拒絶
明日香の台詞にひくりと頬を引きつらせるリカルドだったが、確かにノックはしていない。部屋の主の返事を待たずに入室した。
それに加え、彼の従者も止めることなく一緒に入室してきているのだ。本当ならば止めなければならないのでは、と思って視線をやれば、何とも気まずそうに逸らされた。
「『揃いも揃って無礼な…。あぁ、主に似るのかしら、従者って』」
完全に馬鹿にしきった明日香の発言(ただし見た目はヴィオレッタ)に、リカルドと彼の従者は顔を真っ赤にした。
「ぼ、僕のことを馬鹿にしたな!しかも従者まで!」
「『…はて…それでは、この国では年上の部屋に入る時はノックも何もしなくて良いと、そういう認識でよろしいのですね。それは結構。よぅく分かりました』」
にっこり、と音がつきそうなほどの笑顔で明日香は微笑んでみせる。
リカルドが無礼なことをするのは間違いなくヴィオレッタに対してのみ。だが、人としてというよりも王家の人間として、礼節を欠く行為というのはいかがなものなのだろうか。
幼いから問題ないということではない。彼の立場で物事を考えれば、『きちんと』することこそが当たり前なのではないのでは、と思うのだが聞く耳を持ち合わせていないようだ。
「この…無能のくせに!」
「『その無能は、わたしを召喚しましたが。貴方、わたしを召喚できるの?』」
「で、できない、けど!でも、無能は無能だろう!」
「『さっきからヴィオレッタに対して無能無能と…。子供だからとて、わたし、遠慮しないって決めているの。だって、ヴィオレッタはわたしと唯一言葉を交わせる大切な存在だから。その彼女を傷つけるなら、容赦しないわ』」
なお、これを言っている張本人の明日香も内心バックバクである。
こんな言葉遣い、日常では絶対にしない。おふざけで小さい頃やった『ごっこ遊び』の中で『あたしお姫様ねー!』と言っていた当時の友人がやっていた喋り方を参考にしている。
女の子特有の、所謂『ごっこ遊び』がとても役に立った。
「『…ねぇ、いい加減出て行ってくださらない?』」
「…っ!」
「『あえて言わなかったけれど…』」
じっと、リカルドを見下ろして明日香は勿体ぶって言いよどんでみせる。そうしたら予想通り、こちらの発言に対して食いついてきた。
「なんだよ!」
「『わたしと今入れ替わっているヴィオレッタはね、貴方を拒絶しているの』」
「……え?」
どうして呆然とするのかこのぼっちゃんは。
明日香が思わずツッコミを入れれば、交代しているヴィオレッタが、中で我慢できずに噴き出した声が聞こえた。お姫様らしからぬ『ングッ!』と、結構な声音だったのだが大丈夫だろうか。後でいたわっておこう、とそっと決心した。
「きょ、ぜつ?」
「『ええ』」
にっこり微笑んで明日香は言う。
ヴィオレッタの体だから、効果は抜群だろう。みるみるうちに顔色が青になった。
「なんで…?」
「『…それ、本気で言ってるの?』」
「え…」
いくら幼いとはいえもう十歳。
己がどんなことをしているのか、自覚なしだとすれば相当頭がどうにかしているとしか思えない思考回路だ。
「『何ておめでたいのかしら』」
演技はどこかにすっぽ抜けて飛んで行った。
駄目だ、と明日香は頭を抱えそうになる。そもそも、何が悪いのかすら理解していない。
自分が何を言って、今まで何をしてきたのか。周りの大人に原因があるのかもしれないが、だからといって続けていいわけではないというのに。
「『ヴィオレッタに対して無能と呼び、蔑み、姉を姉とも思わない態度を取るような奴を、どうしてヴィオレッタは弟だからと大切にしなくてはいけないの?』」
きょとんとした風を装い、発せられた言葉のひとつひとつが、リカルドと従者に突き刺さる。
「『そちらの従者にも問うわ。どうして貴方は止めないの?口がないの?主の行動に異を唱えると処刑でもされてしまうのかしら?』」
「違います!」
「『常識的なことを、今から問うわ。家族に対してあのような物言いをしている主をおかしいと思わなかったの?』」
「そ、そ、れは…」
少しでも良心があるなら、とは思ったが次いだ従者の台詞にはあぁもう駄目なんだと、明日香は察した。
「王族の皆様方の御言葉であれば!おかしいなどと何故、言えましょうか!」
「『あぁ…そう…』」
これは逃げたくなるのも頷ける。
ヴィオレッタの味方なんて、どこを探しても存在なんかしているわけがなさそうだ。
「『お前が馬鹿にしたヴィオレッタも、王族よ?』」
「……あ……」
従者、リカルド双方、どう表現したらいいのか分からないほど、顔色が悪くなっている。
王族の言葉になら従う。では、その王族に対しては暴言を吐いていいのか。とてつもない矛盾を孕んだ自分の言葉の責任は、取ってもらわねばならない。
「『ねぇ、いつまで突っ立っているの?早く出ていって。わたしのヴィオレッタが吐き気を訴えかけているから』」
「…あ、えと、い、医者!そうだ、医者を僕が呼んできます!」
「『アンタらが出ていったら治るから出ていって』」
「い、いやだ!ねぇヴィオレッタ、返事して!」
リカルドの叫び声を聞いて、思う。これはもう駄目だ。たとえどれだけ呼びかけていても、帰ってきているのは拒絶だけ。
明日香もヴィオレッタもほぼ同時に『これは無理』と思ったが、明日香の方が拒絶の言葉は一瞬早かった。
「『出て行け!』」
悲鳴のように叫ばれ、リカルドは呆然とその場に立ち尽くしている…はずだった。
叫んだ瞬間、ヴィオレッタから眩い光が放たれ、魔力圧となってリカルドとその従者に襲いかかる。二人揃って吹き飛ばされるが、いつの間にか開いていた扉からそのまま追い出された。
明日香は弾かれたように駆け、ドアに鍵をかける。ドンドン、と外から叩かれているが更にトドメの一言を放った。
「『この子に関わらないで!来るな!人でなし!』」
ヴィオレッタから感じられた嫌悪感は、明日香の中にも入ってきて侵食していった。
弟という身近な存在と、彼の従者それぞれから向けられた侮蔑のような、何とも言い表せられない気持ち悪さはどうやっても拭えそうにない。
ぜぇはぁと肩で息をしながら、どうにか部屋にあるソファーへと腰を下ろすと自然とヴィオレッタに体を返せた。
「アスカさん…」
『…ごめん、やりすぎた』
「いいえ…いいえ…っ…!」
『ヴィオちゃん…?』
ポロポロと涙を零しながらも、どこか嬉しそうにしているヴィオレッタを、明日香は不思議そうに見た。
逃げ出したいと言ってはいたが、リカルドはヴィオレッタの血の繋がった弟。あまりに乱暴に言いすぎたのでは、と後悔すらしていたのだが当の本人は泣き笑いしているではないか。
感情と言った言葉がぐちゃぐちゃと掻き回され、明日香自身はとてつもなく気持ち悪いのだが、どうしてだろうと不思議に思っていると、ヴィオレッタが話す。
「私の感情とリンクしてしまったせいで、アスカさん、今とてもお辛いと思います。でも…、あれだけ言い返してくれて、嬉しかった」
『…?』
「私のために、怒ってくれてありがとう」
『なぁんだ、そんなことか』
あはは、と明日香は力無く笑う。
対峙しているあいだはどうにか持ちこたえていたけれど、あの気持ち悪さはヴィオレッタが抱いていた嫌悪そのもの。拒否して正解だったな、とぼんやり考える。
『だって、嫌だったんでしょ?』
「はい」
『次からはヴィオちゃんにもあれくらいガツン!と言ってもらわなきゃいけないから、お手本だよ!』
「はい」
笑って、ヴィオレッタは頷いた。
まともに相手にしてもらえないなら、言うだけ時間の無駄だ。きっと、今までこうやって我慢し続けてきたのだろう。
「リカルドとは、これでも仲良しだったんですよ」
ぽつ、とヴィオレッタは呟く。
「姉様、姉様、って…慕ってくれてた。でも、国王夫妻が私を無能だと言い出してから、周りも、あの子も、皆変わった。言い出した張本人たちが悪いのは分かっています。けれど、言われて傷つかないわけでは、ないんです…」
力無く笑うヴィオレッタが、あまりに痛々しかった。
せめて、少しでも寄り添えるようにと、明日香は明るく声をかける。
『とりあえず、元に戻ろっか』
「はい、アスカさん」
二人は、元ある姿へと戻った。
髪の色と目の色は元に戻り、背中の輪っかも消え去る。
ヴィオレッタがふぅ、と息を吐いて大きく伸びをすると、明日香も同じように寛いでいるらしい様子が伺えた、
「アスカさん、だいぶお疲れですか?」
『ん、ちょーっと疲れたかも』
「休みましょう。…私も、多分疲れちゃった…」
『だね』
そして、ヴィオレッタはベッドに潜り込んだ。
少しして寝息が聞こえてくるが、部屋の外で拒絶されたままのリカルドは、動くことができずにいた。
「なんで、どうして…」
問いかけの答えは、誰からも返されることなく。追い出されたまま、立ち尽くしていた。