恋を知らない悪役令嬢5
「留学? 私が?」
思いも寄らない言葉に黎璃は目を丸くする。
黎璃の意表を突けたことが面白かったのか、司綺は満面の笑みを浮かべて言う。
「本当はお妃教育など必要のない優秀な君のことだから、中原一の大国といえばどこの国のことだか分かるよね」
「……ええ、分かりますが」
リストラード王国。
大陸の中央部に位置し、一年を通して穏やかな気候、広大で豊かな領土に恵まれた、中原一と呼び声高い大国だ。建国時の初代王から連綿と続いている王室は、魔術大国キルリアや聖国ハルベル王家に次ぐ古い歴史を持ち、国民から熱狂的に支持されている。
また、リストラードの国王は代々、水精霊から特別な加護を授かっており、その加護の力を国内に浸透させることで魔物の脅威から国土を守っている、特異な自衛手段を持つ国だ。
キルリアから魔術師団を派遣することがないため、黎璃がこの国のことで知っているのは、キルリア国民でも知っているような常識程度である。
司綺が笑みを深めて答える。
「留学してもらうのはリストラード王国の王立学院だ」
国によっては入学を王侯貴族だけに限るところもあるようだが、リストラード王国の王都にある王立学院では、王族籍の王子王女、貴族階級の子息令嬢のほか、裕福な商家や王城に文官として出仕している親を持つ子供たち、優秀な成績で入学を認められた奨学生も通っているそうだ。
そして昔から他国の留学生も広く受け入れているため、編入生として目立つことなく紛れ込むのは難しくないという。
「君は本来、離宮に引き籠もってお妃教育に専念していることになっているから、留学するのは公女でも魔術師でもない、普通の令嬢としてになる」
「別人の経歴で?」
「そうなるね。大公にさえ気取られなければかまわないから、詐称の程度、向こうでの行動や判断は君に一任するが、リストラード王には私から内々に事情を伝えておくよ。彼女は目的のために身分を詐称しているだけで他意はない、とね」
「目的?」
何のことだと眉をひそめてみせた黎璃に、司綺は「は?」と今さら何を言っているんだと言い返す。
「この話の流れで君がリストラード王国に留学する目的なんて決まってるだろう」
「分からないから聞いてるんですが」
本気で分からないと説明を求めたら、司綺に心底呆れ返ったといわんばかりの顔をされる。
「君って本当にそっち方面はダメだよねぇ。前途多難にも程がある」
司綺から小馬鹿にされて頭にきたがここは黙って堪える。前途多難、二度目の言葉だと気づいたから。
思い返せば、もともと司綺が祖母から受けた予言の話だった。
「リストラード王国の王族のことで知っていることは?」
司綺の問いに黎璃は嘆息して答える。
「水精霊から加護を授けられていることで有名ですが、陛下の望んでいる答えではありませんよね」
「まったくの外れではないけど。その王族の話だよ」
司綺は手元の茶器を脇に避け、テーブルの上に身を乗り出すようにして続ける。
「リストラード王国の王太子は十九才。すでに成人しているが、未婚の上、いまだ婚約者すらいない。キルリア王である私も、公的には未婚で婚約者もいないことになっているが、これは君が成人するのを待っているからだ。だが、リストラード王太子の場合はそういった事情もなく、本人の問題だという。――君は興味ある?」
「ありません」
「だよねぇ」
聞いた自分が馬鹿だったと、司綺が大仰に肩をすくめてみせた。
分かってるなら聞くなと言い返してやりたいが、相手は最低最悪な婚約者でも一応は主君なので、黙って司綺の言葉を待つ。
「まあ、彼の個人的な問題はこの際どうでもいいだろう。大事なのはリストラード王太子の婚約者、その候補者すらいないことだ」
確かに冷静に考えれば、あの大国の規模で次代国王となるべく定められた王太子に、妃となる候補者すらいないのは異例だといえるだろう。普通なら王太子妃のほか、側妃候補がいてもおかしくない。
「現状、リストラード国の次代王妃となる、王太子妃の席は空いたまま。国内の貴族令嬢はすでに面通しされた後だろう。となれば、妙齢の娘を持つ他国の王侯貴族はどうすると思う?」
「手っ取り早く娘を留学させるでしょう。リストラード王太子妃の座を射止めるために。あれだけの大国の王室と縁戚になるメリットは大きいと思われますから」
いったん口を噤んだ黎璃は、目を細めて注意深く問いかける。
「陛下、まさかとは思いますが、私にその役目をさせようとか企んでいませんよね」
「当たり前だよ。さすがの私でも、我が国を支える三柱のひとつ、ナイトレイ公爵家を真っ向から敵に回す気はないからね」
黎璃の懸念を司綺は「あり得ない」と一蹴してみせた。その考えは司綺の念頭になかったようだ。
「話を戻そう。リストラードの王立学院には今、王太子妃候補になることを狙って、リストラード国の貴族令嬢はもちろん、他国の王女や有力貴族の令嬢がたくさん在籍している。となれば、年頃の子息がいる他国の王侯貴族はどうすると思う?」
「……手っ取り早く留学させるでしょうね。結婚を前提とした出会いを求めるなら、格好の場所でしょうから」
事ここに至ってようやく司綺の思惑、留学の目的を察した黎璃は、引きつった顔を司綺に向ける。
「つまり、私に夫となる男を見つけて国へ連れ帰ってこいと?」
「あのね、珍種の魔物を研究用に持ち帰ってくれと頼んだときと同じ顔をしないでくれないかな」
「私にとっては似たようなものですが」
「いやいやいや、一緒にされては困る。いいかい、メルキオール。王命である留学の目的は、君に普通の令嬢として、同年代の異性と出会う機会を与えるためだよ」
じっと恨めしげに睨みつけていると、司綺は「まあね」と肩をすくめてみせる。
「祖母の予言は『大恋愛して結ばれる』だから、結果的にはそうなるかもしれないけど。ああ、そうそう。私の可愛い麻里が言うには、異世界ではそれを『婚活』というらしい」
黎璃の眉間に深い縦皺が寄る。
どうやら司綺の王命には、異世界の聖女のくだらない入れ知恵が元になっているらしい。