未来からのいざない(1)
時は2222年の日本。
あることがきっかけで国から医師免許を剥奪されてしまった東乃宮琉乃。
自死を決意するがひょんなことがきっかけでいざなわれたかのように3333年にタイムスリップしてしまう。
そこは残された文明と後退化した未来だった。そこで巻込まれる事件の中で琉乃は自身の身の回りの秘密を知ることになる。
琉乃は一体何者で、未来の国の主である壮馬の正体とは⁉
通達
東乃宮琉乃 医師国家資格免許剥奪 2222年12月9日
北山篤 厚生労働大臣命により―
業火の如く、荒れている。いや、荒ぶる人間がいうなれば川という流れつく媒体を通して私に沸騰故の湯水のように浴びせるのだ。
燃え盛る感情を東乃宮琉乃という対象をターゲットにして―。
〈我々の税金で生活をしている奴がこんなことを考えてやがるのか〉
〈これが国の機関で働く人間の造り出す思考とは、いやはや日本という国とは終わりだな〉
〈私たちは毎日をぎりぎりで生きているのにも関わらず、医師たる身分の者がこのような夢心地かつ破壊的なことを公言するなんて、この世は終わりよ〉
目の前の空間に浮遊する感情の色をした言葉たちが琉乃の身体を覆い被さった。
「あっつい… 」
それはそうだ。
国中の民の言葉が感情をのせ、色を成し、沸騰した湯となって琉乃を狙ったのだ。
厚生労働大臣からの命はメールにより届き、昔と違って紙媒体での発行は無くなった代わりに琉乃の左上腕の内側にその文面が刻まれた。
時は西暦2222年のこと。
通達どおり、東乃宮琉乃は医師国家資格免許を剥奪された。
この者達の生きるこの時は、人と人との会話はいつでも録音され、録画され、記録に残ってしまう。
だからこそ、発言・行動には特に注意しなくてはならないのだ。
それは規則性ではなく、無作為に記録に残ってしまうので気をつける時もあるのだが、それを軽視してしまう時が人間とはあるもので…
琉乃も軽率だった。
長い期間、共に研究を行い分かち合えた友人と思っていたのだが、その友人も軽率だったのだ。
友人との会話中に、琉乃達は無作為の対象では無かった。しかし友人が琉乃の会話を録音し、それをワールド・トーク・ネットワークに挙げたのだ。
友人自身の発言として。
しかし、その内容が悪かった。
琉乃が幼い頃からの仮説を密かに研究し、それの成果が出そうなことを話したのことが発端だ。
友人はそれが世界的に評価されるものだと高く見積もったのだろう。
それが仇となった。
評価されるどころか、批判され、友人は雲隠れ。その時に琉乃の実名を出し、琉乃の発言だ、と公表した。
そして標的は琉乃となる。
琉乃は国の機関である大学院の研究所に勤めていたので、一気に集中発火となった。
国としても見過ごして置けないのだろう。
国家資格を剥奪し、このような思考の持ち主は我が国とは関係ないことを諸外国にアピールしなければならない。外交のために、この国の将来のために。
実に合理的だ。
55度・83度・119度・189度の湯が琉乃を襲った。
「… 熱いったら」
炎上用のドライヤーは高級路線を嗜好した方が良いのだな、と改めて思う。
このドライヤーは炎上コメントの湯を被ったときに火傷の跡が残らないように言葉の熱を冷やし、濡れたこの身体を温め、一瞬で元どおりになる優れモノだ。
エネルギーは炎上したコメントがそのまま源となるので、… なんともエコである。
しかし、この高級炎上ドライヤーを使用しても左上腕に刻まれたこの文面だけはジンジンと胸に痛む。
琉乃は右手の手のひらを目の前の空間を左から右に撫で、メモリーを呼び起こした。
その形跡には琉乃のおとうさんとおかあさんが笑っている。
「おとうさん、おかあさん、ごめんね。わたしも天国に行きたい… 」
歴史を辿れば、地球は気候変動を起こしたことは記憶に新しくない。
歴史の残るブラックマンデーでさえも人間は教訓にしたように、人間は常にその心を忘れないのだろう。
医学の歴史さえ、北里柴三郎の破傷風菌抗毒素も血清療法の神秘も、フランスの外科医のペレが後世に残した「私が処置し、神が癒し給うた」この言葉にどれだけ救われた人間がいたことだろうか。
琉乃が専門とした感染症の歴史も深い。
しかしここでは割愛するとしよう。なんてったってそれが原因でこのような事態を起こしている訳なのだから。
根が伸びすぎて土壌に居ることに飽きた木々は根に太陽の養分を取り込むように進化し、容貌が昔と様変わりしている。
位が上がったその木々は桜を咲かしている。
この世界に、いや、特に日本という国からは四季という概念が無くなった。
大規模な気候変動の影響で暦の四季がなくなった。前述の研究者が受賞した頃からのこと。
だからいまは12月というのに桜が咲いている。
「綺麗過ぎて、嫌になるわ」
いまだに湯は琉乃を狙ってくる。
(そのうち命を狙われるのも時間の問題かもしれない)
「殺されるなら、自ら死を選ぶのみ」
琉乃は目を光らせ、荷物をまとめた。
姿見の前の琉乃は、琉乃であって、琉乃ではない。見た目上は。
「完璧ね」
時代は進みに進み、スパイの変装術を一般の人間でも手に入れることは出来る。けれどそれを一般の人間が試みるということはそういない。
金髪のウィッグと、欧米人のような凛とした鼻。瞳はカラーコンタクトでブルーアイ。
肌質を少し荒くすることで実現性が増すという情報も取得済み。
鏡の前に琉乃は自身を見て、ほわっとにんまり笑う。
(現実逃避って、なんて素敵なのかしら)
ルンタルンタとリズムを取って、大きなキャリーケースを手に持つ。
玄関のドアノブに手をあて、そして振り返る。
「わたしの事を安全に守ってくれて、ありがとうございました。この部屋、ううん、家のことは忘れないよ。
天国に逝っても、忘れないからね」
一礼をして、少し涙目になったので手で拭う。
琉乃はドアノブを引く。静かにドアを閉め、ごめんね、ありがとう。と心を撫でおろした。
雲のモイストで造られたエレベーターに乗る。空気の膜で一体は覆われ、私は右の手のひらを目の前の空間を左から右に撫で、階の選択をした。
「1階、と… 」
このエレベーターの特徴は下へと降りるときにモイスト感を感じ、上昇する時はドライ感を感じることが出来ることだ。
空気の膜が琉乃全体に被さった。
目的地に着いた合図だ。
マンションの入口をひょこっと覗く。
「いるいる… 」
AIの記者、報道陣が集まっている。
ハンチングを被ったAIもいれば、身体の一部が記録に残せるようにあしらわれたAIもいる。
琉乃は右手の人差し指と親指を鳴らす練習をした。
「よし、行くか。… わたしは女優、わたしは女優… 」
そう言い聞かせ、マンションの建物の外へと正面から堂々と出た。
予想通り記者も報道陣も琉乃に寄ってくる。
《こちらに居住している東乃宮琉乃氏はご存じでしょうか? 最近姿を見ませんでしたか?》
《東乃宮琉乃氏の言動について、同じマンションの居住者としてどう思われますか?》
ハンチングを被ったAIが琉乃の顔をみて解析を始めている。
琉乃は人差し指と親指を気付かれないよに鳴らした。
「Sorry,I don’t know」
指から喉に伝い英語ボイスが口から出る。
《日本人種ではないのでは、分からないのだろう》
《ああ、次の居住者を狙うとしよう》
琉乃は颯爽と歩き、人種移動フィートへ向かって手を挙げた。
「Hey! Taxi!」
電池自動車が琉乃の前に停まる。
(ふふん、余裕ね。きみ達、甘いよ)
琉乃が電池自動車に乗り込んだ、その時だった。ハンチングAIが叫ぶ。
《奴だ! 東乃宮琉乃氏本人だ! 私の解析推理が外れることはない! 》
AI記者たちがわっと沸き立つ。そして琉乃の方へ向かって走ってきた。
「急いで! 出して‼ 」
《どちらへですか? 》
電池自動車もAI搭載なのだ。
「とりあえず、西の方角へ! 」
《かしこまりました》
AI記者の手が迫る、その瞬間に電池自動車の扉が閉まった。
《くそ!》
電池自動車が発進した。
《危ないので、よく掴まっていてください》
「え? 」
琉乃を乗せた電池自動車は駿足で西へと飛び出した。
「ひぇー‼ 」
琉乃の安定的な座位は補償されずに、重力と戦う。
《お客様は急ぐ、出す、西へ、のキーワードをおっしゃいました。私は仕事をしているまででございます。クレームは遠慮させて頂きます》
横目でみるとAI記者たちが琉乃を追ってきている。
「貴方は良い仕事をしているわ。自信を持って! 」
《お褒め頂き光栄です。私、もっと良い仕事をしたいです》
電池自動車は更に倍の速さを出した。
対向車を一瞬で避け、前を走る電池自動車を華麗に追い越す。
AI記者も負けていない。
宙に浮かぶ筒のトンネルに入った。自然と速さが落ち着きを取り戻す。
トンネル内をスピードを出すのは危険行為だということを搭載AIも認識している。
それはAI記者の乗車する電池自動車も同様だった。
琉乃は座位を取り戻した。
「ねぇ、お願いがあるんだけど」
《なんでしょう? 》
もうすぐトンネルが開ける。トンネルは、過去から未来へと繋ぐ橋だ。
ほら、目が眩い。
《なんだ? どこに行った? 》
AI記者が電池自動車の中で前方を見失う。その乗る電池自動車に搭載されたAIが困惑する。
《目的を失いました。ダウンします》
《ま、待ってくれ! 》
《… ダウンします》
風が去り行く音にすれ違う電池自動車に搭載されたAIは、そういうものだ、と認識するに至っているようだ。
「OKよ。貴方、優秀ね。最高よ! 」
《お褒め頂いて嬉しゅう限りです》
「しかし、こんなにもパーフェクトに透明になれるものなのね」
《お客さまの指示・命令が適確でございました》
「このまま10kmくらい透明なままで西の方へ行けるかしら? 」
《かしこ…… ま…… り、ま…… 》
「どうしたの? 」
《ザー…… ザ・ザーーー…… 》
耳障りなノイズ音が響く。
《…… ひ、東乃宮…… 琉、乃。標的は逃がさない、俺は完璧な仕事を…… す、る…… 》
ひいては琉乃は頭の中がフリーズ状態になるのを必死で抵抗した。
《に、…… 逃げてください…… 私のプログラムに…… 侵入者が、い、ま…… す…… 》
タクシーの上部から重みが同時に琉乃の身体に覆う。
透明な筈のタクシーのドアが開かれる音がした。次第に顕わになるそのAI。ハンチングのAIがハットをかぶり直しながらタクシーの中に入ってきた。
《言っただろう? 私の解析推理が外れることはない、と》
琉乃は透明のままでも、このハンチングAIには理解ができている様子だった。
《造作もないことだ。このタクシーのAIのトゥースに入り込んでしまえばこっちのものだ。さあ、あなたには狩られる義務がある。人間は逃がさない。もちろん我々もだ》
《ザー…… ザ・ザーーー…… に…… 逃げて、く…… ださ…… 》
(ああ、最後にこのタクシーに乗れたことはわたしにとって幸せだった。わたしが逃げることを、このAIは…… 肯定してくれている)
ハンチングAIの手が琉乃を掴もうと迫ってきた。
琉乃は覚悟を決めた。
(ありがとう、タクシーのAIさん)
「貴方は最高よー! 素敵な仕事人に出会えたことに感謝するわー! 」
ハンチングAIの迫るその手の中、琉乃は最後に叫んだ。
この世の最後に、叫びたかった。そう思わんばかりに……
その時、タクシーのプログラムが赤く文章を綴った。
《琉乃さま、座位の確保をお願い致します》
「え? 」
タクシーは猛烈なスピードを上げて走った。
「キャー‼ 」
《っな、なんだと⁉ 》
ハンチングAIは急激なスピードに開けっ放しだったであろうドアから転げ落ちそうになっている。
落ちまいと必死でドアの端に掴まり、吊るされている。
《琉乃さま》
「え、ええ。了解よ」
琉乃はスピードと重力をコントロールしながらドアへと近づく。
《き、貴様⁉ 何故だ⁉ このタクシーのAIのプログラミングは完全に支配したはずだ‼ 》
「じゃあね、バイバイ♡ 」
琉乃はドアを勢いよく閉めた。
ハンチングAIの叫ぶ声が遠くなっていく。
《このスピードはもう幾分か続きます》
「ねえ、どうしてハンチングAIの支配から逃れたの? 」
《琉乃さまが私に覚醒させるプログラミング式をお与えくださいました》
「わ、わたし… そんな事出来ないわよ」
《琉乃さまが私をお褒めくださいました、その言霊こそが覚醒させるプログラミング言語式でございます。こんなに嬉しいことはこの仕事に就けた誇りでございましょう》
「… そう、良かったわ」
そのまま10kmを進み、琉乃は硝子の向こうを透明なまま見続けていた。
過行く対向電池自動車は平安にお客を乗せ、人生を運んでいる。
《もうすぐ西に10kmが完了致しますがよろしいでしょうか? 》
「そのあと、南西に3km進んでほしいの」
《かしこまりました》
「それから、もう透明の指示文字式を解くわね」
《かしこまりました》
電池自動車と搭載AIと琉乃の姿が顕わに色と形を成していくことに温度を感じた。
「音楽流せる? 」
《ご希望はございますか? 》
「クラシック。ベートーヴェンの運命をお願い」
《かしこまりました》
運命を耳に、全身に取込み、琉乃はまた外の景色をぼんやりと眺めている。
気付くと、なにか妙な感じがした。
搭載AIも気配がない。
「目的地はもうすぐかしら? 」
《… 》
「どうしたの? 」
《… 》
再び外を眺めると、対抗電池自動車は誰もお客を乗せていない。
琉乃はあることに気付いた。
「自動車のナンバーが全て00‐00だ… 」
一台目、二台目、三台目、四台目… 全てだ。
それ以降も00‐00が続いている。
そして琉乃の前方にはずっと電池自動車が走っていない。
それも、後方にもだ。
「どういうこと? ナンバーには個人情報が間接的に表示されているものよね? 全てが00‐00なんてこと… そもそも00‐00なんてナンバーこのご時世に存在しないはずよ? 」
琉乃は前方を見た。すると、前方に自動車がいる。
「なんだ、いるじゃない」
しかし琉乃は気付いた。その前方を走る自動車のナンバーは00‐01だったことに。
タクシーは急ブレーキをかけた。
タクシーはブレーキもかけずにそのまま吸い込まれていった。
目の前が真っ暗になる。
「いたた… 一体なんだったのかしら」
頭を打った。腰も打った。自動車たちは大破している。
琉乃は重い身体を動かし、車の外にでた。琉乃の荷物も無事だった。
AIの赤い文字式が鮮やかに綴られると、そのまま静かに消えていった。
「…… ありがとう」
目の前には、竹林が拡がっていた。
風に靡かれ、心に響く神聖な音がする。空気も清らかだ。
「此処よ。わたしの出生の場所… 」
どこからともなく4096ヘルツの鐘の音が聴こえてきた。
竹林の間から、一人の僧侶が現れた。
「お待ちしておりましたよ。もうそろそろかと… 」
「お久しぶりです。わたしのことは… メディアでご存じですよね」
「ええ。おとうさまの斗真さまも、おかあさまの妃乃さまも天国で心配していらっしゃることでしょう」
「そうよね… 」
風が肌にあたって、痛かった。
「このような考えがあります。未来というものが既にあり、そのために現在があり、過去があるのだと」
「未来が既にあるの? 未来は創っていくものじゃないの? 」
「その説と逆説なのです。琉乃さんの未来は既にあるのです。だからこそ、いまここに現在があるのですよ。そして、過去も」
「その既に存在するわたしの未来は希望に満ちているのかしら? いまの段階では到底そうは思えないわ」
「それは、現在のみをみているからです。既に存在する未来は希望に溢れているのですよ。そこに行くのに必要な現在の闇が存在しているのでは? すべては光のみではないのです。光があって闇がある。俗説ですね」
「希望… ですか」
「琉乃さん、貴方が出生してから色々あったでしょうが総合的にみるとどうでしょう? 」
「… 幸せよ。とてもね」
「琉乃さんの運の強さは自負していることでしょう」
「ありがとう… 」
琉乃は一礼して僧侶の瞳をみた。澄んでいる。僧侶は琉乃のことを信じている。
琉乃は背を向けた。
(ごめんなさい…)
竹林の中へ進みながら、背の向こうで僧侶が心配しているのではと直感で感じる。
歩を進めるペースが気持ち速くなる。
僧侶の姿がみえなくなって少し経った頃、まだ靡く風が痛いことに気付いた。
溜息をひとつ、つく。
更に竹林を進み、そこを抜けると古びた建物があった。錆びつく看板に書かれている文字は、“東乃宮総合病院”とある。
琉乃が継ぐ前に、廃病院となってしまった。
溜息をふたつ、ついた。
(さて、ここでわたしは命を絶つ)
琉乃は荷物の中から短剣を取り出した。
いわゆる切腹だ。
痛みを生じるが、死までの間、出血が致死量に至る過程を眺めて死を迎えるなんて、職業上なんて素晴らしいことだろうと節に思った。
風が止んだことに気付く。
竹林の中からなにか音がする。連続音だ。
竹林の方に戻り、音の行方を追う。
駆け分ける竹林と、その狭間。
そこには一面のハーブ畑と一冊の本があった。
植物の根本に一冊の本があり、ページが捲れている。
植物も竹の葉も揺れていない。風は止んでいるはずだった。
琉乃が側に寄ると、そのページが開かれた。
そのページにはみたことのない文字が書かれてあった。
まるでこの世には存在しない、そんな文字。
けれど、琉乃には何故か懐かしく感じた。
読めないはずなのに、琉乃はその文字を、言葉を読み上げた。
すると、大地が揺れ始めた。大きな揺れだ。これはいままで経験したことのない、震度15以上の揺れだ。
(ううん、15なんて数字じゃない。20… 30… もっと?)
空がラベンダー色になったことに琉乃は気付く。
琉乃の目には涙が伝っていた。
そして、本から声が聴こえる。
懐かしい声だ。呪文のような唱和。
琉乃の身体に流る血が踊っているようだ。
そのまま琉乃の身体は本へと吸い込まれた。
そしてその本はラベンダー色の空に溶け込んだような、そんな予感を琉乃は薄れていく記憶の中で感じていた。
宮松由佳と申します。
若輩者でございますが宜しくお願い致します。