エラン・ヴィタール (生命の飛躍)
四百年が、一瞬に過ぎた。
『胡蝶の夢』 『一炊の夢』――なんと表せばいいのか。
夢か現か、永劫か刹那か。
俺が見たのは、過去の幻影。
だがそれは確かに存在し、愛し、苦しみ、もがき、精いっぱい、生きていた。
刃が、迫って来る。
主馬が上段から振り下ろした刀が、断罪するように斬りかかる。
神槍 “グングニル“ を失い、主馬が新たに召喚した武器だ。
それはどこか、殿鞍 綜馬が持っていた刀に似ていた。
ここは主馬のインナースペース。想像する物が具現化する。
俺の槍も、剣に変化していた。彼を正面から迎え撃つために。
これは物質の戦いではない。精神の、心の戦いだ。
俺は改めて、自分の心の中を覗く。
意識が、変わっていた。過去を視る前と。
この世界は、赤青黄の単色ではなく、複雑に混ざり合った、混沌とした色彩に在った。
先ほどまでは、主馬の顔が悪鬼羅刹に見えていた。
だが今はその般若の面に、深い哀しみが見て取れる。
口はかっと大きく開かれ、鋭い牙を露わにしている。
眼には紅い燐火を灯し、怒りの炎に身を焦がしていた。
だがそれと対照的に、眉は寄り、垂れ下がり、深い哀しみを湛えていた。
主馬の二面性が、見て取れた。
俺は手にした剣を、主馬の刀に合わせる。
弾くのでも斬りつけるのでもなく、風のように受け流す。
かちゃりと、音がした。
物悲しい、声だった。
報われない男の、悲鳴のようだった。
刀を逸らされた主馬が体勢を整え、ふぅっと息を吐く。
「知って……しまったか」
彼の顔から、怒りの感情が消えてゆく。
代わりに顕れたのは、やるせない哀しみを湛えた瞳だった。
「父さんは、死人の魂を鎮める為に、戦地に行ったんですね……」
俺の問いに、主馬は沈黙を守る。それが、答えだった。『いま見た物は、幻ではない』と。
「……なぜ……教えてくれなかったんですか……」
俺は恨み言を吐く。
そうすれば、『お前が紬を守ってやれ。兄妹で仲良くやっていくんだぞ』――父が遺した言葉の意味に、気付けたかもしれないのに。
父に手紙を書き、その苦しみを和らげる事が出来たかもしれないのに。
俺は父の遺したロケットを思い出す。
出征前に、俺と紬と父さんで撮った写真。
しわしわで、水でふやけて、泥でうす汚れた、三人の写真。
そのシワをのばし、汚れを落とし、少しでも綺麗にしようとした、写真。
正気を失いつつある中、父にこれは、どの様に映っていたのだろう。
「直輝さんに、きつく言われていた。『君たちには、絶対言うな』と……」
俺は睨みつける。それでも――教えて欲しかった。
「私は直輝さんに逆らえないんだ、今も昔も……。文句は、彼に言ってくれ。すぐ会わせてあげるから。直輝さんに、紗稀さんに」
主馬から、殺気が迸る。
だが不思議なことに、それには一切の憎しみがこもって無い。
「逝くがいい」
主馬は、剣を振りかぶる。鋭い斬撃が降って来る。
俺はそれを、必死の思いで受けとめる。
「どうした、どうした、そんなもんか、君の力は。あの女の子たちに頼りっきりで、一人ではそんな物なのか」
滅殺の気持ちを込められた刀が、乱舞する。
だがそれは殺し合いと謂うより、親が子に稽古をつけている様だった。
ちぐはぐだった。彼の気持ちと、行動が。
「大人しく、冥府に赴け!」
憎しみの欠片もなく、殺意がぶつけられる。
「そして、蘇ろ! 直輝さんと一緒に!」
聞き捨てならない言葉が、聞こえた。
言った本人は、チッと舌打ちする。
『……失言だ』と呟いて。
「どういう意味です?」
俺は距離を取り、詰問をする。
「……そのままの意味だよ。君はここで死に、そして生き返るんだ」
意味が、分からなかった。
「貴方は、いつから死霊使いになったんです! 魔王じゃなかったんですか」
「 “ 反魂の術“ ではない。これは、完全なる “ 復活“ だ」
違いが、分からなかった。
「 “ 復活“ とは、なんだと思う?」
斬りかかりながら、主馬はついでみたいに訊ねる。
「知りませんよ! 会った事がないんでねっ! イエス様とは!」
鍔迫り合いをしながら、口を尖らせながら、俺は答える。
生憎と知り合いに、復活を経験した奴はいない。
「……死んだ人間が蘇る。そんな事が、可能なのだろうか?」
俺の返答に反応せず、攻撃の手を緩める事なく、主馬は呟く。
問いかけるのではなく、独白している様だった。
「死んだ人間の破損した箇所を修復し、心臓を動かし、血を巡らせ、呼吸を促しても、人は生き返らない。機械は機能を復元し、動力を入れれば、再稼働する。だが一度離れた生命は、二度と戻る事はない…………」
それは人類が何千年、いや何万年と取り組んで来た命題。
時には神秘学的に、時には科学的に、延々と。
「この生命体と非生命体の違いは、何処から来るんだ? 私はずっと、問いかけて来た」
魂とでも、言うのだろうか。
「生命体と非生命体の違い、それは心、感情、意識の有無にある」
確信をもって、主馬は言い放つ。
「それらは、神経系の出現により誕生した」
「 “生体“ という広大な敷地に張り巡らされた “神経線維“ 。彼らは “調査官“ となり身体全体を巡回し、外傷などの “状態異常“ 、細菌などの “侵入者“ を探知し、その情報を中央処理装置たる “脳“ に報告する。」
「ビックデータの集積地である “脳“ は、集められた情報に反応し、防御手段を講じ、そのデータを蓄積する」
「そして “脳“ は、次に類似の情報が上がって来た場合、過去のデータを検索し、何が起きるかを予想する。そこで再現されるのが、過去の痛み。いわば、感情の原型だ」
「生命体は、痛みを忌避する。そして快楽を求める。それは積み重なり感情となり、心となる。やがて心は、魂へと昇華される」
朧気ながら、主馬の言いたい事が見えてきた。
「人類という存在を、その様なネットワークで結び、一つの生命体とすれば、どうなる?……」
まるで出来の悪い生徒に対するみたいに、主馬は問いかける。
主馬の言葉は、早口となる。
いささか興奮しているのが、感じられた。
「一つの細胞の痛みは、全体の痛み。個あっての全、全あっての個が、実現される」
彼の顔に、じんわりと微笑みが浮かぶ。
「そしてそれは、絶える事はない!」
一点の曇りもない、眩しい笑顔だった。
彼は笑いながら斬りかかり、俺の息の根を止めに来た。
「途切れた生命体は、戻らない。だが、復元する事はある」
斬撃の合間に、主馬は言葉を紡ぐ。
こちらには、それに応える余裕はない。
「切り裂かれ、機能が停止した腕を本体に繋げると、再び甦る事がある。つまり大きな塊としての生命体は、その命が同時に停止しない限り、常にメンテナンスし、バックアップし合えば、永遠の時を生きる事が可能となる」
剣戟の音が、メトロノームのように響いてくる。
彼の言葉が、旋律のように染みわたる。
言いようのない化物が、浮かび上がってきた。
「 “群体“ 、それが新たなる人類の形……」
主馬は恍惚としていた。何かに酔いしれていた。
俺は悍ましさに、こみ上げるものがあった。
「個人としての生命でなく、群体としての生命体となれば、死から解放される。愛別離苦から、執着から解放される……」
その貌は、大量殺略者ではなく、救世主の仮面を被っていた。
「貴方の言う “新世界“ とは――」
出来れば目を逸らしたい誘惑に駆られながら、それでも俺は問いかける。
「 “種“ としての進化だよ。他所の世界に行くだけなら、 “異世界転移“ 。引っ越すだけだ、大した変化ではない。世界を変えるんじゃない。自分が、変わるんだ」
神に叛逆を企てた 、“堕天使“ がいた。
自然の摂理を犯す、破戒者がいた。
「群体となり、あらゆる時代の情報をプールする。時間を遡り、死滅する前にピックアップする。合わせ技だよ。時を操れる私になら、可能だ」
「時間を、空間を超え、同一の存在として、存在出来る」
果たしてそれは、進化と呼べるのだろうか。
不老不死の変化なき存在に、発展は、未来は、無い。
「そうすれば、直輝さんを、君の父上を、復活させられる、一つになれる。……会いたくないかね、直輝さんに」
それは、禁忌だ。
あらゆる時代で数多の天才が挑み、悲劇を生んだ。
「直輝さんは、死人の声に囚われていた。ならばそれを使い、呼び寄せる。彼が愛した、この地に。現在の直輝さん、過去の直輝さんの融合だ。すべての直輝さんを、私は手に入れる」
餓えた者が貪るように、それしか目に入ってなかった。
「準備は整った。怨嗟に燃える死霊という動力。亜夢美という演算回路。アメリアという記憶装置。今すべてが、繋がる――」
怨念のような声を、主馬は発する。
「 "élan vital"(生命の飛躍)!」
主馬は憑りつかれたように、叫ぶ。
その目は、紅く揺ら揺らと光っていた。
主馬は、己の信じる理想に殉じています。
それがどんなに歪であろうと……。
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