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ロード・トゥ・エンペラー

朱色の武具で統一された騎馬隊が、偃月(えんげつ)の陣で突進してゆく。

指揮官たる私が先頭となり、両翼を下げ、私がいる中央を突出させ、敵を切り裂く陣だ。

敵の数はこちらの三倍。多少のリスクは仕方ない。

だが心配はしていない。私が召喚したのは、最強の軍隊だ。


敵は小高い丘に陣取っていた。横長の包囲網を取っている。

高所という有利な地形から波状攻撃を行い、殲滅戦をするつもりなのだろう。


サラブレッドのように美しい馬体。その上に鎮座する筋骨隆々たる彫刻のような肉体。

伝説の生き物 “ケンタウロス“ が何百も横並びするのは、圧巻だった。

私は身震いした。恐怖ではなく、愛する人の為に役立てる歓喜に。



「やあ! お姉さんが僕のお相手かな?」


敵中央から、指揮官らしき者が呼び掛けて来た。

若い、少年ともいえる年齢だった。14歳くらいに見えた。

目は細く鋭く、そこから放たれる眼光は、深い知性を湛えていた。


「あなたは……ヌルハチ?」


肖像画にある年老いた姿ではなく、生命力みなぎる若者だった。


「あーもしかして、おじいちゃんになった僕の姿を想像してる? イヤだよ、あんなの。せっかく生まれ変わったんだから、若い姿じゃなきゃ」


少年は屈託なく、無邪気に笑う。


「で、お姉さんはどこの軍勢なの? 見たところ、倭國(わこく)のサムライみたいだけど。どこの家中? ノブナガ? ヒデヨシ? それともイエヤス?」


三英傑の名を挙げる。そういえば彼は、この三人と同時代だった。


「その、どれでもない。 “戦国最強“ と謳われた、 “武田(たけだ) 信玄(しんげん)“ よ」


「シンゲン? 聞かない名だね。強いの?」


彼の目に、僅かな落胆の光が灯る。


「信長、秀吉が戦いを避け、家康が戦いの最中に、恐怖のあまり脱糞(だっぷん)する程には――」


彼は目を見開く。嬉しそうに。


「ははっ。それは面白そうだ。……ところで何なの、その旗印?」


ヌルハチは漢文で書かれた旗印を指差す。

『故其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山』――いわゆる『風林火山』が書かれていた。


「 “孫子(そんし)“ だとは思うんだけど。それにしては文が足りなくない?」


さすが清国初代皇帝。遊牧民でありながら、中華の素養もばっちりだ。


「『難知如陰(知りがたきこと陰の如く) 動如雷霆(動くこと雷霆(らいてい)の如し)』――これの事? 仕方ないのよ、元ネタがそれを割愛して有名になってしまったから。私も、削られた部分が重要だと思うんだけどね」


私は肩をすくめ、やれやれと云う顔をする。


「……一応、知ってはいるんだね。まあいいや。あくまで教本は教本。大事なのはその真意を読み取り、どう活かすか。期待出来そうだね」


値踏みするような目つきで、こちらを見る。

それは少年のあどけない目ではなく、冷徹な軍略家の目だった。


「試させてもらおっか、その力を! そして僕が得た、新たな力を!」


彼の顔は、歓喜に震えていた。

戦いこそが、生命の源泉。

巨大な己の力は、最高の玩具(おもちゃ)。強敵との戦いは、至高の遊び場だった。


ヌルハチが、さっと手を上げる。

ケンタウロスの大軍が地響きを上げ、一糸乱れず丘を下り始めた。

黒光りする馬体が、まるで夜の波のように押し寄せて来た。


美しかった。

神話の生き物が躍動する様は、絵画であり詩であった。

私はそれを眺め、感動を覚えつつも、フッと笑った。


「『戦いとは道・天・地・将・法の目算合わせ』と、孫子は言った。貴方は “地の利“ ――高所を得た。だけどそれは絶対なの? 万物は流転するのよ」


彼はそれを聞き鼻白(はなじろ)む。強がりをほざいていると思っているのだろう。

でも、そうじゃない。貴方は、底なし沼に片足を突っ込んでいるのよ。

私は言葉ではなく、行動でそう語る事にした。


私は地上で蒸気を集め、温度を上げ、上空に舞い上げる。

上空ではヨウ化銀と液体二酸化炭素を使い、冷却し、氷晶が生まれる。

ぶつかり合う二つの空気は、積雲を形作る。

そしてそれは、スコールを発生させた。


戦場は、その姿を変えた。変貌は、あっという間だった。

『足もとに気を付けろ』『速度を落とせ』『前のめりになるな。後ろ足に重心を掛けろ』

敵軍は混乱に陥った。


高速疾走に最適な乾燥した草原が、一転してドロドロでツルツルの湿地に変わったのだ。

足を取られるのは勿論、高地から下る前足に重心を置く走り方は、前のめりになり踏ん張りが効かず、転倒する者が相次いだ。

それに対してこちらは、下から上に登っている。後ろ足にしっかり重心が掛かり、安定している。

“地の利“ を、 “天の利“ が覆した。


だがこちらの利は、それだけでは無かった。


「貴方たち、カッコいいわね。スラッとして長くて細い足で、サラブレッドみたい。芝の上を高速で走る事において、右に出るものは居ないでしょう。けど、こんな悪路ではどう? そのポッキリと折れそうな細い足で、この泥濘(ぬかるみ)を踏ん張る事は出来るの? おまけに上半身が本来の首部分にあり、どう考えても重心バランスが悪い!」


ここは乾燥した草原地帯だ。夏の雨期でもなければ、それで問題は無かっただろう。

だが私は、それが通用しない状況を作り出した。


「こっちは山岳部の高温多湿な土地で鍛えられた “木曽馬(きそうま)“ よ。短足胴長のずんぐりむっくりで、カッコ悪い。けれど足腰が強く、横への踏ん張りも効いて、山の斜面もお手の物。スタイルは悪いけど、最高に――頼りになる!」


私は、()える。高らかに。

誇り高きケンタウロスたちは、歯軋りする。

己が研鑽してきた事を、無用の長物と罵られて。


「勝ち誇るのは、まだ早いんじゃないかな。射線は、上から下が圧倒的に有利。我が騎馬民族の優れた点は、『弓』――すなわち『遠距離攻撃』にある。ここに留まり、銃撃を浴びせれば、足もとの不利は関係ない!」


ヌルハチは叫ぶ。味方を鼓舞するように。

それは、正しい。騎馬戦を捨て、銃撃戦に持ち込めば、火力の劣る騎馬隊は、格好の的だ。


「一つの戦い方に固執すると思ったら、大間違いだよ、おねーさん! 騎兵の突破力も、その防御の脆弱さも、僕たちは熟知している!」


彼の明るい言葉に、敵兵たちは落ち着きを取り戻した。

優れた指導者とは、かく在るべきか。不安を払拭し、為すべき事を示す。

さすが分裂していた女真族(じょしんぞく)を統一し、明を滅ぼしただけはある。

だが、そんな事は先刻承知だ。


「そっちこそ、何か勘違いしているわね。私たちが騎兵だけだと、だれが言ったのかしら? 女はね、いくつもの貌を持っているものなのよ。覚えておきなさい、坊や!」


私は携えていた軍配を振る。

それを合図に後方の軍勢が左右二つに分かれて横に飛び出し、敵側方に襲い掛かる。

彼らの鎧は、朱色ではなかった。

また武具に描かれた紋章は『武田菱』ではなかった。

丸の中に十字を描いた、『島津十字』であった。



義弘(よしひろ)さま、勝負をしもんそ。どちらが先に、大将首をとっか」


右翼の若武者が、左翼の老将に呼び掛ける。


「たわけ! 自惚るっな。まだまだ豊久(とよひさ)ごときに遅れを取っ儂じゃなか!」


老将の叱責が飛ぶ。


敵は、混乱した。

正面の本隊を撃つべきか、左右に展開した部隊を撃つべきか、躊躇した。

その隙を逃さず、別動隊は敵の側面をえぐる。


「こいつらは一体……」


ヌルハチに、初めて動揺が走った。


「 “鬼島津(おにしまづ)“ ―― “鬼石曼子(グイシーマンズ)“ と言ったほうが、分り易いかしら。聞いた事があるでしょ。7千の兵で20万の明軍を撃退した狂戦士(バーサーカー)。 囮を使っておびき寄せ、包囲した上で殲滅する “釣り野伏“ が得意技だから、側方を突くのはお手の物よ」


「武田 信玄じゃなかったのか? アンタの軍は!」


ヌルハチは眉を吊り上げ、眼を血走らせ、叫ぶ。


「第一陣は、間違いなく “武田騎馬隊“ よ。ただ、それだけでは無かっただけの話。貴方が言ってたじゃない。『難知如陰(知りがたきこと陰の如く)』。切り札は、隠しておくべきでしょう。いや、ドキッとしたわよ、こちらの狙いがバレてるのかと思って」


私は会心の笑みを浮かべる。

敵の隊列は崩れた。

薩摩兵は、敵兵の首を刈り取ってゆく。

勝利まで、あと少しだ。

私は、敵陣を見やる。

そこに、天を仰ぐヌルハチがいた。


「論語読みの論語知らず。孫子読みの兵法知らずか…………」


一切の表情なく、呟いていた。

嘆きも怒りも、微塵も感じさせなかった。


「……面白い。ままならぬ世は、面白い。己の非才を思い知らされ、叩きのめされ、鬱屈した思いを溜める。だがその限界を超えた先にある勝利こそ、至上の喜び。僕はいま、それを掴もうとしている」


彼は菓子を与えられた幼子のように、嬉しそうに笑っていた。


「カタルシスと云うのかな、これは」


彼の心は、浄化されていた。



「我が同朋の魂よ、吾に集え。一つとなり、新たな扉を開かん!」


ヌルハチは呼び掛ける。

ケンタウロスたちはその声を聞き、揺らぎ始めた。

決意や行動がではない。存在そのものがである。


「「「ハーンよ、我らを導き給え!」」」


何百もの声が重なる。大合唱だ。

ケンタウロスたちから、青白い炎が立ち昇る。陽炎(かげろう)のように。

炎は大合唱に吸い込まれ、ヌルハチへと向かう。

巨大なエネルギーの奔流が、彼の許へと流れてゆく。


ケンタウロスたちの姿は消えた。

後に残されたのは、水蒸気のように全身からエネルギーを()げるヌルハチ一人だけだった。


「結局、残るは吾一人か……」


その声は、淋しそうで、荒寥としていて、まるで井戸の中に一人置き去られたかの様だった。

しかしその姿には力が(みなぎ)り、それが本来の彼であるかに見えた。


「あの軍勢は、貴方の分身体だったの?」


確信をもって、私は問い掛ける。


「一人ぼっちの王国に、なんの意味が在る。民あっての国だろうが……」


砂を噛むような声だった。本当の孤高は、残酷だ。


「だが、結局はまやかしだった。現実を誤魔化しても、碌なことは無いな」


自らを(あざけ)るような口調だった。

己の弱さを、運命を、呪うみたいに。孤独という牢獄に囚われた囚人のように。


「腹いせに、吾の全力を貴様にぶつけるとしよう」


彼は私に向き合い、構える。

その手に、光の槍が握られていた。

槍は、エネルギーの集合体だった。彼の存在そのものだった。


私は、赤備え(あかぞなえ)の兵を、薩摩兵を我が躰に戻す。

本当の総力戦、大将戦が、これから行われる。


「吾は愛新覚羅(あいしんかくら)愛新覚羅(あいしんかくら)は吾なり。たった一人の王国といえど、吾は王なり!」


彼は高らかに名乗りを上げる。

誇り高き皇帝が、そこにいた。


「いざ!」


槍を構え、突進して来た。


「赤龍、放て。雷霆(らいてい)の如く!」


私は英雄に敬意を表し、全力で応える。


二つのエネルギーが、意地が、想いが衝突した。

小細工が入る余地は無かった。

ただ力をぶつける事に、全てを注いだ。


世界が光に覆われる。何も見えない、白い世界だった。

あらゆるものが消失したかに思えた。



やがて光が晴れた。

地に伏す者と、それを見下ろし立ちすくむ者がいた。


「なんでこうなったと思う? 何が勝敗を分けたと思う? おねーさん」


少年は問い掛ける。笑いながら。


「貴方が、その姿だったから。14歳の姿だったから……」


私は重い口を開く。少年は怪訝な表情をする。


「14歳の時、貴方は家を飛び出した。継母(ままはは)との折り合いが悪くて」


少年の眉がぴくっと動く。


「その時から貴方は求めていた。家族を、仲間を、愛する人を」


少年は何も言わない。表情も、何も語っていなかった。


「貴方は、一族の誇りと幸せを求めた。自分の地位や名声などは、求めてなかった」


彼は沈黙を以て答える。それが事実だと。


「 “(みん)“ に反旗を翻したのだって、お祖父様とお父様を謀殺した仇を明が庇ったからでしょ。決して明を滅ぼそうとは思ってなかった」


ヌルハチの目には、涙が浮かんでいた。その時の事を思い出しているのだろう。


「貴方は一族の誇りを守る為に戦った。私は違う。私は、愛する人を守る為に戦った。あの人は言った、『お前が死ぬまでは、俺は死なない』と。……そりゃあ、おちおち死んでる場合じゃないでしょう。誇りを守り、満足して逝ける貴方とは違う。その、生への執着の差だと思う」


馬の胴体が吹き飛び、上半身だけで横たわるヌルハチに、私は血塗れの姿で答える。

紙一重の戦いだった。


「…………そっか。そこか」


納得したみたいに、彼は零した。

その答えが、正しいかどうかは分からない。

ただ、消えゆく者が満足出来る答えではあったと思う。


「うん、納得した。これで迷わずに済む。じゃあ僕はこれで逝くけど、おねーさんも頑張ってね。おねーさんの正妻への道は、僕の皇帝への道より険しそうだから」


いたずら小僧のように、ニカッと笑う。


「うっさいガキ! さっさと逝け!」


涙は見せない。しんみりしたのは、苦手だ。

彼は満面の笑みを浮かべる。

『ありがとう』

その言葉だけを残し、消えていった。


私は自分の傷に手を当てる。

彼の残した足跡を辿るように。

オチはやっぱり『鬼島津』。なんでしょうかね、この安定感。存在自体が、もはやギャグ?


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