偽物狂想曲
「遠慮は無用。来い!」
俺たちは人気のない河原で剣を持ち、睨み合う。
俺の言葉に、対峙する少女は唾を飲み込み、刀の柄をぐっと握る。
「やぁっ――!」
気合一閃、彼女は平青眼の構えから足を踏み込み、俺の左小手を狙って来た。
俺は上段から、彼女の面に振り下ろす。
それを予め予想していた彼女は、剣の軌道を修正し、俺の剣を受け止めようとする。
「甘い!」
俺の振り下ろしに耐えかね、彼女は剣を落とす。
カランカランと音を立てながら、剣は無情にも転がってゆく。
「鬼か、あんた! 女の子相手に全力で打ち込みして。ちょっとは手加減してぇ~な」
紗稀は半泣きで、抗議の声をあげる。
「剣に男も女もない。それはお前の立っている舞台も同じだろう。如何に技術を極めるかの勝負だ。泣き言を言うな」
それでも彼女は恨みがましい視線を送る。
そろそろ具体的な指導に移るか。彼女のクセも分かった事だし。
「動きに無駄があるから、受け止められないんだ。左ひじが打つ時曲がっている。足さばきも、左足が右足を越えてはいけない。そんな無駄は、美しくない。そういう物を、削ぎ落せ。機能的な動きこそが、美しい」
俺は転がっている木刀を拾い上げながら指導する。
木刀には、『鈿女坂歌劇団』の文字が記されていた。
紗稀が『ちょっと待っててな。練習道具を用意してくるさかいに』といって、歌劇団の売店から持ってきた物だ。
おい、鈿女坂歌劇団! どんな商品構成をしてんだ!
「言うてる事は分かるんやけど、実際どうすればええか、イメージでけへん」
確かに言葉だけでは難しい。俺が実演しても、相手の動きがなければ掴みずらい。
「ちょっと貸してくれる」
横で見ていたソフィアが俺が持っていた木刀を一本取り上げ、片手でブンっと振る。
「お手本を見せてあげる」
彼女はそう言うと先程の紗稀と同じ平青眼の構えをとり、俺に向かい合う。
「『いざ尋常に勝負!』でよかったのかしら? この場合」
ソフィアは楽しそうに笑っていた。
俺とソフィアは向かい合っていた。
お互いの呼吸を感じ、溶け合い、一体となる。
それは、甘美な時間だった。
甘い時間は、彼女の身体中から息を吐き出す音で終わりを告げた。
タンと弾むような足音を立てて、ソフィアが迫って来る。
まるで、舞を踊っているみたいだった。
俺はそれに応えるべく、上段から木刀を振り下ろす。
「こう来て」
彼女はそれだけを発し、俺の斬撃を受け止める。
俺の剣は、するりと水が流れるように、彼女の剣を滑ってゆく。
「こうして」
彼女は止まる事なく、足を踏み込み、方向転換をする。
一切の無駄がなく、減速する事なく、弧を描くように。
そして俺の間近まで迫った。
「こうね」
彼女の剣の切っ先は、俺の喉元に突き立てられていた。
「ああ……」
見事な、お手本だった。
『ほえー』と、紗稀が感嘆の声を漏らす。
「喉が渇いた。ちょっと水飲んで来る」
ソフィアは少し高揚した面持ちで、水飲み場へと向かう。
俺と紗稀は、その姿をじっと見つめていた。
「どのくらい修行をすれば、あの域に辿り着けるんやろ。あの技が使えるんやろ……」
紗稀は、羨望とも絶望ともつかぬ溜息を吐く。
「二週間」
「…………へ?……」
俺の答えに、紗稀は思考停止をした。
「あいつと俺が初めて会ったのが、二週間前。あの技は、その時に見せた。修行期間は二週間」
『えっ? えっ? ええぇ――!』 予想通りの反応が返って来た。
「ちょい待ち! あの人、二週間であの技覚えたん?」
「そういう事になるな」
厳密に言うと、その間あいつは俺と一緒に遊び回っていた。実際の修行期間はもっと短い。
紗稀は頭を抱える。
『ありえへん。ありえへん。……そりゃ世の中には物覚えが早い人はおる。歌劇団でも、踊りを覚えるのが早い人はおった。でも、ものには限度っちゅうもんがあるやろ!」
まったくもって、その通りです。
「まあ、世の中は広いっていう事だ。マグロが一番大きな魚だと思ったら、クジラがいたってとこかな」
「魚類と哺乳類を一緒にすな!」
確かに、違う種なのかもしれない。
同じ場所に生息していても、違う生き物なのかもしれない。
だが共に生きるのに、それが何だと言うのだろう。
「ふう、さっぱりした」
ソフィアは水を滴らせ、帰って来た。
頭から水を浴び、濡れた銀髪をたなびかせ。
彼女は、鬘を外していた。
「あんた、その髪……」
紗稀は口をあんぐりと開け、ソフィアの銀色の髪を指差した。
「やっぱり抵抗がある? この髪じゃ……」
ソフィアの顔が、少し曇る。
「めっちゃキレイやん。うっそ、なに、この艶。ウチのパサパサの髪と大違いや。どんなお手入れしとん? おせーてな」
キラキラした瞳で問いかける。
俺とソフィアの目は、点になった。
「えっと。私、外国人なんだけど、分かってる?」
基本的なところからの確認を始めた。
「ウチは、演劇人や」
……これ、会話が成り立っているのか?
「舞台に立ち、観客の声援を糧に生きる人間や」
これまでの飄々とした感じではなく、真剣さが滲み出ていた。
「いろんな声が投げかけられる。称賛の声、罵声、ヤジ……。 暗い劇場では、観客の顔は見えへん。声だけが、演者と観客を繋げる」
彼女の言いたい事が、なんとなく分かってきた。
「そこでは、肌や目の色なんかは関係ない。魂の品格、その人の本性だけがある。外国人や日本人なんかは、どうでもええ事や」
こいつは、賢い。
お仕着せの価値観ではなく、自分自身の判断基準を持っている。
「さあさ、師匠。教えて~な。戦い方も、美容法も」
紗稀はソフィアの手を握り、猫なで声を出す。
ソフィアは、身体をブルブルと震わせていた。
「よっしゃ! ウチのすべてを伝えたる。ついて来なはれ。アンタを立派な剣聖に、淑女にしたる。武闘会でも舞踏会でも、どんと来いや!」
紗稀につられてソフィアも播州弁で話す。
「師匠――!」
二人はひしと抱き合う。
麗しいシーンのはずだが、なぜか萌えない。……何故だろう。
「あかん、そろそろ劇場入りの時間や。もっとしたいけど、ここまでやな」
名残惜しそうに、紗稀は言う。
「おおきに。これで今日の舞台、最高のものに出来そうや」
汗だくになりながら、満足気な表情だった。
「これ、お礼や。貰うてくれへんやろか」
紗稀は懐から、二枚の紙を取り出す。
そしてそれを、ソフィアに手渡した。
「今日の午後の部のチケットや。前の方の、ええ席やで」
子どもが、宝物を差し出す時みたいな笑顔だった。
「あんたらには、ウチの舞台を見て欲しいんや」
彼女の想い。感謝と、自分の成長を見届けて欲しいという気持ちが伝わって来た。
「待っとるで~」
紗稀はそう残し、去って行った。
俺とソフィアは、顔を見合わす。
ソフィアの手には、紗稀から渡されたチケット。
そして俺の手には、モノノフ氏から渡された一番高い桟敷席――『ロイヤルボックス席』のチケットがあった。
「どうする?」
ソフィアは俺に問いかける。
二つの席の差は、歴然だ。
役者に配布されるチケットと、支援者に献上されるチケットでは、格が違う。
「決まっているだろう。最高の席で見る」
俺は周りを見渡す。そして散歩していた年配の女性二人連れに声をかけた。
「すいません、ちょっといいですか。「鈿女坂歌劇団の今日のチケット、余っているんですけど、もらって頂けませんか」
俺の呼びかけに戸惑いながらも、差し出されたチケットを見る。
彼女たちは、目を引ん剝いた。
「あんた、これいっちゃんええ桟敷席やないの! こんなん貰うて、ええの?」
「ええ。事情があって、不要となったんです。捨てるのも勿体ないし、役者さんも一人でも多くの人に見てもらいたいでしょう。勿論お金なんて要りません。人助けと思って、貰って下さい」
『キツネかタヌキに化かされとるんとちゃうんか。後で葉っぱに変わるんとちゃうんか』――そう言いながら、自分のほっぺをつねっていた。
「おおきに。ありがたく頂くわ」
そう言って、彼女たちはチケットを受け取った。
『一時間後に集合や。一番上等な服に着替えてきなはれ!』
『おつまみに、お中元に貰うたモノノフのチョコレートを持って行くわ!』
『あんなええ席やったら、何か出るんちゃうか』
けたたましい声を上げながら、二人は去って行く。
俺はソフィアを見やる。
彼女は笑っていた。
最高のチケットを握りしめながら。
これで……いいんだ。
舞台の、幕が上がる。
俺たちは前から11番目の席でそれを見ていた。
「ヤァァァァ――」
雄叫びが場内に響く。
パァァン。ドン。バシッ。
ぶつかり合う音、床を踏み込む振動が伝わって来る。
舞台は道場を模していた。
そこで大勢の人間が、竹刀をぶつけ合っていた。
中央で長身の男が、小柄な少年と闘りあっていた。
「受けが甘いぞ、総司!」
「近藤さんこそ、速さが足りない」
二人は鍔迫り合いをしながら、楽しそうに罵り合う。
『キャッー』という黄色い喚声が上がる。
観客席ではうら若い女性たちが木刀を頭上に掲げ、振り回していた。
先ほど紗稀が売店から持ってきたのと同じ物だ。
木刀には、『水鳥 怜』『北斗 羅門』と書かれている。
パンフレットに載っていた役者の名前だ。
何て商売してやがる、鈿女坂歌劇団!
「たのもーう!」
聞き覚えのある声が、舞台上手から発せられた。
「お手合わせ願いたい!」
現れたのは、さっきまで俺たちと一緒に剣を交えていた者だった。
「やった! 久々にイキのいい奴が来た。近藤さん、僕に任せてもらえますか?」
総司と呼ばれていた少年が打ち合いを止め、組み合っていた男に問いかける。
近藤と呼ばれた男は、『やれやれ』と肩をすくめる。
舞台に現れた紗稀は、総司と呼ばれた少年と対峙する。
彼らの手には、竹刀ではなく木刀が握られていた。
「僕の名は、沖田 総司。貴方の名は?」
「土方 歳三……」
彼らは一礼して、剣を交える。
カンカンカン。小気味いい、木刀がぶつかる音が響く。
観客も木刀を振り回し、興奮している。
『あれ、おかしいぞ』――最初に気づいたのは、 “総司“ 役の演者だった。
いつもと、違う。昨日までの舞台とは、別物だ。
動きが流れるようだ。一切の無駄がない。何故だ? 自分はこんな動きをした事がない。
答えは、目の前にあった。
同期である “土方“ 役の “天野 紗稀“ 。彼女の動きに、引きずられていた。
十手先まで考えたような緻密な動き。
一つ一つの動きが、次の予備動作となっている。
それは一つの流れ、一篇の詩であった。
単語は独立しておらず、掛かり合い、韻を踏み、芸術とも謂えるものに昇華していた。
殺陣では、自分が上だった筈だ。
だからこそ剣の天才、 “沖田 総司“ 役を任された。
それがどうだ、この有り様は。
ダンスの下手な奴が、パートーナーに補助されているみたいじゃないか。
屈辱だった。
怒りの余り、紗稀を睨みつける。
紗稀は、涼しい顔をしていた。
それどころか、嬉しそうだった。
与えられた玩具――新たな力で遊ぶ子どものように。
馬鹿馬鹿しくなった。
どっちが上だとか下だとか。
ただこの快楽に、身を委ねたくなった。
素直に詩の世界に入った彼女に、例えようのない幸福感が押し寄せた。
『あれ、このシーン、こんなんだっけ』――次に気づいたのは、この舞台を何度も見ている常連客たちだった。
迫力が、速さがまるで違う。
そして何より違うのが、演じる二人の表情、かもし出す雰囲気の違いだった。
楽しそうだった。
剣を振るい相手を知り、知らなかった自分の内面まで引き出す。
土方と沖田の出会いを、見事に体現していた。
いや、史実を超えたと言っても過言ではない。
場内は、割れんばかりの拍手に包まれた。
物語は、進む。
彼らは将軍警護の浪士組に応募し、京都へ赴いた。
場面は、壬生屯所内へと変わる。
奥まった部屋で、二人の男が酒を酌み交わしていた。
「なあ、歳。例の “局中法度“ 、なんとかならんか。厳しすぎるとの声があがっている」
大柄な男が杯をくいっと飲み干し、零す。
それを聞いた歳と呼ばれた男は、盃を置き、真剣な目で語る。
「近藤さん。俺たちは、まがい物だ……」
紗稀は、つらそうに言葉を吐く。
「農民が、侍の真似事をしているにすぎん。……偽物だ」
哀しそうな目だった。
「歌舞伎の “女形“ を知っているよな 。あれが何であんなに綺麗で色っぺえか、聞いた事があるかい?」
紗稀は、天井を見上げる。
「あいつらは分かっているんだ、自分が “男“ だ っていう事を。そして気を抜けば、それが頭をもたげる事を」
彼女はそう言うと置いた杯を再び手に取り、一気に飲み干す。
「あいつらは神経を集中する。頭の天辺から足の爪先まで、理想の “女“ を想像しながら。だから、美しい」
紗稀の語る言葉は、何重もの意味があった。
“侍“ を追い求める土方の。
“男“ を演じる紗稀の。
“偽物“ の苦しみが、そこにあった。
「俺たちも、求めなくちゃいけねえ。本物以上に、理想に近づけなければならねえ。 “武士“ 以上に高潔に、 “侍“ 以上に勇猛に。そうじゃなければ、いつまでも経っても偽物のまんまだ……」
心の底からの、魂の叫びだった。
「歳……。侍となって、それでおめえは何を求める?」
近藤は問いかける。その根源を。
「理想の “生き方“ を。いや、 “死に方“ かもしれねえな。命尽きる時、『よく頑張った』って自分を褒めてやりてえんだ。なんの後悔もなく。それが、俺の望みだ」
近藤は腕組みをする。
そして目を瞑り、一言だけ言った。
「わかった。好きにしろ」
その言葉に、土方は涙を流す。
自分の夢が叶いそうな事に。それを理解してもらえた事に。そんな友を得られた事に。
観客は歓声をあげる。
彼らの生き様が、伝わって来た。
幕間となった。
俺は隣を見る。
ソフィアが、泣いていた。
舞台に感動したのかと思った。
だが、そんな単純なものではなかった。
嫉妬、憧憬、焦り、怒り……。そんなものが、ごった煮となった貌だった。
「私は、何をやっているんだろうね……」
一筋の涙が、頬を伝う。
「故郷を捨てて、何の目的も無く、ただ逃げ惑う。生きる意味が、解らない……」
線の細い、折れそうな声だった。
「私は、何を演じればいいの? 悲運の皇女? 惨めな亡命者? 厄介な過去の亡霊? 私は……どうすればいいの……」
俺は答えられなかった。
答えを持ち合わせてはいなかった。
観客のざわめきの中、無言が続く。
「……今に始まった事じゃないか。生まれた時から、こうだった」
ソフィアの声は、感情が死んだ吹雪みたいな声だった。
「妥協して侍女に産ませた末の “外れクジ“ ――それが私……」
自らを嘲笑うように、ソフィアは呟く。
「私が二歳の時、弟・アレクセイ皇太子が生まれた。その瞬間、私の価値は失われた。お姉さま達のスペアとしての価値が」
彼女の表情は、段々と消えていった。悲しみも苦しみも。それが、一層哀れだった。
「アレクサンドラ皇后は、血友病の因子を有していた。だから健康面で不安のあるお姉さま方のスペアとして、私は生かされた」
淡々と彼女は述べる。なんの感情も乗せずに。
「けどそのスペアは、破棄される事になったの。念願の男児が産まれて」
彼女の目は、遠い故国か、帰らぬ過去を見ていた。
「その時の母の顔を覚えているわ。私の一番古い記憶だもの。ホッとしたような解放されたような顔をしていたわ。穏やかな顔。けれどその顔は、私を見た時に変わったの。厄介者を見るような、『何でこんなものが居るんだろう』って顔。……居た堪れなかったわ」
それは、我が子に向ける顔ではない。
恐らく彼女の母にとって、ソフィアは皇室からの預かりものだったのだろう。
「邪魔者じゃないよ、役に立つよ、捨てないで。 その一心で、色んな事を学んだわ。語学も歴史も地理も……。頭に刻み込むように、血を吐く思いで」
彼女は、先天的な天才ではなかった。
必死の思いが造った天才だったのか。
「でも、全部無駄だったみたい。お母さんは『すごいね』って言ってくれたけど、一度も笑ってくれなかった。『砂漠に水を撒く』とは、まさにこの事だと学んだわ」
一概に母親を責めれない。
彼女は母親である前に、忠臣だったのだろう。
「ヤクーツクで、潜むように育ったわ。母が生きている間も、死んだ後も」
彼女の声は、永久凍土よりも冷たかった。
「それが皇帝一家が処刑され、ロマノフ王朝最後の直系となり、価値が高騰した。なんの冗談かしら。本物がいなくなったからって、代用品で間に合わせるなんて」
彼女はフッと笑う。その笑いは、乾いていた。
「誤解しないで欲しいけど、私は皇室を恨んでないわ。そんなもんだと納得している。けど皇室が廃され、ボリシェヴィキが支配する現在、何をどうすればいいのか、分からないのよ。皇室を再興するのが、本当に正しい事なのか……」
彼女は、迷っていた。
至高の血脈、最高峰の能力を持ちながら、その使い方に。
その力に怯えながら。
「俺が死人の声が聞こえるのは、知っているよな」
俺の、精一杯を伝えたい。
「あいつらは、固定されているんだ、生きていた時代に、その価値観に」
ソフィアは俺の言葉に、目をパチクリとする。
「人は成長し、昔の服が着れなくなる。時代も、同じだ」
彼女は興味深く、俺の話に聞き入る。
「だが人は、自分の黄金の時代を忘れられない。その輝きに、目を奪われる」
俺はありったけの語彙を駆使し、伝えようとする。
「ノスタルジーとでも謂うべきか。それはスパイスにはなるが、毒にもなる」
この辺りの機微は、非常に難しい。
「お前が皇室を再興するというのは構わない。だがそれは過去の実績による正統性ではなく、未来における有用性で判断するべきだ」
俺の言いたい事が、分かってもらえるだろうか。
「理想を、持て。こう在りたいと、思える自分を。俺も協力する。すべては、それからだ!」
伝わるといいな、俺の想い。
ソフィアは俺と向かい合う。
そして満面の笑みを浮かべ、顔を近づける。
二人の額が、コツンと当たった。
「言ってくれるわね。『協力する』ですって。だったら……王配にも、なってくれる?」
ソフィアは不安そうに、かすれる声で問いかける。
「お前が望むのなら……」
幕間が終わり、客席の照明が落ちた。
舞台が再開される。
二人は暗闇の中、どちらかもなく、唇を近づける。
熱い吐息が、かかった。
唇が触れる直前だった。
桟敷席から、爆発音がした。
モノノフ氏が手配した席からだった。
『いない。ここにいるのは、日本人だけだ』
『探せ! 劇場に入ったのは間違いない』
ロシア語が桟敷席から聞こえて来る。
「不粋な真似は、お慎み下さい。芸術の国じゃなかったのですか、貴方がたは」
離れて警護していた主馬の声がした。
続いて人が斃れる音がする。
あいつなら間違いないが、敵の数が多すぎる。
これは、覚悟しなければならない。
「撃てー! 奸臣に屈するな。大義は我らにあり。死して極楽に到らん。生きて地獄に堕ちるなかれ!」
最後の戦場・五稜郭で、紗稀が兵を鼓舞していた。
この舞台は、絶対成功させてやる。
舞台で、大砲の音がする。
それと似た音が、客席から響いて来た。
『凄い演出やな』
客席ではそんな声が流れていた。
誰も真実に気づいていない。
『見つけた。あそこにいるぞ』
ロシア語で叫ぶ男たちが迫って来た。
そろそろ出番だ。
俺は河原で紗稀に貰った木刀を構える。
ソフィアに『心配するな』と声をかけ、ロシア人の集団に殴り込みをかけた。
『例の “童顔“ だ。注意しろ!』
……その呼び名、俺に喧嘩を売っているんだよな。遠慮は無用という事だよな。
慈悲と謂う物は、ソフィアの所に置いて来た。
観客席が邪魔で、通路にしか展開出来ない彼らは、数の利を活かせないでいた。
おまけに接近戦は、俺の得意分野。
俺は暴れた、叫びながら。
「おもしろき こともなき世を おもしろく!」
観客席すべてに聞こえるように、叫んだ。
スポットライトが、いつの間にか俺に当てられていた。
『高杉……』『高杉 晋作だよ、あれ』
そんな言葉が、観客席から漏れ聞こえて来た。
よし! 狙い通りだ。
「これは、俺たちの喧嘩だ。関係ない国の奴等は、すっこんでろ!」
観客席から『おおーっ』という、どよめきが起きる。
さて、駄目押しといくか。
俺は木刀で倒したロシア人を片足で踏み、見栄を切る。
「三千世界の烏を殺し」
俺は決め台詞を放ちながら、おばさま方に流し目を送る。
「主と朝寝がしてみたい」
パチッとウインクをする。
『キャー』といういう、かん高い歓声が上がる。
ぼちぼち、締めだな。
「志は違えど、國を憂う気持ちは一緒。違う場所で、同じ時を生きた朋友」
俺は舞台上の土方、いや紗稀を見つめながら、静かに言う。
「舞え! 思うがままに! 貴様の、生き様を見せろ!」
ありったけの大声で、叫んだ。
紗稀はそれに応えるように、単騎で敵陣に突撃する。
銃声が無数に響く。
彼女は膝を突き、最期の言葉を残す。
「俺は、いつの間にか、褒めるのが下手になっちまったようだ。そっちに行ったら、代わりに褒めてくれるかい、近藤さん、総司。……『よく頑張った』って」
紗稀は、どさりと倒れ、満足そうに、逝った。
舞台は暗くなる。
スポットライトが、紗稀だけに当たっていた。
そして段々と光が消え、完全な暗闇となった。
会場が、割れんばかりの拍手に包まれる。
桟敷席で応戦していた主馬も、その中で拍手していた。
どうやらあっちも、カタが付いたようだ。
観客席にいた俺に、拍手が送られる。
さあ、どうやって撤退しよう。
そう考えていると、再び舞台がライトに照らされた。
舞台には大階段が設置され、そこに出演者全員が集合していた。
その中から一人の役者が、客席に降りて来た。
紗稀だった。土方役の彼女だった。
紗稀は真っ直ぐ俺に向かい、歩いて来る。
そして俺の手を取り、客席にお辞儀する。
再び拍手の洪水が起きる。
俺もその洪水に流されるように、深々とお辞儀をした。
紗稀は極上の笑みを浮かべる。
そして俺の手を引き、檀上へと拉致した。
歓声という縄に縛られ、逃れる術がなかった。
俺は紗稀の隣、最前列に置かれた。
…………なんでこうなった。
主題歌の合唱が始まる。
俺は口パクで誤魔化した。……知らねーよ。
緞帳が、降りた。閉幕だ。
演者が一斉に、『うわー』と声を上げる。
みんな、泣いていた。嬉しそうに。
ぎゅっと手を握られる。
紗稀が、俺の手を握り締めていた。
「あんたのお陰で、最高の舞台が出来た。あんたのお陰で、舞台が壊れへんかった」
泣きながら、声を詰まらせながら、紗稀は一生懸命想いを伝える。
俺は、彼女の頭をポンと叩く。
「おおきに! ありがとう! この恩は、一生忘れへん!」
紗稀は、心の底から叫ぶ。
来てよかった。そう思えた。
心地良い疲れが、身体を巡る。
今夜は気持ちよく眠れそうだ。
『 “本物“ と “本物に等しい偽物“ はどちらが価値があるか』という命題はよく聞きますが、自分自身よく分かりません。この話が正しい等は申しません。ですが、それを乗り越えようと努力する人は、好きです。
『ブックマーク』、『星評価』、『いいね』をお願いします。下段のマークをポチっとして頂くだけです。それが執筆の何よりの糧となります。……筆者の切なるお願いです。