ラスト・キャバルリィ
何かに憑りつかれたような目で、冷たく、鋭く、主馬は俺たちを見ていた。
「三人か……。私の満願成就を阻む壁としては、丁度いい数だ。これをぶち壊してこそ、天国は降りて来る」
もはや人を人と見ていない。野望に希望に憑りつかれた男が、そこにいた。
背筋が凍るようだった。
だが俺の隣りで、憐みの視線を投げかける者がいた。
「それは恫喝しているの? 私には、貴方自身に言い聞かせている様に見えるのだけど。怯む自分を、奮い立たせるみたいに」
明日香の目は、まるでバンジージャンプを『飛ぶぞ、飛ぶぞ』と言いながら、一歩も動けない臆病者を見るような目だった。
その言葉に、主馬の目は怒りに染まる。
「年端もゆかぬ小娘に、なにが解る! 生意気な口を叩くな!」
怒号が飛ぶ。だが明日香はどこ吹く風だ。
「解るわよ。貴方の気持ちなんか、手に取る様に……」
超然とした面持ちで、彼女は答える。
「貴方はまだ、若かりし日の夢を、捨てきれていない」
明日香の言葉に、主馬は頬をピクリと上げる。
「その能力を見せるのに、攻撃ではなく、なぜ防御で使ったの? 勇哉を屠るのではなく、なぜ追い払おうとしたの? ……答えは、貴方の心の中にある。怖れがあった。直輝さんの息子を殺すと云う禁忌に触れる事に」
その主張に、主馬の顔は凍りつく。
「キリスト教徒が聖書を燃やすようなもの。捨てる事は出来ても、冒涜する事は出来ない」
凍てつく主馬の表情の下に、グツグツと煮えたぎるマグマの様なものを感じた。
「貴方はまだ、新世界に羽ばたけていない。この世界に、繋がれている」
主馬の中の、堰が切れた。感情が溢れだして来た。
「小娘、よくぞ言ったな。知ったような事を!」
主馬の赤い目は、一層紅く染まっていた。それは、憤怒という色だった。
「その通りだ! 私には足りなかった、覚悟が、決意が、信念が!」
彼の怒りは、明日香に向かっていない。己に、向けられていた。
「よくぞ気づかせてくれた、私の迷いを、弱さを。礼を言おう。そして報いよう。新世界の礎となる名誉ある死をもって。新世界の伝承に、お前の名は深く刻まれるであろう」
あれっ? 明日香は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
主馬は父さんの写真が飾っていた壁に掌を向ける。
紅蓮の炎が一直線に伸びる。
壁は焼き爛れ、焦げ臭い匂い以外、何も残されてなかった。
「捨てる事は出来ても、燃やす事は出来ない――だったかな?」
主馬は嗤う。嘲笑うかのように。
「もはや私を、留めるものはない」
怒りも、哀しみも、嘆きもなかった。冷たい声だけが、響いた。
「私の全力で、お前たちを葬る。先程見せた “時間操作“ など、私の力のほんの一部。これからお前たちが知るのは、 “絶望“ だ」
固い決意を以って、主馬は叫ぶ。
大地が震えた。怯えるように。
「明日香のアホ――――。なに無駄な煽りを入れてんのよ。お陰でアイツ、本気になったじゃない!」
揺れる床にしがみつきながら、鈴が目を吊り上げ怒りの声を上げる。
「えっ? えっ? えっ? ちょっと待って。そこは『よくぞ私の本心を見抜いた。やはり直輝さんは裏切れん』とか言って、改心するシーンじゃないの?」
明日香は目の玉をグルグル回し、当惑の表情を浮べる。
「どアホ――――。なにご都合主義ほざいてんの。いっぺん暴走した感情が、そう簡単に方向転換出来る訳ないでしょうが――――。スピンするわ――――。あんた、心理描写の専門家でしょうが――――」
鈴の容赦ない糾弾が続く。
「だって、だって、私がやっているのは、フィクションをいかにそれっぽく見せるか、でっち上げるか、現実に寄せるかなのよ。リアリティよりドラマティックが求められるの! 大体私は、感情を分析は出来ても、理解する事は苦手なの。本来私は、コミュ障なんだから!」
開き直った。さらけ出した。
『あ~もう~』と鈴は頭を掻きむしる。
「ユマ、このポンコツは置いといて、覚悟を決めて。……あいつは本気で、殺りに来る」
鈴の目が、この上なく真剣だった。
「いや。却ってこれで、良かったのかもしれない」
鈴が『ん?』と腑に落ちない顔をする。
「主馬に迷いがあった様に、俺にも迷いがあった。『父さんを慕うアイツを殺したくない』と云う迷いが。それはこの戦いの決着を遅らせ、メアを助け出すのが手遅れになっていたかもしれない」
明日香は主馬だけでなく、俺にも決意させた。
「もう迷わない。ヤツは俺の敵だ。俺の全身全霊を以って倒す。魂の一片も残さない」
俺はぐっと拳を握り締め、胸の前に置く。
「……わかった。私も協力する。好きに使って、この力」
鈴が俺の拳を両手で包み込む。
「私も…………」
明日香が決まり悪そうに、それでも真剣に、俺たちの手の上に自分の掌を乗せる。
俺たち三人は見つめ合い、頷いた。
主馬を中心に、闇が渦巻いていた。
部屋から光が消失し、暗闇の中力の奔流だけがあった。
「はぐれるな。飛ばされるんじゃない」
俺たちは手を握り合った。
これは攻撃ではない。何か別の物だ。やり過ごせ。それが俺たちの共通認識だった。
やがて闇は晴れた。
周りが見えて来た。
そこはさっきまでの地下室ではなかった。
広く広く開けた、澄み渡る大空だった。
「げぇ――落ちる――。明日香――逆噴射して――」
鈴の悲鳴が響き渡る。
明日香はその声に従い、下に向け蒸気を飛ばし、減速させる。
「ふぅ――助かった。それにしても、ここは?」
安全を確保した鈴は、周囲を見やった。
眼下に、大きな街が見えた。
中国風の、整然とした街だった。
その中央に、印象的な建物が見えた。
移動式テント “ゲル“ のような八角形の建物だった。
正面の2つの柱には、皇帝の象徴の金の龍が絡み付いている。
「あれは清の初代皇帝ヌルハチ時代の建物『瀋陽故宮』。という事は、ここは瀋陽?」
明日香が確認するように呟く。
「ううん、周りの建物の時代が違う。という事は……今ここは、 “奉天“ ?」
彼女の中で、何かが組み上がってゆく。
「騎兵隊、最後の戦場となった所……」
一つの結論に到ったようだ。
俺たちは静かに着地した。周りは建物の無い平原だった。敵の姿も見えなかった。
俺たちは、これからの事を話し合う。
「明日香。ここが何処か、心当たりがあるみたいだな」
俺と鈴は、明日香の返答を待つ。
明日香は口に手を当て、思案気に話す。
「『瀋陽故宮』が見えた。清の皇帝ヌルハチとホンタイジの皇居で、その後離宮として使われた建物。中国の遼寧省瀋陽市に在る。けど周りの建物を見ると、さっきまで私たちがいた1945年よりちょっと前に思える。その時代は “奉天“ と呼ばれていた。
“奉天“ ? どこかで聞いた事がある。
それにさっき明日香が呟いていた事が気になる。
「さっき『騎兵隊、最後の戦場となった所……』と言っていたな。どういう意味だ?」
俺の質問に、明日香は顔を顰める。
「ここが “奉天“ で、今が私の想像した時代なら、厄介な事となる。ここは戦場となった場所、日露戦争の。そして騎兵隊最後の戦場」
明日香の声は、重かった。
「現代ではその姿は消したけど、近代までは “騎兵“ は “歩兵“ “砲兵“ に並ぶ三兵種の一つだった。その “騎兵“ 最後の戦いとなったのが、いえ “騎兵“ の存在価値を殺したのが、日露戦争 “黒溝台会戦“ 。すなわち “奉天“ 西方の、この戦場よ」
「 “騎兵“ の存在価値を殺した?」
明日香の言葉の意味が、よく解らなかった。
「そう。ここで “騎兵“ は、その歴史に幕を閉じた。そしてそれを行なったのが、 “秋山 好古“ ―― “日本騎兵の父“ と呼ばれた人……」
“秋山 好古“ ――日露戦争で活躍した “秋山兄弟“ の兄貴か。
「彼は当時世界最強と謳われたロシアの “コサック騎兵“ 10万の攻撃を、自分が育てた騎兵隊 “秋山支隊“ わずか8千で凌いだの。常識外れの方法を使ってね」
その勇名に聞き覚えはある。しかし具体的に何をしたのか、知らない。俺は明日香の話に耳を傾ける。
「僅か8千の兵力で40㎞という広範囲を守ると云う無理難題に、彼は挑んだ。普通に考えて不可能よ。そこで彼が取った戦法は『拠点防御方式』という方法だった」
拠点防御方式?
「拠点に塹壕を掘り、穴ぐらに馬ごと潜り、そこから機関銃などの兵器で攻撃したの」
なんじゃそら。それが騎兵隊のする事か。
「あなたの思っている通り、これでは騎兵の機動力が生かされない。騎兵の存在否定もいい所だわ。でもね、成果はあったの。最強を誇る “コサック騎兵“ が、為す術もなく倒れていった。そして戦線は維持され、最終決戦 “奉天会戦“ へと繋がるのよ」
“奉天会戦“ ――日露戦争の関ヶ原とも云われる戦いだ。
「秋山 好古はね、騎兵という物をよく知っていた。『騎兵とは何か?』と問われた時、こう答えたそうよ。彼は素手で窓ガラスで叩き割り、血塗れの手を掲げ、言った。『是也』と。騎兵の高い攻撃力と低い防御力、そしてそれによって齎される被害の大きさ。それを熟知していたのよ。そしてそれを補う方法も。彼の才能は、この戦いで花開いた。そして騎兵の未来は、散った。皮肉なものね。騎兵の存在に引導を渡したのは、他ならぬ騎兵を愛した彼だった」
軍人たるもの、勝利を求めなければならない。
その為には武器も兵も、駒として考えなければいけない。
それでも――やるせなかったに違いない。
「殿倉 主馬も、 “馬“ については思い入れがあった筈よ」
ここが『どこか』は分かった。
問題は、『なぜ』ここなのか、だ。
「 “殿鞍“ 家は、 “馬“ に関わってきた一族。そして崇める “オシラ様“ は 馬の化身」
なにかが、繋がってきた。
「その彼がこんな戦場を選ぶなんて、何かある。アイツの有利になる、何かが!」
明日香は手を握り締め、熱く語る。
だがハッと何かを思い出し、顔を曇らせる。
「……と思う。たぶん。メイビー…………」
明日香の声は段々と小さくなる。
「分析は、間違っていないと思う……。考察は……任せた。あとはよろしく……」
息も絶え絶えに、明日香は言う。
知識を披露する迄は勢いが良かったが、解析するとなると口が重くなった。
よっぽど堪えたんだな、さっきの失敗。
明日香は、肩を窄める。
俺と鈴は、肩を竦めた。
俺たちは考え込んだ。これからどうすべきか、何をすべきかを。
答えは、向こうからやって来た。
大地が少しずつ揺れ始めた。
ドドドドドという音が響いている。
砂煙を上げ、山の上から何かが近づいて来る。
まるで地鳴りのように音を立て、大地を揺らす。
何百もの騎影であった。
砂埃ではっきりとは見えないが、地を踏み鳴らす馬の脚は逞しく、力強かった。
騎乗する人影も見えた。
彼らも筋骨隆々とした体躯で、鋭い眼光をしていた。
あれ? 俺は違和感を感じた。
俺は目を擦り、迫り来る騎馬隊をよく見る。
騎手は手綱を握っていない。
騎乗位置が馬の背中ではない。もっと前だ。
そして、馬の首が見えない。
まさか!
これまでもかというほど、俺は目を見張る。
間違いない! ケンタウロスだ。半人半獣の怪物だ。
旗指物も掲げられている。『人馬一心』と書かれている。そりゃそうだろう。
『手綱を握る』という任から解放された手には、別の物が握られていた。
長い弾帯を垂らした “軽機関銃“ だった。
昂る気持ちが抑えきれないのか、時折空に向けガガガッとぶっ放している。
ケンタウロスと機関銃。 なんの冗談だ。
『騎兵がその歴史に幕を降ろした地から、いま再び新たな伝説が紡がれる。刮目し見よ! 我が無敵の騎馬軍団を!』
どこからか主馬の声が、山の唸りのように聴こえて来た。
『最後の騎兵隊』――それがいま、俺たちに迫っていた。
明日香のポンコツ回でした。明日香は殆どの分野で高スペックですが、体力と対人コミュニケーションについては、目も当てられません。でもそこが、かわいい。
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