身内だから大丈夫だと思っている
役立たず、無能、存在価値がない、生きていても死んでいても同じだろう?…等など。
どれだけの言葉のナイフで姉であるヴィオレッタの心をずたずたにしたのだろうか。子供だからといって許されるものではないのだが、何故かリカルドは許してもらえると思っていた。
そして、リカルドの従者も何故かは分からないが、無駄に『ヴィオレッタ様はリカルド様をお許しになる』と信じていたのだ。
「どうして……」
閉ざされたヴィオレッタの部屋の扉は開きそうにない。最後に聞こえた悲痛な叫び声は、遠慮なくリカルドの胸を突き刺した。呆然と呟きながらも、彼はこう思っているのだ。『だって、ヴィオレッタは無能の役立たずじゃないか』と。
誰かに暗示をかけられているかの如く、無能だと信じていた。彼女曰くの『純血王家』という言葉も、聞こえないふりをした。
その役目はヴィオレッタ以外にはできないというのに。
決して、リカルドだけではなく、他の誰にも彼女以外は魔物よけの結界の修復すらできないのに。
「リカルド様…その、もう、行きましょう」
「だ、だって…ヴィオレッタが、ドアを、開けてくれなく、て、でも僕は、あ…っ……」
「そのヴィオレッタ様は、こうして我らがここにいるだけで、ご気分を害されております」
少しずつ、従者は状況を把握してきたようだ。
心なしか、彼の顔色は悪くなっている一方で、リカルドは何も気にしていない。従者の言葉にカッとなって彼を思いきり怒鳴りつけた。
「アイツが!アイツが悪いんじゃないか!今まで無能だといって隠していたから!」
「何を隠されていたと仰るのですか」
「そ、それは、その」
「よろしいですか、殿下」
しゃがみ、従者はあまりよくない顔色のままでリカルドの肩をしっかりと掴んだ。そして、分かりやすいように話始める。
「殿下が、もしもヴィオレッタ様が受けたような仕打ちをされればどう思いますか?」
「嫌に決まってるだろ!」
「どうして、ヴィオレッタ様にはしてもいいと思ったのですか?」
「だって、父上や母上、アイツの婚約者も…」
「人がしているから、同じようにするのですか?」
「お、お前だって」
「えぇ。ですから、わたしはこれ以上殿下の従者として働くわけにはまいりません。職を辞します」
「……はぁ?」
寝耳に水、とはこのことかもしれない。
リカルド付きの従者は、躊躇することなく辞職を決めた。
それは、せめてものヴィオレッタへの償いができればと思ったからでもあるが、そもそも自分がしてきたことは王族侮辱にしかならない。
あそこまで拒否されてようやく目が覚めた。遅すぎるのかもしれないが、次のリカルドの従者になる人は、こういうことを諌めてくれる人を選ばなければと、強く思う。
「どうしてだよ!ヴィオレッタが拒否したからって、どうしてお前が僕の傍からいなくなるんだ!」
「…王子、わたしは…王族を侮辱し続けておりました。このようなわたしが、王子のお傍にいるわけにはいかないのです」
「ヴィオレッタのせいか?!」
「王子!」
思わず声を荒げた従者のただならぬ様子が、ようやくリカルドにも理解出来た。
彼の顔色は悪く、微かに手も震えている。
しかもここは王宮内で、未だヴィオレッタの部屋の前。
場所も悪いから、と無理矢理リカルドを連れて廊下を歩く。手を引いていたが、どうやら力が強かったようで『痛い!』と抗議されるが気にしている暇などない。そのまま真っ直ぐリカルドの、部屋へと向かい、到着してからそそくさと室内に入った。そして、リカルドをソファーに座らせてから改めてがっちりと肩を掴んだ。
「…わたしは、…いいえ、わたしも王子も、ヴィオレッタ様のお心を傷付けました」
「だって…それはアイツが無能だから」
「言っていいことと、悪いことの区別を教えられなかったわたしに、非があります」
「だからって!」
「王族の言葉は、重いのですよ。いいえ、王族でなくとも。言葉で傷付けられた傷跡は、そう簡単に消せるものではないのですよ、……リカルド王子殿下」
「………っ、あ………」
まだ、十歳。
だが、無邪気故に残酷な言葉を彼は何度も何度もヴィオレッタに遠慮なくぶつけてきた。
結果、拒絶されてしまうことになった。
それは本人がやってきたことの結果でしかないのだが、リカルドは何が悪いのか理解していないし、しようともしていない。
それが、そもそもの問題なのだ。
ヴィオレッタがああして聖女召喚に成功したからには、恐らくこれから周りに言われ続けたように、彼女は彼女にしかできないことを成し遂げて、存在価値をたっぷりすぎるほどに示すだろう。
そうなった時、しっぺ返しを彼らは食らってしまう。
これまで国全体で虐げてきた『無能王女』が、彼女にしかできないことを成し遂げる。その時点で彼女は『無能』などではないのだから。
「殿下、ヴィオレッタ様はもうきっと、『家族』という存在を諦めておいでです」
「だから?」
「貴方様に、ヴィオレッタ様はきっと微笑まない」
え、とリカルドの呆気にとられた声が聞こえたのだが、気にしてはいられない。
「いいえ、正確には『この王家皆様方とヴィオレッタ様の婚約者に』微笑まないのです」
リカルドの従者は、仕え始めてからの歴は長くない。
これからのリカルドの成長を鑑み、彼が従者として共にあれと国王から命じられたのだが、もう一緒になどいられなかった。
数度とはいえ、周りにつられるように彼もヴィオレッタを馬鹿にした。本人から指摘されて、ようやく気付けた。
馬鹿にされようとも彼女も王族なのだ。そんな彼女を侮辱するなど万死に値する。
本人から言われるまで気付かないとは、どれだけ馬鹿だったのだろうと己を恥じた瞬間だった。
しかし、それが当たり前として過ごしてきたリカルドをはじめ、ヴィオレッタの婚約者も父も母も、恐らくはほかの貴族たちも、それの何が悪いのか理解しない。
更に、噂で聞いたところによると、王も王妃も、目が覚めたヴィオレッタに関わることすら手酷く拒否されている。
父や母ですら拒否したのであれば、弟を拒否しない理由がどこにあるのだろう。
言われて当然という環境下から、ヴィオレッタは少しずつ、抜け出しつつある。それは、明日香のおかげではあるのだが、これまで背中を押し、支えてくれる人がどこにもいなかったから出来なかった。そんなことをする勇気も、気力もなかったのだ。
だが、最早違う。
ヴィオレッタの置かれた状況がまずは一転し、更には彼女自らの意思で、家族を丸ごと拒否した。
「僕は……僕は、ヴィオレッタの家族なんだぞ?」
そんなことあるわけない、と力無く呟くリカルドに、従者は容赦なく追い打ちをかけた。
「ですが、拒否されていることがお分かりでしょう。部屋は閉ざされ、鍵をかけられております。家族の皆様方が会いに行って、ヴィオレッタ様自らが扉を開くことなど……ありますまい」
「じゃあ、どうしたらいいんだよ……なぁ……」
反省しろ、と言ったところで『反省』の意味が分かっていなければ無駄なこと。どのようにして伝えたらいいのか分からないが、従者は最後の仕事だと思い、リカルドの肩から手を離す。真っ直ぐ、目は合わせたままで。
「どこまで届くか分かりませんが、きちんと、謝ってください。上辺だけではなく、心から」
「だ、って」
「そうやって否定する限り、ヴィオレッタ様と笑い合う未来は永劫、来ないと思ってくださいね」
もっともっと小さい頃、ヴィオレッタと手を繋いで中庭を散歩していたときのことが、何故かふと思い出された。
あの頃は、姉様、姉様、といつもそう呼んでいたのに、いつの間にか『おい』だの『ヴィオレッタ』と名前呼びをしてしまっていた。
いつからだろう、と思うけれど、周りがそうやって彼女を下に見ていたから、それに影響され、自分もそう扱っていいものだと根拠のない自信が溢れた。
少しずつ、ヴィオレッタから笑顔が消えて、いつの間にか食事も一緒にとらなくなった。
目につかないように、息を殺して生きているヴィオレッタを、無理矢理引きずり出して、嗤った。
役たたずは、王宮から出ていけ!とも言ったことがある。
どうしてそんなことを、と今更ながら思ったけれど、吐いた言葉は元に戻せない。
どんな思いでヴィオレッタが一人で過ごしていたのだろうか。想像するとゾッとしたけれど、果たして謝ったところで彼女に受け入れてもらえるのかどうか。
子供のしたことだから、とリカルドの周囲の人は軽く考えているだろう。リカルドが言えば、ヴィオレッタに対してあれこれ取り成してくれるかもしれない。
意識を失い眠っていたヴィオレッタが目覚めたあの日、あの瞬間の、目の冷たさは忘れられないだろう。更に、彼女の声の冷たさや、リカルドを名前で呼ばなかったこと。加えて父と母すら国王、王妃という役割で呼んだ。
「姉様、……もう……僕は戻れないの……?」
「殿下……きちんと、その思いをお伝えになってください。ご理解、されましたか?」
こくん、と頷くリカルド。
この従者が気付いてくれたから、自分もようやく理解出来たと思ったが、その彼はすぐに居なくなった。王族を罵ってしまったことについての己の責任を取ります、そう残して、リカルドの前から去っていった。
「……姉様」
今更なのかもしれないけれど謝ろう、と思うが言葉がうまく出てこなくなりそうだった。
リカルドの新しい従者はすぐさま父母により用意されたが、その人に対して、前任者との会話を伝えることはできなかった。
一度だけ、かいつまんで話してみたのだが、その人からはこう返ってきた。
「リカルド殿下が、何故謝る必要があるのですか?」
あ、と小さな声が漏れた。
前任者が自分を叱ってくれたことを、リカルドは感謝した。
一度目が覚めたおかげで、惑わされずに済みそうだったから。そして、改めて決めた。姉に、謝ろうと。