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城下は騒然としていた。

大道寺(だいどうじ) 直英(なおひで)様の三の姫が、秀吉公の側室となる』との噂が駆け巡っていた。

あまりにも突拍子もない話で、噂する者はみな真偽の程を測りかねていた。


その騒めきの中、一人の少年が顔を青ざめ走っている。

噂を聞き、矢も盾もたまらず駆け出した晴明(はるあき)であった。

家に帰り、その噂の真偽を訊ねようとしていた。


家に帰ると長兄の綜馬(そうま)の姿は見えず、次兄の忠継(ただつぐ)が、一枚の紙をじっと見つめ立ち尽くしていた。


「忠継兄さま、噂はお聞きになられましたか? 綜馬兄さまはどこです? 噂は本当なのですか?」


晴明は矢継ぎばやに質問を重ねる。

忠継は何も言わず、持っていた紙を晴明に手渡す。


『岩鬼山に行って来る。必ず帰って来る』――綜馬の字で、それだけが書かれていた。


晴明の顔は一層青くなる。

それが、全ての答えだった。






殿鞍 綜馬は、自分の見通しの甘さを嘆いていた。

前回ここに来た時は、初夏の五月だった。

それが今は真冬。登山の難易度が違う。

それなりの装備を用意して来たが、それでも思った以上だった。


「仕方がない。準備にかける時間は無かった。贅沢は言えん。貧乏暮らしで、やり繰りには慣れている。文句を言ったら、忠継にどやされる」


しまり屋の弟の顔を思い出す。それだけで暖かくなった。


丸一日歩いた。

霞がかかって来出した。神気を感じた。


来るっ!


俺は身構えた。



『人の子よ、何用で参った……』


空から聞き覚えのある、直接頭に響く声が降りて来た。

やった。逢えた。希望が、繋がった。


「お願いがあり参りました。何卒お聞き届け下さい!」


俺は訴えた。この非道な行いを。

そして願った。この哀れな姫を、お助け頂く事を。

心の底から、魂を振り絞り。


シラは、静かに聞いていた。




『それでお主は、吾に何をさせようと言うのだ?』


長い沈黙の後、シラは言葉を発した。

「えっ?」と、俺は思わず声を上げる。

シラの言う意味が、分らなかった。


『 “姫を助けよ“ だけでは、要領を得ん。具体的に、どうすればいいのだ?』


シラの声は、冷たく、突き放すようだった。


『その天下人やらの軍勢を殺せばいいのか? 十万か? 二十万か? それとも天変地異を起こし、この津軽を人の通わぬ地にすればいいのか? 地を裂き、海を(あふ)れさせ、絶海の孤島として。その過程で何万人か死ぬが、まあ、些細なことだ』


その物言いに、俺は絶句する。誰もそんな事を言っていない。


『同じ事だ。神の力を使うという事は。超常の力を使えば、歪みが発生する』


シラは諭すように言う。


『吾らは、深く交わってはならぬのだ。人は、果てなく続く大地。吾らはそこを揺蕩う(たゆたう)と流れる川。その境は、守られなければいけない。もし川が境を越え、堤防を越え、人の大地になだれ込めば、人の営みは踏みにじられ、川も泥で濁る。それはお互いに、不幸な結末しか生まん』


「そんな、そんな掟なんて――」


俺はなおも食い下がる。


『これは掟とかではない。経験則だ。愚かな吾が何千回と繰り返して得た、教訓だ……』


シラの声は哀しそうだった。昔を思い返すような声だった。


『吾に出来る事は、言葉をかける事しか出来ぬ。 “諦めるな“ ――それだけだ。最後まで抗う者にしか、奇跡は起きん』


シラの声は、段々と薄れてゆく。

霞も晴れ、青空が広がっていた。


その青さが、俺の絶望の色だった。






城下町で、大通りを一人の男が唄を謡いながら歩いていた。


「♪岩鬼の~おやまの~神馬さま――。だ~だ~をこーねられ~な~に~もされず。あ~れも出来ん、こ~れもならぬ。(わらし)のよう~な役立たず~。こーれがホントの “駄馬さま“ ――――」


男は調子はずれの、不遜な唄を謡っていた。

遠巻きに皆が見ている。


「うわっ! くせっ! こいつ、漏らしてやがる!」


子ども達が叫ぶ。周りには、異臭が漂っていた。男の股間から、糞尿が垂れていた。


「あれ、殿鞍ん()の綜馬じゃねぇか? あの神馬さまを捕まえたっていう」


「ああ、そうだ。きっと罰が当たったんだ。神馬さまを捕まえるなんて真似をしたから。それにあんな唄を謡うぐらいだ、きっと神馬さまに無体な行いをしたに違いない」


昨日までの英雄が、咎人(とがびと)に堕していた。


そんな人混みを搔き分け、二人の少年が駆け寄って来る。


「兄上ぇぇ――――」


晴明が、涙をまき散らしながら走って来る。その後ろには忠継もいた。

晴明は群衆の侮蔑の目など一切気にしていなかった。

一目散に綜馬に駆け寄り、ぎゅっと抱きしめる。


「なんで、なんで、こんなことに…………」


ぽろぽろと、涙を零していた。


そんな二人を、忠継はそっと抱きしめ、綜馬に語りかける。


「……兄上、帰りましょう、(うち)へ。つらい事を忘れ、お休みください。温かい粥を用意いたします……」


三人の人影は連れ添う様に、粗末な家へと入っていった。




「忠継兄さま。綜馬兄さまは、一体どうされたというのでしょう」


身体を綺麗に拭かれ、清潔な寝巻に着替えさせられ、布団に寝かしつけられた綜馬を横目で見ながら、晴明は問い掛ける。


「……おつらい事があったのだろう。あの兄上が堪えかねる程の」


「それはやはり……」


「小夜姫さまの事に、相違なかろう……」


小夜姫の秀吉への輿入れの噂は、城下に広まっていた。

慶事として。事情を知らない者から見れば、そう思うのだろう。


「小夜姫さまにこの事を、兄上がこの様になられた事をお伝えせねば!」


小夜姫の名を聞いた瞬間、晴明は弾かれたように言った。

彼女には、必ず伝えなければならない。


「……お伝えする(すべ)がない。小夜姫さまは、お屋形様・大浦(おおうら) 為信(ためのぶ)様の城に入られた。お屋形様の養女となられる為に。秀吉公に嫁ぐ為に。お屋形様の城には、伝手がない。我らは家臣の家臣、陪臣だからな」


忠継は悔しそうに言う。

晴明は、合点がいかなかった。


「綜馬兄さまは、今回の大浦家存亡の危機を救った功労者ではないですか。その功を主張すれば、宗家と云えども無下に出来ますまい!」


確かに綜馬が神馬を得た事で、大浦(おおうら) 為信(ためのぶ)は所領安堵の朱印状を賜った。

これは最大の功労者として評されるべき働きだ。


「今日、ご家老からお話があった。『家禄は十倍に増やす。家格も引き上げる。謹んでお受けする様に』と。……つまり、それで終わりという事だ」


忠継は苦々しく話す。


「そんな馬鹿な!」


晴明は声を張り上げる。


「そんな物――。そんな物、我らも兄上も望んでおりません! そんな物の為に、兄上は命をかけて岩鬼山に登った訳ではありません!」


晴明は激昂した。物言わぬ兄の代わりに。


「そんな事、殿は百も承知だ。だが殿も、その位しか出来ぬのだ。……納得しろとは言わん。だが、察しろ」


自分に言い聞かすように、忠継は言う。


「そんな物わかりの良い大人に、僕はなりたくありません……」


「……私だって、なりたくはなかったさ」


二人は黙り込む。お互いの気持ちが、痛いほど分かった。



外ヶ浜(そとがはま)の叔父上の所に行くか? こんな兄上を見るのは辛かろう。もしお前さえよければ、(ふみ)を書く」


忠継は、労わるように晴明に訊ねる。その目は、思いやりに満ちていた。


「忠継兄さまは?」


「ここで兄上のお世話をする。生まれ育った家の方が、兄上の気も休まろう」


「ならば僕も、ここで綜馬兄さまのお世話をします。どんな姿になられようと、綜馬兄さまは綜馬兄さまです。僕の敬愛する兄さまです!」


晴明の眼には、揺るぎない決意があった。

その眼を見て、忠継はふっと笑う。


「ならば、休め。隣の部屋に布団を敷き、眠るがよい」


「忠継兄さまだけに任し、僕一人が眠る訳にはいきません」


交代々々(こうたいごうたい)だ。私も後で休む。先は、長い。根を詰めると、長続きせんぞ」


その言葉に、晴明はぎゅっと口を引き締める。

『では』と言い、隣の部屋へと行った。

それを見届けると、忠継は寝ている綜馬の近くまで寄り、頬を撫でる。


「兄上、ゆっくりとお休み下さい。辛い事など全て忘れて。……私と晴明が付いております」


涙声で語りかける。兄の反応は、無かった。




夜がしんしんと更けてゆく。

昼間の疲れのせいか、忠継はうとうとと船を漕ぎ始めた。


寝ていた綜馬の眼が、がばっと開く。

静かに、静かに起き上がり、忠継の様子を窺う。

そして床を離れ、寝巻から乗馬用の肩衣袴(かたぎぬばかま)に着替えた。


一連の動きは流れる水のようで、その瞳には一片の濁りもなかった。


綜馬は少しだけ襖を開け、隣の部屋で眠る晴明の寝顔を眺める。

そして小さく頷き、襖を閉めた。

忠継を起こさぬように忍び足で歩き、反対側の襖を開けて出て行く。

手には、愛刀が握られていた。



音を立てずに玄関を開け、誰にも気取られる事なく、綜馬は外に出た。

そこで初めてふぅーと息を吐き、独り言を呟いた。


「やれやれ。この齢で弟たちに(しも)の世話になるとは、思ってもみなかった」


そういう綜馬の言葉は明瞭で、高い知性を感じさせた。


「すまんな。でもこうでもしなければ、お前たちに累が及ぶ。狂人の単独犯行と思わせるのが、一番なんだ」


知性と共に、深い愛情が滲み出ていた。狂人の言葉ではなかった。


「それでは足を得るとするか」


綜馬は近所の(うまや)に忍び込む。


「おお、居た。いい子だから、静かにしてろよ」


綜馬は馬の首筋を撫でる。馬は嬉しそうに綜馬に躰を擦り付けた。


この馬は、綜馬が面倒を見ている馬だった。

綜馬の馬の知識を見込んで、飼い主が度々綜馬を頼って来た事があった。

飼い主以上に綜馬に懐き、『どっちが飼い主か分らん』と嘆いていた。


「借り賃として、幾らか置いて行くか」


綜馬は懐に手をやる。


「いや、それは不味いか。そんな真似をしたら、狂気を疑われる」


『正気を疑われる』と云う言葉はあるが、『狂気を疑われる』と云う言葉を使うのは、綜馬ぐらいのものだ。


「まあ、いいか。どうせ叛逆者となる身だ。馬泥棒の罪状が加わっても、大差あるまい。『毒を喰らわば皿まで』だ」


綜馬は居直った。

腹を括った人間ほど、強いものはない。


綜馬は静かに馬を連れて厩を後にする。

大通りに出ると、ひらりと馬に飛び乗り、駆けだした。


暗闇の中、綜馬は駆ける。一寸の迷いもなく。


「目指すは大浦 為信が城!」


明確な意思を持ち、目標を定めた。


「天が(ただ)さぬというのなら、俺が(ただ)す! この咎を!」




いつかバテレンから聞いた、『神に叛乱を起こした天使長』の話を思い出した。

彼の気持ちが、痛いほど分かった。

獅子と闘う勇気のある者はいますが、肥溜めに飛び込む勇気のある者は、なかなかいません。

綜馬は、なりふり構っていません。


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