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じっと、明日香は空を見上げた。
不思議なもので、先ほどまであったガラスのひび割れのような、何やら陶器が割れたような不思議な光景だったそれが、なくなっている。
言葉通り、『無い』のだ。
『……今までの人も、こうやって……修復してきたのかな』
ぽつ、と呟かれた言葉はそのまま空気に溶けたが、ヴィオレッタはアリシエルとファイのことを自然と思い出していた。
そして、ファイが言った『完全体』という言葉も同時に思い出す。
「完全体、って……」
『まるで何かヒーローみたいな雰囲気というか、そういう響きのある言葉だねぇ』
「ヒーロー……」
『うん』
明日香が空を見上げている横に、ヴィオレッタも並んだ。
『実際、私らってこの国にとっての英雄……ヒーローになるわけじゃない?』
「そう、なんでしょうか」
ヴィオレッタには、そんな実感はない。英雄扱いされたとて、何一つ嬉しくないから。
「役目を果たしたら……私は、自由に……ううん、ちゃんと『私』でいられるようになるんです」
『……うん』
「アリシエルさんも、ファイ様だって、一緒にいてくれる。あの、あったかい場所に帰る、って……決めたから」
『だから、そのために私らは、私らの役割を果たすんだもんね』
「はい」
たとえ、それが国を救ったとあの国の人たちに祝福されようとも嬉しくない。だが、ヴィオレッタは心の安らぐ場所を見つけたのだから、そこに帰るためにやらなければいけない最初で最後の仕事を、きちんとこなすだけだ。
「……この光景は、あの人たちにも見えているんでしょうか……」
「見えておりますとも」
レスシュルタインは、明日香とヴィオレッタの会話の邪魔にならないように見守っていたところから移動し、にこりと微笑んで頷いた。
明日香、ヴィオレッタ双方の視線が彼に集中し、微笑んだままでレスシュルタインは言葉を続けていく。
「見えているから、後悔しているのでしょうね」
「後悔……?」
『はて』
何でだ、と明日香が首を傾げ、ヴィオレッタも困惑して明日香をじっと見て、二人揃って『はてー?』と揃ってこてりと首を傾げている。
とても仲良しな光景に、思わずレスシュルタインは『んっふ』と笑ってしまったが、小さく咳ばらいをしてから言葉を続けていった。
「皮肉なものでしょう? 役立たずと散々罵ってきたくせに、こうなった時に自分たちには何も出来ずにただ眺めているだけしかできないのですから」
「……ああ」
そういうことか、とヴィオレッタは納得する。
だから、父だった人も、母だった人もあれだけヴィオレッタに追いすがってきた、というわけだ。国を守らなければいけない人だから、それをただ優先したというだけの話。
虚しさがじわりとヴィオレッタの心を占めかけたとき、明日香がとんでもなく苦い顔をしていることに気付き、ヴィオレッタはきょとんと目を丸くした。
「あ、アスカさん!?」
『普段から大事にしてないくせに、こういうときだけ媚びへつらってくるからさ、今までの純血王家の人ってあの国から逃げたんじゃん? 自業自得っていうか、自分たちがやってきたことに対してしっぺ返し食らってるだけじゃん。それをこっちに追いすがって気色悪いことばっかして、言って、とかやらかすから色々と面倒なことが起り続けるんでしょー!?』
「……おお」
めっちゃズバッと言うなぁ、とレスシュルタインもヴィオレッタも目を真ん丸にしている。
他人のことで、こんなにも怒ってくれる人なんていない。
実際に明日香がヴィオレッタの置かれている状況を目の当たりにしたから、ということも関係しているのかもしれないが、今までこんなにもバッサリ一刀両断した人っていたんだろうか、とレスシュルタインはどこか冷静に考えていた。
「今代の聖女さまは、本当にお言葉に力があるお方で安心しました」
『あー……』
そういえば、と明日香は少しだけ考える。
自分の本来いた世界のことを思い出して、腕組みをし、『あー』とか『うー』とか呟いている。どうしたのだろう、とヴィオレッタとレスシュルタインは顔を見合わせた。
「聖女さま、一体何が……」
『あのねー……私のいた世界で、言霊、っていうのがあって……』
「コトダマ?」
『こっちの世界にはないと思うんだけど……簡単に言うと……ええと、あれどう説明したらいいんだろう……』
幸いにも入院中に読んでいたライトノベルのおかげで、そういった知識はある。あるのだが、どうやって説明しようかと明日香は悩む。
うっかり説明すれば、今後明日香のことを語り継がれた際に、『前の聖女さまはとてつもない特殊能力を持っているお人だった!』と勝手にもてはやされても困る。いや、困るといっても明日香がまた召還されることは恐らくないだろうが。
『あの、まずいっこ覚えていてほしくて』
「はい!」
「ええ」
『私には、本来そんな能力は欠片もないです』
「……は、はい?」
「……ええ……」
こほん、と咳払いをして、明日香は困ったような表情で言葉を続けた。
『言霊、って言うのはざっくり言うと、『言葉を発することで、その言葉の内容どおりの状態を実現する力がある』……とか、っていう感じなん、だ……けど』
明日香がふとヴィオレッタに視線をやれば、とてもキラキラした目で明日香を見ている。
『(だから言ったのに……! ヴィオちゃんの目がきらっきらで私は恥ずかしい!!!!)』
「姫君、落ち着いてくださいませ。聖女さまが困惑しておいでです」
「だって、すごいじゃないですか!」
『ヴィオちゃん、ないから。私そういう能力ないの!』
「……あ」
そういえば、とヴィオレッタは顔をほんのりと赤らめる。
言霊使いではない、と聞いてはいたものの、明日香がこの世界に来てその能力が開花したのでは、とつい思ってしまったのだ。
『ヴィオちゃん、お顔に何となく書いてあるから読めちゃうんだよねぇ』
「……」
「姫君、聖女さまはお見通しのご様子です」
「あちゃー……」
こうした素をさらけ出したヴィオレッタの可愛さを、アレクシスはじめ、王宮の面々と国民たちは知らないのか……もったいないなぁ……と、内容は違えど明日香もレスシュルタインは意気投合しつつ微笑ましく見守っている。
『まぁ……ただね、この世界の人たち、っていうか国の人たちのやってきたことが、巡り巡って返ってきているだけだ、っていうだけなんだと思うんだ。だから言霊とかは関係ないとは思うんだけど……』
「うーん……それにしても見事に因果応報的な感じになっていますし……」
「姫君にそこまでの扱いをしたのですから、しっぺ返しの一つや二つ、覚悟はしていたと思うわけです」
『それです、それ』
うんうんと頷いてレスシュルタインに頷きかける明日香だが、ヴィオレッタ的には言霊を信じたいらしい。
こんなほのぼのした結界の修復は久しぶりかもしれない、とレスシュルタインは思いつつ、ヴィオレッタがかつて住んでいた王国の方へと、冷たい視線を向けていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おい、結界が!」
「見ろ、空が元通りになっていっている!」
「本当だ! 一部分だけど修復されているぞ!!」
「すごい……! こんなに早く修復されていくものなの……?」
ヴィオレッタのいなくなった後、かつてヴィオレッタが住んでいた王国では国民がざわついていた。
大きな亀裂が入り、地震まで起きて、これからどんな天変地異が起るのかと戦々恐々としていた民たちは、わっと一気に雰囲気が明るくなった。
今後の生活に不安を抱いていた民もいる中、これで安心できる、と民たちはほっと胸を撫でおろす。
「でも一体誰が……」
「国王陛下や、王太子殿下じゃないか? ほら、今代の王太子殿下はとても優秀なお人だというじゃないか!」
「ああ、ハズレ姫の弟なんかとは思えないくらい、だろう!?」
ぎゃははは、と笑い声が上がるが、彼らは誰もまだ知らないのだ。
この修復作業を行っているのが、彼ら曰くの『ハズレ姫』だということ。加えて、『ハズレ姫』にしかこの修復作業が行えない、という、悲しき事実を。




