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新世界

目を細め、一人の男が音楽の海に漂っていた。


「アントニン・ドヴォルザーク作曲、交響曲第9番 ホ短調 作品95、――『新世界より』。……いい曲だろう」


殿倉(とのくら) 主馬(かずま)がこちらに背を向け、安楽椅子にもたれ掛かれ、呼びかけてきた。

曲は第三楽章が終わり、第四楽章が始まった。

ゆったりとした低音が奏でられる。それが段々音が高くなり、スピードを増して行く。


「疾走感溢れる、エネルギッシュな旋律。新世界の夜明けを思わす……」


恍惚とした声で、主馬は同意を求める。


「巨大サメが、水中深くから襲って来るような、恐怖心を掻き立てる旋律ですね」


「……変わった感想だね。初めて聞いた」


主馬は呆れた顔をしている。

某有名映画のテーマソングに似ているせいで、あと30年したらこの感想は一般的になるんだからな。




「メアは――アメリアはどこですか?」


主馬の思惑はどうでもいい。俺の望みは、それだけだ。


「……どこに行ったのやら。君と亜夢美の婚約がショックだったらしい。昨日から雲隠れしてしまった。いま蒼森市内を探させているので、じきに見つかるだろう」


ぬけぬけと、(しら)を切る。


「 “かくれんぼの達人“ である俺の勘では、ここの地下二階が怪しいと告げているんですがね」


俺の言葉に、主馬はピクリと眉を上げる。


「……ここは、地下一階までしかないよ」


かまを掛けていると思っているのだろう。彼は(なお)も、とぼける。


「あるじゃないですか。この階の二倍もある、でっかいのが。降りる階段も、それそこに!」


俺は主馬の右手奥にある壁を指さす。明日香に描いてもらった見取図に記された、階段のある場所を。

主馬は『ふぅ』と諦めたような溜息をつく。これは “かま“ とかではないと確信して。


「なんでバレたのかな。地下二階の存在も、ましてや大きさや階段の位置も。今となっては、知る者はいない筈なんだけどね」


聞き捨てならない事を言う。


「殺したんですか?」


ピラミッド建設に関わった者を、墓と一緒に生き埋めにしたように。


「まさか! 私は手を下していないよ。ただ設計や施工に係わる者を、命の灯火が短い奴を選んだだけだよ。そういう事には、鼻が利くんでね。もちろん(おおやけ)の書類は改竄(かいざん)されている。設計者・施工者に口外も禁じた。 “テロに対する備え“ と云う言い訳を添えてね」


蒼森の有力者の要請。著名人が集う事となる館。政情不安の世の中では、やむを得ない事として認められたのだろう。


「それで、君は何処(どこ)でそれを知ったのかな。是非教えて欲しいものだ。教えてくれたらお返しに、一つぐらいは君の知りたい事に答えてあげてもいいよ。君の父上の名に掛けて」


それは、願ってもない提案だった。俺は振り向き、明日香を見る。明日香はコクリと頷いた。この情報は、渡しても問題ないと同意を得た。


「俺の仲間に、蒼森の歴史を調べてる奴がいましてね。そいつが、見たんですよ。設計図とかではなく、写真とかの現物資料を。空襲で焼け落ちた後の “青翠館(せいすいかん)“ のね」


『ああ!』と主馬は腑に落ちた顔をする。


「なるほど。あの小説家のお嬢さんか。ならば道理だな」


彼の表情は、晴れ晴れとしていた。喉に刺さっていた魚の骨が取れたようだった。


「貴方は俺の、 “悠真“ の記憶を見て、その答えは得ていたんじゃないんですか。貴方は、どの位未来の記憶を持っているんですか?」


今後の指針を決めるのに、重大な要素だ。

あの精神世界で、どれだけ情報が引き出されたか、知らなければならない。


「それは、お返しの答えでいいのかな。ならば正直に答えよう。ほとんど、知らん!」


『えっ』と、俺たち三人は顔を見合わす。それは、思ってもみなかった答えだった。


直輝(なおき)さんの名に掛けて、嘘はつかんよ。考えても見たまえ。情報を引き出す時間が、どれだけあった。 “勇哉“ と “悠真“ が合わさったのが14日前。君が殿倉邸に来たのが6日前。その間、どれだけ接触出来たと思っている。絶対的に時間が足らん。テスト前の休み時間に、教科書を見ても全部覚えきれないだろう。ピンポイントで見るか、タイトルを眺める位だ。私が出来たのは、そんな流し読み。それも高校入学直後までしか見れていないよ」


……という事は、『メア登場』は未読なんだな。


「いいんですか、そんな事教えて。その情報は、隠すべき事じゃないんですか」


己の力の限界を、大っぴらにするのは得策ではない。

ブラフは立派な力だ。


「構わんよ、どうせすぐ分かる事だ。戦いの途中でバレて、希望を持たれても困る。ならばこっちから教えた方が、よっぽどダメージは少ない」


厄介だな。冷徹に損切り出来るタイプだ。

必要とあらば、躊躇(ためら)わず自分の手足を切り落とすだろう。



「では、もう一つ質問だ。どうやって “青翠館(せいすいかん)“ に目星を付けた。設計図だけでは確証に欠けるだろう。それに、アメリアがこの館を出て行ったという(デコイ)を撒いておいたんだがな」


これは『どうやって知ったか』というのを確認する目的があるが、『どの様に問題解決をしたのか』『どの様な思考法をしているか』を訊ねる問いでもある。


「お陰で苦労しましたよ。情報を一つずつ精査するのに。この場所を教えてくれたのは、 “五芒星(ごぼうせい)“ です」


殿倉家が行っていた “炊き出し“ 。それを結び、描かれた図形。


「やはりそれか。確かに分かりやすいからな、あれは」


彼は『はぁ』と息を零す。


「なんであんなにバレやすい事をしたんです?」


俺は素朴な疑問をぶつける。


「目的を得る為に、やむを得なかったんだよ。例えバレても仕方がないと思っていた」


「何を得ようと、したんです?」


俺は唾を飲みこむ。多分、彼らの計画の根幹に関わる事だ。


「……質問のお返し、一つ使うよ」


主馬の声は、低く、ゆっくりとなる。


「人の思いは、 “エネルギ“ ーだ。 “熱量“ に変換出来る。しかしそれは効率が悪い。拡散し、霧散する」


オカルトとも、科学とも分からない事を言う。


「けれどもそれに指向性を持たせ、時を同じくして、集中すれば、それは巨大な力となる。それは、祈りでも呪いでも構わない。力が強ければ、ベクトルはどちらでもいい。今夜これから、そういった念が大量に発生する」


蒼森大空襲か!


「死の間際の天国への祈り。この世の地獄を嘆く呪い。そういったものが最後に思い起こす、温かい記憶。美しい少女がひたむきに施す無償の奉仕。その思い出を頼りに、魂は記憶の刻まれた場所に集まり、そこを経由し、 “青翠館(せいすいかん)“ へと向かう。それは、押し上げる力となる。新世界への!」


揺らぎない信念を持って、主馬は叫ぶ。

五芒星の役割が、明らかとなった。


「分かりました。ですが一つ、答えてください」


吐き気がする! だが俺は彼の意見を否定するでもなく、認める訳でもなく、会話を進める。

もはや善悪を語る段階ではない。


「お返しの答えは、終わった筈だが」


主馬は訝しむ表情をする。


「これは、貴方の友――『大道寺(だいどうじ) 直輝(なおき)』の息子としての質問です。父に代わって、お訊きします」


「聞こう!」


父の名を出され、彼に(いな)やはなかった。


「貴方は、『新世界』を創りたいんですか? それとも『新世界』に羽ばたきたいのですか?」


それは、大きな違いだった。

大地の王となるか、天上の神となるか。

人を、どう扱うか。


「それは私にとって、どちらでも良い事だ。目的のみが在る。手段は、知らん」


それは、彼らしくない回答だった。

確固とした信念があり、計画があり、それに沿っているものだと思っていた。


「私はね、ヒトを愛しているんだ。個々人としての人間ではない。 “種“ としての人間をだ」


主馬は続ける。いつか祭壇の前で、父の事を熱く語ったように。


「鋭い牙もなく、力強い(かいな)もなく、天敵に怯え、木の上で隠れるように生きていた存在。だが彼らは、力を得た。 “知“ と云う、限界知らずの力を。そして彼らは地上に降り立った。地の王として」


人類は、内蔵のハードディスクを発展さすのではなく、外付けのハードディスクを開発する方法を選んだ。それは自らの肉体という制約から解き放たれ、無限の進歩を遂げた。


「そして彼らは再び進化する。新たな世界に降り立つ為に。その世界がどこに在ろうと、それはまるで関係ない。問題は、どう在るかなんだ」


肉体からの離脱を更に進め、より思念に近づいて行くのか。

それは確かに天界に登るとも言える。

だが……………………。



「すべてが、新たな世界に行ける訳じゃないですよね」


俺の問いに、主馬はピクリと頬を引き攣らせる。


「置き去られる人も、踏み台にされる人もいる。それは、いいんですか」


疑問とも、非難とも判別出来ない声だった。

言った俺本人が、分かっていなかった。

自分が、何に拘っているのか。



「それは、(あわ)れみかね? (じょう)かね?」


主馬は、つまらなそうに問いかける。興が削がれたと言わんばかりに。


「どっちにしろ、慰めにはなっても、ためにはならん。一瞬の悲しみに目を曇らせ、無限の将来の喜びを捨てるのは、進化を求めた先人への冒涜だ」


そう語る彼の目は、一切の迷いが無かった。


「人の願いが、私を押す。不安も、(そね)みも、この世を呪う全ての感情を、消してくれとの想いが、私を突き動かす。それは根源的に、永遠に、なされなければならない」


信念に基づいた、巡礼の目だった。


「それを思えば死ぬ事など、一時の現象にしかすぎない。瞬間の苦しみに、惑わされてはいけない。呪いながら生きるのは、死ぬより、つらい」


それは慈愛に溢れた声だった。言ってる内容に目を瞑れば……。




第2楽章の主題が流れて来た。

聞き覚えのある旋律だ。

日本語の歌詞が付けられ、愛唱歌として日本人誰もが知っている曲だ。


「『新世界より』と名付けられているが、これはドヴォルザークが故郷(こきょう)『ボヘミア』を想って作った曲だ。ボヘミア音楽が融合され、郷愁の気持ちに溢れている。……みんな、故郷(ふるさと)を捨て切れない」


主馬はさっき迄のドライな口調ではなく、情緒的な語り口となる。


「私にとっての故郷(ふるさと)は、『直輝さん』だよ」


彼は、真っすぐ俺の瞳を見る。


「これは、何があろうと、変わらない」


迷いなく、言い切る。絶対真理のように。


「君も、新たな世界に来て欲しい。そこで、直輝さんの命を繋いで欲しい。絶やさないで欲しい。直輝さんを、消さないで欲しい……」


主馬が椅子から立ち上がり、ゆっくりと近づいて来る。

敵意はまるで感じられない。

彼は俺の手を取り、ぎゅっと握りしめ、懇願する。


「頼むっ!」


心からの、叫びだった。


その叫びは、確かに届いた。

だが、響かなかった。


「それは、出来ません」


俺の答えに、主馬は絶望の顔をする。


「貴方は、三つ間違えています。一つ目は、俺は世界の行く末にまるで興味がないという事」


人類がどんな進化をしようと、好きにしてくれ。俺は俺で生きてゆく。


「二つ目は、俺は父さんの遺伝子の運び屋じゃないという事」


親子と云えども、独立した人間だ。先祖の遺伝子再現が存在意義なんて、未来を生きる意味がない。


「そして三つ目……。貴方はメアを犠牲にした! 騙し討ちの婚約で、彼女の心を傷つけた! メアを集積回路の部品として利用した! 到底、許す訳にはいかない!」


俺の聖域を穢した奴は、許さない!



「是非も無しか……。仕方ない、紬さんにお願いするか」


主馬は俺の手を離し、後ずさりする。



曲が、クライマックスを迎える。

管楽器が、最後の長い和音を鳴らす。

エコーが掛かり、音が暗闇に溶けてゆく。



「では、戦いを始めよう」


主馬が、それまで細めていた目をカッと見開く。

赤い目が、爛々と輝いていた。

精神世界で見た、あの “馬の目“ だった。

『正義の敵は、別の正義だ』、『完璧な正義などない』とはよく言われますが……。やですね、理想のぶつかり合いは。


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