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俺たちは、健全な色ボケにシフトチェンジした。

お座敷遊びは控えるようにした。



「舞子怖い、芸子怖い、お座敷怖い……」


主馬が布団をかぶってそう呟くからだ。

『饅頭怖い』じゃないだろうな。




俺たちは今、神戸の海岸にいた。


砕ける波しぶきを浴びながら、波打ち際で若い男女が戯れている。

小さな子どもを連れた家族が、潮干狩りに興じている。

砂は眩しく、波の音はしつこい位に鳴り響く。


俺は少し泣いた。その美しい景色に、疎外感を感じる自分に。

集団の中で感じる孤独が最も辛いとは、よく言ったものだ。



俺とソフィアは、四阿(あずまや)にいた。

主馬は距離を取り、周囲を見張っている。


屋根には隙間があり、そこから夏の日差しが差し込んでいた。

机は無く、座椅子が何脚も置かれ、そこに寝そべっていた。


「贅沢ね。私が育ったとこでは、太陽を目一杯浴びていたわ。こんなに絞って浴びるなんて、勿体ない」


羨むような、嘆くような声で彼女は呟く。


「ここでそんな事したら、火傷するぞ」


こいつが日焼けしたらどうなるのだろうか。一度見て見たい気もする。

だがそんな事になったら、水ぶくれを起こし、えらい事になる。


「太陽で火傷するなら、本望よ」


ソフィアは真剣に答える。

砂漠で水に飢えた者が井戸で溺れ死んだ時の顔。そんなを満ち足りた表情をしていた。



潮を含んだ風が、海から吹いて来た。

涼しい、汗を拭うような風だった。

駆ける風が草木を蹴とばし、枝を、葉を、たなびかせていた。

ソフィアは両手をいっぱいに広げ、身体中で風を感じる。


「気持ちいい……」


解放されたような声だった。


「ここは、自然が生きている……」


まるで初めて体験するような口ぶりだった。


「音も、匂いも、いっぱいある……」


当たり前の事を、特別な事みたいに話す。


「あなたも雪国の人間なら、知っているでしょ。雪が積もると音を吸収して、音が死んだ世界になる」


粉雪舞い散るかまくらの中の世界が、脳裏に浮んだ。


「そしてこれは知っているかしら。さらに凍った世界では、匂いも死ぬの。生命が活動しない世界では、匂いも消えるの」


マイナス40℃の死の世界。草木も動物も、活動を停止する世界。そこでは、匂いさえも停止する。


「私は、そんな世界で育ったの。贅沢ね、ここは……」


命の賛歌に溢れた世界。それは、彼女には眩しすぎた。


「…………そうか」


「あなた達には、そのありがたみが分らないでしょうね」


恐らく彼女が語っているのは、表層的な事だけではないのだろう。

彼女の置かれた立場も、その世界にあった。


「ああ、俺には分らん」


俺は、全てを含めて答えた。

その場所に居ない者が、簡単に語れる事ではない。


「匂いが、さっぱり分らないからな」


『え?』 ソフィアは驚きの声を上げる。

それは、思ってもいない答えに対する反応だ。


嗅覚(きゅうかく)が、ないんだよ、俺には。だから、おまえが言っている匂いが、一切分らん」


俺は告白する。


「……生まれつき?」


ソフィアは恐る恐る、訊ねる。


「いや、5歳までは普通にあった。それから鼻が利かなくなった」


「どうして?」


「失ったというのとは違うな。取り換えたといった方が適切かもしれない」


「何と交換したの?」


「耳と。死人(しびと)の声を聞く耳と」


彼女は、恐怖と驚嘆の混じった目をする。



「その年、百年に一度の大飢饉があった。沢山の人が飢えて死んだ。俺の友達も、たくさん……」


人は、食べれなければ死ぬ。それを教わった、最初の時だった。


「俺は、彼らと話したかった、慰めたかった。だから願った、『あの人たちと、お話させて』と。……願いは叶った。だが代償が必要だった。耳を得るために、鼻を支払った。商売の基本だろう、等価交換は」


オーディンは叡智を得る為に、己が片目を差し出した。

神さまでもそうなのだ。人間ならば、言わずもがなだ。


「そんなことって、あり得るの? 願ったからって、そんなに簡単に叶うようなもんじゃないでしょう」


「……うちの一族は少々特殊でね、神さまと(いささ)か縁があるんだ」


主馬のやつは、未来が視えるしな。


恐山(おそれざん)だっけ。あなたの地元に、そんな霊が集まる場所があると云う……」


それはまた、別の管轄だ。うちの神さまは、岩鬼山に御座(おわ)す。


ソフィアは俺に、憐れみの視線を向ける。


「そんな顔をするな。別に不幸じゃない。少し不自由なだけだ。目や耳が不自由な人は、いっぱいいるだろう。でもその人たちは、それで不幸な訳じゃない。可哀想なものを見るような、憐れむ視線が、不幸にさせる」


『ごめんなさい……』 ソフィアは素直に謝罪の言葉を述べる。本当に、いいこだ。


「だがな、置き換えは出来るんだ。小さい頃の記憶を辿り、『ああ、これはこんな匂いだ』と色付けをする。それで、なんとかやっていける」


俺は『気にするな』と言わんばかりに言葉を投げかける。


「それは、とても哀しい事よ。まるでアルバムを眺めて、亡くなった人を思い返すみたいに……」


彼女は、本当に哀しそうな顔をした。俺以上に。

いかんな、こうじゃない。言い方を間違えた。


「慣れたもんだ。何の問題も無い。だけどお盆の時期はちょっと大変でな。地元にいると、寄って来る奴が凄いんだ。ほら、ウチは古くから続く家だから。祖父ちゃんぐらいまでなら問題ないが、ひい祖父ちゃん、ひいひい祖父ちゃん、更にその先の世代ともなると、勘弁して欲しい。何百年前もの価値観を押し付けて来るからな、あの人たち。ジェネレーションギャップが、とんでもない。だからここに逃げて来た。自分がイワン雷帝に説教される姿を、想像してみな」


重い空気を振り払うべく、俺はおどけてみせる。

彼女はその意をくみ取り、笑った。


「確かにそれは、御免蒙る(ごめんこうむる)わね」


その笑顔は、雪解けの水のみたいに澄んでいた。



俺たちは、心地良い風に身を浸す。

髪の毛一本一本を()くような、優しい風だった。

もつれた感情を、解きほぐすみたいに。




「そろそろ、行くか」


後ろ髪を引かれる想いで、海岸を後にする。

また、来よう、一緒に。

そう思いながら俺たちは車に乗り、目的地へと向かった。






目的地へは、予定よりも早く着いた。

まだ少し時間がある。暇を持て余した俺たちは、駅前を散策する事にした。


……行かなければ良かった。

そこで、『未知との遭遇』があった。

出会ったのは、ある意味、宇宙人だった。




「……なに、あれ?」


ソフィアは怯え、それでも恐怖に引きつけられるように目が離せなかった。


そこに、俺たちと同じ年頃で、俺たちと同じ身長170センチ位の少年がいた。

真夏にも(かか)わらず、長袖の白いシャツと黒いピタッとしたパンツという出で立ちだった。

彼は、黙々と歩いていた。それだけだった。だがそれが異常で、奇異な目で周りから見られていた。



彼は真剣に、神経を研ぎ澄ませ、歩いていた。

その意識は、前を歩く男に注がれている。

通行人の後ろに廻り、ピツタリと後ろに付け、前の男の動きをなぞるみたいに歩く。

当然前の男は恐怖を感じ、逃げ出すみたいに駆け出す。


向こうから、何も知らない男がやって来る。

少年は踵を返し、その男の横に並び、歩く。

歩幅を合わし、速度を合わし、手の振りも合わせて。

付き纏われた男は、怖ろしさの余り逃げ出す。


向こうから、また何も知らない男がやって来る。

少年はUターンをして、一緒に歩く……。


それを何度も何度も繰り返し、何往復もしていた。

まごうことなき、不審者だ。


「警察に連絡するか……」


俺は近くに交番がないか探す。

何でもかんでも引き受ける気はない。

担当部署への引継ぎだけはする。




「いらんことしいな、兄ちゃん」


いきなり後ろから呼びかけられた。

俺は身構え、後ろを振り向く。

そこに腕組みをして渋い顔をする、果物屋から顔を出す女将(おかみ)さんがいた。


「あの()はな、『鈿女(うずめ)(ざか)歌劇団』の娘や。ああやって『男役』の練習をしとんよ。見逃したって」


女将は、拝むように手を合わせて懇願する。

俺は不審者をよく見る。


線が細い。明らかに男のものではない。

男に見えたのは、歩き方のせいだ。

女性は内股で、一直線上に歩く。

だが彼女は外に外にと、二直線上を歩く。

肩幅を広げ、腕を内反り(うちぞり)にして、所謂『肩で歩いて』いた。

あらゆる所作を、『男』の色で染めていた。



鈿女(うずめ)(ざか)歌劇団』――未婚の女性だけで構成された、歌劇団。

従って『男性役』も、女性が演じる。それが『男役』だ。

その『男役』は、実際の男よりも男らしく、麗しいと謂われる。

歌舞伎の『女形(おやま)』のように。

それは理想の、そして幻の美。

今日ここに来たのも、それを観るためだった。



紗稀(さき)ちゃん、こっちにおいで。この兄ちゃんが、アンタを駐在さんに突き出そうとしとるで」


女将さんの言葉に、『そら、あかん』と彼女は慌てて駆けつける。


「堪忍してな。ここで駐在はんに捕まったら、また舞台に穴を開ける。そしたら今度こそクビや!」


どうやら初犯ではなさそうだ。

ならば更生を期待して官憲に突き出しても、無意味だろう。


俺はソフィアを見やる。

彼女はコクンと頷く。


「君子危うきに……」

ソフィアが呼びかける。


「近寄らず!」

俺はそれに間髪入れず答える。


二人は脱兎の如く、駆け出した。




「熊さん、確保!」


女将さんの言葉に、焼き鳥屋から190センチの髭面の大男が出て来た。

熊のような男は、両腕で俺とソフィアの首根っこを抑える。


「はっはっ。嬢ちゃん・坊ちゃん、親から『人の話はよく聞くように』と教わらんかったんか?」


俺にとって、非常に相性が悪い相手だった。

急所に一撃を当てて逃げだす事は、容易(たやす)い。

しかし彼には殺気や悪意が、微塵も無かった。底抜けな善意しか感じられなかった。

そんな相手に、怪我はさせられない。

技が、封じられた。



紗稀と呼ばれた少女が、俺たちの許へとやって来た。

『ありがと、熊さん』 『いいって事よ』

そんなやり取りの後、俺たちは解放された。


紗稀は抑えられていた場所を擦る俺たちの前に立ち、ペコリと頭を下げた。


「ごめんなさい! 手荒な真似をして。変な行動をして。でも、これだけは分かって。私は誰も傷つけないし、危害も加えない。ただ『男役』の研究をしていたの。やり過ぎた事は、謝ります!」


立て板に水のごとく言葉が出て来る。まるで演じ慣れた役の台詞のように。

……常習犯め。


「もういいよ。俺も市民の義務を果たそうとしただけだし、それが誤解だと分かった以上、何もする気はない。別に被害に遭った訳じゃないからな」


『……よかった。これで午後の部に出られる』――彼女はそう言い、ホッと息をつく。



「じゃあ、これで」


俺はソフィアの肩を抱き、この場を離れようとする。

(かつら)と眼鏡のお陰で、まだ外国人だとはバレてはいない。だが長居は無用だ。



「ちょーっと待った!」


立ち去ろうとする俺とソフィアの襟首が、細い手に摑まれる。


「まだ話は終っとらん。……お兄さん、武道の心得あるやろ」


さっきまでの(かしこ)まった口調は、鳴りを潜めた。

彼女の目は、キラキラと輝いている。

それは獲物を捕らえた狩人の目ではなく、宝物を見つけた子どもの目だった。


「……古武道を、少々」


その目を前にして、嘘はつけなかった。


「やっぱし! そんな足捌き(あしさばき)が出来る人に、そうそうお目にかかれへん。そしてこんなにウチと背格好が似ている人は、滅多におらへん。これは、(のが)したらアカン!」


なんか、嫌な予感がする。


「お願い! それを教えて! ウチに出来る事なら、なんでもする! お礼に、おっぱい揉んでもええから! サラシで巻いとるから今はペッタンコやけど、外したら双子山(ふたごやま)やで。山頂まで、いらっしゃい~」


蜂蜜色の罠が仕掛けられる。

ここは閑静な街だと聞いていたのに、まさかこんな変態が棲息しているとは。



俺は恐る恐る、後ろを振り返る。

そこにニッコリと微笑みながら、な〇指を突き立てるロシア美女がいた。

真夏の日本で、シベリアの吹雪(ブリザード)が吹き荒れていた。

鈿女(うずめ)(ざか)歌劇団』と似たような集団がありますが、気のせいです。

気のせいって言ったら、気のせいです!(汗)


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