恋を知らない悪役令嬢3
魔術大国と称されるキルリア王国においては、魔力の強さや魔術師としての力量が、何よりも重要視される。キルリア国王も例外ではなく、魔術師の位が低かった前王はその治世において、三大公爵家の後見が王権への干渉だと承知していながら、それを頼みにせざるを得なかった。
しかし、前王の第一王子として順当に即位した司綺は、バルタザールの指輪を有する第二位の特級魔術師である。前王とは異なり、マギ・バルタザールの称号を持つ国王として権を完全掌握している司綺が、三大公爵家の後見を不要だと判断するのは当然のことだろう。
司綺は薄く笑って言う。
「私はわがままだから自分のものは何ひとつ譲りたくない。だから、王妃の立場が国の共同統治者だと分かっているメルキオール、君のような賢い女より、私に愛されることだけを望んでいる愚かな女、麻里の方が私の王妃には相応しい」
自分は司綺の好みではないのだろうと薄々気づいてはいたが、こうもはっきり意思表示してくるとは。腹が立つよりも呆れてしまう。
黎璃は両腕を組んで答える。
「大変よく分かりました。陛下が本当にろくでもない最低最悪な婚約者であるということが」
「それは良かった」
「ですが、残念ですね。これは政略結婚です。陛下の性格がどれほど腹黒であろうと、父が婚約解消に応じることはありませんから」
「だろうね。香璃も断言していた」
「ということで、私との婚約破棄は諦めてください」
「いいや」
人の悪い笑みを浮かべる司綺。黎璃は怪訝そうに眉をひそめて聞き返す。
「陛下、先ほど言いましたよね。王家と三大公家の約定によって定められた私との婚約を一方的に破棄することはできないと」
「確かに言ったね。私にはできないと。――けれど、私には無理でもメルキオール、君にならできるよね」
黎璃はすっと鋭く目を細める。
「……どういう意味ですか?」
警戒心をあらわにする黎璃を司綺は笑みを深めて見やる。
「私が求める君との婚約解消にはナイトレイ公爵家からの承諾が必要不可欠。しかし大公は絶対に承諾しないだろう。だから香璃に言ったんだ、香璃がナイトレイ公爵家の当主になればいいって」
「簡単に言いますね、三大公家の当主継承を」
「そうかな。ナイトレイ公爵家の現当主はめったに登城すらしない。国の重鎮、筆頭公爵家当主が果たすべき役目を、香璃と君に全部押しつけて」
執政者である王の側近としての役目は香璃に。魔物の討伐を担うナイトレイ魔導師団の師団長としての役目は黎璃に。
他の二大公爵家当主が自ら果たしている役目を、ナイトレイ公爵は子供たちに任せ、領地の城に引き籠もっている。それでいて大公としての権は手放そうとせず、裏であれこれと暗躍し、王城への影響力を強めようと画策する。
国王である司綺からすると鬱陶しいことこの上ないだろう。
「彼を失脚させる手立てならいくらでもある。他の大公家への根回しも問題ない。後は香璃がその気になってくれればいいだけ。――しかし、いくら言っても香璃は首を縦に振ろうとしない。あれほど父親の傲慢さを疎んでいるのにだ。だから聞いたんだよね、どうしてなのか。そうしたら『自分には資格がない』って言ったんだ」
兄が口を滑らせた状況を察して、黎璃は嘆息する。
「酒で酔わせて無理矢理聞き出しましたね」
「おや、よくわかるねぇ」
「でなければ、口にするわけがないからです」
司綺がくすっと笑みを零す。
「香璃は、可衣・ディ・ナイトレイの長子。文官としての能力も飛び抜けて優れており、城では将来の宰相候補だと目されている。そんな香璃が『資格がない』というなら、『資格』の有無は魔術師の位にほかならない。香璃にとって唯一の瑕疵といえるのが魔力の低さだからね。だとしたら、公爵位を継げる『資格』を有するのはメルキオール、君だろう」
黎璃は表情を変えずに司綺を見返す。
「ナイトレイ公爵家には女大公の前例が複数ある。直近は君が生まれる前に亡くなった先代当主、君の祖母にあたる女性。その前はさらに五代前。ナイトレイ公爵家の嫡流に生まれた令嬢は、他家と比べると極端に少ないが、その代わり皆が皆、君のように強い魔力の持ち主だったようだね。全員が例外なく女大公となっていた」
司綺はキルリア王の権限で、王城が保管する貴族家の系譜記録と、魔術師を統括する『賢者の塔』の記録を調べたのだろう。
「どうだろう。もし君がナイトレイ公爵位を継いで女大公となるなら、君の父親から実権をすべて取り上げ、私が君の後見に立つと約束するが」
黎璃はしばらく無言のまま、司綺の顔を見返していたが、やがて小さく息をつくと、テーブルのカップに手を伸ばす。そして、すっかり冷めた紅茶を口にしてから言う。
「陛下にひとつ忠告を」
「――忠告?」
「王たる立場で、ナイトレイ公爵家の当主継承には、決して関わらないでください」
「なぜ?」
「我が国の禁忌に触れます」
キルリア王国の禁忌。
黎璃の言葉に司綺が息を呑む。
しばらく思案した後、司綺は真摯な面持ちで答える。
「……なるほどね。わかった。ナイトレイ公爵家の継嗣には二度と口を出さない」
ナイトレイ一族の魔術が結界に特化している性質から、黎璃の口にした禁忌がいかなるものなのか、彼自身の持つ知識で推察したのだろう。そのうえでナイトレイ公爵家の抱える禁忌に触れるべきではないと判断した。
王権の及ぶ範囲を冷静に見極める司綺の能力は賞賛に値する。魔術の根幹に関わる秘密を数多く有しているキルリア国の王にはこの上なく相応しい人物である。
ただし、結婚相手としては論外だが。
「では、手を変えよう。――黎璃」
司綺から親しげに名を呼ばれた黎璃は思わず顔をしかめる。
「……何ですか」
珍しく嫌そうな表情をあらわにする黎璃を、司綺はおもしろそうに眺めながら聞く。
「君、私のことが好きか?」
「いいえ、まったく」
「これから好きになれそうな可能性はどれくらい?」
「万にひとつもあり得ません」
迷わず即答した黎璃。司綺は「相変わらずだな」と苦笑して返す。
「その丸太を縦にぶった切ったような言い様。まあ、王侯貴族の政略結婚なんて契約みたいなものだから、それはどうでもいいけど」
司綺が人差し指を立てて続ける。
「さて、ここからが本題だ」