ウィ・アー・アズーリ
世界は『青』と『黒』で出来ていた。
スタジアムに向かう人は、皆その色に包まれていた。
「場違い感、半端ないんですけど」
入場ゲート前で鈴は自分の白いTシャツを摘まみ、ぴらぴらと揺らしながら不平を述べる。
『茅崎アズーリ』のユニフォームを着ている人だらけの中では居心地が悪いのだろう。
「ほら、これ」
俺はバックの中からある物を取り出す。
昨日購入したばかりの限定ユニフォームだ。
この街の直営店で購入して、入れたままになっていた。
「二つある。どっちがいい?」
俺は二枚のユニフォームを鈴の前に出す。
背番号『14』、『鷹村 真吾』選手のユニフォーム。
背番号『18』、『三島 徹』選手のユニフォームだ。
「若いほう……」
ぶすっとした表情で小さく答える。
「番号の?」
念のため訊ねる。
「年の!」
少しイラついた声で、ちょっとトーンを上げて鈴は言う。
乙女の気持ちはよくわからん。
「お待たせ」
チケット売り場で当日券を入手した俺は、Tシャツの上に背番号『18』のユニフォームを着込んだ鈴の許へと向かう。同じ服装をしている人混みの中、彼女は一際輝いていた。
「言っとくけど、チケット代は後払いだからね。あなたの云う『会わせたい人』が、どーしょーもなかったら、払わないからね」
仏頂面で、腕組みをしながらそう言い放つ。
恐らくそんな事はしないだろう。どんな結果になろうと、人の思いやりはありがたく受け取る。こいつはそういう奴だ。
俺は黙ってチケットを差し出す。受け取った彼女は、顔をしかめた。
「あんたこれ、ゴール裏じゃない! ゴール裏っていったら、あんた……」
『これから魔王討伐の旅に出てくれ』――まるでそう言われた勇者のような顔を、彼女はしていた。
「か・や・さき! (パパンがパン) オゥ――、 か・や・さき!――」
巨大フラッグがはためき、気の早いチャントが繰り広げられていた。
開場と同時に席取りに行ったゴール裏では、熱いパトスが溢れていた。
彼女はそれを指差し、引き攣った顔で俺に何かを訴えている。
『本当にここで観戦をするのか?』 その顔はそう語っていた。
「しょうがないだろう、当日券はゴール裏しかないんだ。それともアウェーのゴール裏がよかったか?」
鈴はぶんぶんと頭を振る。
「冗談じゃない! こんな服着て、あの過激な赤い集団の中に行ってみなさい。……死ぬわよ」
あながち冗談に聞こえないのが怖ろしい。相手はリーグ屈指の『赤き魂』を誇る武闘派だ。
相手ゴール裏でも熱いチャントが繰り広げられていた。
「試合開始まで二時間ある。一旦外に出ようか」
俺たちは席取りのタオルを置き、スタジアムの外に出る。
スタジアムの外では色々なイベントが開かれていた。
スタジアム名物『ちゃんこ』。サッカー会場でなぜ相撲? と疑問が湧くが、有名相撲部屋秘伝の味。スープは塩味で、黒胡椒ときざみニンニクのスパイスが絶品だ。
在日ブラジル人がやっている『ブラジルソーセージ』。元々このクラブはブラジルのサッカークラブ『グリゴリ』と提携して出来たものだ。ブラジルとの係りは深い。
俺たちは賑わう出店の中を歩いていた。
「食べる気分じゃないんだけど……」
笑顔の集団の中、彼女は暗い顔を落とす。
わかっている。こいつは今昏い闇に包まれている。こんな光りは煩わしいだけだろう。
「こっちだ。見せたいものがある」
俺は出店を突き抜け、広場へと向かう。
そこではある催しがされていた。
縦8メートル、横3メートルの小さなコートが設けられていた。
端に小さな小さなゴールが置かれ、床は人工芝が敷かれている。
コートの周囲には、30センチ程の高さの柔らかい囲いが置かれている。
その中で『小学生二人』対『大人一人』でボールを奪いあっていた。
小学生のテクニックは優れていた。おそらくどこかのジュニアユースのチームでやっているのだろう。だがそれ以上に大人の技術はレベルが違った。多分プロだ。現役か引退した人かは知らないが、アマチュアの動きではなかった。俺は彼女に語りかける。
「これは単なる『お遊び』じゃない。サッカーの裾野を広げる、未来のプロ選手を育てる、もう一つの『戦い』だ」
俺たちはじっと見つめる。
未来の、輝く自分を信じて汗を流す子どもを。
自分が生きる世界を愛おしみ、それを育てることに幸せを感じる大人を。
俺たちはずっと見続けた。
「そろそろ戻ろうか」
3組の相手をして流石に疲れたのだろう。ミニゲームは小休止となった。見るものが無くなった俺たちは、スタジアムへと戻る。
スタジアムでは、試合前のアップが行われていた。
フィールドプレーヤーはまだ出てきていない。ゴールキーパーだけでのアップが行われていた。
三人の選手がアップしていた。ハイボールの処理、グラウンダーへの対処、さまざまな場面に応じたアップを、黙々と行なっていた。それを珍しそうに見る鈴に、俺は声をかける。
「一生懸命やっているだろう。だが、あの中で試合に出られるのは一人だけだ。フィールドプレーヤーとは違って途中交代は、怪我や退場でも無ければ、まずない。第三キーパーともなれば、100%無いと言っても過言じゃない。……それでも、一生懸命やっているだろう」
俺は背番号『1』、背番号『12』の選手の横で、真剣な目でアップをする背番号『22』の選手を見つめながら語りかける。
「……馬鹿みたい」
まるで自分を罵るみたいに、彼女は呟いた。
フィールドプレーヤーも出て来てアップを始める。
練習でボールをゴールに突き刺すごとに、熱い声が飛んでいた。
期待に満ちた、これから行われるゲームの夢のような瞬間を待ちわびる声だった。
熱狂に包まれ、キックオフの瞬間が、いま訪れた。
試合開始から、ホームのカヤサキが猛攻を仕掛ける。
三島選手が左サイドをドリブルで駆け上がる。
右のアウトサイドでボールを運び、寄せてくる敵を反発ステップで置き去りにする。
堪らず敵は人数をかけて囲い込む。
空いたスペースに鷹村選手が侵入してくる。
そして三島選手からのパスを受け、ボールを収める。
三島選手に寄せていた敵が、今度は鷹村選手に押し寄せようとする。
鷹村選手はワンタッチで、落ち着いて、逆サイドに針の穴を通すようなパスを出す。
そこに味方選手が走り込んでいた。
鷹村選手選手の真骨頂だ。フィールド全体を見渡すような広い視野、正確無比なパス、相手にとっては悪夢そのものだ。
パスを受けた右サイドの選手は、フリーで、悠々とシュートを放つ。
周りは歓声に揺れる。ボールは真っ直ぐゴールへと向かう。
ボールは飛び上がったキーパーの手をかすめてゆく。
やった! 皆が歓喜の準備をする。
だがボールは無情にも、ゴールポスト上のバーに当たった。
跳ね返ったボールをキーパーは素早くつかむ。
ああっ――と大きな嘆き声があがる。
惜しい、キーパーの指に当たってコースが僅かに変わったか。
キーパーはパントキックをし、カウンターを仕掛ける。
今度は相手の猛攻が始まった。
その後試合は一進一退の攻防を繰り広げた。
スコアレスのままだが、何点も入ってもおかしくない、いい試合だった。
サポーターたちの応援にも熱が入る。
大声援が鳴り響く。
「さあゆけ――。カヤサキ――。おそれるな――。
俺たちがついてる――。ひるむな――。すすめ――。つきすす~め――」
腕を振り上げ、絶えずジャンプし、全身で応援している。
座っている者は、誰一人といない。
鈴は、圧倒されていた。
「なんなの、このテンション。異常よ!」
彼女は俺に耳打ちする。
「この試合は、鷹村選手と三島選手のラストマッチなんだ。鷹村選手はこの試合をもって引退する。『茅崎アズーリ』ひとすじのバンディエラ、よく17年間も続けられたもんだよ」
実際オランダのクラブからのオファーもあったそうだ。だが彼はそれを『練習参加から拾ってもらった身。何も残さないまま居なくなれない』と言って断ったそうだ。
「三島選手は来シーズンからイングランドのプレミアリーグに移籍する。A代表の経験がないからイギリスの労働許可証が下りなくて、最初はベルギーのクラブにレンタルしてのスタートだけどな」
有名クラブに青田買いされ、戦力とは見做されず、転売目的でクラブを転々とさせられるパターンはよく見受けられる。だが彼と契約したクラブはしっかりとしたスカウトに支えられ、後に有名となる選手を次々と発掘している。きっと一年後プレミアの舞台に立ち、世界を震撼さすことだろう。
どっちが立派だとは、言う事が出来ない。
それぞれの考え方だ。
だが二人に共通したものがある。
幼い頃からこのアカデミーで培われてきた、『青の遺伝子』だ。
二人はこの下部組織で育ってきた。
いまその二人が、最後の共演を見せる。
サポーターも彼らに力を乗せる。
突き進め、風のように走れ、……愛してる。――そう叫んでいた。
今この瞬間、彼らは命を燃やし、生きていた。
「サッカー選手の寿命は短い。30代半ばになれば引退を考える。このチームも不変じゃない。選手も変わるし、戦術だって監督が代ればガラッと変わる。けどな、変わってないんだよ、根っこの部分は。みんなが刻んだ魂は、永遠と引き継がれてゆくんだよ。決して消えることはない」
喧噪のなか、俺は鈴に語りかける。
そして目線をグランドから蒼い空に移し、言葉を続ける。
「おべ爺な、俺に頭を下げて頼むんだ。『鈴の力になってやってくれ、あいつを支えてやってくれ』って言いながら、涙を流しながら」
俺は鈴が来る直前に、工場で交わした言葉を思い出す。
「鈴の将来を狭めたくない。俺の築いたものに縛らせたくない。年寄りが若い者の足枷になってはいけない。――そう言ってた」
自分は見捨てられた。そう思っていた鈴に衝撃が走る。
「おべ爺、工場を売った金でタワマンを買うって言ってた。『似合わねえ――』って笑ってやった。するとおべ爺は『わかってんだよ、そんな事。だがな、こいつが一番換金性がいいんだ。近い将来、鈴が何かをやりたいってなった時、すぐ金に換えられる。……あいつを助けてやれるんだ。これが俺の、最後の仕事だ』――そう言って、笑っていた」
鈴は両手で口を抑え、涙ぐんで聞いている。
「すすめ――。おまえは一人じゃない――。俺たちが――ついてる――」
やさしいチャントが、流れていた。
後半となってエンドが変わり、敵ゴールとなったこちらに向かってアズーリの選手が突入してきた。
三島だ。左サイドを駆け上がってくる。
相手DFは寄せてくる。
三島はボールを右側の外に置く。体の向きもフィールド中央を向いている。
中央へのカットインか。誰もがそう思った。
三島はインステップでボールを操り、素早く重心移動をして、鋭い切り返しを行う。
相手DFは完全に逆を突かれ、態勢を崩す。
三島は敵を置き去りに、ゴールへと走る。
決定機だった。
後半40分、試合は決まったと思われた。勝利の鐘が鳴ったと思った。
だがそれは敵にとっては違う意味を持っていた。
このままでは点を取られる。取られたら、この時間帯では逆転は難しい。ならば……。
敵は後方から、スパイクの裏を見せ、レッドカード覚悟でスライディングをした。
三島が、宙に舞った。
一回転し、地面に叩きつけられた。
スタジアムに怒号が飛び交う。
プロフェッショナルファールの域を超えている。非常に危険なプレーだ。
もし大怪我をして、海外挑戦がふいになったらどうするんだ。
アズーリのサポーターだけでなく、敵サポーターからもブーイングが起きた。
敵DFは不味いと思い、審判にアピールに向かう。
まだ笛は吹かれていない。インプレーだ。だがボールはゴールラインへと転々と転がり、ラインを割るのも時間の問題だ。観客の関心は、審判の笛に注がれた。
だが真のドラマは、違う場所で起きていた。
倒れていた三島選手がむくりと立ち上がる。
そして転がるボールに向け、走り出した。
思わぬ流れに、みんな吃驚した。敵も味方も審判も。そしてみんな思った。『間に合うはずがない』と。それは真理に思えた。覆すことの出来ない真理に。
だが真理なぞ、人が創るものだった。
三島は走った。
得点より、勝利より、もっと大切な何かを求めて。
その走りは、祈りのようだった。
祈りは届いた。彼はボールに追いついた。そして利き足の右足で抑え位置を見る。ボールはラインを――割っていなかった。
すかさず彼はクロスをあげる。揺るぎない信頼を持って。
相手デフェンスラインは崩壊していた。
審判へのノーファールアピールに目を奪われていた。
そこに一人の選手がやって来た。
ぽっかり空いたスペース、三島選手が狙った場所、そこに背番号『14』が飛び込んで来た。
彼は三島選手のクロスを予想していたように走り込み、そのボールをダイレクトボレーでゴールに叩き込む。ボールは右ゴール隅のネットを揺らした。
スタジアムの時間が、止まった。
誰もがいま起きたことを、理解できないでいた。
一瞬の静寂のあと、スタジアムが揺れる。歓喜に、興奮に。
みんなが手を取り合って、この奇蹟みたいな瞬間を分かち合っていた。
サポーターの合掌がスタジアムに鳴り響く。
「ウィ・アー・アズーリ」
勝利の雄叫びが、力強く轟いた。
ゲーム終了のホイッスルが鳴る。
アズーリの選手は抱き合い、喜びを分かち合う。
敗れた相手チームは膝をつき、がっくりとうな垂れる。
ノーファールアピールに気を取られて敗けたのだ、普通の敗戦より堪えるはずだ。
勝利インタビューが始まった。
インタビューを受けるのは、もちろん三島選手と鷹山選手だ。
「三島選手、アシストおめでとうございます。ファールで倒されて、絶対間に合わないと思ったんですけど、どんな気持ちで追いかけられたんですか?」
インタビュアーが皆の気持ちを代弁する。
「特に変わった事はしていません。アカデミーで教わったことをしただけです。『ホイッスルが鳴るまでプレイを止めるな。セルフジャッジをするな。最後まで諦めずボールを追え』その教えに従っただけです。当たり前のことですよね。けれどとても大切なことなんだと今日知りました。こんなプレーが出来たのは、アカデミーのスタッフのお陰です。この基本を身に付けさせてくれたコーチに感謝します」
堂々と、彼はそう答えた。
『こいつー』と横から鷹村選手が肘で小突く。『えへへ』と三島選手は照れた笑いをする。
「鷹村選手、現役最後のゴール、鷹村選手にとってどんな物となったのでしょう?」
じゃれていた鷹村選手が真顔になって答える。
「間違いなく僕のサッカー人生に於いて、忘れられないゴールとなりました。僕はこの17年間、アズーリ一筋でやってきました。その集大成が、あのゴールです。ネバーギブアップ、仲間を信じろ、そう云われて育ってきました。他のチームだったら、仲間だったら、あのゴールは生まれなかった……。監督、選手、スタッフ、サポーター、このクラブに係るすべての人に感謝します。このクラブでやってきて、本当によかった。心からそう思えます!」
スタジアムが歓声に包まれる。
この素晴らしい選手を讃えるように、その最後を惜しむように。
「ウィ・アー・アズーリ!」
鷹山選手は拳を天に突き上げ、誇らしげに叫ぶ。
「ウィ・アー・アズーリ!!」
応えるように大声援が、スタジアムいっぱいに鳴り響く。
俺は隣の鈴を見つめる。
大きな瞳に涙を浮かべ、顔をくちゃくちゃにして叫んでいた。
「ウィ・アー・アズーリ!!」と。
私は、独りじゃない。そう叫んでいた。
スタジアムの蒼い空に、みんなの声がとけてゆく。
時はうつろい、変わってゆくが、私たちのこの誇り高き『青の遺伝子』は、何時までも変わらない。
これにて『出会い編』終了です。次回からは『恋愛バトルロワイアル編』となります。引き続きお楽しみ下さい。
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