婚約者?
容姿端麗、頭脳明晰、痩身優美。彼を褒め称える文句は山ほどあるが、それに固執したことはない。
何せこの後に『ハズレ王女との婚約が無ければなぁ!』と続くのだから。
「……目が覚めた? へぇ……」
興味などなさそうに呟いてから、処理した書類を侍従に渡す。
アレクシス=ヘルクヴィスト。
ヴィオレッタの婚約者で、ヘルクヴィスト公爵家三男。
王家との繋がりの強化のためにと、ヴィオレッタが九歳、アレクシスが十二歳の時に婚約を結んだ。
この時はヴィオレッタは完全なるハズレ扱いをされており、両親からも弟からも馬鹿にされていた。そんなハズレと婚約させられるなんて!と、とんでもなく嫌がったが周りの大人からの圧には勝てない。
「坊ちゃま、お見舞いに行かなくてよろしいのですか?」
「あのハズレのお見舞い? 冗談だろ」
ハッ、と鼻で笑ってから変わらずに書類の整理をしていく。
三男といえど仕事は普通に任されるのだから、やることはやらなければいけない。公爵夫妻は子供にも甘くはない。
「ですが、王女様とは婚約者同士という関係でございますし……」
困惑しているような、しかし咎めているような声に、アレクシスは降参したと言わんばかりに両手を挙げた。
「分かった! ……分かったよ、行けば良いんだろう行けば!」
「手ぶらなどはおやめくださいね」
「……適当な花で良いだろう。おい、そこのお前」
部屋の清掃に来てくれていたメイドを呼び止め、げんなりとした表情を隠さないままでアレクシスは指示を出した。
「適当に季節の花でブーケを作ってくれ」
「色はどうなさいますか?」
「それも適当でいい。ああ、お前の好きなように作れ」
「え、っと」
本当にいいのだろうか、とメイドが侍従をちらりと見れば、諦めたように首を横に振る。
いつものことか、と諦めてから言われた通りにブーケを作成するため、その場を後にした。とはいえ、これはいつも通り。
婚約者の王女様はとっても可哀想だ、と思いながらもメイドもこう思っている。『だって、あの人ハズレだもの』と。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「お見舞い、ですか」
淡々とヴィオレッタは呟く。
そういえば、婚約者がいたな、と思い出す。あれだけ自分が縋りついていたけれど、離れるのだと決意してからは割とどうでも良くなりつつあった。
明日香の存在があるからこそ、ここまで淡々とできているのは理解できている。というかあの人も嫌すぎるならさっさと婚約解消でも破棄でもすればいいのに、とヴィオレッタは思う。
「別にいらないのに」
呟くヴィオレッタに、メイドはぎょっとして視線をやる。
「い、今までは王女様がお会いしたいと仰っていらっしゃったではありませんか! アレクシス様に何度もお手紙を書いていたり……!」
「今までは、でしょう?」
「そうですが……」
「……それに」
ちら、と届いたブーケを見る。
季節の花で作成されているものの、何も気遣いなどない。ただ作っただけの、綺麗なだけのブーケ。
「こちらを蔑ろにする人からの贈り物なんて、不要だわ。捨てておいて。これ、ただ贈ってきただけでしょう?」
「そ、それは……」
「ヴィオレッタ様!」
「……はぁ」
ノックもなしか、とヴィオレッタは大きな溜息を吐く。
今まで粗雑に扱われすぎることに疑問すら抱いていなかったけれど、今は当たり前のように怒ってくれる明日香がいるのだ。
その存在に大いに救われているし、一人ではないと分かっているから、これまで我慢してきたものも我慢しないと、決めたばかりなのだ。
「ノックもできないなら、やめれば?」
「!?」
今まではドアが思いきり開かれれば体をすくめていたのに、と思うけれど言われていることは至極もっともな内容でしかない。
指摘されたメイドは顔色を悪くしながら、小声でぽそぽそと謝る。
「すみませぇん……」
明らかにめんどくさい、と顔に描いた状態で謝ってくるメイドに視線をやる。
今までとは異なっているヴィオレッタの視線の質に、そのメイドはようやく理解してきたようでぎょっと驚いた表情になった。
『ヴィオちゃん、顔。怖いことになっちゃってる』
「(我慢しないって決めたら、こう……思ったよりも顔に出るようになりまして。いけませんね)」
『いいんじゃない? そうしないとアイツら分かんないっしょ』
ヴィオレッタの考えているときの声は明日香にだけ聞こえて、そして逆もまた然り。
隠れて内緒話をしている状態で、表情は変えずに器用に心の内で喋る。
「あの、えと」
そして、ノックをせずに勢いよく入室してきたメイドは、いつまでも声をかけてくれないヴィオレッタをチラチラと見ている。
これまでなら、形だけの謝罪であろうとも簡単に許してくれたのだから。
「何の用? 突っ立ってるだけならマネキンにもできるわ。口があるんだからさっさと用件言ってくれないかしら」
「……………………え、と」
とんでもなく冷たい声と、眼差し。
「用がないなら出て行って。二度と私の部屋に入ってこないでちょうだい」
「……………ぁ」
声が出ない。そう、ヴィオレッタに来客があるのだから伝えなければならない。そのためにわざわざここまで来た、のだが。
伝えるべき相手から向けられる眼差しは、まさに氷点下。
このひと、こんなんだった?メイドは思うけれど、ヴィオレッタが思いきり机を叩き、びくりと体を竦ませた。
「ひえ、っ」
「理解できないのであればさっさと出ていきなさい!」
おどおどしていたけれど、ヴィオレッタも王族なのだ。
そして今、彼女には心強い、ヴィオレッタの味方もいる。駄目なことは駄目、頑張ったことに対しては思いきり褒めてくれる大切な人。ヴィオレッタが巻き込んでしまった、とても、優しい人。
「あ、ああ、ああああの、お客様、が!」
「誰」
「ここ、婚約者、のアレクシス様、です」
迫力に完全に負け、どもりながらも答えた相手を聞いてヴィオレッタは心底嫌そうな顔になる。
「お、お会いになりますよね!」
「は?」
「え?」
「会わないけど」
「だ、だって、アレクシス様ですよ?!」
「だから?」
「だから、って」
「今日訪問するとも何とも聞いてないけど」
「お、お見舞いって、言ってました!」
「だから?」
「え、えぇ……」
取り付く島なし、とはまさにこのことか。明日香はヴィオレッタの中で『うーん』と呟く。
ヴィオレッタが離れたいと口に出していた婚約者、それがどうやらアレクシスとかいう人らしい。
そんなにも会いたくないのか、と思うが、贈られてきたお見舞いのブーケを捨てろ、と言い切ったあたりで何か察せた気がしていた。
『ヴィオちゃん』
「(はい、アスカさん)」
『その婚約者くん、嫌い?』
「(会う度馬鹿にされるので、それなら婚約解消してあげた方が良いかなと)」
『その手紙は出した?』
「(まだです。そのうち出そうと思っていたらいきなりの今日の訪問です)」
『おわ、超迷惑』
「ヴィオレッタ!」
バン!とこれまたノック無しで扉が開く。
ここの人たち思いきりドア開けないと死ぬ病気か?と明日香がげんなりしていれば、入ってきたのはとんでもないイケメン。あ、これがさっきのアレクシスか、と思っているとずんずんと歩いてくる。
おかしいな、ヴィオちゃん入室していいとか何も言ってないよ?と思っていれば、無表情のヴィオレッタが手を動かした。
「ヴィオレッタ、無事に回復して目を覚まし、うぶっ!!」
手を動かし、水球を発生させてこちらへとずんずん歩いてくるアレクシスへと綺麗に命中させたのだ。
ぽたぽたと水が垂れ、呆然とするアレクシスにちらりとだけ視線をやって、呟いた。
「出ていってください。今日はお約束しておりません」
「…………は?」
聞いたこともないような冷たい声に、アレクシスは言いようのない不安に襲われた。
「い、いや、待ってくれヴィオレッタ。君が毎回僕に会いたいと言っていたから」
「今、会いたいと言いましたか?」
「言って、ない」
「もう一度言います、出ていってください」
淡々と告げる目の前の女性が、これまでのヴィオレッタとはまるで異なっていて、恐怖すら覚える。
これが、ハズレ王女と呼ばれた女か?と。
呆然と立ち尽くして考え込んでいたアレクシス、オロオロしているだけのメイド、いつまで経っても花を処分してくれないもう一人のメイド。
明日香は彼らを冷静に眺め、そしてまたヴィオレッタに話しかける。
『強制退出願おうか』
「(そうですね)」
『ヴィオちゃん、もっかい手を前に出して。ちょっと私から力もうちょい送るね』
「(え?)」
言われるままに手を前に出すヴィオレッタ。
そして、明日香もそれにならって手を前に突き出した。
『こうかな。えーと……風よ!』
「あ」
明日香が言った瞬間、ごう、と風が巻き起こり、その三人だけを綺麗に包み込んで部屋の外へと押し出した。
引き込む圧の力も器用に借りて、そのままドアを閉める。更に、その瞬間明日香がにゅるりと出てきて鍵も器用にかけた。
「触れるの?!」
『なんかいけた!!』
丁寧な言葉遣いがどうやら家出したらしいヴィオレッタと、ぐっと親指をたてていい笑顔を浮かべる明日香。
二人はそのまま笑いあって、並んで立つ。
『さっきのが婚約者くんかー』
「一応。でも、私のことは基本的に興味が無いようなので、さっさと婚約解消してさしあげねば、と思います」
『うんうん、そだね!』
「それにしても明日香さん」
『んー?』
「力、強くなってません?」
『馴染んできた、のかもねー』
「やはり、一度図書館で調べましょう。純血王家のもつ、力の意味も私は知りたいから」
『よしよし、良い顔だ!』
自分に関心がなかったのに、こうなってあれこれ干渉しまくってくる人たちなんか知りません、ととてつもなく冷静に言い放ったヴィオレッタ。
そして、ヴィオレッタの部屋から押し出された三人は、ただ、呆然と立っているだけだった。こんなはずではないのに、と三者三様に思いながら。