完全体
『さて』
「はい」
明日香はじっと、また空を見上げる。
早くあれを閉じないといけないのだが、完全体への成り方が分からない。
恐らく二人なら出来るだろう、とは思っている。ほぼ確信ではあるが。
『とりあえずさ、いっこ思うことがあって』
「思うこと?」
『あれだけの大きさを閉じるなら、近くに行った方が良いのかなぁ、って』
「なる、ほど?」
ヴィオレッタも、明日香につられるようにして上を見上げる。
中央と比較して小さな亀裂だったから、ここからでも良かった、という可能性だってある。あの規模を閉じる、というのも実感がわかないが、明日香と一緒なら出来てしまうのだろうという思いは強く心にある。
「じゃあまずは……」
『ん』
ヴィオレッタの差し出した手を取れば、慣れたものだ。明日香はするりと彼女の中へと吸い込まれていく。
融合してしまえば、いつも通り。ヴィオレッタの綺麗な金髪はグラデーションのかかった不思議な色合いへと変化した。更に、目の色もそれに伴って変化する。
「いって、きます」
「はい。姫君、聖女さま、お気をつけて」
会話はヴィオレッタに任せ、明日香はあれをどうやって閉じたものか、とじっと考えていた。
イメージ的には、洋服に空いてしまった穴を縫い合わせるようにして、ぐっと閉じていく。
恐らくそんな感じなんだろうと思ったが、果たしてうまくいくのか、とも考える。考えれば考えるほどキリがないけれど、まずはやれることをやろう。
『ヴィオちゃん、行こうか』
明日香が飛んでほしい、イメージはこうだ、と思えばヴィオレッタにそれを伝える。
そうすれば、ヴィオレッタはぐっと足に力を込めて地面を蹴れば、ふわ、と体が浮き上がる。あまり近づきすぎないように慎重に、裂け目との距離を縮めて、一定の距離を取ったままでヴィオレッタは大きく、一度、深呼吸をした。
「……アスカさん」
『うん』
「……いきます!」
ヴィオレッタは、手を空へとかざす。
ふわふわと光が溢れて……きたまでは、きっと良かった。
「……アスカさん」
『うん?』
「ぬ、縫い物って……」
『まさか』
ここで初めて、明日香とヴィオレッタのイメージが乖離してしまったのだ。
明日香は『これくらい大きくぱかっと割れてるなら、針に糸を通したような感じの、何かこう、端と端とを縫い合わせていって、ぎゅーっと閉じちゃう!』という何とも日本人らしいというか擬音混じりかつ、やったことがある人でないと分からない雰囲気の言葉をもりもり使ってしまっているから、ヴィオレッタが盛大に混乱してしまったのだ。
「やったことは、あるから……何となく分かるんですけど、あの!」
『イメージ分かんない系……?』
「多分それですぅぅぅ!」
『あーーーー!!』
やっちまったー!と明日香は頭を抱える。
どうしよう、今からでも何か伝わりやすいイメージはないか、どうにかしないと、と必死に脳みそフル回転させていたところで、ヴィオレッタの「ひ、」という引きつった声が聞こえたのだ。
『え……?』
地面に立っていた時よりは割れ目との距離が近い。
恐らく、先程撃退したやつに関しては割れ目から出てこようとしているのを遠ざけた、くらいなのかもしれない。
だが、まさか。
「あ、……ぁ」
にたり、といやらしく微笑むように、『ソレ』は目が笑っていた。そして、そこに、いた。
『(うそ……)』
あの割れ目から見えている目の大きさから察するに、先ほどの個体ではないだろう。大きい、いいや、巨大、だろう。
駄目だ、こんなところで邪魔をされるわけにはいかない。これを閉じてしまって、明日香は元の世界に戻るんだ。だから。
『邪魔……すんな!』
明日香とヴィオレッタが一緒になっているにも関わらず、聞こえた叫び声は明日香のもの。
え、とヴィオレッタが呟くかそうでないか、という瞬間に、爆発するかのようなとんでもない魔力放出が起った。
「――っ、ヴィオレッタ!」
いつもの『姫君』という呼び方でも、落ち着いた声でもなかった。
レスシュルタインは必死に叫び、空を見上げるが魔力放出が変わらず続いているため、目を思いきり開くことだってできない。
出会ったばかりで、肩入れなんてしようと思っていたわけではない。
ひたむきな姿に、どうにかして助けてあげないと、と思った。でも今はそれ以上の気持ちが確かに芽生えている。
あんなにも大量の魔力を吐き出してしまえば、一体どうなってしまうというのだろうか。
しかし、どうにもできない。自分は、あそこにいないのだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……あれ?」
ヴィオレッタは、ふと目を開く。
「ヴィオちゃん」
そして、目の前には明日香がいる。
どうして、と思うけれど何となくこれで良いんだ、とも思える。
内面世界とは、また違ったような雰囲気の場所で、明日香とヴィオレッタは対面していた。ここって、どこだろう、そんなことは特に考えることもなく、ヴィオレッタは明日香に近寄ってぎゅ、と彼女の手を握った。
手が温かいな、とヴィオレッタは少しだけホッと安堵の息を吐く。
「アスカ、さん」
「完全体、ってつまりこうだったんだね。いやあびっくりした~」
「こう、って……?」
「見てみて!」
にへ、と笑う明日香が、ヴィオレッタの額と己の額をすっとくっつける。
そうすると、『今』の自分の見た目のイメージが、ぶわりと頭の中に入ってきて、ヴィオレッタを目を真ん丸にしてしまった。
「え……?」
一体何のことなんだろう、そう思ってみたけれど、ヴィオレッタが握った手を、明日香が握り返してくれる。
一時的とはいえ普段とは異なる場所のようなところで会って、会話が出来たことが、ヴィオレッタにはただただ嬉しくて、明日香と並んで歩いて行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『(ヴィオちゃんおっかえりー! お先に戻ってたよ私!)』
「アスカさん!」
いつの間にか光がおさまって、明日香もヴィオレッタも、普通に目を開けて改めて亀裂の先にいる『ソレ』を確認することができるようになっていた。
そして、地上にいるレスシュルタインも彼女たちを確認できた。
「あれ、って……ええ、と?」
思わずぎょっとしてレスシュルタインは目を見開く。
確か、二人の姿はいつものように明日香がヴィオレッタの中に入って、ヴィオレッタの髪の毛がグラデーションのかかったようになる、かつ、瞳の色が左右でそれぞれの色になっている、というくらいの変化。人によっては『何が変わった?』と聞いてしまうほどのものなのだが、今は全く異なっていた。
『(いやー、私もびっくりだよ!)』
「ええと……言葉自体は、私が主に発している感じ……でしょうか? でも魔力は……」
『(うん、私のを全部ヴィオちゃんに譲渡してる感じだ、これ)』
普段とは全くことなる魔力の運用。
そして、見た目の変化。
明日香は常々こう思っていたのだ、『どうして聖女って、その世界の基準に合わせた格好なんだろうね』と。
別に古代日本風でも良いじゃないの!と、病床で小説を楽しみながら思っていたことが、ちょっとうっかり叶ってしまった、ということなので実は今大変わくわくしている。
「全然……違う」
そして、ヴィオレッタは自身の見た目が丸っと異なっている状況に。
「…………どうしたら…………」
大変、戸惑ってしまっていたのだった。
手を伸ばして頭に触れれば、左右、耳の位置よりも高いところにおだんごヘアっぽいものが。
何かで覆われているような感じもするが、緩やかなウエーブヘアは真っすぐなストレートヘアに、そして毛先はグラデーションがかっている。
視線を体に移動させれば、ヴィオレッタが全く見たことのない衣装。
例えて言うならば、巫女服をアレンジしたようなものなのだが、どうにも言葉では言い表せず、オロオロとしているヴィオレッタの中から、明日香の声が聞こえてきた。
『(だいじょーぶだよ、ヴィオちゃん)』
「アスカ、さん」
『(いけるよ、今なら。あとね、これがきっと完全体、ってやつなんだと思う)』
「……っ!!」
そうだ、ファイがそう言っていたと思い出す。はじかれたように顔を上げて、視線の先に見える『ソレ』を、真っすぐ見据えた。
「……ええ、ええ、アスカさん」
『(さぁて行きましょうかね、ヴィオちゃん)』
――私たちは、二人で一人。これで初めて『一人前』なんだから。




