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一歩一歩、階段を降りて行く。静さんの重さを、温かさを感じながら。

母を背負う。こんな機会は、これが最後かもしれない。

静さんは、長くはないかもしれない。そして何より俺自身が、何時まで存在出来るか分からない。


人は後になって、『ああ、あの時が幸せだったんだ』と思い返す。

その幸せが、逆境の中にあろうと関係ない。

いや凍てつく吹雪の中に在るからこそ、暖炉の火は尊いのかもしれない。


俺は小さな幸せを噛みしめる。




「静さん! 大丈夫? 怪我してない? 気分悪くない?」


階下から、紬が心配そうに呼びかける。

紬にとって静さんは、俺以上に母親だ。

生まれてすぐ実母に死に別れた紬にとって、静さんは唯一の、思い出を紡ぎ合った母親だ。


「大丈夫よ。とっても晴れ晴れとした気分。子どもの小学校入学式を見てるみたいな」


紬が入口を守る姿を見て、静さんはそう答える。

我が子の成長を喜ぶように。


「でも今ちょっと、複雑な気分になった。子どもの部屋でエロ本を見つけた時みたいな、成長が嬉しいような悲しいような、何とも言えない気分」


何の事だろう? 俺は静さんの視線の先を見る。

そこには先程失神させた、二人の警備員がいた。

意識を取り戻して暴れないように、縄で縛られていた。

……亀甲縛り(きっこうしばり)で。

おいっ!


「……その縛り方、誰に教わったの? お兄ちゃん?」


静さんの声が、吹雪のように冷たかった。

しがみ付けられていた腕が、俺の首を絞める。

冤罪です! 俺じゃありません! そんな性癖はありません!

母親に “そういう事“ を見つかったような、この世の地獄を味わった。


「ううん。お兄ちゃんじゃないよ。お兄ちゃんの “友達“ のアーちゃん。凄いんだよ、何でも知っているんだから」


明日香がさっと顔を逸らす。『しまった』という顔をしている。

どういう意味なのかな、それ。

『つい間違えて、小説で取材した知識を出してしまった』という意味なのかな?

『やっちまった、性癖がバレた』という意味なのかな?

……願わくは前者でありますように。


「友達は、選ぶように。まあ趣味嗜好は人それぞれだから、とやかく言わないけど、それでもそういう事を大っぴらにするは、どうかと思う」


静さんの言う事は、もっともである。

明日香はうずくまり、膝を抱え、うなだれる。

そんな明日香の背中を、鈴はポンポンと叩き、『ドンマイ』と慰めていた。






「あっちだ――。あっちにも倉があるぞ――」


そんな叫び声と、大勢の足音が聴こえて来た。

この “八の倉“ は正門から一番遠い。

乱入して来た民衆が、遂にここまで押し寄せて来た。

殿倉の警備を機能不全にするという事で、これまでは俺たちにとって歓迎すべき事態だった。

だがここまで到達されると、こちらの身も危うい。

“殿倉の関係者“ と見做されると、敵意を向けられる恐れがある。

早く脱出しなければならない。

俺は紬に目くばせする。


「行きます! しっかり摑まってて下さい」


担いでいた静さんを降ろし、用意していた “布担架“ に乗せる。

俺と紬は、『よいしょっ』とそれを担ぎ上げる。

急いで倉を出て、外の茂みに隠れる。

間髪を入れず、民衆が倉になだれ込んで来た。

靴音と、物が倒される音が響く。

恐らく目ぼしい物を強奪してゆくのだろう。

俺たちは機会を窺う。



押し寄せた民衆が、リヤカーやら戸板やら、思い思いの物を使って物資を運び出していた。

戦利品を得た彼らは、打ち破った正門へと向かう。


「よしっ。こいつらに紛れて逃げるぞ」


俺たちは茂みから飛び出し、人波に紛れる。このまま脱出だ!



川が平地を流れるが如く、人の波は泡立つことなくサラサラと流れて行く。

正門まで、阻むものは無かった。

正門の向こうに、眩しい光が射していた。

きっとあれは、希望の光だ。




「ええい、鎮まれ、鎮まれ! 逆らう者は、しょっ引くぞ!」


高圧的な態度の集団が、門の外に陣取っていた。

煌々とライトを灯し、獲物を照らし出していた。

軍服を着て、白地に赤字で『憲兵』と書かれた腕章を巻いている。

彼らは門の外を半円形に囲み、屋鋪を封鎖していた。


「やっぱりそんなに甘くないか……」


俺は思わず零す。


「甘くはないけど、不味(まず)くはないよ。味付け次第で、どーにでもなる!」


鈴が目の上に手をかざし、周りを見渡しながらニカッと笑う。


「鈴の言う通り! 料理の決め手は、下ごしらえにあり。塩もみ、アク抜き、切れ目入れ……。こちらの準備は万全よ」


明日香が腕を組み、自信満々に言い放つ。


「来るのが遅かったわね。有力者の屋敷が襲われたら、10分以内に駆け付けなきゃ。襲撃から、もう20分経った。恐らくあの花火で、殿倉の意図を測りかね、まごまごしている内に時間を浪費したんでしょうね。権力者が気を遣わせすぎて、それによって自滅するというのは、よくある話」


明日香の見立ては正しい。

もし憲兵隊の到着があと10分早ければ、俺たちは屋敷内に閉じ込められていただろう。

時間が、勝敗を分けた。


俺たちはもう、屋敷の外に出ている。

あとはこの包囲網を抜け、怜司たちと合流するだけだ。

脱出まで、後一歩の所に俺たちは来ていた。



「第一目標『大道寺 勇哉』氏。第二目標『大道寺 紬』嬢。第三目標『殿倉 静』氏。この三名は屋敷から出すな。自ら出ようとしていても、それは脅されての事。必ず保護しろ。多少の怪我させても構わん!」


憲兵隊の指揮官の指令が飛ぶ。兵は陣形を整え始める。


『保護しろ』と『怪我させても構わん』が、思いっきり矛盾しているんですけど。

まあ、そこは『殿倉』の息がかかった組織。見て見ぬふりだろう。

明らかに『保護』ではなく『捕縛』である。


よく見ると、通りの向こうも封鎖されている。袋の鼠だな、こりゃ。

ただこの鼠、爪を持っています。袋も、ぺらぺらです。


「見よ、我が軍の規律正しさを。……美しい! 神が描きし至高の文様(もんよう)。力強さを備えた機能美。美は力なり!」


指揮官は、恍惚とした表情で陣形を眺める。

その瞳は、絶対の自信に満ちていた。


「この国難の時に、世を騒がす不届き者! 私心を捨て、公儀に尽くす我が軍に敵うはずもなし! 討って忠君愛国の(いしずえ)となす!」


その目は、狭かった。

ひとつの正義しか視野になく、浅狭(せんきょう)で、滑稽だった。

武装し、千軍万馬であろうと、怖くはなかった。

彼の軍が展開出来る世界は、小さい。



一旦静さんを地面に降ろし、俺一人で少し離れた場所に移動する。

そして人影に隠れ、懐から呼子笛(よびこぶえ)を取り出す。

そしてそれを口に咥え、息を吐き出した。

ピィーという笛の()が鳴る。

目的を達した俺は、素早くその場から去る。



「あっちだ。笛の音がした場所を調べろ!」


それは、悪手だった。もうそこには俺はいない。そしてそこに居た人たちは、一目散に逃げ出す。

混乱が生じた。人の流れが出来た。そしてその流れは、鎮圧しようとする兵を阻む。


「ええい。邪魔する奴は、国賊としてひっ捕らえるぞ!」


指揮官の怒号が飛ぶ。……馬鹿だ。

混乱の度合いが、一層深まる。

そりゃ誰だって捕まりたくない。民衆が無秩序に、てんで違う方向に逃げ出す。

ピンボールが弾けるように、人の流れは目まぐるしく変わる。


屋敷は、真っ赤に燃えている。

火の熱が、肌を刺す。

みな我先にと、逃げ出そうとしていた。



その混迷の中、似つかわしくない篠笛(しのぶえ)の音が鳴り響いて来た。

祭囃子のような、軽快な音楽だった。

その音は、何らかの意思を持っていた。


「東門が破られたぞー。暴徒がそこから侵入して来たー」


笛の音がする方向から、そんな叫び声が聞こえて来た。

指揮官は『チッ』と舌打ちする。


「第10小隊から第12小隊は東門に向かえ。そして手引きしている仲間達を捕らえよ!」


大声で指示を出し、3小隊を投入する。



「愚かな。狙いが見え透いている。どちらに逃げようと、問題ではない。脱出経路が複数あり、あの音がその誘導だとしても、両方とも塞いでやる」


指揮官は見下すような声を吐く。

しかしその声は、新たな音でかき消される。

今度は南から、トランペットの音が流れて来た。『南の門が破られた』との叫びも聞こえて来た。

指揮官は冷静に、第7小隊から第9小隊を遣わす。


「小細工をしても、所詮は子どもの浅知恵。自分達に分かる合図は、敵にも分ると云う事を、まるで理解していない。情報は、相手に悟られないように流す物なのですよ、『大道寺(だいどうじ)』の若君」


司令官は、勝ち誇った顔をする。

その(げん)は、正しい。

だがあんたは、間違っている。


西からフルートの音が流れて来た。北から太鼓の音が響いて来た。北東からも……。南西からも……。

周囲は色々な音に包まれる。

火事を知らせる半鐘の音。崩れ落ちる木の音。金属やプラスチックを叩きつけるような音。

雑多な音が混じり合い、混沌としていた。

指揮官は、顔を顰める。


「つまらん真似を……。私がこれ以上人員を()いて、兵力を分散さすと思っているのか。そんな愚策は取らん。どの方向に逃げようと、包囲網を敷き、捕らえればいい。万一取り逃がしたとしても、逃げた方向の音源に行けば良い」


指揮官は通りの角ごとに兵を配置し、検問体制をとる。そして順繰り人混みを掻き分け、俺たちを探す。


「こうすれば、逃すことなく(いず)れ辿り着く。遅いか早いかの問題だ。さあ、無駄な足掻きは止め、さっさと出て来なさい。将棋でも囲碁でも、勝ち目が無くなれば投了するものです。それが武士の(いさぎよ)さ。偉大なご先祖に、恥かしくないのですか」


勝ち誇った顔で、鼻息荒くがなり立てる。

恥ずかしくないのかな? こんなに自信満々に言って、もし逃げられでもしたら。

俺は他人事ながら、心配になった。


「さあ。あんな馬鹿は放っておいて、さっさと行くわよ」


こういう所は、明日香はドライだ。微塵も同情しない。


「せっかくのハイウェイ、突っ走るわよ!」


俺たちは静さんを神輿のように担ぎ、定められた道に向かった。

北北西に針路を取る。それは、舗装された脱出路だった。


「あら、ごめんなさい、兵隊さん。人混みに押されて、前に飛び出してしまって」


若く美しい女性が、軍列の前を塞ぐ。いかにも申し訳なさそうに。


「日頃より、お国をお守り頂いている兵隊さんには感謝しています。これで精をつけてください」


女性は紙包みに(くる)んだおはぎを手渡す。

色気と食い気。二大物欲の誘惑に、兵たちは思わず足を止める。


『足を挫いてしまって』――老婆が道を塞ぎ、(うずくま)る。

『おっとうー! おっかあー!』――小さな子どもが道で泣きじゃくり、行軍に立ちはだかる。


あちこちに、ブービートラップが仕掛けられていた。

人の情に訴えかける、悪質な罠が。

敵が “正義“ を名乗る以上、無視するのは難しい。

その罠により敵が排斥された道を、俺たちは進む。


「性格悪いわね、こんな罠を考える奴」


明日香が俺を睨みつける。

好きに言ってくれ。

隙を見せる奴が、悪いんだ。

本音と建前。いい恰好して、両方を掴もうとするから、こうなる。



俺は導きに従い、包囲網を抜ける。

見えない糸が、伸びていた。

俺たちを(いざな)う、救いの糸が。


力強く、熱く、激しく、呼びかけていた。

『こちらに来い!』と語りかけていた。

その声は揺らぎながら、真っすぐ心に届いて来た。


その源流に、俺たちは辿り着く。

そこには、汗を流しながら、ステックでバケツを叩く男がいた。

怜司は息を切らせながら問いかける。


「スウィングしてました? 僕のバケツドラム」


“スウィング“ ――音符の長さが等間隔でなく、長短の差をつけ、 “揺らぎ“ “うねり“ を生む演奏法。

それは演奏者の色が顕れ、その音を出しているのが誰か、俺に教えてくれた。


「人の得意技をパクリやがって。お前のリズムがこびり付いて、当分演奏出来ねえよ」


多分いまドラムを叩いたら、怜司のリズムに飲み込まれるだろう。

そのぐらい、心に刻まれた。


「『ざまあみろ』です。こっちは貴方のお陰で、演奏する気にならない程、へとへとなんですからね」


してやったりと云う顔を、怜司はする。満足そうに。


「今回の恨み節、たっぷりと聞いて貰います」


こんなもんじゃ、終わらせないぞ。そんな顔をしていた。


「フルコーラスは、勘弁な」


俺は武士の情けを要求する。


「甘い! ワンコーラスでは、終わらせませんよ」


怜司は、譲る気はまったく無い。


「落ち着いたら、リピート再生で聞いてやるから、今は待ってくれ」


せめてもの猶予を願い出る。


「リピート再生?」


怜司は訝し気な表情を浮べる。

ああそうか。その概念は、今はまだ存在しないんだよな。


「繰り返し、何度も、永遠に、同じ音楽を流すって事だよ」


怜司は『はあ』と、呆れた顔をする。


「それ、 “無間地獄“ の一種ですか?」


なんでそんな苦行をするんだ、物好きな。怜司の目はそう語っていた。


「その音に “愛“ が込められていたら、 “天上の調べ“ なんだがな」


もしメアの恨み言なら、俺は一晩中でも聞いているだろう。

『ばか……』と、はにかみながら言う言葉を噛みしめながら、何度でも。


「『天国も地獄も、紙一重』と云う事ですか?」


怜司は意図を測りかねるように、訊いて来る。


「『住む人次第』と云う事だよ」


何を言うかじゃない。誰が言うかだ。

言う人、言われる人、その間に『愛はあるか?』だ。




俺は今から、その『愛』を取り戻す。

命より大切な、宝物を。

ようやっと、脱出完了です。これから悠真たちの逆襲が始まります。


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