺は過去へと跳躍する。
ほんの一二秒先の、過去と言うのもおこがましい様な物であった。
しかしそれは、あらゆる物を覆した。
無数に張られた未来の枝を、そこに仕組まれた “時を司る者“ の罠も、一切合切吹き飛ばす。
引き潮のように、昔の未来が去る。
そして新たな未来が、津波みたいに押し寄せる。
時が最後に残すのは、無情と切なさと、何とも言えないほろ苦さだった。
主馬の攻撃が、全て消滅する。
俺の攻撃が、それに取って代わる。
斬撃が打撃が爆撃が、主馬に襲い掛かる。
主馬にそれを防ぐ手立ては無い。
逃げ道は、みんな塞がれていた。
彼はすべてを受け止め、笑いながら倒れて行く。
「イヤな予感はしてたんだよ。未来視を使うまでも無く、な……」
恨み一つ見せず、諦観した様に主馬は言う。
今の若々しい彼には似つかわしくない、黄昏を見つめる老人みたいな貌だった。
「だから、備えた……。為政者として、当然の判断をした」
それは敗者の貌ではなかった。勝利を確信した貌だった。
「私の能力を、亜夢美に移した。湖月より忠継に渡され、脈々と繋がれた力を。それは一人のものでは無い。歴代継承者のものだ。すべての魂が、刻まれている。私もその一人。それが、新たな神として降臨する。アメリアの力を借り、晴明から続く“相馬“ の力を借り、“シラ様“ の力を借りて。――新たな生命体の誕生だ!」
主馬の顔を窺う。今初めて、それに気づいた。
目が洞のようになっている。
眼球が無い。
そこに、燐火が妖しく光っている。
それが、赤い目に見えたのだ。
「もはや、個の隔たりは無い。誰が何の力を持とうと、違いは無い」
主馬はニタリと嗤う。
「力を譲渡しても、暫くはその残滓で同じ力を使える。そう思って亜夢美に渡したが、正解だったな。戦術的には負けたが、戦略的に勝ったのは――私だ!」
主馬は勝ち誇ったように言い放つ。
「それは貴方の勝利と、言えるのですか!」
俺は納得がいかなかった。
それでは、この戦いは何だったんだ。
「応とも!」
微塵も迷い無く、主馬は叫ぶ。
「どの道この躰は、遺棄する予定だった。新たな依り代は、既に用意している。神霊となるんだ、それ相応の物でなければな」
彼の顔は、恍惚としていた。
「唯一の懸念が、空襲前に邪魔が入り、霊魂の融合が出来ない事だった。アメリアというパーツを奪おうとしてる奴がいたからな」
クククッと、嘲笑う声が聴こえた。
「いざ行かん、新世界へ!」
その言葉と共に、主馬の躰が崩れ出す。
サラサラと、砂のように。
砂は風に乗り、去って行く。
俺はそれを、呆然と見つめる。
周囲は色を失い、暗闇へと変わる。
世界は、どうなっているんだ?
風は、闇は、答えてくれない。
戦いは、次のステージに移ります。総力戦です。
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