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親鳥

殿倉邸は、混乱の坩堝(るつぼ)と化していた。


上空に、敵機が飛び()っている。

門が破られ、民衆が乱入して来る。


その乱入者の多くは略奪をしている。しかし一部は『助けに来たぞー』とのたまい、消火活動をしている。誠にもって、始末に悪い。明確な敵・味方という物は存在しないが、ここまで振り幅が大きいと、どう対応したらいいか、判断に困る。


邸内は、混迷の度合いを強めてゆく。

俺たちはそれに乗じ、目的地へと向かう。




「見張りは、二人だけみたいだな」


“八の倉“ の入口には、武装した警備員がいた。


「よっし。あいつ等は、私たちにまかせて!」


鈴はそう言い、明日香を連れて敵へと向かう。

そして二人は肘関節の内側を、見張りの(あご)の先に引っ掛け、頸動脈を挟み、絞める。


「 “幻視(インヴィジブル)抱擁(エンブレイス)“ 。死神の鎌から、逃れる術はない!」


鈴がまた病気を発症させる。

技名は大層だが、やっているのは裸締め(スリーパーホールド)だ。


「お兄ちゃん、先に行って。ここは私たちが抑えておく!」


紬が入口に陣取り、外を向く。

仮にも『大道寺の令嬢』なら、新手が来ても無理に押しのける事は出来ない。


「頼んだ! すぐ帰って来る!」


俺は振り向かず返事をし、奥へと進む。

やっている事は別でも、目的は一緒だ。



暗い、かび臭い場所だった。

木の床を音を立て、俺は走る。

階段を二段飛ばしで進む。

どんなに飛ばしても、()く気持ちには追いつけない。

俺は一気に三階まで駆け上がる。

ハアハアと息を切らし、最上階まで辿り着いた。



「…………勇哉」


そこに、求めていた人がいた。

紬、メア、そしてこの人が、俺の家族だ。


「静さん、助けに来ました。急いで。すぐ脱出しましょう!」


俺は何かに追い立てられるように、まくし立てた。

自分でも、意外だった。自分は、冷静だと思っていた。自分の強さを、信じていた。

だが、脆かった。弱かった。青かった。


静さんを見た瞬間、メッキが、虚勢が剝がれた。

剥き出しになった感情は、親鳥を慕う雛のそれだった。


静さんは、痩せこけていた。

躰が、顔が、ではない。魂が、である。


五日前に別れた時には、その顔には生気があった。

頬は痩せこけてはいたが、目には輝きがあった。

だが今その目は曇り、(よど)み、光は届かず、絶望が沈殿していた。



「あの騒ぎは、あなたがしたの?」


いたずらを咎めるように、彼女は問い掛けてきた。

子どもを導く、親みたいに。


「はい。でも死者や怪我人は出ない様にしています。この騒ぎも長くは続きません。今の内です。急いでここを脱出します」


最小限の状況説明と、取るべき行動を明示する。


「……アメリアは、ここにはいないわよ」


彼女は少しも慌てず、落ち着いた口調で語りかける。


「知っています。メアのことは、後で考えます。今は、静さんの脱出が先決です」


焦燥が、じりじりとこの身を焼く。苛立ちが、言葉の端々に表れていた。

そんな俺を、静さんは少しも不快感を示さず、むしろ憐れむような目で見つめる。



「私は、逃げるべきなのかしら?」


今さらの事を言ってきた。

飛鳥山で、この脱出には同意していた筈ではないか。


「勇哉、亜夢美さんと婚約したんでしょう」


とんでもない事を言ってきた。認識に齟齬がある。


「違います! それは間違いです! 騙されたんです! 亜夢美がメアに化けていたんです!」


俺は慌てて否定する。とんでもない誤解だ。明日香は説明してなかったのか。


「うん。それはあの幽霊の彼女から聞いた。でもね、私が言いたいのはそういう事じゃないの。勇哉は公衆の面前で愛を誓い、二人は婚約したのよね。それは、客観的事実よね」


『うっ』と俺は言葉を詰まらす。酒に飲まれて、意識不明のうちに過ちを犯した浮気男みたいに。


「そしてそれを見たアメリアは、身を引いた、二人を祝福した。……間違いないわね」


『うううっ』と俺は絶句する。それが答えだった。


「私がここを貴方と一緒に逃げるのは、あの子の意思に反さないのかしら?」


とんでもない伏兵が潜んでいた。これは、想定外だった。

この脱出劇最大の難敵は、静さんだった。



「貴方があの子を愛してるとか、亜夢美さんに対してそんな気が無いとかは、問題じゃないの。問題は、あの子の気持ちなの」


メアの……気持ち?


「なんであの子が貴方たちを祝福したか、わかる? あの子の望みが、『勇哉の幸せ』だからよ」


俺の……しあわせ?


「あの子は先を見過ぎるの。この幸せの先に、絶望の崖はないか。この苦しみの先に、楽園が待っていないか。いつも思いを馳せている」


静さんの瞳は、愁いに満ちている。哀れみが溢れている。


「あの子の想像力は、大したもんよ。多分貴方が騙されている可能性も、思い至っていたはず」


ならば何故、身を引いた。


「それでも身を引き、祝福したのは、それが貴方の『幸せ』だと思ったからじゃないかしら。ひいてはあの子の『幸せ』に……。今は辛くても、未来の『幸せ』になると信じて」


静さんの言いたい事は、理解した。だが、納得できなかった。


「そんな『幸せ』ありますか! それのどこに、メアの『幸せ』があると言うんです!」


猛然と、反論した。


「あの子が『嬉しい』とか『幸せ』とかを感じる判断基準が何か、知っている?」


静さんが、哀しい顔で問い掛ける。


「自分の大切な人が『嬉しい』、『幸せ』と思うかどうかなの。そこに、あの子主体の心はないの」


痛ましいものを語るように、震えながら喋る。


「幼い頃は、そうじゃなかった。あの子、我が儘だったのよ。『なんで、お父さんがいないの?』『なんで、こんな不味い物を食べなくちゃいけないの?』『なんで私の髪は、お母さんみたいに黒くないの?』 なんで、なんで、なんで……。いつもそう言って怒り狂い、困らせてた」


俺はその事をメアから聞いていた。その時の、(おのれ)を呪うような彼女の顔が、忘れられない。


「怒った後、あの子はいつも謝ってきた。『ごめんなさい。あんな事を言って。でもどうしても抑えられなかったの。グツグツする熱いモノが胸から突き上げて来て、それが吹き出さないように首で栓をして、それでも頭がカッカッと煮えたぎって、言わずにいられなかったの。……ごめんなさい。嫌わないで』――そう言って、謝ってきた。まるで何かに怯えるように」


それは、見捨てられる事が、孤独になる事が、一人っきりなるのが怖ろしかったのだろう。

俺は思い出す。初めて会った雪山での夜、『わたし、お母さんが死んだら、生きていけない』――そう言って震えていた彼女を。


「でも怒りを表すうちは、まだマシだった。その内、そんな感情を見せなくなった」


静さんは拳を握り締め、唇を噛み、苦しそうに言う。


「私の……せいなの」


本当に、つらそうだった。


「あの子が9歳の頃だった。私はそれまでの無理が祟り、病気がちになり、思う様に動けなくなった。殿倉から最低限の支援はあり、食料や薬は貰う事は出来た。けど配給は頻繁にある訳ではなく、保存食が主だった。あの子はそれを良しとせず、新鮮な魚を網で捕まえ、小鳥を『エサを(ついば)むと首が締まる罠』で捕まえ、とうとうイノシシやシカを『くくり罠』で捕まえるまでに到った。あなたに会う頃には、いっぱしの “猟師“ になっていたわ。捕まえるだけではなく、(さば)く事も、皮を(なめ)す事も出来るようになっていた。……12歳の女の子がよ、異常でしょう」


確かにあの頃のメアは、『山の民』と云った感じだった。


「あの子の望みは、『お母さんに新鮮な、滋養のある物を食べさせたい』――それだけだったの。あの子の “嬉しい“ の基準は、『お母さんがどれだけ美味しい物を食べたか』、『お母さんの病気がどれだけ良くなったか』、それがバロメーターとなってしまった。……私の、せいなの。あの子が自分の幸せに、関心を示さなくなったのは」


それは美しく哀しい、思いやりだった。

主人に尽くす事だけをインプットされた、アンドロイドみたいだった。


「あの子は、いまも一緒よ。あの頃のまま。大事な人の気持ちばっかり考えて、自分の事はお構いなし。……あの子が帰ってこないのは、怒っているとか、傷心しているとかじゃないと、思う。あなたの事を考えて、ここに帰らなかったんだと、思う」


静さんの目は、哀しそうだった。


「私がここを逃げるのは、あの子の意思に沿う事なのかしら。あの子の邪魔にならないのかしら」


在り方を、問うてきた。


「解りません。……何故メアが、帰らなかったか。でも、これだけは分かります。あいつは、俺の幸せを望んでいます」


『うん』と静さんは頷く。

こっからだ。こっから先が、大切だ。

俺はゴクッと唾を飲む。


「そして俺の幸せは、メアと静さんなしでは成り立たちません。これは、絶対条件です。定理です。法則です!」


共依存かもしれない。それでも、構わない。


「俺の幸せの為に、ひいてはメアの幸せの為に、一緒に逃げて下さい。俺の幸せの(いしずえ)と、なって下さい。俺の我が儘を、聞いて下さい!」


静さんは、呆れたような顔をしていた。駄々っ子を見るような目をしていた。


「……随分と、エゴイスティックな口説き文句ね」


彼女の声は、少し明るくなっていた。


「育ての義母(はは)が、そういう人だったんで」


義母は、俺の額をピンっと指で弾く。


「言うようになったわね、あのガキんちょが」


彼女は目を細める。


「私も年を取る訳だ。『老いては子に従え』か――」


「静さん、まだ30代でしょ。世の女性に喧嘩を売る台詞ですよ、それ」


「なーに。この調子なら、孫の顔を見るのも近そうだしね。すぐにお婆ちゃんだよ、私も」


静さんは、すっと俺に腕を伸ばす。


「さあ、義息子(むすこ)よ。義母(はは)をおぶって、連れてっておくれ。親孝行を、させてやろう」


いかにも静さんらしい言い方だ。俺はクスッと笑い、彼女に背を向ける。


「ありがたく、功徳(くどく)を積ませて頂きます。母さん!」


背中越しに、母さんのすすり泣く声が聴こえた。

俺たちを愛し、(はぐく)んでくれた、親鳥の声だった。

(ひな)を自分の羽で包み、守り、羽包(はくく)み育てた、親鳥の鳴き声だった。

雛は、自分だけでは育つ事は出来ない。

親鳥に抱かれ、その温かさに触れなければ、体温を失い、死んでしまう。

俺は自分たちを育ててくれたその温かさを、いま背中に感じていた。


「『重い』とか言ったら、ぶっ殺すからね」


彼女は軽口を叩く。


「重いですよ」


「おいっ!」


青筋立てて、本気で怒る。大人気ない。


「俺の命では(あがな)えない位に、あなたの命は途轍(とてつ)もなく……重い」


静さんは、しんと黙り込む。

数舜の沈黙の後、彼女は重い口を開く。


「ひとつだけ、言っておく。『最大の親不孝』はね、『親より先に死ぬ』ことよ。この先短い私より、先に死んだら、ただじゃ置かないからね」


言い聞かすように、愛情あふれる声で、彼女は語る。


「あなたもメアも、自分というものに、ぞんざい過ぎる。もっと自分を大切にして。そんな姿を見せつけられるのは、つらい。……親として」


懇願するような、切ない声だった。


「親不孝は、しないでね…………」


魂の叫びだった。

本能ともいえるものだった。

擬傷行為をする、親鳥の姿が目に浮かぶ。


そんな奴ばっかりだ。あなたも、メアも、……そして俺も。



俺は母を背負い、階段を降りて行く。

おもいを噛みしめ、責任を痛感し、この道を進んで行く。

安易に死ぬ事も出来ない、この優しく厳しい道を。

ついに大台の100話まで来ました。途中何度も筆が進まず、挫けそうになりました。ですが皆さまの応援で、ここまで辿り着けました。ありがとうございます。


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