殉教者
「メアはまだ見つからないのか!」
俺はダン! と机を叩く。激情のままに、抑える事が出来ず。
皆の注目が、俺に集まる。
「……すまん。みんなが一生懸命捜していてくれているのは解っている。感謝している。文句を言うつもりもない。けど……駄目なんだ。メアの事を思うと……。自分が、自分じゃなくなる」
怜司の仲間たちは、俺を責めない。
むしろ憐れみを込めた視線で、慰撫するかのようであった。
俺は、焦っていた。
殿倉邸を脱出して、半日が過ぎた。
怜司の隠れ家に潜伏し、報告を待っていた。
メア発見の報を。
昂る心を抑えながら。
甘く見ていた。いずれメアの居場所は分かるだろうと。
最初に怜司に会った時から、メアと静さんの監視はお願いしていた。
脱出までに、居場所を移される可能性があったから。
お陰でメアが青翠館に出向いた事は、把握されていた。
だがそれから先が、行方がぷっつりと途絶えた。
青翠館から先の痕跡が追えないのだ。
出入りする車の内部も、しっかりチェックされていた。
中にはカーテンが引かれ、内部が見えない車もあった。
しかしそれらはどこに向かったか追跡され、その場所にメアがいるか、調査がなされた。
『ノット ファウンド(見つからない)』――それが全ての回答だった。
「お兄ちゃん、少し休んだほうがいいよ。昨日から一睡もしていないんでしょう。そんなんじゃ、いざという時役に立たないよ。休んで体力を蓄えるのも、戦いなんだから」
紬が心配そうな目で、俺の顔を覗き込む。
彼女の顔も目が腫れ、隈が出来ている。
「お前も寝てないんだろう」
「寝てはいないけど、横になって目を閉じた。それだけでも、ちょっとは違うよ」
紬は、無理に笑う。
『お兄ちゃんもそうして』と言う。
ありがとう。
だがそれは、俺にとって休息とはならない。
「……目を閉じると、メアの姿が見えてくる。月光の青い光を浴び、窓の外から『お幸せに』と呼びかける姿が。暗闇の中、俺の裏切りを恨む事なく、俺の幸せを願う哀しい姿が。……拷問の方が……ましだ」
紬は痛ましいものを見る目で、俺を見つめる。
そして腕で俺の頭を抱き締め、胸に押しつける。
「私の心臓の音を聴いて。お母さんの、お腹の中にいるつもりになって。私は、お兄ちゃんを責めない。何があっても、お兄ちゃんの味方。だから、安心して、私の胸の中で、目を瞑って……」
涙声で、かすれながら、紬は訴える。
少し、心が安らいだ。
俺は紬の胸の中で、目を瞑る。
「浜町の別邸には、いませんでした」
「蜆貝町の事務所、もぬけの殻です」
ギスギスした声が飛び交う。
なされる報告は、すべてメアの不在を告げるものだった。
地図に、次々と✕印が記されてゆく。
怜司は唇を噛んでいる。血がうっすらと滲んでいた。
部屋の中は、緊迫していた。
「あれ?」
そんな中、間延びした声があがる。
鈴だった。地図に向かい、トコトコと歩いていた。
鈴は徐にペンを持つ。
俺たち以外には、ペンが宙に浮んでいる様に見える筈だ。
しかし誰も、そんな事を気に留める余裕は無かった。
「ここが浦町駅。亜夢美が炊き出しをしていた所……」
鈴は地図に点を打つ。
「そして他に炊き出しをしていた所が、この四か所。……よくよく考えると、あいつ等が何の意味もなくボランティアをしていたとは思えない。この場所に、何か意味があるはず。例えば人の念を集めるとか……」
鈴の言葉は、何かのお告げに聞こえた。
「そしてこれ等を線で結ぶと……」
地図に、五芒星が現れた。
「そしてこの中央の五角形の中心にあるのが……」
鈴が一点を指差す。
「……青翠館」
俺は思わず声をあげる。
メアは、ここにいるのか。
光が、射した。
「いや、そんな筈はない。青翠館は、真っ先に調べた。徹底的に。地上二階、地下一階、すべて隈なく。だが彼女は、どこにもいなかった」
怜司は反論する。メアがいる可能性が、非常に高い場所だ。言葉通り、あまねく調べたのだろう。言葉に、絶対の自信がこもっていた。
だがその怜司の言葉に、明日香がピクリと反応する。
「ちょっと待って。『地下一階』と言ったわね。地下は二階まである筈でしょう。二階は、調べなかったの?」
『しまった』『なんで確認しなかったんだ』――明日香の貌は、そう物語っていた。
「ううん、アーちゃん。あそこは地下一階だよ。私もあそこには何度か行った事がある。間違いないよ」
紬が明日香の疑問に答える。明日香は『そんな筈はない』と、確信を持って叫ぶ。
「資料で見たのよ。地下は間違いなく、二階だった。一階に比べて二階は広さが倍もあって、異例な構造だと記載されていた」
その目は、絶対の自信に満ちていた。
「青翠館は蒼森大空襲で焼け落ちた。地下も焼失はしたけど、その痕跡は残った。その記録を見たの。こんな感じだった」
明日香はペンを取り、紙に見取り図を描く。
確かにおかしな造りだった。
地下一階は地上一階の半分位で、地下二階は下手したら地上一階よりも広かった。
構造上、不合理だ。
「そして地下二階の床には、こんな模様が描かれていた」
明日香は滑らかな筆致で模様を描く。それは装飾的な模様ではなく、幾何学的な模様だった。
その模様を見た瞬間、鈴の目が光り、叫ぶ。
「これ、集積回路だよ!」
集積回路?
「簡略化されているけど、ほらこれがコンデンサ、こっちがトランジスタ、そっちが抵抗となるところ。その集合体に、酷似している」
鈴の指摘に、明日香は目を皿のようにして、自分の描いた図形を見つめる。
「集積回路なんて、この時代にはまだ無いだろう。そんな概念も」
俺の記憶を盗み見たとしても、それは最近の事。いま、ここに、存在するはずは無い。
だが鈴は、俺の言葉を否定する。
「自然の造形物と、人間による機械工学が類似するのは、よくある事よ。ユマだって、やってるじゃない」
俺が? なにを?
「ユマ、おしっこするでしょ」
何を言いだす、この娘は! そりゃするよ!
「その時、銃と同じ原理を使っているの、知ってる? 銃身の内側には螺旋状の溝があって、弾丸が旋回運動をする事でジャイロ効果を得て、弾軸が安定し、直進性が高まる。これと同じ理論を使って、おしっこを遠くまで、真っすぐ飛ばしているのよ」
下ネタなんだか、物理の授業なのか、よくわかんね――。
そういえば、おしっこは螺旋を描くように飛んでいたっけ。
そんな俺と鈴の会話には目もくれず、明日香はじっと図形を見ていた。
そして口に手を当て、独り言のように声を漏らす。
「言われてみればそうね。確かに似ている。という事は……」
明日香の顔は引き攣る。まるで不都合な真実に気づいたように。
鈴も同じような顔をして、呟く。
「やばいね、こりゃ」
明日香と鈴は顔を見合わせ、ごくっと唾を飲む。
「どういう事だ?」
俺は不安に駆られ、二人に訊ねる。
二人の表情は、硬い。
そして意を決したように、鈴が説明を始める。
「半導体デバイスは、ロジックICとメモリICに分類される。ロジックICは演算や制御を行い、メモリICはデータを記憶する」
おい、まさか。
「これが何らかの集積回路だとしたら、二つの核となるものが必要となる。では、その核とは、なに?」
鈴は『こんな事、言いたくない』というような、つらそうな顔をしている。
「一つは『殿倉 亜夢美』、これは間違いないと思う。では、もう一つは?」
俺はその問いの意味を考える。全身から汗が出て来た。
「『殿倉 主馬』じゃないのか…………」
希望的観測を述べる。最悪の解答を避けるように。
「それは、年齢的な問題で却下。この役割を果たすには、若々しい、修復力に優れた細胞が必要。よって『主馬』は、有り得ない」
鈴は俺の願いを打ち砕く。
「なら、『相馬 聡美』とか…………」
俺はなおも悪足掻きする。
「それは能力的に不可能。しょせん『相馬』は『殿倉』の分家。家系図を見たところ、『殿倉』の血は薄れている。巫女の役割は果たせても、神の一部とはなり得ない」
明日香が冷静に、俺の意見を否定する。
「あなたも、解っているんでしょう。この神の回路に組み込まれるのが、誰なのか。『殿倉』直系の、もう一人の存在を」
そんな筈が無い!
あいつは捨てられた存在だ!
疎まれて生きて来た!
殿倉に尽くす義理はない!
あいつがこんな役割を、引き受ける筈がない!
「私たちは、思い違いをしていたのかもしれない。メアさんは、 “勇哉“ を縛る “鎖“ だと思っていた。でもそうじゃない。メアさん自身が、 “神“ の構成要素だったのよ。むしろ “勇哉“ は、メアさんに言う事を聞かせる為の道具として使われた」
俺の……ためなのか?
俺が、メアの “鎖“ となってしまったのか。
明日香の言葉に、呆然とする。
そんなの、そんなの、――俺の望んでいる事じゃない!
俺は知らないうちに、拳を握り締めていた。
そしてそれは激しい感情に飲まれ、思いっきり壁に打ちつけられる。
壁が、拳が、砕ける音がした。
手から血が、滴り落ちて来た。
鈴がそっと、傷口に手を添える。
「ユマの言いたい事、よくわかるよ。でも、メアさんの気持ちも……わかる」
包み込むような優しい声で、鈴は囁く。
「メアさんの望みは、『勇哉の幸せ』……。それが彼女の絶対正義。それを成し得る為なら、どんな事だって――する。聖地を奪還する、十字軍みたいに」
鈴の例えは的確で、皮肉めいていた。
みんな、それぞれの神に殉じている。
神とは、なんと罪深い存在なのだろう。
救うべき存在が、究極の犠牲を強いる。
「俺の為に、メアはその身を犠牲にすると言うのか……」
やり切れない気持ちで、心が軋んだ。
「そう諭されて、騙されて、といった所でしょうね。あなたと亜夢美のラブシーンを見せられて、冷静な判断力があったとは思えない。悪魔が囁くのは、いつだって心が弱った時よ」
明日香の説明は、真実に思えた。
怒りが、こみ上げてきた。
悪辣な殿倉の連中に。
迂闊な俺に。
炎が、身を焦がす。
「大人しく、『はい、そうですか』と受け入れる訳じゃないんでしょう?」
そんな俺の様子を見ながら、明日香が俺の額をピンと弾く。
風が、吹いた。
炎が、流れた。
身を焦がしていた炎が俺の背後に廻り、前に進む力となる。
「当たり前だ! 文句を言ってやる。殿倉の連中にも、メアにも!」
俺の前に、道は拓けた。
「その意気! さっさと行くわよ。時間はない! 歴史通りなら、今夜『青翠館』は焼け落ちる――」
タイムリミット付きの “姫君救出クエスト“ か。――上等だ!
“ドラゴン“ でも “神さま“ でも、かかってこい!
俺は、聖なるものを奪い返す!
見てろよ、神さま。
世の中思い通りにいかないって事、教えてやる!
人を想い行動する事が、その人の意に添わない事は多々あります。……難しいですね。
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