お気楽部下に見送られて悪役令嬢は旅立ちます
「――お嬢、何やってんすか、こんなところで」
香璃が立ち去ったあと、西の空にゆっくり沈みゆく夕日を眺めていた棃璃は、北塔の壁に背を預けたまま、主塔側から空中回廊を歩いて来る相手を見やった。
魔術師団特有の裾の短い漆黒のローブを身にまとい、腰には金糸で彩られた深紅の剣帯、同色の丈の短いマントを左肩に掛けた、背の高い男性。
彼の名は琉生、年は二十才。ナイトレイ魔術師団の第二隊を率いる隊長である。
出自が平民のため師団での立場は第二隊の隊長だが、団員としての実力は師団でも随一。戦場では師団の指揮を任せることもできる腹心の部下だ。
とはいえ、身分が物をいう王城ではその実力も役に立たず、琉生自身も格式張った王城は苦手のようで、ひとりで登城することは滅多にないのだが。
「琉生こそ、なぜここに?」
棃璃が応えずに聞き返すと、琉生は肩をすくめて答える。
「お嬢の代わりに王城で帰還報告っす」
「帰還報告? ジルド卿に頼んでおいたはずだけど」
「副師団長、陛下に報告するなら大喜びで行ったと思いますけど、今回は魔術庁の副長官相手だったんで、自分は多忙だから代わりに行ってこいって、俺らに丸投げしたんすよ」
通常は謁見の間で司綺に拝謁して帰還報告を行うが、今回は棃璃が別件で司綺と会うことになっていたため、全魔術師団を統括する魔術庁側は帰還報告を事務的に済ませることにしたらしい。
ジルド副師団長は旨みのない話には乗らないので、単なる報告を部下に丸投げしたのは意外でも何でもないが、その代役として登城した隊長が王城嫌いの琉生なのは解せない。
「その代理が琉生?」
「ええっとですね、休暇初日にやってられるかって、隊長同士で押しつけ合った結果、俺がカードでボロ負けしまして」
「――ああそう。それはご苦労様」
にっこり笑って労うと、琉生は「うわぁ」と顔を引きつらせて言う。
「陛下と聖女さまとのお茶会、よっぽど悲惨だったんですねぇ。さんざん手こずらされた魔物を仕留めるときと同じ顔してますよ」
「……大きなお世話です」
自覚はあるので否定はしないが、令嬢の格好をしているときくらい、言葉を選べと言いたくなる。
「ところで、お茶会の話は誰から聞いたの?」
家の事情で婚約者に会ってくるとは話したが、それが聖女を交えての茶会になったことは、棃璃の留学に絡む話のため、公にはされていないはずなのに。
情報の出所を聞くと、琉生は「あはは~」と頭を掻きながら、いつもの軽い調子で答える。
「陛下っす」
「は?」
「実は庁舎に向かう途中でばったり陛下に会ったんすよ。帰還報告ならここで聞くよって言われたんで、『全員無事に帰ってきました~』って報告しときました。陛下って、謁見の間で会うといろいろ面倒くさいけど、通りすがりだとそんなことないから楽でいいっすよね~」
棃璃の代理としてこの部下は、仮にも国王への帰還報告を、王都の街中で会った友人相手のように、手軽に済ませてきたらしい。歴史あるナイトレイ魔術師団の正装姿が台無しである――が、琉生の場合は仕方ないともいえる。
琉生は実力第一主義のナイトレイ魔術師団の中で能力を認められてきたため、身分や階級というものを本質的に理解していないのだ。
もはやどこからどこまで教育すべきなのか分からないし、今さら教えたところでどうしようもなさそうなので、その辺りは全部無視することにする。
「それで、陛下はお茶会のこと、何て言ってたの?」
「茶会の話はそんなに。有意義だったとか言ってましたけど」
聞き捨てならない台詞に、棃璃の表情が厳しくなる。
「待ってちょうだい。茶会の話はそんなにって、他に何を言われたの?」
「え~、これ、喋ってもいいんですかね」
「命令です。言いなさい。全部!」
今すぐ吐けと棃璃に脅された琉生は苦笑を浮かべながら言う。
「お嬢が初恋もまだだったなんて信じられないよね、って」
「何ですって!?」
「まあまあ、落ち着いて。基本的には、俺たちへの嫌みでしたから、あれ」
「うちの団員への嫌み? どういうこと?」
棃璃が詰め寄ると、琉生は両手を上げて「まんま陛下が言ったんですけどね」と前置きしてから答える。
「ナイトレイ魔術師団の正団員は若い男ばかりで、師団の正装姿で王都の街を歩いたらあっという間に女性たちに囲まれてしまうくらい、魅力ある男たちが揃っていると聞くのに、どうしてメルキオールは君たちを異性として意識せず、あの年で恋なんて面倒だなんて枯れたこと言ってるのかな、不思議でならないよ――って」
あの最低最悪な婚約者、自分の知らないところで琉生相手に何好き勝手なことを。
司綺を恨めしく思いながら棃璃は琉生を睨んで言う。
「琉生は何て答えたの?」
「それは俺たちがどうこうというよりも、腹黒な婚約者のせいで男性不信に陥っているからじゃないですか、って言いました」
棃璃は目を丸くする。
腹黒な婚約者。事実そのままだと思うが、よくもまあ、国王本人を目の前にして言えたものだ。
「その腹黒な婚約者の反応は?」
「大爆笑してましたよ。なんつーか、陛下もあんな風にバカ笑いするんすね。初めて見ました」
「……そうね、私も今日初めて見たわ」
悪役令嬢として宣戦布告したら大笑いされた。思えば、あんな風に笑う司綺を見たのも初めてだった。婚約者として長年過ごしてきた相手なのに。
棃璃が物思いに沈んでいると、琉生が「そういえば」と声をひそめて聞いてくる。
「陛下から聞かれたんですよ。俺の名前や、俺が登城する羽目になった理由とか。話したら、俺の普段いる場所を教えろって言われたんで教えたんですけど」
「幹部たちの溜まり場になってる南街の酒場?」
「そうっす。俺、休暇中はあそこに住んでるも同然なんで」
ナイトレイ魔術師団の師団府は王都の一角、ナイトレイ公爵家本邸の敷地内にあり、そこには団員の宿舎も併設されている。
琉生は隊長の役付きなので、宿舎でも上層階の広い部屋を割り当てられているが、豪華な部屋は落ち着かないと言って、休暇中はもっぱら王都の南街にある酒場の二階、隊長たちの溜まり場と化している部屋で寝泊まりしているそうだ。
「俺の居場所を聞いてきたのは、帰還報告を謁見の間でもう一回やり直せって、呼び出すためなんすかね」
よほど謁見の間での拝謁が苦手らしい。それでいて司綺本人に関しては何とも思ってないあたり大物だと、棃璃は感心しながら答える。
「それは大丈夫だと思うわ」
「ほんとに? ああ、良かった」
ほっとして胸を撫で下ろす琉生。
琉生は分かっていないが、司綺が琉生の普段いる場所を聞いたのは、国王として琉生を呼び出すのではなく、司綺がお忍びで琉生のところへ遊びに行くためだ。
棃璃は小首を傾げて考える。
司綺が予告もなしに突然訪ねてきても、琉生はまったく動じないから問題ないが、他の面々はそうはいかないだろう。
琉生以外の隊長たちは、全員が爵位持ちの高位貴族。副官も揃って貴族階級の人間だ。自分たちの溜まり場に現れた司綺を見た途端、文字通り石化してしまうに違いない。
直立不動で固まる部下を想像すると哀れには思うが、元はといえば、琉生に帰還報告を押しつけた、彼らの怠慢が原因である。お忍びで街に下りた司綺の相手を、琉生だけにさせるわけにはいかないので、彼らには潔く石になってもらい、最後まで付き合ってもらうことにしよう。
「琉生、酒場に戻って皆から帰還報告のこと聞かれたら、魔術庁副長官に報告しましたって言いなさい」
「陛下じゃなくて?」
「ええ、そうよ」
「何でっすか?」
「その方が面白いから」
にっこり笑って言った棃璃を見て、琉生は「うわぁ」とふたたび顔を引きつらせる。
今度は口に出さなかったが、どうせまた『万と湧いてくる虫のような魔物を残らず焼き尽くすよう命じたときと同じ顔』とか思っているのだ。
「それ、俺がとんでもない目に遭わされるってことじゃないですよね」
「違うわ。とんでもない目に遭うのは琉生以外の人間よ」
この件で被害を被るのは、琉生以外の隊長と副隊長、あとは司綺のお忍びに付き合わされる香璃だろう。
琉生は「う~ん」と首を傾げる。
「そうなんすか。なら、いいのかな?」
「もちろんよ。もし琉生がこの件で誰かに文句言われたら、私が自業自得だと言ってたと答えなさい」
「了解」
棃璃の入れ知恵で安心したのか、琉生はあっさり納得してくれた。
彼らの恨み言は帰国してから聞くことにしよう。
「んで、お嬢はここで何やってんすか。もうお茶会は終わったんですよね。帰るなら送っていきますけど」
琉生がいつもと変わらない様子で声をかけてくる。
父親に命じられて棃璃が公爵令嬢として登城した理由を、第一隊の隊長にはあらかじめ伝えておいたが、琉生は聞かされていないのだろうか。
「ここから王都の街並みを眺めていたの。しばらくの間は景色を眺める暇もなさそうだから」
「新しい任務っすか?」
「任務じゃないわ。父の意向で北の離宮に滞在することになったのよ。お妃教育のために」
「でもそれ、建前ですよね」
琉生の返事に棃璃は眉をひそめる。
「建前って?」
「ええっと、大公閣下にはそういう風に見せかけておくだけって聞きましたけど」
「……陛下に聞いたの?」
「そうっす」
琉生が平然と頷いてみせた。
留学の話は知らないようだが、お妃教育を名目に北の離宮に留め置かれることが偽装であることは、司綺から聞かされて知っているらしい。
「だから、お嬢を連れ帰りたいなら好きにすればいいよ、って言われました」
「好きにすればって……」
連れ帰りたいなら好きにすればいい。
司綺が琉生にそれを許可したと聞かされ、棃璃は呆気に取られる。
司綺と琉生が直接言葉を交わすのは初めてだし、司綺に至っては今日会うまで琉生のことを認識すらしていなかったはずだ。
「……陛下は何を考えているのかしら」
棃璃が目を伏せて呟くと、琉生は「さあ」と肩をすくめて言う。
「お嬢が分からないならどうでもいい話だと思いますけど」
「あのね、琉生。陛下の話をどうでもいいなんて王城内で言ったらダメよ。聞かれた相手が悪かったら不敬罪で投獄されるわ」
「聞かれたら困る相手って、たとえば誰っすか?」
誰と聞かれてすぐに思い浮かぶのは。
棃璃は苦い表情で答える。
「……私の、父とか」
事あるごとに副師団長のジルド卿から提言を受ける。琉生を隊長から外すように、もしくは第二隊ではなく末番の隊長へ降格するように、と。理由はいつも同じ、琉生の出自が平民だから。
しかし、その提言は実のところ副師団長のものではない。平民の身で隊長の地位にある琉生を疎ましく思う父が、子飼いの副師団長の口を通じて伝えてきているのだ。
師団の人事権は師団長の自分にあると言い張り、副師団長の提言を突っぱねているけれど、父は認めないだろう。
皮肉なものだ。ナイトレイ魔術師団の一員として力を尽くしてくれる琉生が、もっとも警戒しなくてはならないのが棃璃の身内なのだから。
沈んだ気持ちを察したのか、琉生の掌が棃璃の頭をぽんぽんと叩く。いかにもな子供扱いをされ、むっとした棃璃は上目遣いで琉生を睨む。
「何よ」
「いえいえ。――まあ、心配しなくても大丈夫っすよ。大公閣下から不興を買ってるのは自覚してますし、今もお嬢の前だから気抜いて喋ってますけど、他人の目があるところでは言動に注意してますから」
「いつでもどこでもそうしてくれたら助かるけど」
「え~、疲れるから無理っす」
「ああそう」
肩を落とした棃璃の顔を、琉生が上体を屈めて覗き込んでくる。
「で、お嬢はこれからどうするんですか?」
「――そうね、琉生にだけは言っておくわ。私、留学するの」
北の離宮での滞在が偽装だと知っている琉生になら話しても問題ないだろう。
琉生は不思議そうな顔をする。
「留学? それって国外ってことっすか」
「ええ、遠い国の学校へ。この留学は父に知られるわけにはいかないから、身分を詐称してね。このまま極秘裏に出立するわ」
「ああ、それで建前ってことか……。じゃあ、身分を詐称するってことは、留学は公女ではなく?」
「そう。普通の令嬢としてね」
呪いのような予言とお花畑聖女さま作『悪役令嬢心得』を思い出し、うんざりした気分で溜息をついた棃璃に対し、琉生は柔らかく笑って言う。
「良かったっすね、お嬢。せっかくの機会だから、友だちをたくさん作って、学生生活を楽しんできてください」
琉生の言葉に棃璃がきょとんとした顔で問い返す。
「――友だち?」
「そうっす。お嬢、同年代の友だち、ひとりもいないでしょ。魔術学校にも通えなかったって聞きましたし」
「ええまあ、そうだけど……」
王城が主催した同年代の子息令嬢たちとの交流の場に、棃璃も公爵令嬢として出席したことはあるが、国の重臣と見なされるナイトレイ魔術師団長の立場のせいで、棃璃に寄ってくるのはいい年をした大人ばかり。肝心の同年代の子供たちからは遠巻きにされ、話しかけようとしても逃げられてしまう有様だった。
魔術学校に至っては、入学試験すら受けさせてもらえなかった。当時すでにメルキオールの指輪を所持していた棃璃は、魔術学校を統括する『賢者の塔』の首席賢者だったため、魔術学校で教えられることは何もないから入学辞退してくれと、学校側から懇願されてしまったのだ。
そんなわけで棃璃には友人と呼べる存在がひとりもいない。それどころか、同年代の人間と対等な立場で話したことすらなかったことに、琉生から指摘されて初めて気がついた。
「……そう。私、友だちを作れるのね」
同じく魔術学校への入学を拒まれた王子の紗綺を思い出す。
リストラード王国へ留学した紗綺は、王立学院で王太子たちと出会い、彼らと対等な友人関係を築くことができた。
ナイトレイ魔術師団長の立場。マギ・メルキオールの称号。キルリア国王の婚約者。
そのいずれでもない普通の令嬢であれば、自分も紗綺と同じように、リストラード王国で対等な友人を得ることができるかもしれない。
棃璃は明るい表情で琉生を見上げて言う。
「ありがとう、琉生。留学するのが楽しみになったわ」
「どういたしまして」
琉生はにっこり微笑みながら、深紅のマントをひらめかせ、優雅に一礼して見せた。棃璃も応えるようにお辞儀して見せてから、くすっと笑みを零して言う。
「堂に入ってきたわね」
「お褒めいただき恐悦至極に存じます」
「やればできるじゃない」
「問題は持続性っすけどね」
上体を起こした琉生が悪戯っぽく笑って返す。
棃璃は笑みを深めて言う。
「しばらく留守にするわ。師団の皆にもよろしく伝えてね」
「了解。お嬢も元気で頑張ってきて下さい」
その夜、棃璃は聖教会の転移門を使用してキルリア王国を発った。
そうして舞台はリストラード王国へ移る。




