守り人と一つ目の修復
「姫君、って」
むず痒い、とヴィオレッタは顔を赤らめた。
そんなふうに丁寧に呼ばれたことなんて、今までなかったし、あるといえば『おい』とか『役たたず』とかそういう呼ばれ方ばかり。
嬉しいのかもしれないけれど、気恥しいというか、そちらが優先してしまった。
「姫君は、姫君です」
「で、でも、私は、えっと」
「ずっとお探し申し上げておりましたし……いや、こうしてお会いすること自体、大変遅くなりまして申し訳ございません……。それと、先代様からもお話は聞いております」
『いつの間に聞いたの!?』
「これは今代の聖女様、お初にお目にかかります」
この人、これが多分デフォなんだろうなぁ……と、明日香はどこか遠い目になる。
役割に忠実に、きっちりとした人で間違いなく良い人。ちょびっとずれているかもしれないけど、大丈夫なはず。
なお、めちゃくちゃ低姿勢で今までほぼ頭を下げっぱなし。そんな彼の姿は、間違いなくヴィオレッタにとって初めてのことだろう。おろおろあわあわしているのは可愛いが、明日香はヴィオレッタの肩をがっちりと掴んで、真っ直ぐな目で言い切った。
『ヴィオちゃん、大丈夫!』
「アスカ、さん……、でも……」
『この人、クソ真面目なだけだよ!』
「(くそ……?)」
それでいいのだろうか、とヴィオレッタの顔にでかでかと書いているし、色々吹っ切れて捨てて、さっぱりしたからこそ本来の性格になっている彼女は、とても表情豊かだ。
先程名乗ってくれた彼はにこにこと微笑ましそうにこの光景を見ているのだが、ヴィオレッタ達が話しかけるまでは恐らくそのまま待機してくれる、ぽい。
レスシュルタイン゠イザーク、と名乗る彼。
代々、純血王家の人間を主とする一族の末裔で、アリシエルのことも知っている。
「(伺った通り、とても愛らしく素直な姫君だ)」
なお、性別は男だとはっきり分かるのだが、如何せん年齢不詳。
一応……と明日香が代表として聞いてみたところ、本人曰く『そこそこの年齢です』としか語らないのだが、まだ明日香もヴィオレッタも、そこまで気にする余裕はないらしい。
むしろ、いつの間にアリシエルがレスシュルタインに連絡を取り、ヴィオレッタのことを共有していたのか、ということの方が優先度が高いようだった。
二人の会話を遮らないよう、だがタイミングをきちんと見計らって、レスシュルタインはゆっくり口を開いた。
「姫君、聖女様」
「は、はい!」
『はいっ』
「アリシエル様より、お話は簡単に伺っております」
『(簡単に、って)』
「(どの程度なんでしょう)」
ヴィオレッタの境遇の話までだろうか、あるいは、ヴィオレッタが結界の修復に行くよ、という話くらいなのだろうか。
ぐるぐると二人が考え込んでいると、にこ、とレスシュルタインは微笑んでさらりと告げた。
「おおよそ、全て。掻い摘んで……でしょうが、これだけはしかと、理解しております」
「……え?」
「ヴィオレッタ様は、元いた場所ではなく……結界の修復が完了次第、アリシエル様のところにお戻りになりたいのだ、と。であれば、我のすべきことは一つ」
ゆっくりと立ち上がり、ヴィオレッタの背後にある道をまるで布で覆い隠すようにしながら、丁寧に隠蔽魔法を施していった。
ぐにゃり、と空間が捻れるような不思議な動きをし、続いてぐるぐると回る。回転が終われば、そこは同じような景色が広がっているのだが、にこにこと微笑んだレスシュルタインが、そこに手を突っ込めば彼の手がぐにゃりと捻れたように見えてしまい、明日香もヴィオレッタもぎょっと驚いた。
『何あれ!?』
「すごい……」
「追っ手を遠ざけ、姫君が恙無く作業できるよう手助けをいたしましょう。ささ、お二方。どうぞ。ちょっと空間を捻じ曲げましたので、そうそう簡単にお二人の後は追えないようにしております」
ほれ早く、と言わんばかりにレスシュルタインから促された二人は顔を見合せる。
そして、うん、と頷きあって明日香とヴィオレッタが一つになって、ゆっくりとヴィオレッタは要石のところに歩いていった。
「姫君、己の中に流れる血のまま、お任せ下さい。成すべきことは、成されます故」
え、と思う暇もなく、ヴィオレッタの手は、すい、と胸の高さあたりまで上がった。
『アリシエルさんが言ってたのって、こういうことかな? 何か、私も何やったら良いのか分かる。ヴィオちゃん、そのまま動いていこう!』
「はい!」
明日香は、ゆっくり目を閉じた。
恐らく今、くるくると巡り、ここの要石の修復に必要なだけの力が、明日香の中からゆっくり取り出されていくような、不思議な感覚に襲われる。
だが、不快感は無い。
ぽこん、とヴィオレッタの構えた手のひらの前に光の玉が出現し、玉が解け、まるでリボンのようにしゅるしゅると要石を覆っていく。
「すごい……」
まるでラッピングをされるかのように丁寧に、割れたところも何もかも全て包み込んでしまえば、亀裂はどんどんと塞がっていく。
欠けたテーブルをパテで修復するかのように、あっという間に修復された要石から、すうっと一筋の光が天に昇っていくのを明日香も、ヴィオレッタも、一緒に見ていた。
あれだけくっきり見えていた亀裂の一部が、ふわりと消えたのだ。
「これが……」
『……繰り返して、あの亀裂を全部消してしまえば……』
「修復は、完了する」
ぱちぱち、と、小さいながらも拍手が聞こえ、明日香とヴィオレッタは融合したまま音の方向へ視線を向けた。
「お見事にございます。いやしかし、……そうか。中央の亀裂の修復には……」
何やらブツブツとレスシュルタインは呟いているが、空に見えていた亀裂はおおよそ四分の一ほど無くなっている。
「亀裂の大きさから判断していただいて、あとどれくらい同じことをやれば良いですか?」
「あと二回、というところですが……姫君」
「?」
ヴィオレッタの中にいる明日香も、はて、と同じように首を傾げた。
レスシュルタインの表情は真剣そのもので、す、と空を指さしてゆっくりと落ち着いた口調で言葉を続けていく。
「一回は今と同じ要領で済むでしょう。しかし、もう一度は……」
そこまで話して、彼の表情は何かを決意したような、少しだけ厳しい表情へと変化した。
「聖女様と協力して、全力を出していただく必要がございます」
「全力、って」
『……どういうこと……?』
「言葉の通り、とでも申しましょうか」
うーん、と一度唸って、レスシュルタインはヴィオレッタの元へと歩いてくる。
そして改めて今のヴィオレッタをまじまじと見つめ、何かを理解したのか、うん、と頷いてから再度口を開いた。
「今の修復作業は、恐らく聖女様と姫君、お二人共に力を出してくださいましたが、息切れも何もしておりませんよね?」
「……は、はい」
「中央部分の亀裂の修復をする際は、この程度と、思わない方が良い」
「え……?」
ふと、レスシュルタインの口調が丁寧なものから変化したことに、ヴィオレッタも明日香も、ほんの少しだけ身構えた。
「恐らく、最後の修復が終わった瞬間に、聖女様が元の世界へと送還される可能性すらございます。それくらい、全力を引き出していただき、修復する必要がございます」
「(…………うそ)」
あくまで可能性だ、とレスシュルタインはつけ加えたが、ヴィオレッタの顔色はほんの少しだけ悪くなっている。
彼女の中では、あくまでも修復が完了して、そこからお別れの時間もあって、お互いにきちんと『さようなら』を言うつもりだった。中にいる明日香のことを探ってみれば、恐らく明日香もヴィオレッタと思いは同じだったらしい。
『……そんなに早く、帰ることになるの……?』
言葉にしてしまったから、現実を思い知ってしまった、ところもある。
だが、明日香もヴィオレッタも、流れに流されるままではいない。やれることはきちんとやる。
いきなりのお別れだなんて、嫌に決まっているのだから。
『ヴィオちゃん』
「……はい」
『根拠はない。でもさ』
「はい」
『私たちなら、大丈夫だよね』
「勿論です!」
気持ちはずん、と重くなってしまったのだが、明日香の言葉でヴィオレッタの気持ちはあっという間に軽くなる。
根拠はないけれど、これまで明日香が居てくれたからヴィオレッタは耐えてきた。本来であれば成し遂げられないことを、やり遂げてきた。
家族を切り捨てることだって、聖女の召喚に成功しなければできないままで、王宮の中でめそめそと泣きながら、言われるままにアレクシスと婚約をして、彼の言葉に傷つけられ続けながら子供を産んでいた……かもしれない。
恐らく子を産んだら、不要なものとして離縁されていた可能性だってあるし、身一つで叩き出されてしまうかもしれない、という未来があったのかもしれない。
それが、まるっとひっくり返ったのだ。
勇気だって、出せた。
気持ちを強く持つことが出来て、一歩を踏み出せた。
だから。
「レスシュルタインさん、大丈夫です。今言ったことが本当にならないように、私は……いいえ、私たちは二人でやり遂げます!」
そう言ったヴィオレッタの表情は、真剣で、どこにも暗さはなかった。
レスシュルタインは言いすぎたか、と少しだけ心配していたが、この二人ならば大丈夫だな、と改めて思う。明日香の前向きさが、ヴィオレッタを強くしている。しかし、ヴィオレッタも明日香の心の支えになれているのだが、ヴィオレッタ自身は気付いていないらしい。
「(……本当に、大丈夫そうだ)」
ふ、とレスシュルタインの表情がほんの少しだけ緩んだ。
「……短期間だというのに、本当によくここまで心をお強くされましたね」
「だって」
『私ら無いもの補い合ってるので!』
ヴィオレッタと明日香の声が同時に聞こえながらも、うんうん、とレスシュルタインは頷いた。
そんな彼の笑顔を見てか、明日香もヴィオレッタも、お互いに笑いあったのだった。




