恋を知らない悪役令嬢7
黎璃が即答で切って捨てると、司綺は「残念だな」と愉快そうに笑いながら席を立つ。
「あとで香璃を寄越すから、早急に留学の条件を詰めてくれ。君の準備が整ったらすぐにでも発ってもらう」
極秘裏の出立であれば、転移魔術を使うわけにはいかないだろう。王城では一部の魔術使用が制限されている。魔術の痕跡を辿られたら、黎璃が離宮にいないことくらい簡単に察知されてしまう。
「移動の手段は?」
「聖教会の転移門を使って聖国ハルベルを経由するのが無難だな。今ここには異世界の聖女がいるから、いい隠れ蓑になってくれるだろう」
「かしこまりました」
必要な話は終わったと踵を返した司綺だったが、回廊の石畳を進みかけたところで「そうそう」と思い出したように黎璃を振り返る。
「君、紗綺とは面識あったよね」
「王弟殿下であれば存じ上げています」
紗綺・キルリア。前王の末子として生まれた王子、司綺には異母弟にあたる。
生後まもなく母親を亡くして後ろ盾を失った紗綺は、前王の王妃――司綺の実母に引き取られ、司綺と同じ王子宮で一緒に育てられた。
幼い頃から異母兄の司綺を慕い、将来は司綺のような魔術師になりたいと、早くから魔術師への道を志した紗綺だったが、生来の体質で魔術とは相性が悪く、魔術学校の入学試験に三回落ちたところで、魔術師になる夢を諦めざるを得なかった。
黎璃が紗綺と知り合ったのは、ちょうどその頃だ。
魔術師にはなれそうもないから兄のために文官を志すことにした、とは当の本人から聞かされた。
キルリア国で生まれ育った者なら、誰でも受かるといわれている魔術学校の入学試験。
王族にもかかわらず三回も落ちたと後ろ指をさされ、肩身の狭い思いをしていた紗綺を案じた司綺は、文官になるための勉強なら他国でもかまわないだろうと留学を勧め、紗綺は遠い国へ旅立っていった。
当時の紗綺は十二才。今から七年前の話だから、現在の年齢は十九才になる。
十九才――奇しくも、婚約者がいないという某王国の王太子と同じ年。
黎璃は眉をひそめる。
どこの国へ留学したのかは知らなかったが、この場で司綺が話を振ってきたということは、紗綺が留学したのは黎璃と同じリストラード王国の王立学院なのだろう。
司綺は「察しが良くて結構」と人の悪い笑みを浮かべてみせる。
「実は先日、リストラード国に留学中の紗綺から手紙が届いたんだ」
司綺宛の手紙に記されていたのは、紗綺の想いだった。
リストラード王国の第一王子と学友になり、彼の幼なじみ達と一緒に仲良く学んできたけれど、王立学院の高等部を卒業し、成人した第一王子が王太子となったことで、皆の進路がばらばらになってしまった。
「当然だよね。第一王子の幼なじみ達は学友である前に側近候補者だ。彼が王太子になれば正式に王太子側近となるのは当たり前の話。紗綺は自分が王族だから気がつかなかったんだろう」
今まで同じ仲間だと思っていた学友たちが、王太子の側近として着実に足場を固めていく中、ひとり取り残された紗綺は自らの将来を真剣に考え始めた。そして考え抜いた末に自身の想いを手紙に書いて司綺へ寄越した。
「キルリア国にはもう戻らない。自分の力を王太子のために使いたい。将来にわたって彼の力になりたい、と言ってきた」
「……嫌な予感しかしませんね」
「メルキオール、その予感は大当たりだ。何と紗綺はリストラード国の王宮魔術師を目指して、かの国で魔術を勉強中らしい」
黎璃は頭痛を覚える。
キルリア王国の由緒ある魔術学校の入学試験に、王子でありながら三回も落ちた本質的な理由を、紗綺は自覚しているのだろうか。
司綺は笑みを含んだ声で言う。
「あそこは水精霊の加護で成り立っている国だ。紗綺が自分の魔力を知らないまま、不用意に魔術を使えば、思わぬ事態を招きかねない。というわけで、メルキオール。周囲に危険が及ばぬよう、紗綺の手助けを頼む」
「陛下がひと言、魔術を使うなと仰ればよろしいのでは?」
黎璃が片眉を上げて言い返すと、司綺は「可哀想じゃないか」と顔をしかめてみせる。
「せっかく前向きになって、王太子の助けになりたいと奮起して頑張っているのに」
「無駄骨に終わると承知の上で止めないと?」
「若者は挫折を覚えて真の意味で成長するんだよ。それまで年長者は温かく見守ってあげないとね」
「……はあ、そうですか」
自分は紗綺より年下だし、司綺の主張にはこれっぽっちも同意できないが、司綺が異母弟の紗綺に甘いのは今に始まったことではないので、黎璃は右から左へ聞き流すことにする。
「分かりました。基本的には放置で。周囲に危険が及びそうな場合のみ、最低限の手助けをさせていただきます」
「結構。裁量は君に任せる」
司綺は両腕を組み、含みのある笑みを浮かべて言う。
「はてさて。次に会うときの君は、恋を知らないままなのか、それとも運命の恋をしているのか、どっちなんだろうね」
「私は前者だと思いますが」
「ということは、世紀の悪役令嬢として対面するわけか。それはそれで楽しみだな」
嫌みではなく本気で楽しみにしているのが分かるだけに始末が悪い。
婚約者として、臣下として、司綺に対して思うところは色々あるけれど、留学前に会うのはこれが最後だからと、黎璃は丁寧な所作で一礼して応えようとしたのだが。
「陛下のご期待に添えるよう頑張ります」
「悪役令嬢らしくないよ」
最低最悪な婚約者で、最高に面倒くさい腹黒主君は、実に爽やかな笑顔でやり直しを求めてくる。
思い切り顔を引きつらせた黎璃は、司綺に人差し指を突きつけて言い直す。
「せいぜいその首を洗ってお待ちになることね!」
「あははは! それでいい。心待ちにしているよ、黎璃」
満足そうに頷いてみせた司綺は、踵を返して主塔に向けて歩き出す。
振り返らない司綺の背中を見つめながら、黎璃は心の中で誓うのだった。
二度と、深緑色のドレスなんて着てやるものか、と。