舌戦
ようよう夜も明け、榊の葉が太陽の金色に染まる頃、三人の男が粗末な家から出て来た。
「兄上、お忘れ物はありませんね」
しっかり者の次男の忠継が確認する。
「心配ない。先程お前にも中身を見てもらったではないか」
長男の綜馬が面倒くさそうに答える。
「それでもやらかすのが、兄上ですから」
三男の晴明が、ケラケラと笑う。
これから主人からの命を果たす為、綜馬は岩鬼山に向かう。
命懸けの任務だ。これまで何人もの強者が命を落とした難題である。
殿鞍家総出の見送りだ。
他に家族はいない。
母は五年前に、父は三年前に他界した。
当時まだ十七歳だった綜馬が家督を継ぎ、兄弟三人で寄り添って生きて来た。
恐らくこの三人の内一人でも欠けたら、残された二人は生きていけないだろう。
みんな、そう思っていた。
「兄上、無事帰って来て下さいね」
忠継が真剣な表情で訴えかける。
「兄上が亡くなって私が家督を継ぐなんて、真っ平ごめんですから」
ん? と綜馬は顔をしかめる。
「私に城勤めは向いていません。無能な上司にへーこら出来ませんから。言いたい事は遠慮なく言います。そしたら絶対揉めて、お取り潰しです。それが嫌なら、這いつくばっても生きて帰って来て下さい」
ずいぶん勝手な言い草である。
「僕も兄上に亡くなられたら困ります」
晴明も後に続く。
「佐野殿が『儂のものになれ』と、しつこいんです。今は兄上が居られるから大人しくしていますが、兄上がいなくなったら歯止めが効きません。僕の貞操の為に、絶対生きて帰って来て下さい」
綜馬は思わず天を仰ぐ。
聞きたくなかった、こんな話。
こいつ等の言っているのは、針小棒大だ。
事実を大袈裟に言っている。
俺のために。
こいつ等の兄は、自分の為なら簡単に命を投げ出すくせに、弟たちの為なら死んでも生きて帰る。
だからこいつ等は言う。私たちの為に生きて帰れと。
参ったな。死ぬに死ねない。
俺は片手ずつで、弟たちの肩を掴む。
「分かった、必ず帰る。その代わり、俺の頼みを聞いてくれ」
弟たちはグッと身構える。何を言われても従うつもりだ。
「帰ったら、一升瓶を一気に飲ませてくれ。夢だったんだ、あれ。お前らがいっつも『体に悪い』って止めるから」
弟たちは目を引ん剝き、静止した後、弾かれたように笑い始めた。
『一回だけですよ』と忠継が腹を押えながら答える。
みんな、幸せそうだった。
「ほら、私の言った通りでしょう。綜馬殿はチンタラしている御方ではないと。もう少し遅かったら、出発なされた後でしたわよ」
逆光を浴びながら、二人の人影が現れた。
影は小走りで近づいて来た。
「殿、小夜姫さま……」
『何でこんな所に』と言いそうになった。
ここは下級武士の住まう城内外縁部。彼らの住まう宿将たちの中央部とは隔てられている。
通りすがり等は有り得ない。目的を持って訪れなければ。
「不思議そうなお顔ですね。私がここにいるのが」
小夜姫は両手を張って横に付け、胸を逸らして『してやったり』という顔をしている。
「『どうして此処に』とは言わないで下さいね。『なんの為に』とお尋ね下さい。意味なく御見送りに来た訳ではありません。目的があって参ったのですから」
意味ありげな事を姫は言う。
「これを…………」
しずしずと、持っていた巾着袋から、小さな物を取り出す。
「とある高僧に作らせた御守りです。中に破邪の札が収められています」
表に書かれた筆跡に見覚えがある。
世に名を知られた僧の物である。
彼の札は、中々手に入る物ではない。
「ま、 “おまけ“ なんですけどね、これは。本命は、こっち!」
小夜は懐から大事そうに、ある物を取り出す。
出されたのはまたしても御守りだった。
高僧の御守りがおまけ? ならばこれは……。
「私が作った御守りです。中に入っているのは、私が産まれた時の “へその緒“ です」
なんてもん出してきやがる、この姫さん! 弟たちは冷たい汗をかく。
父の大道寺 直英は掌で顔を覆い、溜息を吐く。
食べ物に自分の髪を混ぜるような事をしかねない姫さまだ。
綜馬だけが目をキラキラと輝かせていた。
「某のために、かような大切な物を……」
感動に打ち震えている。感極まり、差し出された小夜の手をギュッと握りしめる。
周囲の誰も、その不作法を咎めない。『お似合いだ、この二人』と呆れ果てていた。
「この緒は、私と繋がっています。そう、信じています……。ずっと持っていて下さい。今世も、来世も、来来世も、その先も……ずっと一緒です」
「絶対手放しません。これも……あなたも」
綜馬は手渡された御守りをしっかりと大事に両手に包む。
これは彼女の想い、優しさ、願い……。絶対に放さない。
彼らは無言で見つめ合う。
言葉は蛇足だった。
お互いの瞳から放たれる想いが、雄弁に胸の内を伝えていた。
「また、お会いしましょう……必ず」
夜明けを告げる雲雀の声が、綜馬に別れの言葉を促す。
それに急き立てられ、彼は名残惜しそうに声を振り絞り、言った。
「お待ちしてます……ずっと」
偽らざる自分の気持ちを、小夜は素直に述べる。
弥勒菩薩の訪れを56億7000万年待つ地蔵菩薩のように、自分は何時までも待ち続けるだろう。
彼らは向かい合い、クスリと笑う。
「いつもと、逆ですね」
小夜は思う。私はいつもの彼のように、捨てられた子犬のような顔をしているのだろう、と。
淋しさと不安に堪え忍ぶような顔をしているのだろう、と。
「約束は守ります。あなたがそう在ったように」
彼女はいつも颯爽と現れた。
自分が淋しさに圧し潰される前に、救いの手を差し伸べるように。
今度は自分が、そうあるべきだ。
綜馬は、心に誓った。
「「では」」
最後の言葉はそれだけだった。
誓いも慰めも必要なかった。
信頼と愛だけが、そこに在った。
綜馬の後ろ姿が、見えなくなった。
それでも小夜は、じっと見送っていた。
そんな小夜に、直英は呼びかける。
「小夜、昨日高僧に作らせた御守りの効果は、何だったのかな?」
昨日、大急ぎで呼び付けられ、『こんな物のために……』と呟きながら帰った高僧の顔を思い浮かべる。
「……虫よけです」
「比喩表現を使わず、明確に述べよ」
嫌な予感がしてならない。
「……女人よけです」
悪びれず、事もなげに、小夜はのたまう。
「私の嫉妬心を、見くびらないで下さい。好いたお方の為なら鬼女となり、地獄絵図を繰り広げる自信があります。災害を未然に防ぐのは、御守りの立派な役割でしょう」
災害の発生源が言うな!
「こんな私ですから、どこかの武将と政略結婚なんかさせないで下さいね。もし嫁いでその方に情が移れば、側室たちとの血みどろの抗争、待ったなしです」
冗談じゃないだけに、タチが悪い。
嫁いだ先と同盟どころか、宣戦布告するようなものだ。
がんばれ、殿鞍 綜馬! 大道寺の未来は、君に掛かっている!
◇◇◇◇◇
深い霧がかかっていた。
3メートル先も、まるで見えない。
起伏の激しい岩山で、馬も立ち入る事も覚束ない。
俺は手探りで、徒歩で、神山を登る。
山に入り、三日目。
険しい崖が消え、なだらかな傾斜で、木々は無く、果てしなく広がる草原に出た。
こんな場所は、有り得ない。
周辺から見た様子からも、この様な地形は無かった。
ここはどこか別世界で、岩鬼山はそこの出入口だったのか。
呆然と立ちすくむ俺に、轟音と共に土煙が迫って来た。
俺は目を凝らす。
馬の、群れだった。
隆々たる体躯の毛並みのよい馬が整然とした列を成し、俺に迫って来た。
馬たちは見る見る間に近づいて来た。
そして10メートルまでの距離に来ると、一斉に立ち止まる。
馬たちは警戒するように、こちらを睨みつけてきた。
先頭の馬が、一頭だけ前に進んで来る。
白馬で、黄金の鬣を持つ、美しい馬だった。
3メートルまで来ると再び立ち止まり、俺に話し掛けて来た。
「何用だ、人の子よ。ここは貴様のような者が立ち入ってよい場所ではない。失せろ――!」
雷鳴のような声が響く。
質問から始めた癖に一切聞く耳を持たず、一方的に自分の主張だけをする。
お話をするのが、ちょっと大変なタイプだ。
だが人の言葉が通じるのなら、やり様はいくらでも有る。
こちとら言葉が通じないお馬さん相手に、その動作で感情をくみ取ってきたんだぞ。
それに比べたら、チョロいチョロい。
「突然の来訪、お詫び申し上げます。事前にご都合をお伺いして、お伺いするのが礼儀と、重々承知しています。ですが貴方がたと連絡が取れない身、どうかご容赦下さい。私の事は使者と思い、どうぞお話だけでもお聞き頂けないでしょうか。お許しを頂けないならば、また改めて参ります」
丁寧に、へりくだって、口上を述べる。
「……聞こう」
どうやら堪え性が無いタイプのようだ。
『断られるなら、また来ますよ』と暗に匂わせたら、簡単に乗って来やがった。
「ここは神々の住まわれる世界と存じます。我々卑しき人間の住まう所とは、隔絶された世界」
神馬はフムフムと首を縦に振る。この辺りは人間臭いな。
「しかし――!」
俺は声を張り上げる。メリハリは大切だ。伊達に請願を上げてない。無理解な上司にゴリ押しするのは、お手の物だ。
「 “神域“ が “人の世“ と繋がっている以上、無関係ではありません。悪臭が漂って来るように、 “人の世“ の流れはこちらにも伝わって来ます。情報を収集し、対策を練らねばなりません」
『厩舎の悪臭をなんとかしろ』と、トラブルになった時を思い出す。あの時は大変だった。
「今 “人の世“ は、何百年ぶりかの変化を迎えようとしています。バラバラだった集団が一つに纏まり、一つの意思となって、その膨大な数を、一つの目的に注ごうとしています。貴方がたから見れば、取るに足らない存在だとは承知しています。だがその数が、暴力的だったらどうします。蚊の大群に纏わり付かれるように。……どうです、鬱陶しいでしょう」
神馬は神妙に聞いている。どうやら理解力は有るようだ。
「そこで提案です。その人間の頂点に立った男を、見に行きませんか。彼の考えで、人間たちの動きは決まります。知識は力です。敵の考えを知れば、対応は簡単です。貴方がたは五月蠅い “やぶ蚊“ の習性を知り、それを追い払う手筈を整えれば、この神域で煩わしい事から解放され、安らかに過ごせるのです。勿論その見極めが終われば、すぐお引き取り下さい。何時お帰りになられても結構です」
俺は一気に捲し立てる。話の齟齬を感じさせない様に、怒涛の如く言葉を続けた。
「話は分かった。だが疑問がある。貴様は何故、こんな真似をする。人間に対する裏切りではないのか。それでお前は何を得る。『人間は代償なく動かない』と聞いているが」
これは想定された質問だ。俺は間髪入れず答える。
「貴方がたは、美しい!」
神馬たちの表情が固まる。『こいつ、なに言ってんだ』という顔をしている。
「凛々しく、気品があり、神々しい。その滑らかな馬体、煌めく鬣、星を宿した瞳、まさに神!」
思いっ切り押しまくる。
『いや~』と照れる馬、モジモジと居心地悪そうにする馬、『うふふ』と満更でもない馬、千差万別だ。この辺りは人間と変わらない。
先頭の馬は『当然であろう』と胸を張っている。……さもありなん。
「そんな貴方がたが、人間の前に姿を現したらどうなるか。人々は見蕩れ、心奪われ、感動し、熱狂します」
ちょっと誇張したが、嘘ではない。
「そんな存在を連れ帰った者が、どういう扱いを受けるか。……もうお分かりでしょう。貴方がたと一緒に居る。それだけで私は、大きな利を得るのです」
俺の言葉に、先頭の馬が口をピクッと動かす。
「我らを、見世物にしようというのか」
目が憤怒に赤く染まっていた。
「滅相も無い。有象無象に貴方がたのお姿を見せません。見せるのは唯一人、人間の頂点に立った “天下人“ だけです」
神馬の怒りは収まる。どうやら納得してくれた様だ。
「だがその “天下人“ とやらに、貴様は伝手はあるのか。貴様ら人間の群れは、膨大な数だと聞く。会えるのは、一握りの人間であろう」
こいつは馬鹿ではない。理論的思考が出来る奴だ。
「私の主人が、今度 “天下人“ に会いに行くのです。 “天下人“ は馬が大好きでしてね。貴方がたに同行して頂ければ、 “天下人“ からの主人に対する覚えも目出たくなると云う次第で……」
嘘はいってない、嘘は。あくまで視点を変えただけだ。
神馬たちは黙り込む。どうしたもんかと云う空気が流れていた。膠着状態が続いた。
『もうそれ位でよかろう。その人間からは悪意は感じられん。ここに害をなそうという気持ちは、微塵もない』
空から声が聞こえてきた。
空気の振動ではなく、直接頭に響くような声だった。
一頭の馬が、遥か上空に姿を現した。
遠くて姿はよく分からない。だがその力の奔流は、見て取れた。
「シラ様」「久々にお姿を拝見した」「勿体なや」
神馬たちはまるで絶対神のように崇めている。
神馬たちが道を空ける。
一本の大きな道が開けた。
そこを “シラ“ と呼ばれた神馬が、滑空し、俺の前に降りて来た。
『人の子よ、話をしようか』
“シラ“ の声が、俺の頭の中で鳴り響く。
神馬たちは遠巻きに俺たちを見ている。
俺は “シラ“ と呼ばれる神と、対峙した。
今回みんな、嘘つきばかりです。でも、いい嘘つきたちですよ。
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