すっぽり覆ってさようならを
きっと今なら、何でもできるだなんて思うのは自分の思い上がりなのだろうか。
ヴィオレッタの中に感じる明日香の存在は、普段と全く異なっていた。
「……アスカさん?」
『はいはーい』
声はしている、けれど、今までのように明確に姿を確認できるわけではない。
ヴィオレッタは明日香の存在をきちんと認識は出来ている、だから何も怖くなんかない。明日香に包み込まれているような、そんな安心感がぶわりと湧き上がってくる。
「大丈夫でしょうか」
『うん』
問いかければ、自信満々の明日香の声が返ってくる。
「じゃあ……」
『最後の一歩手前の大掃除、始めちゃいましょ!』
「はい!」
ヴィオレッタは、すっと目を閉じて意識を集中する。さっき明日香が言っていたイメージとは異なっているかもしれないけれど、あの亀裂を覆いつくして見えないように。
幼い頃、粘土遊びをしていた時にしていたように、割れた玩具の裂け目を塞ぐようにして粘土をぎゅうぎゅうと押し付け、塞ぎ、もう一度使えるようにしていた。
その感覚を思い出して、ヴィオレッタは自信満々にすっと手を掲げた。
『おお、なるほど?』
「アスカさんのイメージとは異なっているかもしれませんけど……こんな感じで!」
一枚の布を出すようなイメージで、ヴィオレッタは自身の中に残っている純血王家としての力をするすると吐き出していく。
穴の向こうの気配が、こちらを改めて認識し、やろうとしていることに気が付いたのだろう。大きな目で、またヴィオレッタのことを睨んでくるが、さっきとは違って何も怖くなんかなかった。
「私、もうあなたのことは怖くなんかないんです」
穴の向こうの存在に対して語り掛けるように、ヴィオレッタはとても冷静に告げる。
「だって、私はアスカさんと一緒なんだから。あなたは、そこから出てこないでください。来られると……とっても迷惑なんです!」
純血王家の役目とか、一旦どうでもよかった。
この存在を、早くどうにかしてしまわないといけない。結界を塞ぐだけではいけないことくらい理解できるが、先ほど明日香とヴィオレッタが放った一撃でも倒しきっていない上に、結界の外は魔物がうじゃうじゃしているのだろうし、果たして人間がどこまで太刀打ちできるのかも分からない。
とても小さな裂け目から出てくる程度の存在なら、倒せるのだろう。実際、今はそうしている。
「……あなたみたいな大きな存在が出てこれないように、この割れ目はしっかりと……封印させていただきます! 修復とか、そうじゃない。ここからは……出てこないで!」
ヴィオレッタが叫んだ瞬間、割れ目の向こうで魔物が吠えるような、そんな仕草をし掛けていたのが見えた。
読んだ書物の知識しかないけれど、咆哮から魔力を帯びたブレスを吐き出すような魔物がいるらしい。目の前の存在は、まさにそれなのだろう。
しかし、それの威力はこの辺りを焦土と化してしまうような勢い、だとも書いていた。
そんなもの、吐き出す前に全力で塞いで、出てこれないように補強をしておこうと、ヴィオレッタは考えたのだ。
少しだけ離れた魔物だったが、ブレスを吐き出すより先にヴィオレッタの魔力がその割れ目をすっぽりと綺麗に覆いつくしてしまう。
恐らくこれだけでも、一定の効果はあるのだろう。
向こうで、魔物が何かをしようともがいているような、何かをしている。
『ヴィオちゃん!』
「分かっています、させません! あんなのが出てこようとしているものなんて、綺麗に塞いで、あそこにあったはずの青空を返していただきます!」
言いながら、ヴィオレッタも明日香も、本能のような何かで理解でき始めていた。
結界、という呼称だが、あれは一時的に守りが弱まったところから這い出てこようとしている空間の割れ目。
小さな割れ目は対処できるから、何も気にしていないというだけのこと。
ああ、色んなものが存在しているんだなぁ、とヴィオレッタは思っているし、明日香だって『ファンタジー満載な体験ができるだなんてめっちゃ貴重!』と思っている。
普通に生きていたならば、こんなこと経験もしなかっただろうが、何の因果かヴィオレッタとの波長があっていた。
――そういう、『運命』だったのかな。
『簡単に言っちゃいけないのかもしれないけど、きっとそう』
明日香の声も、考えていることだってヴィオレッタには聞こえている。
「これが、運命なのだとしたら……私はきっと、神様に初めて感謝します」
割れ目を綺麗に覆いつくしたものは、先に塞いだ亀裂のところからじわじわと硬化されていっている。それに呼応するように、悔し気な雰囲気の魔物が見えたヴィオレッタは、困ったように微笑んだ。
「怖いか怖くないか、で言えば、とっても怖いんです、でも……私は一人ぼっちじゃない。アスカさんが居てくれて、心の支えになってくれているから、こんなことだってできている。私が背負ってしまった、決して変えられなかった運命で、……アスカさんを巻き込んでしまったけれど、でも!」
『良いの良いの、私は普通に生活してたら絶対に経験できないことなんだから、すっごく感謝してるんだよ。かけがえのない、大事な友達だってできた』
ぱきぱきぱき、と中央まで封じ込めの効果が進行していき、本来の風景もじわじわと戻ってきているおかげか、魔物の姿はほぼ見えなくなっている。
「決して、手は緩めてなんかあげません。こちらには、絶対に手出しできないように、きっちりと封をさせていただきます!」
そのヴィオレッタの宣言通り、ぱきり、という音を最後に、そこにあった大きな亀裂は塞がれていた。
少しして、塞いでいたところがじわじわと元々あった光景へと変化していく。
「……わぁ」
『さっきの、暗闇は全然見えなくなったね』
「できた……?」
『きっと、出来た。これは、ヴィオちゃんと私だから、出来たことだよ! やったね!』
「……実感、ないですけど……私が……あれを封じ込められた……」
ほ、と息を吐くヴィオレッタは、ゆっくりと地上に降り立った。
そうすると、成り行きを見守ってくれていたレスシュルタインが慌てて駆けよってきてくれる。
「レスシュルタイン様」
「ご無事ですか!?」
「はい。まだ、アスカさんもここにいるので」
ヴィオレッタは自身の胸元に手をあて、そしてすっと手を挙げてから指先をくるりと回した。
そこからは水魔法が放出され、辺り一面に花を咲かせていた野花へと降り注いでいく。
「……まさか」
「分かるんです、自分の魔力が。こうやって魔法を使えているのは、アスカさんがイメージを細かく教えてくれていたから、なんですけど」
「では、聖女さまは姫君の恩人ですね」
「はい!」
嬉しそうに微笑んで頷くヴィオレッタを、レスシュルタインはとても優しい目で見つめるが、明日香がどこにいってしまったのか、と見渡す。
てっきり、あれを封印したらまたすぐに表に現れるのでは、と思っていただけに、少しだけ戸惑ってしまっていた。
「姫君、あの……」
「うふふ、アスカさんはこの後の仕掛けのために頑張って演技を考えてくれているんです。そうだ、レスシュルタイン様も、ちょっとお付き合いくださいませんか?」
「……?」
一体何にだろう、と首を傾げていたレスシュルタインだったが、問答無用でヴィオレッタが彼の手を掴んで、ぐん、と空へと飛んだことで口を開けたまま王国へと空の旅(強制)をすることになったのだった。




