キツネ狩り
俺は広大な大地を、敵400騎に向かって突き進んでいた。
遮るものが無い一望千里の空間。それを単騎で駆ける。
まさに無謀としか言いようがない。
だが俺は恐れない。
俺には彼女たちが贈ってくれた宝物があるのだから。
敵は横列に、1キロに渡って展開していた。
その列が、俺の突進に合わせて閉じて行く。
獲物を閉じ込めるように、両端から斜め内側に進み、弧を描くように、そして円と成るように変化する。
「敵は孤兵。怖るるに足らず。確実に仕留めよ!」
殿蔵 主馬の声が聞こえて来た。
両翼は、俺の真横の位置まで上がって来た。
つまり180度、見渡す限り敵だらけと云う事だ。十字砲火どころの話じゃない。
「撃て――――!」
主馬の号令がかかる。それが、続く銃声でかき消される。豪雨のように銃弾が降る。鉛色の雨は、やがて血の雨に変わるはずだった。だが弾雨は、愛すべき敵に口づけする事が叶わなかった。
「おっとっと。右、上、下、右、左……。まるで音ゲーだね、こりゃ」
俺は馬体を捻らせ、銃弾を避ける。
通常では不可能な絶技をこいつは披露し、残像を作り出す速さを見せつけた。
「赤兎馬か……」
主馬が唸る。その目には、俺が乗る馬が映っていた。
炎のような赤い毛色。『一日に千里を走る』と言われても信じてしまう、その体躯。
伝説の名馬、 “赤兎馬“ の姿がそこに在った。
「その名で呼ばないでくれますか。こいつの機嫌が悪くなるんで。『 “兎“ ではなく “龍“ だ』と言って」
すでに少し、ぶんむくれている。
「二君に仕えし尻軽馬が!」
どうやら主馬はコイツのファンじゃないようだ。
でもコイツの名誉の為にも、反論はしなくちゃ。
「ちょっと待った。こいつはさっき生まれたばかり。背に乗せたのは俺が初めて。例のアレとは違いますから」
そう、コイツは赤龍の分体。伝説の名馬をモデルに創った、似て非なるもの。
明日香に『どうしてもコレに乗って行って』と泣きつかれた。
「……それはいい。だが、そっちは何だ? その趣味の悪い、キンキラの鎧は」
主馬が指差す先には、俺が着込んだ黄金の鎧が在った。
『ユマ、コレを着て行って。鈴ちゃん作、 “双子座“ の “黄金鎧“ 。黄龍の分身体だから、そんじょそこらの鎧とは桁違いの防御力だよ!』と言って押し付けられた。
鈴が作る以上、性能に不安は無い。
だが、戦場でこれを着るのか。このキンキラピカピカの鎧を。
主馬という敵と戦うと共に、羞恥心という強敵とも戦わなければならない。
「ダメ……かな……?」
長い袖をギュッと握りしめ、俯き、声を震わせ訊ねて来た。
そんなモン、答えは一つしかない!
「かっけーじゃないか。ピカピカで、強そうで、変形合体とかしないのか?」
小学生男児に心を戻す。そうでもなけりゃあ、やってられねえ。
「うん、時間が無かったからそこまでは……。でもユマが欲しいなら、超特急で改造するよ!」
弾んだ声で鈴は答える。
せんでええ、せんでええ、そんな事。やったら色々な問題が発生する。
俺は丁寧にご遠慮願った。
「見てくれはこうだが、性能は折り紙付きだ。さっきの銃弾も、こいつが無けりゃあ、何発か食らってた」
俺は実利を強調する。
趣味嗜好――精神面での戦いを避けるように。
「どうやら君は、分っていないようだね」
そんな俺の胸の内は知らぬように、主馬は見下すように俺を眺める。
「これは “闘い“ ではない。…… “狩り“ だ。 “キツネ狩り“ だよ。獲物がそんな目立つ格好で、どうするんだい」
獲物か…… 。その言い方に、少しカチンときた。
だが俺は怒りの声は上げない。
怒りは、奴の鼻を明かす事で晴らす。
その為に、突破口を探る。
そして戦力を分析する。
「スレイプニルですか……」
主馬は、八本脚の馬に騎乗していた。
『馬のうち最高のもの』と賞賛される、神代の生き物。
「ケンタウロスに変化しているとばかり思っていたんですが」
俺は彼の周囲を見渡す。周りは400もの半身半獣に囲まれていた。
「この身は既に神を宿している。いまさら神性を降ろす意味はない。そんな私に相応しいのは、これだろう」
彼は愛馬をパンと叩く。
「なるほど。で、跨るのは、その神獣。あなたが宿した神とは、 “クロノス“ ですか? それとも “オーディン“ ?」
俺はカマをかける。 “刻を司る神“ なのか “未来を予見する神“ なのかを知る為に。
「神名など、意味がない。神に “くびき“ など存在しない。 “何が出来るか“ ではなく “何をしたか“ だ。それによって、その名を謳われる。それこそが “万能の神“ と呼ばれる由縁ではないのかね」
ロマンを解さない、実利的な言い方だった。
そこに驕りや嘲りは無かった。ただ冷静に物事を分析する、官僚のような姿勢だった。
ちょっと嫌味を言いたくなった。
「貴方は、大人なんですね」
主馬の眉がピクッと動いた。誉め言葉とは捉えなかったようだ。
俺は感情の波紋を見据えながら、続ける。
「冷めた心で、信じる心を失って、叶わなかった夢の欠片を集めて、それでも夢が甦る事を願う、哀れな存在……」
そんな諦めの心境に到った人間を、俺は大勢見て来た。
「僕たち子どもは、大言壮語を吐くし、理に適わない事もする。でもね、何時だって真剣なんだ。真剣に、それが叶うと信じている。……けれど人は弱い。撥ね返され、打ちのめされ、これは超えられない壁だと思い知らされる。敗北した子どもは、 “夢を叶える子ども“ から “叶えられる夢を探す子ども“ に退化する。それが貴方たち、 “大人“ と云う存在……」
主馬は何も言わない。ただ黙って、じっと俺を見ている。
「そんな存在に、新しい世界を創れるとは思わない。新時代を切り開くのは、何時だって既成概念に囚われない、 “子どもの心“ を持った人間です!」
俺の叫びに、主馬は反応する。敵意を持って。
「君のそれは、まるで “幼児的万能感“ だね。 “なんでも出来る“ “望みは必ず叶う“ と根拠も無く妄信する。……見ていて不快だ、吐き気がする」
彼の罵倒に、俺は反論する。
「大きな隔たりがあります。果報がスプーンに乗ってやって来るのを待つか、実るのを待ち侘び一生懸命育てるかの」
「甘っちょろい。努力が必ず報われるという考えが、気に入らん。いくら努力しようが、不毛の地に、作物は育たん。稲作北限を越えて、米は実らん。夢想家は、大量の餓死者を、身売りを生む」
その身で体験した者だけが放つ怒気だった。
主馬は歴史的な大凶作を経験している。
彼はそこで改革を決意した。父と袂を分かつ事となっても。
「言葉を届けるには、それ相応の裏付けが必要だ。納得させるだけの “理“ か、屈服させるだけの “力“ を示せ。今の君には、そのどちらも無い。不透明な将来性だけでは、信頼の担保としては足りん!」
理想を抜かすな、現実を見ろ! 彼はそう言っている。
かって自分が言われた言葉を。
「もはや君を新世界に連れて行く気はない。私は全てを捨てる。直輝さんへの想いも、思い出も。古来神話の神々は、原初の神を滅し、新たな主神となった。ゼウスしかりオーディンしかり。私も……そう在るべきだ」
それは揺るぎない決意だった。
「君を――大道寺に対する妄執を、断ち切る! それが、新たな世界に羽ばたく通過儀礼だ!」
彼は自分自身への決断を誓う。
俺にそれを言うのは、もう引き返せない所に自分を追い込む為だ。
「これは、私自身の戦い。過去を捨て切れるかどうかの。君の思惑なぞは関係ない。君は材料だ、実験体だ。どこまで私が神に近づけるかの、リトマス試験紙だ」
人を人とも思わない言いぶりだ。
いや、神から見れば人も動物も、等しく “動く器物“ に過ぎないのかもしれない。
そこまで思うと、何故だか笑いが込み上げて来た。
俺は思わず『ぷっ』と吹き出す。煽りとかの打算とか、一切なしに。
『なにか可笑しな事を言ったかね?』
主馬は目を引ん剝いて怒りの声を上げる。
「いえ、ある寓話を思い出したんです。それがちょっとこの状況とハマりまして」
計算なしの素の感情は、こんなに相手に伝わるんだなあと、呑気な感想を俺はしていた。
「ある男がキツネ狩りに参加しました。巣穴を塞ぎ、猟犬に追い立てさせ、殺す。食う事も出来ないキツネを、スポーツとスリルのために。キツネを見事仕留めた男は、英雄のように褒め称えられました。彼はその夜、仲間と祝杯を挙げます。昼間の熱気が冷めやらぬうちに。酔いのまわる彼の目に、可笑しなものが見えました。見慣れた筈の友人の顔が、いつもと違って見えたのです。その顔は耳が長く、髭の長い顔をしていました。彼は冷たい汗をかきます。そこに一人の男が飛び込んできて、叫びました。『おい、大変だ。町の出口が塞がれた。たくさんの勢子(狩猟の時に獣を追い立てる者)がやって来る。狩りが……始まる』――と」
『何が言いたい……』 主馬は努めて冷静に、問い掛けて来た。
「狩る者と狩られる者、そこに違いは在るのでしょうか。正邪の有無、力の多寡は関係ありません。それは何時でも逆転する。それを弁えないのは、傲慢だと」
彼は爛々と光る目で睨みつける。
「キツネが何をほざこうと、聞く耳を持たんな。しょせん狩りの獲物。『窮鼠猫を嚙む』と云うが、神と人とでは、それも成り立たん。言葉通り、『次元が違う』のだ」
「そこまでの差はありませんよ。僕はこれでも、亜神の域には達しています。誰かさんのお陰で、自分のインナースペースを冒険したせいでね」
俺の返答に、主馬はふぅと溜息をつく。
「失敗だったかな、亜夢美との記憶を消したのは……」
「結果論でしょ、それは。でも良かった。貴方にも、遠い未来は見えないんですね」
それが分っただけでも良かった。彼にも分からない事はある。
「それに、神が全知全能だとは思えません。もしそうであるなら、なぜ進化は起きるのです? 完全なる世界が創られたのならば、そこから変わる事はないでしょう」
俺の問いに、主馬は聞き分けの無い生徒に言い聞かせるような顔をする。
「 “進化“ と “進歩“ をはき違えてはいけないよ。環境に順応する、種の変遷が “進化“ 。より高度な存在に成長するのが “進歩“ 。宇宙も流転している。ならばそれに適応する様に姿を変えるのは、なんら不都合は無い。 “進歩“ はその “進化“ に付随して起きる現象。神の、あらゆる現象に対応出来るフレキシブルな設計だよ」
主馬の主張は、理屈が通っている。だが、納得出来るものでは無かった。
その理屈は、 “最初に神ありき“ で成り立っている。
本当にそうか? 神がこの世界を創ったのか? 神も、この世界が生まれた後に誕生した “創造物“ ではないのか?
主馬の考えは分かった。そして相容れない事も。
「『力が正義』とかは好きじゃないんですけどね。でも『実績は雄弁に語る』と云うのも事実です。……仕方ありません。討論するとしましょうか。言葉ではなく、拳でね! 心ゆくまで!」
俺は構える。
信念を奮い立たせて。
跨る赤龍と、纏う黄龍を感じながら。
こいつらの主人の名に掛けて、決して折れないと強く誓った。
いよいよ悠真出陣です。彼の本気の戦いが始まります。お楽しみに。
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