ナイトメア
俺は、嫌われている。
クラスの女子に、これでもかというぐらいに。
夢のような高校生活を送るつもりだったのに、ナイトメアにうなされる高校生活を送っていた。
だが俺は甘かった。まだ理解していなかった。
真のナイトメアというものはどういうものかを。
俺はこれからそれを、嫌というほど味わうことになる。
「話しかけないで」「気持ち悪い」「なにこっち見てんの、キモイ」「同じ電車に乗るなんて、ストーカー?」「使えないわね」
俺は脂汗を流しながら、いつもの悪夢に苦しんでいた。
いや夢ではない。すべて現実で起きたことのフラッシュバックだ。
高校に入学してこの一か月で聞かされた台詞だ。
一生分の悪口を、この一か月で魂に刻まれるレベルで聞かされた。
夢見は浅く、一時間ごとに目が覚める。
正直眠りたくない。待っているのは悪夢なのだから。
だが身体が、脳が、休息を求め、眠りへと追い立てる。
何でこんな事になったのかな。
何千回と繰り返した質問を、今日もまた繰り返す。
「夢宮くん、夢宮くん」
寝ている俺の耳元で、消え入るような小さな声で呼ぶ声がする。
高く、澄んだ、ガラスをはじいたような、女性の声だった。
俺は驚愕した。
これが教室や電車の中ならまだわかる。だがここは俺の部屋だ。
俺には朝起こしにきてくれる幼なじみも、可愛い女友達もいない。
なにしろ俺はクラス中の女子から嫌われているのだから。
唯一の可能性のある妹はこんな可愛い声じゃないし、苗字で呼ぶ事はあり得ない。
「起きて、夢宮くん」
暗闇の中、意を決して目を開ける。
ぼんやりとした輪郭が現れてくる。
仰向けに眠る俺の上に、裸の女性が覆いかぶさっていた。
薄明りに浮かぶ顔は、玲瓏たる月の如く暗闇に冴え冴えと輝いている。くっきりとした輪郭に涼やかな瞳を内包し、情熱的な紅い唇を添えていた。いわゆる高雅な美という物がそこに存在した。
「そんなにじっと見詰められると、恥ずかしい……」
琴の音のように、凛と高く響く声だった。
その澄んだ瞳に視線を合わすのに気後れし、思わず目を逸らす。
すると、とんでもない物が目に入って来る。
そこにはふっくらと、反り上がった張りのある乳房が鎮座していた。
街灯に引き込まれる蛾のように、俺の目は吸い付けられる。
「……えっち」
甘い吐息のような声が漏れる。
いかん、やっちまった。俺は心で舌打ちする。
「ごめん、そんなつもりじゃ……」
何の意味も成さない言い訳をする。
仕方ないじゃないか。これは男の本能だ。
胸に吸い付けられていた視線を下げ、批判を躱そうとする。
だが途中で待てよと思う。これ、余計悪化してないか。
胸はともかく、下半身は駄目だろう。
心の警鐘がカンカンと鳴る。だが視線は止まってくれない。
後悔半分、期待半分で俺は視線を動かした。
だがそこにあったのは、後悔でも期待でも無かった。
「なんじゃ、これは――――」
俺は絶叫した。
そこにあったのは、驚愕だった。
正確に言うと、そこには何も無かった。
そう、何もないのだ。
彼女は腰から下が存在しなかった。
俺のパンツからニョッキリ上半身が生えているのだ。
どこぞの有名ホラーでビデオデッキから這出るように、彼女は俺のパンツから這出て来ていた。
「なんじゃ、それは――――」
思わずセルフツッコミが入る。
ホラーのはずなのに、こんな状況では恐怖心が微塵もない。
そんな俺を見て、彼女は周りの空気が暖かくなるような、ほんわりとした笑顔を浮かべる。
ちくしょう、可愛いじゃねえか。
えーと、こいつは幽霊で、美少女で、下半身が無くて、おっぱいが大きくて……。
一体なににカテゴライズすりゃいいんだ。俺は途方に暮れる。
静寂が支配する部屋に、ドタドタとした足音が近づいて来る。
バンとノックも無しでドアが開く。
「お兄ちゃん、うるさい!何時だと思っているの。静かに――――」
突然の乱入者は、隣の部屋の妹だ。
怒りの形相で入って来たが、ベッドの上を見て固まってしまう。
妹よ助けてくれ。お前の兄は今、悪霊に襲われている。
そう口にしようとするが、金縛りにあったように声が出ない。
だが聡明なる妹よ、分かるだろう。この異常な状況を。
この女は下半身が無いのだ。こんな事あり得ないだろう。
期待を込めて妹を見つめる。
「そ、そっか――。お兄ちゃんも彼女が出来たんだね。やるじゃん、親のいない時に連れ込むなんて」
馬鹿野郎。てめえの目はどこに付いてやがる。
そう抗議の視線を投げかけるが、入り口の鏡が目に入る。
そこに写るのは、仰向けになった俺とそれに跨る彼女。俺の腰から下は、シーツに覆われて隠れている。
Nooooo――――――――。どう見ても、対面騎〇位じゃねえか。
妹は顔を赤らめ部屋を出て行く。
妹よ、よく見ろ。シーツの膨らみが不自然だろ。
俺は心で叫ぶ。
ドタドタとした足音が再び近づいて来る。
でかした、妹よ。不自然さに気づき、助けに来てくれたのだな。
希望のドアが開く。
「はい、これ差し入れ。足りなくなったら使ってね」
満面の笑顔で小箱を入り口に置く。
箱には『う〇〇す』と書かれている。
いらん気遣いするな!大体なんでお前がそんな物持っていやがる。
「私、友達の家に泊まるね。後はお二人でごゆっくり。あ、これは貸しひとつだからね。今度彼氏を呼ぶ時は協力ヨロ~」
ふざけんな、このビッチ!
バタバタと階段を降りる音がする。
調子っぱずれの『春が来た』が聴こえて来る。
バタンと玄関が閉まる音がし、静寂が訪れた。
残されたのは俺と彼女だけ。オー・マイ・ゴッド。
「妹さん、明るい方ね」
クスクスと笑いながら彼女は話す。
「いい加減、降りてくれないか。色々と、クルものがある」
ようやっと声が出た。身体はまだ動かないが、顔の麻痺は無くなったようだ。
「興奮……する?」
俺はぷいと顔を横に向ける。
興奮しない訳、ないじゃないか。
「そうだよね。このままじゃお話もままならないよね。よいしょっと」
彼女は上にずり上がってゆく。
両手を俺の腕の外に置き、這うようにずり上がってゆく。
いきおい体勢は低くなり、当然そうなると……。
「当たっている、当たっている。何かとは言わんが当たっている!」
俺は悲鳴をあげる。
何か丸く尖った二つのモノが、俺の胸から首に登ってゆく。
やばい、このままでは口に到達する。
俺は口を閉じ、ついでに目も閉じた。
だが、これはよろしくなかった。
一つの感覚を閉じると、他の感覚が鋭敏になると云う。
視覚を閉じる事で、俺の触覚がフルスロットルとなった。
二つのプチプチを、全神経が捉える。
いかん、フルバーストしそうだ。
俺は自分の下半身の手綱を握る。
そこでおかしな事に気付く。
俺のおへその辺りに、何かを感じるのだ。
ジョリジョリしたゴワゴワした何かを。
位置的にはここには何も無かったはずだ。
まさか――。俺は目を見開く。
俺の目に信じられないモノが飛び込んで来た。
俺のパンツから、彼女のお尻がうんしょうんしょと出て来ているのだ。
お尻が上にあるという事は、さっきの感覚はアレか――。
「ふうっ、やっと出れた。改めまして、今晩は夢宮くん。あなたに会いに来ちゃいました」
『てへっ』という効果音が聴こえてくるような笑顔が零れる。
月光を浴びて輝く長い金髪は、神秘じみた光沢を帯び、背中いっぱいに溢れるほど広がっている。
碧く冴えた瞳は、深い洞窟で輝く湖月のように、犯しがたい清らかさを放っていた。
投げだされた長い脚は、なめらかで、鞭のようなしなやかさを併せ持っていた。
あらゆる魅力を詰め込んだ、完璧な美少女がそこにいた。
この世の者とは思えぬ美貌に。俺は気圧される。
「お前は……何者だ。なにしに来やがっだ」
魔に魅入られそうな気持ちを抑え、必死に言葉を紡ぐ。
彼女はニコッと、天使だか悪魔だか分からぬ笑顔を浮かべる。
「そんな恐い顔しないで。仲良くしましょ。別に憑りついたり、呪い殺そうとかじゃないから」
彼女は涼やかな薄い唇をにっと上げ、澄んだ声で語る。
「私の目的は、あなたにとって悪い話じゃないわ。私はあなたの…………初体験のお手伝いに来たの!」
潤んだ瞳が、ねっとりとした唇が、滑らかな細い指が近づいてくる。
俺の初めては、幽霊に奪われるのだろうか。
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