お別れ
「っ、嫌だ……!」
ヴィオレッタは涙をボロボロと零しながら、駄々っ子のように首を嫌だ、と横に振り続ける。
『……ヴィオちゃん』
「お願いです、まだもう少し……もう少し、時間を下さい!だって、私まだ、アスカさんにちゃんとお礼を言えてません……っ」
『ううん、そんなことないよ。ヴィオちゃんは、きちんと、いーっぱい、ありがとうを伝えてくれてる。だから、大丈夫』
「でも…………でもぉ……っ!」
ふるふる、と明日香は首を横に振り、抱き着いて明日香に縋った状態のヴィオレッタの背中を優しくぽんぽんと叩きながら、とても穏やかな声で語りかける。
『ヴィオちゃんは、もう一人じゃないんだから』
「……っ」
『アリシエルさんもいるし、ファイちゃんもいる』
『ねぇ、ちゃんって何ぃ、ちゃん、ってぇ!』
明日香の言葉にぷんすこしながらアリシエルの肩でぴょんぴょん跳ねているファイに、にか、と明日香は笑いかける。
『見た目としては、ちゃん付けでいいと思うんだよね~。ねぇ、アリシエルさん!』
「そうねぇ、ファイったらとっても可愛らしいから」
アリシエルにまでそう言われ、ファイはまたぷんすこしながら器用に地団駄を踏んでいる。アリシエルの肩の上で。
「器用でいらっしゃいますね、ファイ様」
『なぁにぃ、ボクのことばかにしてんのレスシュルタイン』
「はっはっは、そんなまさか」
『ヴィオレッタがアスカにべったりなの面白くないのは分かるけど、ボクいじりやめてほしいし』
「…………」
バレた、と内心呟いたレスシュルタインをぎろ、と睨んだ(本人的には)ファイは、ひょーい、と高く跳躍してヴィオレッタの頭の上にぽすり、と飛び乗った。
『あんまり、駄々こねちゃ、ダメぇ』
「わかっています!」
『むー……』
分かっている。だがしかし、それとこれとは別問題なのだから、とヴィオレッタは心の中で呟き、明日香もそれを察してうんうん、と頷いている。
分かっているからこそ、いきなりすぎたのだろう。
ただ、そうだとしても、時間を与えれば何事も無かったかのように普通にお別れができるか、と聞かれればそれは分からない。
今以上に寂しさを感じてしまい、もっともっと別れ難くなってしまう可能性だってあるのだから。
「……ヴィオレッタ、一旦聖女さまから離れましょう」
ね、とあやすようにレスシュルタインに促され、泣いてぐちゃぐちゃになった顔で彼を見あげたヴィオレッタは、渋々ながら明日香から離れた。
ぐずぐずと泣いてしまうし、短い時間だったとしても一緒にいることが当たり前になっていた存在だからこそ、喪失感がとんでもなく襲い来るものだ。
依存していたと言っても過言ではないかもしれないが、それほどまでに大切な存在になってしまっていたのだ。
『ヴィオちゃん、大丈夫。……大丈夫だよ、本当によく頑張った』
「アスカ、さん」
あぁいけない、困らせてしまう。
そう理解していながらも、またヴィオレッタの目からは涙がぶわりと溢れ出てきてしまった。
『世界は違えど、一緒に生きてるんだもん!だからさ、そんなに落ち込まないでよ』
「……っ」
『うーん……』
さて、どうしたものかと明日香は考える。
今まで読んできた本の中に、何かヒントになり得るものがなかっただろうか。そうそう都合よくいかないのかもしれないけれど、何かを目の前の大切な友達に残せたら……と思い、ふと頭に触れた明日香は『あ!』と叫んだ。
「聖女さま?」
「アスカ、さん」
その声の大きさにおもわずレスシュルタインとヴィオレッタはきょとんとしてしまい、ヴィオレッタの頭の上でよしよしと彼女の頭を撫でていたファイもびくり、と体を硬直させた。
『アスカぁ~、ビックリしたんだけど!?』
『いや、どうにかなるんじゃない?って思って』
「え?」
「はい?」
悩んでいたかと思えば、すぐにぱっと表情を明るくした明日香は、自分の髪を束ねていたシュシュを取り外してヴィオレッタに手渡した。
「これ……は」
『いやね、よく考えたら私ってば人によって姿を見せたり見せなかったり、触れたりそうじゃなかったり、色んな意味で忙しい人でしょ?』
「………………」
あー……、とどこか遠い目をしたヴィオレッタが頷けば、隣にいるレスシュルタインが『何だそれ』と言わんばかりの顔をしている。
『でも、共通してるのは』
明日香は、にっこり笑って言葉を続けた。
『ヴィオちゃんには、姿が見えて、触れられて、私が今ここにいる、っていう存在証明になってるんだよね!』
「……え、ええと?」
明日香の話している内容がよく分からない、とヴィオレッタは混乱しているようだが、近寄ってきたアリシエルには意味が理解できたらしく、微笑んでいる。
『おっ、アリシエルさん分かります?』
「なんとなく、ね」
「あの……、ええと」
「つまりね」
微笑んだまま、アリシエルはヴィオレッタの肩にそっと手を置いて言葉を続けていく。
「聖女さまがこの世界にいた、という事実を貴女が……ヴィオレッタがいるからこそ、存在を確たるものにできた、っていうことよ。アスカさんのことは、ヴィオレッタが見て、知って、触れて、『アスカさん』という人を、ここに証明してくれた。だったら、アスカさんから貰ったものは、ヴィオレッタがアスカさんを認識して忘れない限りは……」
アリシエルの視線が、ヴィオレッタの手のひらの上に載っているシュシュへと向けられた。
「その髪飾りだって、ずっと『在る』のよ」
「あ、……!」
『せいかーい!いやぁ、私が説明できたら良かったんだけど、何せ言葉に疎くて……』
えへへ、と苦笑いを浮かべている明日香を一度見て、そして己の手のひらの中にあるシュシュに視線を落として、大切に、ぎゅう、と握りしめた。
「…………っ、寂しいけれど…………でも、私の大切なお友達、確かに居たという証、ですもんね!」
泣きながら、言葉につっかえながらも、必死に言うヴィオレッタを、明日香は自分からぎゅう、と抱き締めた。
『そうだよ。それに私、ヴィオちゃんのおかげで色んな経験が出来たんだから!』
「……っ、はい……」
何度も何度も頷いて、ヴィオレッタは泣き顔ながらも無理やり微笑んでみせた。
「ありがとう、ございました……!」
『ねぇ、いっこお願いがあるんだけどさ』
「お願い……?」
『うん』
明日香は微笑んで、ヴィオレッタに『この通り!』と言いながら頭を下げた。
『お見送りの時は、私ヴィオちゃんに敬語とってほしい!』
「え、えぇ!?」
『明日香、って言ってほしい!』
「そ、……っ、……あ、あの……」
あまりにもささやかな、あたたかな願い。ヴィオレッタはオロオロしているが、レスシュルタインもアリシエルも、ファイも楽しそうに笑っている。
「……っ、わかりまし……じゃない、分かった!」
『!!』
明日香がぱっと顔を輝かせる。
やった、初めて明日香、って呼んでもらえるんだ。そう思ったとき、明日香の姿が大きくブレた。
『(…………うそ)』
「じゃあ、いきます!」
あぁ、そこは敬語なんだ~、と明日香がほんの少しからかい混じりに告げ、レスシュルタインもアリシエルもファイも、皆が笑いながらヴィオレッタの方を見ている。
──どうやら、誰も気付きそうにない、らしい。
『(ヴィオちゃん!)』
叫んだ明日香の声も、届かなかった。
『(どうして……?ねぇ、最後なんだからもう少しだけもってよ!!私だって……嫌なんだから!!)』
嫌だ、と思えば思うほど涙がじわりと滲んでくる。いけない、最後は笑っていないと。
そう決意した明日香は必死に、歯を食いしばって、無理矢理に微笑みを作った。
しかし、ヴィオレッタや他の皆がこちらを向く、その一瞬前に、明日香の視界は真っ黒になってしまったのだ。
「アスカ!」
ヴィオレッタが決心して顔を上げ、明日香の名前を呼んだけれど、もう、そこには誰もいなかった。
「え……?」
『アスカ……?』
呆然とするヴィオレッタとファイ、何が起こってしまったのか、と顔を見合わせたアリシエルとレスシュルタイン。
まさか、とレスシュルタインが震える声で呟いた。
「あの……一瞬で……?」
続きなど、言わなくても全て理解できてしまう。
あぁそうだ、明日香は強制的に元の世界へと帰ってしまったのだ。
「あ…………」
呆然とするヴィオレッタの手の中には、明日香からもらったシュシュが、そのままあった。
「(アスカさんは……『居た』)」
しかし、今はもう明日香はヴィオレッタの目の前にいない。
最後くらい、二人で。
泣きながらも笑いあって、言いたかった言葉があるのに。
「……いやだ、よぉ……っ」
もう、聖女は召喚できない。
召喚できたとしても、それはきっと明日香ではない他の『誰か』であり、『何か』。
どうしてこんなにも後悔だけが残ってしまったんだ、とヴィオレッタはわんわんと泣きながら、明日香にもらったシュシュをぎゅう、と抱き締めたのだった。




