未来からのいざない(3)
時は2222年の日本。
あることがきっかけで国から医師免許を剥奪されてしまった東乃宮琉乃。
自死を決意するがひょんなことがきっかけでいざなわれたかのように3333年にタイムスリップしてしまう。
そこは残された文明と後退化した未来だった。
そこで巻込まれる事件を解決していく中で琉乃は自身の身の回りの秘密を知ることになる。
未来の国の主である壮馬の抱えているもの、そして琉乃の身に振りかかる運命は偶然か必然か。
タイムラインの錯綜ストーリーです。
前話の<未来からのいざない(1)(2>)では琉乃がタイムスリップした経緯、そして壮馬、大石との出会いが描かれています。読んで頂けたら嬉しいです。
朝陽が差し込む壮馬の部屋に琉乃はとにかく元の2222年に戻れるようにキーとなるものを探していた。
つまり、現時点、3333年の状態把握に努めていた。
「パソコンはある。コンセントもある。電気は通っている。
しかしこれらは蓄電池によるもの。
恐らく推定1000年ぐらいは持つものじゃないかしら? 推測でしかないけれど… 」
(文明が発達しているのにも関わらず、何故ここにいる人間たちは昔の様相なのだろう?
着衣も布をあしらった簡易的なものにしか過ぎない。お洒落なんて言葉はとうに遠い。家も弥生時代に相応しいくらいの高床式住居と竪穴式住居だ。
しかもわたしが昨日治療をした時に言われた言葉…。
治療道具がない、ということ。
どういうこと? 医療は日進月歩といわれる所以。
科学が一部残り、後退化しているものと混在しているということなの?
それから、わたしがあの竹林のハーブ畑で拾った一冊の本。
あの本がすべての原因となっているように思えてならない。
読めない筈の文字をわたしは読み、そして地震が起こりラベンダー色の空が出現した。
あれは一体なにを意味していたのだろう)
琉乃は考え込んだ。
開いているPC画面をもう一度一瞥する。最初に開いた時から気付いていた。
インターネットが接続されていないということ。
これはもはやワープロ機能の役割しか担っていないようだ。
トントン。
玄関からノック音がした。
「はい」
大石が似合わない笑顔で挨拶をする。
「おはようございます、琉乃さま。よく眠れましたか? 」
「はあ… 」
その隣で壮馬が難しい顔をし、琉乃と目を合わせようとしない。
なるほど。
壮馬という主がこのような不愛想な顔をしているから大石はそれを表面化しないようにこのように取り繕っているのだ。
何とも出来た秘書なのだな、と琉乃は思うに至った。
「朝ご飯を用意しますので中、よろしいですか? 」
「え、ええ。もちろん… 」
「失礼いたします」
木目の綺麗なテーブルと椅子に三人が座り、ノックがして大石が玄関先で朝食を受け取る。
ウェイターのような男性の声が玄関先で聞こえてくる。
「大石さま、本当に三人分でよろしいんでしょうか? 」
「ああ、朝から運動をしたもんでね。多めに作ってもらってありがたい。空腹に耐えきれなかったんですよ。
よろしい。下がって良いですよ」
脚が一歩下がったような後ずさる音が聞こえ、それと同時に一礼をするウェイターの姿が容易に想像出来る。
「お待たせしました」
オムレツに穀物を合わせてある朝食だった。
琉乃はここでも情報収集をする。
卵の生成は成している、そして穀物も。
しかしこのような身分の人間の食べるものにしては質素過ぎるな。
この身分の者がこのような朝食をとるのだから、民はそれ以上に質素なのだろう、と簡単に推測出来る。
皿も木の器だ。漆器ではないし、上等なものとは言い難い。
互いがオムレツを口に運び、無言が続く。
そして最初に口を開いたのは大石だった。
「琉乃さまの今後についてなのですが… 」
琉乃はごくり、と飲み込んだ。
「お前は元いたところへと帰れ。2222年という時代にな」
壮馬が琉乃を睨みつけながら、そう言った。
「ということは、わたしの話、信じてくれるんですか? 」
「それとこれとは別の話だ」
「別の話って? 」
大石が咳込む。
「琉乃さま、とりあえずなのですが… 琉乃さまの存在を他の者に知られたくありません。
これは私たちの個人的な都合なのですが、非常に困るのです。
ですので、できたら外出は控えるようにしてください。
琉乃さまが一刻も早く故郷へ帰れるよう私たちも八方手を尽くしますので」
「それは、とてもありがたいことではあるのですが…
パーフェクトに家の中に閉じこもるのは健康によくないです。
ですので、大石さんの御意思を尊重するならば、人目も付かない時間帯などにこっそり外で散歩くらいは許可していただけませんか? 」
「まあ… それくらいなら… 」
「一歩も外に出るべきではないだろう? 」
壮馬がじろりと大石を見ては大石は間に挟まれ悩ましそうにしている。
可哀そうに… そう琉乃は思い、思うだけで同情などはしないのだ。
「あと、手を尽くすって何か策でもあるんですか? 」
「… それは… 」
ドンドンドン!
「なんだ? 」
「誰でしょう? 」
大石が玄関のドアを開けた。
「ほお… 大石が朝っぱらからいるのかのぉ」
「う、梅さま⁉ 梅さまこそ朝からどうして此処に? 」
「中に入れてくれんかの? 」
「いま、壮馬さまが朝の支度をされていますのであとででもよろしいでしょうか? 」
「年寄りの言うことは素直に聞いといて損はないぞい」
梅は半ば強引に壮馬の家の中に入って来た。そこにいる、琉乃をみて目を大きくする。
「夜中に風たちが騒いでおったのはお前さんが原因か」
梅は琉乃の顔を持ち、左の眉を上げ笑った。
「梅、勝手に入って来られては困る」
「お坊、わしにそんな口をきけるようになったとはお前さんも立派になったものだ」
壮馬は頭を抱えている。
「梅さま、このお方は… 」
大石は琉乃のことをごまかして説明しようとした。
けれど梅はそれを遮る。
そして梅は易をたて始めた。
「昨晩なにか妙な感じがしてな。どれ、娘さんや」
そう言い琉乃の前で占いを始めた。
「やはり、な」
「梅さま、琉乃さまはですね… その、旅のお方でたまたまここに立ち寄っただけで… すぐにここを去る身なのですよ」
「わしにそんな言い分が通ると思うのか? 」
大石が後ずさりをする。壮馬は琉乃に告げる。
「梅はこの都の古い占い師だ。
都の危機を何度も占いで預言し、それを避けることで都が守られているのも事実だ」
「なんじゃ、その言いぐさは。年寄りはもっと大切に扱わんか。
琉乃、と申したな。
琉乃よ、そなたには破壊の相が出ているぞ。いや、正確に言うと破壊と再生の相じゃ」
「破壊と再生… 」
「梅さま、琉乃さまのことはどこまで… 」
「知られたくないことでもあるのかのぉ? 」
「いや… その… 」
「お前たちの考えることは大体見当はつくわい。安心せい。年寄りは野暮なことはせん」
「梅のことは信用している」
「ほお? わしも株が上がったもんじゃな」
梅は再び琉乃の顔をくいと持ち上げた。
「あの…? 」
「ほっほっほ。お坊、良かったな」
「なにが言いたい⁉ 」
壮馬は顔を赤らめている。
琉乃はきょとん、としていた。
大石が間に入る。
「梅さま、お察しの通りでございます。
しかし壮馬さまと話合いまして、琉乃さまを故郷へと帰れるよう努めたいのです。
なにか方法は視えませんか? 」
「足掻くだけ足掻けばよいじゃろう。その先に光景があるはずじゃ」
「それはどういう…? 」
「どれ、わしはもう行くとするかのぉ」
「梅さま、琉乃さまのことは… 」
「他言無用じゃろ? お主らの考えていることくらいわかっとるわ。せいぜい足掻くとよい」
ばたん! ドアが閉められ、壮馬と大石は頭を抱えている。
「あのぅ…? 」
「いえ、琉乃さま。なんでもありません」
「気にしないでいいことだ」
梅の去り行く影に少し気を取られながら、琉乃は話を始めた。
「いま此処の、3333年の状況について聞きたいの」
「状況といったって… 俺たちはこれが当たり前として生活しているからな。見ての通りだ」
「AIの存在が見当たらないの。どういうこと? 」
「それですか… そうですね。琉乃さまは2222年に生きておられたお方でした」
「AIは33326年に自滅した」
「自滅⁉ どういうこと⁉ 」
「ブラックサーズディが起こったのです」
「それって1987年のブラックマンディのサーズディ版のこと? 」
「申し訳ありません。我々は3326年以前のことは知識として持ち合わせておりません」
「知識として持ち合わせていない? 」
「はい。私たちが生まれた頃には既にAIの能力は我々の頭脳として活用しておりました。
ですので私たちは脳を使う、ということをすべてAIに… 悪く言えば依存していた、というのでしょうね。
3326年にAIが自滅したと同時に我々の知識脳も破壊したと言っても過言ではないのです」
「だったら、なにか書物で知識を得ようとすればいいんじゃないの? 」
「… 」
「書物はすべて地球の為にリサイクルとして処分した。よってそのような書物は残ってはいないのだ」
「残った書物といえばあれしか… 」
「大石、口を慎め」
「申し訳ありません。琉乃さま、我々はこのようにしてAIとの付き合いをしておりました。
それがこのような結果に繋がってしまいまして…。 もちろん、残ったものもあります。
ガス、水道、電気、これらは先人が開発しました築年数の長い耐振性の高いものを発明してくれたお陰で生活は成り立っております。
しかしこのように住居等に関してはAIで築年数と経年劣化のおよその年を試算はしていたのですが、AIが自滅してからはそれらの管理まで行き届かない状態になりました。住居はAIの手を使って建てていたので建築方法自体も壊滅状態でございます。
かつての人間の手で造っていた頃の情報も全て我々人間はAIに委ねていましたので…
このような有様でございます」
「それで経年劣化が起きた建物ではなくてこのような高床式住居や竪穴式住居のような人の古来の方法で家を建てている… ということね。
ところで、ここ都って言っていたけれど、東京とか、都心部はどうなっているの? 」
「都道府県の概念がなくなったと言っただろう? 日本の領土はこの都一体という小規模のようなものだ。
それでも時々海底火山があり、少しずつ土地は増えている」
「⁉ どうして日本の領土がそんなにに少なくなっているの? 」
「千年以上前の大地震があったと我々は幼少期に聞いて育っております。
それは日本のみならず世界的な大地震だったのです。
世界的に壊滅状態になって生き残った人間も世界の1000万分の1になります。
それから世界的に再建の動きが出てはAIの活躍が期待されました。
それから7年前にAIが自滅する事態に陥ってしまった…。
恐らくAIのキャパシティがオーバーワークとなってしまったのではないか、と言われています」
「諸外国はどんな状態になっているのか把握は出来ているの? 」
「いいえ、出来ておりません。AIが壊滅してしまった以上、有効的な外国との連絡手段なないのです。遣いを何度か送らせているのですが、帰還した試しがございません」
「飛行機とか船舶、電車やリニアも壊滅しているの? 」
「ええ。それらもAIに依存状態でございましたので。
1回伝書鳩が戻ってきたことがありました。外国は遣いへ行った者からです。
鳩の首輪につけられた紙切れには、“神、至り”
の言葉が書かれただけでございました。その遣いも行方知らずとなっております」
「お前、医術の心得があるのか? 昨夜の手捌き、簡単なものであったが明らかに手慣れていたな」
「ええ、わたしは現場にこそ出てはいなかったけれど、医師の研究職に就いていたわ」
免許剥奪された身だけど… と、思ったけれどそれは言葉にはしなかった。
「昨晩は特例だ。今後、あのような行為は絶対にするな」
「どういうこと…? 」
「医療資源が我々にはありません。それにAIに頼っていたので今までの医師はベースとなっている医学の心得がありません。
知識的にも、道徳的にも。
そのことは民は承知しています。
それなのに、あなたの存在が知られたらパニックになることは容易に想像できます。
琉乃さま、あなたはいずれここから去る身です。
安易に民に喜ばせることはしないでください。
民はあなたがいなくなったあともここの、なんの情報もない世界で生きていかなければなりません。
残される者のことを考えてください」
壮馬が手のひらをぎゅっと握りしめる。
その時、琉乃は昨夜の自身の行為が安易だったものに気付かされた。治療をするのにも他人の顔色を伺わなければならない世界、ここはそういうところなのだ。
治療をすることで心が痛むことがあるなんて… 琉乃は自分が情けなくなった。
「ごめんなさい… 」
「ご理解いただければ結構でございます、お気になさらずに。
あの母親には口止めをしたので大丈夫でしょう。
それよりも琉乃さま、今後のあなたの生活についてなのですが、ここの壮馬さまの家の右隣に空いている住居があります。
そこは来客用に造られているものなのですが、そこをお使いください。
この伝書鳩を授けます。この鳩を使い、私のもとへ用事をお申し付けください。ご飯は私が持って行きますので。
それから、健康のための散歩ですが時間帯を我々で決めさせていただきます。
その都度申し伝えに行きますので、それまでは家で待機していてください」
案内された客室兼琉乃の仮住まいはそれなりの様相をしていた。しかも、高床式住居だった。
「2222年に比べたら風情がある、と言えばいいのね」
キャリーケースを置き、ベッドに腰を掛ける。
「これからわたし、どうなるんだろう… 」
天井を見ると扇の換気扇が円を描いていた。
「PC駄目だったか… 見た目通りケチね」
PCは2222年から持ってこなかったので壮馬に懇願したのだが、3333年ではPCは壮馬の持っているこの1台のみしか現存していないとのことで、断られてしまった。
琉乃は少しすねながら紙と墨と筆を用意してもらうことで了承した。
綺麗な木目のテーブルと椅子はここにもある。そこに座り、一式を準備し、琉乃は腕を巻くった。
「よーし。まずはアウトプットから… 」
刻は過ぎていく。そんなこと琉乃にはお構いなしだ。琉乃はただ、没入した。
大石が昼食を持ってきた。トントントン、とノックをする。返事はない。
「琉乃さま? 」
トントン… トントントン。一向に返事はない。
「琉乃さま? 失礼します」
合鍵を使い、家に入ると琉乃は机に向かいなにかを書いている。
「琉乃さま? 」
琉乃から返事はない。耳に入っていないのだ。
大石は溜息をつき、玄関先に昼食を置いてそっと出て行った。
夕刻5時半を指す。大石と壮馬は集って琉乃の部屋へと訪れた。
「昼に行ったときに大石に気付かなかった? あいつはなにをしているのだ」
「なにか集中しておられた様子ではあったので声は掛けずにそのまま玄関先に置いてきました。
さすがに気付かれてはいるとは思います」
トントントン…
「返事がないぞ」
「まさかまだ… 」
「鍵を貸せ」
鍵を回し、家の中に入ると玄関先には手つかずの昼食が、そこにあった。
「あいつは… 」
荒く部屋に入る壮馬とそのあとを追う大石。
「おい、琉乃! お前なにをして… 」
部屋の中には机に顔をうずめた琉乃が、座ったまま寝ていた。
「こいつは… まったく」
大石が机に置いてある琉乃の書きかけの紙に気付いた。
「壮馬さま、これを… 」
「これは、医療の歴史。俺たちが失った情報だ… 」
「琉乃さまは1日中これを書いていたのですね。壮馬さま、琉乃さまは私たちが喉から欲しい情報をいかんなくお持ちのようです」
「… 大石、それ以上は言うな」
「申し訳ありません」
壮馬は琉乃の寝顔を見る。
「お前の言う健康、とはどこにいったのだ? 」
溜息がふたつ、重なったことに琉乃は夢心地に微かに感じていた。
琉乃が目を覚ました頃、夜明けの4時過ぎだった。ベッドから起き上がった琉乃は、いつの間にベッドに入ったのか頭をめぐらした。
朝の澄みが窓枠を浮かばせるように、としていた頃だった。
それでもまだ辺りは薄暗い。
「お前の身体の睡眠活動は旺盛のようだな」
木目の綺麗な椅子に座る、優雅なその男性。壮馬だった。
「どうして貴方がここにいるの? 」
ぽわん、と琉乃は壮馬に聞く。壮馬は怒る。
「そうじゃないだろう。女性の部屋に男性がいるんだぞ。
しかもお前いまベッドの中にいたんだから、最初に考えて言う言葉があるだろう? 」
「なんていう言葉? 」
顔が赤くなる壮馬。
「まったく、まず疑え。俺は男だ」
「男だけれど、立場的に間違った方向へは進めない立場でしょう? 」
「それでも男は男だ」
「貴方はそういう男性なの? 軽蔑すべき男性なの? そんな人間が国の総理大臣をしているの? 」
琉乃はいまだにぽわん、としているが言っていることはそれなりに厳しいことを言っているので壮馬はそれ以上は言えないでいる。
壮馬はテーブルの上の紙を拡げた。
「こういうことは、するな」
「… どうして? 」
「どうしてもだ」
「答えになってないわ」
「これが外に漏れてみろ。お前がどういう立場になると思っているんだ? 」
「外に漏れなければいいんでしょう? 」
「現物がある限り、漏れる可能性はいつでもある」
「… アウトプットしないと、きついの」
「… それでもだ」
「貴方は、わたしから大切なものを奪うの? 」
壮馬の脳内で琉乃と誰かが重なった。壮馬は頭を抱える。
「どうしたの? 」
「いや、なんでもない。俺はもう行く」
少しふらつきながら、壮馬は琉乃の部屋をあとにした。
琉乃の部屋から戻って20分程たった。
いまでも壮馬の頭の中は琉乃の言葉、そして顔が離れない。
貴方は、わたしから大切なものを奪うの?
「くそっ」
壮馬はそのまま再び琉乃の部屋へと向かった。
「俺は貴方じゃない、北山壮馬という名があるんだ」
ドンドンドン…
「返事がない。嫌味なやつだ」
鍵を持ち、ドアを簡単に開くと部屋に琉乃はいなかった。
「外に行った? まさか、あれほど注意したんだ。そこまであいつも馬鹿ではないだろう」
壮馬は家の中を探した。台所にトイレ、洗面所… 浴室の扉が少し隙間をみせていた。
そこに琉乃はいた。入浴中だった。
壮馬は見惚れていた。
琉乃は、美しい身体をしていた。
膨みのあるバストと締まったヒップ。縊れたウエスト。
そしてそのうちに、琉乃の頬に伝う涙に気が付いた。
そしてもうひとつ、琉乃の左の胸部に切開と縫合の跡が残っていたことに気が付き、我に返り壮馬はそこからそっと出て行った。
***
5時過ぎ頃、琉乃の部屋の玄関のノック音がした。琉乃はもう入浴からあがっていた。
玄関をあけるとそこには大石がいた。
「おはようございます、琉乃さま」
「おはようございます、大石さん」
「昨日は健康の散歩に行けなかったので、今日は早朝にどうかなと思いまして… 行きますか? いまなら人の動きは少ないはずですが」
「ええ、行きますわ」
森の中で行方のわからないさえずりが響き渡る。
「早朝の森は空気が澄んでいて気持ちが良いですね、琉乃さま」
「… そうね」
何故だ、何故、大石が付いてきているのだ、と琉乃は半笑いをしながら心に思う。
気付かれないように小さく息をついた。
「どうかされましたか? 」
「いいえ、なんでもありません」
森を成す木々はなんとも青々しく、草花も豊かだ。
蝶も活き活きとしている。
蜜樹も栄養満点のよう。
なにより、空気が美味しい。
そんなことを感じられたのは、久しぶりだと琉乃は空をみた。
果てを掴み切れないこの手にもどかしさを感じても、それをどうにか昇華することが出来るのが人間足る極みなのだろうな、と遠くに感じる。
「… 壮馬さまのことですが」
「… なに? 」
「壮馬さまはあの若さで国の長をしておられます。御年28歳でございますが、なんとも他人には言えないような負荷を感じておられるのです」
「そう。けれどそれは彼の背負うべきことでしょう? 他者が介入することではないわ」
「… そうですね」
「ところで貴方もその若さでその役職でしょう? 」
「私は義理でこの立場に立たせていただいている身ですので…。
壮馬さまは幼い頃に政治家である父上を亡くしました。そのあとを追うように母上も…。
梅さまはこの国の政治家お抱えの占い師で壮馬さまの乳母をされていたのです。
梅さまはとても壮馬さまを可愛がっておられました。
そして壮馬さまも梅さまに心を開いていました。
壮馬さまが8年前にこの立場へといざなわれたのは梅さまによる神からの啓示を受けたからでございます」
「この国には特定の信仰する神がいるの? 」
「いえ、特定されている神が絶対的に存在するわけではありません。
ただ目には見えない感じる神が必ず我々の心の中にいる、と信じられています。
ですので、琉乃さまの存在を知られると… 」
「なるほどね。
未知なる世界からの異端者の出現が悪く言えば依存へと繋がる… それを貴方たちは恐れているのね」
「おわかりいただけて、感謝致します」
「… 」
数歩進んだところに琉乃は立ち止まった。そこには、アロエが植えられてあった。
「琉乃さま? なんでしょうか、それは? 」
依存へと繋がる、そう言ったのはわたしだ、そう琉乃は思う。
「… なんでもないわ」
近くのその向こうから子どもの泣き声が聞こえてきた。
「痛いよ―‼ 」
「走り回るからいけないのよ! ほら、立ちなさい」
母親に促されて転んで膝を擦りむいたその子は立ち上がろうとするけれど、また涙してうずくまる。
琉乃はその子に近づこうと一歩進もうとした。
「なりません、琉乃さま」
振り向くと、大石が眉間に皺を寄せている。
手のひらで拳を作る。
なにもしないこと。
これが、わたしの出来る、こと、と琉乃は心に滲ませる。
「しょうがないね、まったくこの子は」
母親がその子をおぶって先へと行く。その子、女の子の手には笹の葉があった。
残された琉乃、そして大石。
琉乃は足元に植えられたアロエを一瞥した。
植えられただけ、のアロエ。
自身のいまの身の上、そして医師免許を剥奪された時、琉乃はなにも主張すらしようとしなかった自身と重ねていた。
「一緒だね」
「え…? 」
「いえ、なんでもないわ」
琉乃はアロエを少し拝借して、そのまま家へと戻った。
琉乃はその日一日中家に籠っていた。
その次の日も散歩には行かずに家に籠る。
昼過ぎに琉乃の部屋の前を通った壮馬と大石。
「琉乃は? 」
大石はなにも言わずに首だけ振る。
琉乃の部屋を再び一瞥し、壮馬はそのまま仕事に戻った。
15時頃のことだった。琉乃は外が騒がしいことに気付いた。
「なんだろう…? 」
人だかりが出来ていたのは、保険省を管轄とする琉乃の家から少し離れた建物だった。
「医者が現れたって聞いたぞ! うちの家内が熱でうなされているんだ、早くよこせ! 」
「うちが先よ! じいちゃんが腰が痛いと言って畑作業が出来ないでいるのよ、早く医者をここに連れてきてちょうだい! 」
「幼い子供が丁寧に手当されていたじゃない! 早くつれてきて!」
「おれのうちが先だ! 」
「うちよ! 」
そうこうしている間に壮馬と大石、そして閣僚が集まってきた。
「大石、これは…? 」
「あの優弥という子供の治療跡をだれかにみせてしまったようですね」
「これは… 一番避けたかった事態だ」
「壮馬さま、ご判断を」
「… 」
「早くしなければ、収拾がつかなくなります」
「わかっている… 」
「壮馬さま」
「… 」
「壮馬さま」
壮馬は歯を喰いしばる。
「大石、あの一家の処刑を決定する。民の面前で執行せよ」
「かしこまりました」
少し静かになりかけた頃、琉乃は先程の騒ぎが気になっていた。
「一体なんだったんだろう… 」
すると、窓の外を走ってかけていく民がいた。
「おい、処刑だってよ」
「なんだってそんなことを… 」
「治療を受けた一家がみせしめに処刑されるんだとよ。
治療跡を不覚にもほかの家族にみつかっちまったもんだから、それが噂で広まってこの有様よ。
可哀そうになぁ」
「おい、はじまるんじゃないか? 」
「おお、行こうぜ」
「そんな… 」
琉乃は思考を巡らせ、テーブルの上にあるアロエをみた。琉乃は想いを馳せる。思わずアロエを手に持ち、家を飛び出した。
壮馬は民へと畏怖たる態度を示す。
「皆の者、みよ! これがこの者たちの末路だ」
一家は十字の組まれた木に張り付けにされ、足元には藁が敷かれてある。
「お許しください! そんなつもりはなかったのです。偶然隣の奥さんにみつかってしまって… それ以上は隠せなかったのです」
母親は泣きながら懇願し、優弥はきょとんとしている。父親は顔面蒼白で祖父と祖母は般若心経を唱えている。
保険省の下の人間が小柄な倒木を手に持ち、火をつける。
壮馬が目で合図し、大石が腕を使って合図する。
「放て! 」
倒木の火が藁に移ろうとした、その時だった。
「待って! 」
「琉乃さま、ここに来てはなりません」
「… 琉乃、立場を弁えろ」
「殺さないで」
琉乃の形相に押し倒されそうになる壮馬はその場に立つことで精一杯だった。
「言ったはずだ、お前はいずれここからいなくなる身だ。くだらない情けをかけるな」
壮馬はもう一度大石に目で合図した。
琉乃は大石の腕を掴んだ。そして壮馬から目を逸らさない。
「わたしが、ここで医者をする。
ここで医療を発展させてみせるわ。
人が殺されるのを医者のわたしが黙って見過ごすわけないでしょう」
「軽々しく言うことではない。意味を分かって言っているのか? 」
「無論よ」
「… 」
集まった民の中に、いつかの女の子がいた。そう、いまも笹の葉を手に持っている。
「ママ、あのお姉ちゃん、なに? 」
「しっ。おだまり」
琉乃はその女の子があの時森で怪我をしていた子だと気付く。
膝がまだ少し赤くにじんでいた。
琉乃は湯がいたアロエを持ち、女の子の元へと行く。
そして琉乃はその子に近づき、しゃがみ、優しく言う。
「痛い? 」
女の子はこくん、と頷く。
琉乃は患部を綺麗に水で洗い、そしてアロエのベラを用いて患部に塗った。
「これはアロエと言ってね、アロエは万能なのよ」
「ありがとう! 」
その時、その場にいた民たちが一斉に歓声をあげた。
宮松由佳と申します。
若輩者ではございますが宜しくお願い致します。