完全体、とは
はて、と明日香は首を傾げていた。
ファイに言われた『完全体』の意味が、ぶっちゃけよく分からないのだ。
『(うーん……。いやそもそも論としてよ、完全体、って何。アニメや漫画じゃあるまいし……ああいやでもここに召喚されてる時点でアニメとか漫画とかゲームの世界を体験してるようなものだし……はっ、まさか私、改造とかされるの!?)』
明日香の思いつく範囲の『完全体』とは、ヒーロー戦隊モノや、某ライダーものばかり。
入院している間の暇つぶしとして見る分には丁度良くて、結果としてシリーズ丸っと追いかけたものだってあるくらいだ。
とはいえ、まさかこんな異世界で完全体、なんていう単語を聞く機会があるとは思っていなかった。
「アスカさん」
『(いやそんなわけないよね、改造とか。テレビのあれじゃないんだし。あーでも、何か秘められた力を解き放て……的な何かそういう……)』
「聖女さま?」
ヴィオレッタ、レスシュルタインがそれぞれ呼んでも明日香はうんうん唸っているばかりで、どうにもこうにも反応がない。
珍しいな、とは思うものの、中央の大きな亀裂……というか、最早穴とも言えるような大きさのあれは、並大抵の力で封じ込めるのは難しいとしたもの。
更には明日香の力をフルで発揮しないともいけない、のだが……。
「あの……、アスカ、さん?」
「……聖女さまがこんなにも己の世界にどっぷりなのは、今までにもございましたか?」
「いえ……ただ……」
はて、とレスシュルタインは首を傾げた。
「……色々考え込まれているみたいです。何かさっきからぶわー、っとアスカさんの思考が流れ込んできてまして……」
「ほう」
何やら興味深いな、とレスシュルタインが思っていると、ヴィオレッタは明日香の前へと移動して顔の前でひらひらと手を振ってみたりしているものの、反応はイマイチどころか、ない。
「……うーん……どうしましょう。ファイ様が仰っていた完全体、について一緒に考えたかったのですが……」
「そのご様子だと、恐らく聖女さまがお一人で悩まれている、と?」
こくり、とヴィオレッタは頷いた。
それならば、と手を胸の高さまで上げたレスシュルタインは、にこりと微笑んでヴィオレッタに告げる。
「姫君、とてつもなく大きな音がするはずなので耳を塞いでください」
「え?」
「良いから良いから、ささ」
そう言っている彼の手の辺りが、何だかほのかに光っているような感じがした。
早く、と急かされたのでヴィオレッタは言われるがまま、耳を塞ぐ。ものすごい音、の規模感が分からなかったので、念の為にとこっそり防音魔法を耳付近にだけかけた。
更に、それを機敏に察知してくれたらしいレスシュルタインは、にこりと微笑み。
──そして。
パァン!!
『おわっ!!』
「……ひぇ……」
思いきり手のひらどうしを打ち付けた。
普通にすれば一度大きな拍手をするくらいの力だったが、何とも器用に音を増幅させる魔法を使い、大きな音を立てたのである。
防音魔法をかけていたとはいえ、恐らく慣れていないから完璧ではなかったのだろう。ヴィオレッタも目をぱちくりとまん丸にしている。
『み、耳、が、……うわぁ……』
「聖女さま、意識はこちらに向けていただけそうですか?」
『……何するんですかー……』
「失礼いたしました、姫君の呼び掛けにもお気づきでないようでしたので、少しだけ荒療治を」
どこが少しやねん!と思わず叫びそうになったが、ヴィオレッタの呼び掛けにも、という言葉にははっと我に返って、明日香は慌ててそちらを向いた。
申し訳なさそうにしているヴィオレッタだが、まだしっかり耳は塞いでいる。
『レスシュルタインさん、ヴィオちゃんまだ耳塞いでる』
「おや、これはいけない。姫君、もう良いですよ」
ジェスチャーも交えつつ丁寧に接しているレスシュルタインと、彼からの言葉を素直に聞いているヴィオレッタ。
見た目的にはこの二人、とてもペースが噛み合っていて良き組み合わせに見えてしまう。
『(元婚約者さんのことがあるから、かなぁ)』
恐らく耳に何かしらの魔法をヴィオレッタがかけていたらしい、と明日香が察し、その魔法の解除をしてから彼女は小走りで明日香の前にやってきた。
「アスカさん、良かった……。何だか、とてつもなく考え込んでいらっしゃったので、どうしたのかなぁ、って」
『あ、あぁごめんごめん! そっか、ヴィオちゃんには私の考え筒抜けだったんだ。うるさかったでしょ』
「よく分からない単語もありましたが、その……ファイ様に言われたことを気にされているのかな、と」
『あー……うん』
「はて」
明日香の悩みをよく分かっていないレスシュルタインは首を傾げた。
一体何を悩むことがあるのだろう、と顔にでかでかと書いている風にしか見えない彼に、明日香は苦笑いを返す。
『その、どうやって私って完全体?になればいいのかなー、って思いまして。あはは』
「……あぁ……」
なるほど、と呟いたレスシュルタインは少しの間考え込んで、顔を上げ申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「すみません……そこのところは、こちらにも伝わっておらず……」
『そうなの!?』
「はい。正確に『これをこうしろ』という伝承もないのですよ」
「正確に、って……何ですか?」
「どう説明したものやら……」
と前置きし、レスシュルタインはよっこいしょ、と掛け声の後にしゃがみ込んで枝を拾い、地面にがりがりと何かを描き始めた。
「私が説明できるのは、結界の亀裂に伴い、どこの要石が結界の亀裂に相当するのか、というところなんです」
『へー』
「相当する……」
ヴィオレッタも彼の隣にしゃがんで、まじまじと絵を見る。
結界のひび割れが上に、その下に要石、それが分かりやすくなるように下向きの矢印を描いている。
「あ、ここの割れ目ならここですよ、っていう……」
「はい、そうです。お二人の場合、先代様から聞いていることと地図を与えられているからもっと分かりやすかったかもしれませんが、普通はそうではない。だから、我々がいて場所の案内なんかをするんですが……」
『召喚された人、あるいは動物?がどうやって、何をしたら完全体になるのか、までは……』
「はい、把握はしておりません」
ありゃー、と明日香は腕を組んで考え込んでしまった。
というか掛け声をかけつつ魔法を起動させたところで何がどうなるでもなさそうではあるのだが、そも、それが有効な手段かどうかも分からないし定かではない。
『二人でひとつのことをするんだから、相応の力が必要ではある。でも……』
「その力の引き出し方までは、分かりません」
濁さずにきちんと言い切ってくれるから、助かるなぁと明日香とヴィオレッタは無意識にほっとした。
ごにょごにょと誤魔化すような物言いの人であれば、こんなにも会話は進行しないだろうから。
とはいえ、どうしたものかと明日香はうんうんと唸る。
「呪文、もないんですよね?」
「聞いたことはありませんね……」
『何かのトリガーが必要……なのかな』
明日香の脳裏に、嫌な想像が過ぎる。
『(まさかとは思うけど……ヴィオちゃんとかレスシュルタインさんの命の危機になって初めて、とか。いや、そんなのはマジで勘弁してほしいけど、命の危機ってある…………可能性がないとはいえない!)』
「アスカさん……」
「おやまぁ」
また頭を抱えた状態で百面相をしている明日香を見て、思わずヴィオレッタとレスシュルタインは苦笑いを浮かべたのだった。
一通り考えたら、また声がかけられる状態にもなるだろう、と思って見守ることにした二人である。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あ、あ……」
王宮からも、結界の亀裂は見えていた。
あれを、ヴィオレッタが修復しているのだ。
亀裂が消える度、街からわぁっと歓声が上がるのが聞こえるほどに国は湧き上がっていた。
「……っ」
きちんと、文献を読めばこんなことにならなかったのだろうか。
頭から否定をして、拒絶をしなければ、こんなことにはならなかったのだろうか。
いくら考えたところで事態は好転しないし、時間だって巻き戻る訳でもないのだ、と王妃はここまできてようやく身に染みて理解をし、突っ伏してただひたすらに泣いていた。
後悔先立たず、とはまさにこのこと。
当たり前だ、自分がヴィオレッタの立場になれば否定し続けた人たちを拒絶だってしたくなるし、受け入れるだなんて到底無理な話。
取り戻そうとして、王家側が差し出したもの全てをヴィオレッタは拒否し、そのまま出て行った。どうせ戻るだろうとタカをくくっていたものの……心のどこかで『無理でしょう』と笑うもう一人の自分がいる。
手の平を返す前にごめんなさい、と。どうして言えなかったのだろうと悔やんだところで、時間は巻き戻るわけもない。
残された人たちには後悔することしか、できないままなのだ。
じわじわ広がる反省の心ではあるけれども、遅いよね。




