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The Cow(4)

 琉乃は仮の救命救護室の隣の一室にいた。そこには琉乃が2222年から持ってきていた医療道具が一式置いてあった。つまり此処は、琉乃の簡素な研究室と化している。

 顕微鏡を覗きながら琉乃は汗を拭った。

 琉乃の手にはプラスチックグローブ、マスクとゴーグルをし、着衣をなるべく厚くしていた。研究職という生業をしていたが故に調べをする際には癖のようにもなっていた。いや、研究職としては当然の行いとでもいわなければならないだろう、と琉乃は身に染みていた。

「決定的な診断を下すには結果に時間が伴うけれど… 」

 独り言がこんなにも辛辣に感じたことがないと思った。医療人として嫌な予感がしてならないと琉乃は思った。

 研究室を出る際に消毒をし、救命救護室に移る。

 そこには今も男がひとり、眠っていた。栄養は点滴で補っている。一向に目を覚ます気配がないことに琉乃はどうしたものかと思っていた。

 琉乃は念のため脈をとる。正常だった。その時、琉乃はあることに気が付いた。

「腕にあった斑点と異色のリングの形の跡が消えている… 」

 琉乃はそっと腕を戻した。まさかね、と自分をなだめた。

 そして部屋に戻り、シャワーを浴びた。



 省庁内には官職の者たちが職務に就いていた。官職の者たちにとっても鈴木家の件については他人事ではなかった。

 民の不安は官職の方でも収めるよう働きかけるよう指示が出ていた。

 松田は事務仕事に従事していた。業務内容から他の官僚のもとへと行く途中に日本国財務大臣・橋本と日本国経済産業省大臣・羽柴、そして日本国厚生労働大臣・深田の三人が話し合っている場に遭遇した。三人は65歳・63歳・61歳という年齢だった。三人に比して松田は若い官職、事務次官であった。

 松田は敬いながら深く一礼した。

「財務大臣、経産大臣、厚労大臣、ご多忙のなかお疲れさまでございます」

 橋本が顎に手を添え軽く笑った。

「松田、か… 」

「如何にも」

 橋本と羽柴、深田が目くばせをした。松田は格上の官僚に対して緊張で挨拶をするにの精一杯だった。

 そんな中、琉乃が忙しなく省庁内を走っている姿があった。松田がそれに気が付く。

「琉乃先生、そんなに急いでどうされたのですか? 」

「あら、えっと… 事務次官の松田さんでしたよね? 壮馬さまに取り急ぎ伝えたいことがありまして参りました。壮馬さまは官邸にいらっしゃいますか? 」

「ええ、恐らく」

 そこに橋本が話に入ってきた。

「壮馬さまは例の件で忙しくしておりましてな。良かったら松田に伝言を頼まれてはどうでしょう」

「松田さんに? 」

 羽柴が横から入る。

「松田、よかろうにな」

 松田が身構える。

「は、はい。承知致しました。琉乃先生、私が承ります」

「では、えっと、一つは捜索や現場に入っている衛兵たちの防護をきちんとしてほしいと伝えて頂けますか? いわゆる防護服を着衣してください、と。

 二つ目はそれから民にも衛生管理をいつも以上に気を付けてほしいので働きかけてください。

 三つめは鈴木さんの稼業である牛の、卸した牛乳を余すことなく回収して頂きたいことと、それを飲んだ民は診察を受ける義務を課してくださいとお伝えください」

「それはどのような理由からでござますか? 」

「松田さん、すみません。説明はあとでしますので、とりあえず取り急ぎということで伝言お願いしてもよろしいでしょうか? 」

「かしこまりました」

 深田が笑いながら口を挟んだ。

「もうよろしいですかな。我々も仕事が立て込んでましてな」

 琉乃は一歩下がった。

「松田さん、宜しくお願いします」 

 琉乃は違和感を感じながらその場をあとにした。

 琉乃には確認事項がまだあった。

 足速に鈴木家へと向かった。


 防護服、ゴーグルにマスク、グローブを装着し、琉乃は鈴木家にやって来た。辺りは立ち入り禁止のロープが張ってあるだけで、衛兵の姿はなかった。おおよそ、捜索の方に駆り出されているのが容易に想定出来た。

「そちらの方がこっちにとっては好都合。あまり不用意にここに立ち入って欲しくないもの」

 独り言をいいながら琉乃は動きづらい装着物を引っ提げ、家の中に入って行った。

 まずは台所に来た。そして標的をひとつ再確認した。

「牛乳。これも検査した方がよさそう」

 琉乃はビーカーの中にその牛乳をいれ、蓋をした。

「さて、もう少しこの家を散策した方がよさそうね」

 足元に気をつけながら荒れているこの家の中を進んだ。

 リビングに鈴木夫婦の部屋。瑛輔の部屋に百合が共に生活をすることになっていたであろう形跡。瑛輔の部屋には女性の香りが少し残っている感じがした。その感じも一時のものであった。開けっ放しの窓の風がすぐに連れ去ってしまう。

 琉乃は乱暴に荒らされた中にある編み棒に痛く突き刺さるような気持ちになった。

「家の中は一通りみた。と、いうことは外ね」 

 家と放牧場の間の草の生えた通り、そしてその少し奥に小屋があった。

 琉乃はそっと扉を開けた。軋む音が事件の重さを測っているように感じた。

 小屋の中は一室、藁がひかれくすんだ黒色の跡があった。藁にはもちろん、壁にも吹雪にように飛び散っていた。それは時間が経ったあとの血の色だった。壁に立てかけてある鋸状の刃。そして刃先にはそこにもくすんだ血がこびりついている。

 大きな桶の中にある、牛の餌。

 琉乃はそれを手に持とうとしたが、止めた。危険すぎる、と判断した。念のため持ってきていたピンセットをポッケから取り出し、息を殺しながらフラスコにそれを入れた。

 あまり此処に長居はしない方がよさそうだ、そう思い辺りを見回して扉に手を置く。小屋を出る前に鋸の刃先を一瞥した。そこで見たものは琉乃の想定していたものを遥かに苦くしていた。手に力を入れた。

 軋む音が、響いた。



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