彼女の「平凡」とまた新しい出会い
明日香はふよふよと浮いて移動しつつ、ヴィオレッタはキャロットに揺られている。
なんて平和なんだ、と思いつつ、明日香は先程のヴィオレッタの体術の素晴らしさを思い出してしみじみと噛み締めていた。
漫画でしか見たことの無いような、とてつもなく素晴らしい飛び蹴り。
『(私も、あんなんできたら……)』
「アスカさん、聞こえてます」
『今の状態で何が不便か、って言われれば考え筒抜け、ってことかなぁ』
「はい」
慣れっこになってしまったらしいヴィオレッタだが、褒められると当たり前だが嬉しい。今まで褒められたことはないから尚更、である。
だがしかし、王妃や国王が掌返しをして褒めてきたあの瞬間は、何一つ嬉しくなんて無かった。ただ、心から気持ち悪い、理解なんてできない。
それだけしか、思えなかったのだ。
でも、人が変わればこんなにも嬉しくて、むず痒くて、顔が思わずにやけてしまうものなのか、とヴィオレッタはむにゃりと緩む口元を必死におさえることに集中する。
『ヴィオちゃん、さてはとっても嬉しいな?』
「…………そりゃ、まぁ」
『んっふっふ、私も嬉しい。いやー、あの飛び蹴りはスカッとした!』
「……すかっと?」
はて、と首を傾げるヴィオレッタを見て、こちらの世界には無い言葉なのか、と明日香は小さな声でありゃまぁ、と呟いた。
「アスカさん、すかっと、って……」
『やり返して大正解、ってことだよ。ほんと何なのアイツ、ヴィオちゃんはアクセサリーじゃないっつの!』
「……吹っ切れたら、こうまでもどうでも良くなる、って私はびっくりしました」
小さい頃、初めてヴィオレッタに対して優しく接してくれたのが、アレクシスだった。
親のいいつけだ、と理解していたとしても……それでも、当時のヴィオレッタの心の救いだった。だから、少しでも距離を縮められたら、と思っていたけれど無駄だったらと理解してから必死に諦めようと、少しずつ、少しずつ、気持ちを捨てていった。
学校に通っているあいだは、魔法はともかく学科に関しては他の生徒を黙らせられる程度の学力を見せつけることが出来た。
必死に何もかも真面目に取り組んで、せめて何かで役に立ちたい、その想いがヴィオレッタを突き動かしていた。
万が一のことがあった場合は己で対処できるようにと、体術も必死で身につけた。対応できるようにありとあらゆる立ち回りを覚えられるように、家庭教師にお願いしてどれだけヴィオレッタが怪我をしようとも、やめることはしなかった。
「……さっきのあれ」
『うん』
「何かあった時に、対応できるようにって……必死に体に叩き込んだんです。あれ以外にも色々できます。リカルドに対してはやり返さないようにしていました。だって、弱いものいじめだ、ってメイドたちや国王夫妻に言われますし」
言われたことは無いけれど、とポツリと付け加えられた言葉に、明日香はぐっと何かを耐えるような顔になる。
この子は、本当に努力の天才だ、そう感じた。
魔法が駄目なら、他で役に立てれば。
代替案を自分なりに考えていたが、周りの手によって何もかも台無しにされ続けていたのだろう。
『……何かさ』
「はい」
『魔法とか、そういうの無しにしたら』
「?」
『ヴィオちゃん相当なハイスペックよ』
「はい、すぺっ、く?」
まず、とんでもなく可愛らしい。
世話を放棄されていたとはいえ、どう足掻いても王族。出る必要があれば徹底的に磨かれる。
髪も、普通の人からすればサラサラ艶々、手触りだってめちゃくちゃ最高。
スラリとした手足、細身の体だけれど適度に筋肉はついている。
そもそもティータイムに呼ばれてはいなかったらしいから、それが自然とダイエットにでも繋がっていた、と言うべきなのだろう。無駄な贅肉がないから、すらっと体に沿ったドレスを着て、髪を結い上げて、きちんとヴィオレッタに似合うドレスや服を着用すれば、びっくりするくらいに見違えるだろう。
頭も良いし、そもそも頭の回転だって速い。加えて先程の体術を始めとした運動も様々に出来るのであれば、あの王家を捨てたところで『やり方』さえ覚えてしまえばヴィオレッタは普通に生きていけるだろう。
なお、諸々終わった後、身を寄せる先も出来たから、心配はしなくていい。
『こーーんな良い子を役たたず、とか言うとかあの男頭おかしいんじゃないの!?』
「あの、アスカさん。はいすぺっく、って」
『心配しなくても私のヴィオちゃんは問題なく可愛いし最強だってことよ!』
「ひぇ」
答えのような、答えでないような。
だが、明日香の全てがヴィオレッタを肯定してくれているから、何も心配いらない。
言葉にしなくても明日香の雰囲気が物語っているから、ヴィオレッタはくすぐったいような感覚になり、ふへ、と気の抜けた微笑みを浮かべた。
「良かった、聖女様がアスカさんで」
『私も。私のことを必要としてくれたのが、ヴィオちゃんで良かった!』
「最初はどうしようかと……」
『それはお互い様じゃん?』
明日香がここにやってきて、まだ一年も経過していないどころか、半年も経過していない。
あれよあれよという間に話が進んでくれたのは、明日香という心の支えを得たヴィオレッタが、自らの意思で行動をしたから。
「……そろそろ見えてくるはずなんですか……」
『覚えた地図の感じは、この辺だよね』
明日香は上に視線をやり、結界の割れ目の位置を確認もしている。
『ヴィオちゃん、割れ目の根元が上にあるから……』
「……その真下あたりに……」
話しながら二人は周囲を探す。
亀裂が入った先、恐らくこの辺りに目的の物があるはずだ、と注意をする。と、二人同時に『それ』を視界に入れた。
「『あったーーーー!!』」
『お?』
「…………つい」
同時に指をさして、大きな声で叫んだ先。
不思議な形をした金属製のフレームにくるくると巻き付かれているような、明日香曰く『RPGに出てくるようなワープゲートみたいな、ファンタジーに出てきそうなアイテム的なやつ』が、二人の指さした先にあったのだ。
中央にある大きな石は、中央付近に亀裂が走っており、恐らくこれが結界の亀裂の原因なのだろう。
「あれを、修復……」
『結界的なのはないみたいだね?』
「はい。……ただ……ですね」
『やっぱりヴィオちゃんも気付いた?』
「私たちの叫び声ですよ、ねぇ」
あはは、と二人は顔を見合せる。
するりとヴィオレッタはキャロットから降りて周囲を警戒していると、結界の要石のある辺りに魔法陣がするすると描かれていく。
「……移動魔法の、魔法陣です」
『移動、魔法?』
「使える人は少ないと聞いています。何せ魔法陣を描くことがとても大変で……」
「魔力の消費も、激しいので」
ヴィオレッタの言葉を遮るようにして、魔法陣からすぅっと一人、現れた。
薄紫の髪は、とても長く低い位置で一つにまとめられたストレートヘアの、恐らく男性だろう。声の低さと、体つきは女性には見えない。
だがしかし、凍りつくようなほど冷たい雰囲気を持った、切れ長の目をしている美しい、人。
服装はいかにも、な魔術師だった。長い杖を持ち、まるで要石を守るかのように立ち塞がっているのだ。
「あなた、は」
「……貴女が、今代の純血王家の姫君ですか」
「……っ」
「お待ち申し上げておりました」
恭しく頭を下げた彼は、そのまま、その場に膝をついて更に深く頭を垂れた。
「わたしは、要石を代々守る一族のもの。貴女様がお生まれになった日より、お会い出来る日を心よりお待ち申し上げておりました」
明日香とヴィオレッタは、驚いて目を丸くする。
こんな人が、いたんだ。アリシエルから、この話は聞いていないけれど、行けばやることが分かる、ということの中に恐らく含まれていたのだろう。
「私を、待っていた、って」
「本来ならばお迎えにあがらなければならない。ですが、如何せん王家にはねじ曲がった認識しか伝わっておらず……ここまでお力添えできなかったこと、大変申し訳ございません……」
本当に申し訳ないと思っているのであろう声音に、ヴィオレッタは戸惑いしかない。
だが、本当のことを言っているのは、何となく分かる。
声の質からも、彼の態度からも、ヴィオレッタの力に、というよりは役割を果たすための力添えをしてくれるのだろう、ということが分かるから、一歩前に出て、彼へと手を伸ばした。
「こうしてやって来てくれたこと、本当に嬉しく思います」
ヴィオレッタから、自然と言葉が紡がれていく。
「どうか、貴方のお名前を」
それがトリガーだったのだろう。
彼はゆっくり頭を上げ、ここでようやく薄ら微笑みを浮かべて名乗った。
「レスシュルタイン゠イザーク、と申します。今代の、姫君」




