言葉の刃で、ずたずたに(前)
『護身用、とはこれ如何に』
「ここまですごいんですね……」
『ヴィオちゃん違う、この場合はちょっと過保護っていうか、色々あかんやつ』
「…………えぇと」
まぁ、あそこまで吹っ飛んだらなぁ……と、明日香もヴィオレッタも、遠い目をしつつ吹っ飛んだ三人を見つめる。
恐らくあの感じは、王家からの人間だろう、ということは分かるのだが、国王はしっかりとヴィオレッタを王家から除籍してくれるはずだ。そういう約束をしたのだから。
「……私、まだあそこに……?」
『だとしても、ヴィオちゃんが配慮する必要なんかないでしょ』
「です、よね」
いくら心を決めてあそこには戻らない、そう思っていても長年に渡って行われてきた虐待の数々は、ヴィオレッタの心をぐちゃぐちゃに踏みにじってきた。
それは、トラウマとして刻みつけられている。心の傷は、そんなに簡単に治るようなものではないのだから。
「でも一体、誰が……」
自分を追いかけてくるような人なんて思いつかない、と続けようとした時。
「ヴィオレッタ!」
誰よりも聞きたくない、声がした。
「なんで」
さぁっと、ヴィオレッタの顔色が悪くなる。
あんなにも拒絶したのに、一切届いていなかった、とでもいうのだろうか。
もしくは、単なる強がりだとでも、思われていたのだろうか。
だとしたら、どれだけ彼はヴィオレッタを舐め腐っているのか。
『あいつ……!』
「……」
『ヴィオちゃん、って…………ヴィオちゃん!?』
明日香が彼の姿を目にして、かっと頭に血が上ってしまい今にも殴りかかろうかと心を決めた途端のことだった。
『ヴィオちゃぁぁぁぁぁん!?!?』
ひらりとキャロットから降りて、一目散に走り出したヴィオレッタ。
明日香も、キャロットもぎょっとしていたのだが、手を伸ばしてももうヴィオレッタには届かない、のはまぁいいとして。
『足、はやっ!!!!』
思っていたよりヴィオレッタが足が早かったことや、当事者のその彼が、ヴィオレッタを見つけた途端に何故だか目を輝かせたこと。
そのおかげで彼──アレクシスは足を止めてヴィオレッタを迎え入れようと、何ともまあご丁寧に両腕を広げて待機していたのだが、アレクシスの少し手前で飛んだヴィオレッタは、くるりと空中で一回転をした。
「へ」
ヴィオレッタ、ときっと名前を呼びたかったに違いない。
そんな願い虚しく、そこそこの高さのヴィオレッタの跳躍の結果繰り出された回し飛び蹴りが炸裂した結果、アレクシスは構えもしていなかったから思いきり吹き飛ばされる結果となってしまったのだった。
『……わぁ、マンガでしか見たことのないレベルの綺麗な飛び蹴りだぁ』
見事にアレクシスの頭、もとい側頭部あたりに綺麗に飛び蹴りをかまし、そのままヴィオレッタはふわり、と綺麗に着地した。
『運動神経とっても良いのね……ヴィオちゃんてば』
ぽつりと呟いた明日香の声が聞こえていたのか何なのか、くるりとヴィオレッタが振り返っていそいそと明日香の元に戻ってきた。
表情はまさに『無』。
何というか、視界に害虫が入ったのでちょーっと撃退しました、くらいの感覚でしかないのかなんなのか、明日香の元に戻ってきたヴィオレッタの口から『はぁぁぁぁぁぁ』ととっても長い溜め息が零れた。
『ヴィ、ヴィオちゃん?』
「すみません、つい」
『運動神経……良いのね』
「魔法以外の成績は良かったんです」
淡々と答えているヴィオレッタだが、吹っ飛んだアレクシスを心配そうに介抱している彼のお付きの人たちを冷めきった目で眺めている。
「……本当に、人の話を聞かない……いいえ、自分の都合のいい方にしか考えないから、こうやって自分勝手な行動ができるんですよね」
心底嫌そうに吐き捨て、ぐぐ、とヴィオレッタは拳を握った。
力が強く、握った拳は微かに揺れているのだが、明日香はそれをいち早く察してヴィオレッタの拳に自分の手のひらを重ねた。
『ヴィオちゃん、駄目だよ。手のひらに爪くい込んじゃう』
「……」
『ヴィオちゃん』
優しく、小さな子供に言い聞かせるようにしてやれば、無意識に込めていた力を緩め、はふ、と息を吐いた。
「……私、そこそこ拒絶してましたよね」
『だいぶしてた』
「それなのに……何で……」
『……あー……あのさ』
明日香は、何となくアレクシスが追いかけてきていた理由を察していた。
アレクシスの感情が歪んでいることは前提条件なのだが、彼は間違いなくヴィオレッタのことを好いている。
勿論恋愛感情があってのことだが、今までの暴言、人格否定など諸々が反作用しまくって……いいや、そんな人間がいくら『好きだ』と告げたところで、信用なんかしてもらえるわけもない。
「とりあえず……どうしたら良いんでしょうかね」
『吹っ飛ばしても言葉で拒絶してもめげないあたりだけは、まぁ……尊敬しなくもないけど……。ヴィオちゃん、もっときっちり振ってあげたら?』
「振る?」
『うん』
「誰が?」
『ヴィオちゃんが』
「誰を?」
『アレクシスさん』
告げた時のヴィオレッタの表情は、今まで見たことのないくらいの奇妙なものだった。
『ヴィオちゃん……?』
「アスカさん、あの……ですね」
『うん』
「あの人、私のこと嫌いなんですよね?」
『好きな子に嫌がらせしちゃう、って心境らしいんだけど』
「え」
きっと、彼は何もかもタイミングが悪かったらしい。
ヴィオレッタに執着して、追いかけてはいけないと言われていたにも関わらず、追いかけてきてしまった。
公爵家のありとあらゆる力を使い、ヴィオレッタの居場所を探し出した。
そして、迷いの森でお約束のように迷いまくっていたところに道が開けたかと思えば、会いたくてたまらなかったヴィオレッタがやってきた、のだが。
「い、っ……つ……」
よろよろと立ち上がってヴィオレッタの元に歩いてきたアレクシスは、一番聞きたくないセリフを、一番言われたくない人から、聞くことになった。
「自分の行動と発言に責任の取れないような人、こちらから願い下げですし、何より……人の嫌がることを言う人なんて、誰が好きになると思うんですかね?」
『…………あ』
「「あ……っ……」」
アレクシスについてきていた人たちも、明日香もさすがに『うわぁ……』と顔を顰めている。何かすっごい可哀想なこと言われてる……という同情的な視線がアレクシスに。ヴィオレッタに対しては『取り繕う、ってどこに忘れてきたんだ』と言わんばかりの目を交互に向けているのだが、明日香はアレクシスのやらかしを知っているからこそ今更すぎて……という目もついでに向けておいた。
「ヴィオ、レッタ?」
「……ああ、聞こえていたんですか」
よろよろとしているのはヴィオレッタに蹴り飛ばされただけではなく、彼女の言葉でメンタルをごりっとやられてしまったんだろうな、ということは予想できる。
だがしかし、最初に色々やらかしたのは他でもないアレクシスなのだから、被害者みたいな顔をするな、とヴィオレッタの顔には諸々文字が見えてしまった。
「あ、の……さっき、のは……」
「聞いた通りです。それから、改めてヘルクヴィスト公爵令息様には申し上げますが」
「……っ」
「あなたのことを好いていたわたくしは、消えました」
淡々と告げられる、アレクシスにだけ突き刺さる毒針。
ヴィオレッタの無表情がすべてを語っているのだが、アレクシスはどうしても認めたくないらしく、ギリギリと歯を食いしばっている。
けれど、これはアレクシスが招いてしまったこと。
どれだけヴィオレッタが反論しようとしても、聞かなかった。
役立たずを押し付けられた、と周りに嗤いながら告げて、笑い者にしてヴィオレッタを取り囲んで晒し物にしたことだって、あった。
ヴィオレッタに渡した贈り物の数々は、アレクシス付きの従者が適当に選んだもので、ヴィオレッタのことを考えたことなんてなかった。
ぐるぐると回る過去のやらかしの数々に、アレクシスの顔色は可哀想なほど青くなっているが、ヴィオレッタは改めて明日香を見た。
『ヴィオちゃん?』
「アスカさん、行きましょう。この方に構っている時間、もったいないですし」
「ま、待てヴィオレッタ!」
「……婚約解消されたのですし、わたくしはもう王家の人間ではないのだから、名前で呼ばないでいただけませんか、と……以前もお伝えしたかと思いますが……」
――言われた。だが、ヴィオレッタはきっとアレクシスのことが好きなままなのだと、思い込んでいたから、その発言も何もかも軽んじた。
「構っている暇があれば、わたくしは結界の修復を最優先したいのです。それでは」
『ヴィオちゃん……』
気遣うような明日香の声に、ヴィオレッタは苦笑いを返した。
気にしないで良いんです、と聞こえてくるような切なげな笑みを見て、明日香は自然とヴィオレッタの頭に手を伸ばしてよしよしと撫でてくれていた。それが、とても心地よくて、キャロットに再び跨って森の中を進んでいくヴィオレッタを呆然と見つめたまま、アレクシスは何も言えず、足も動かなかった。
「……俺が、悪かった、と……? ……実際に役立たずだったのは、あいつだろう……っ!」
責任転嫁をした言葉が己の口から零れたのを聞いたアレクシス本人が、ハッとした。
ああ、こうやって言葉の刃でヴィオレッタのことをずたずたにしてしまっていたのだ、とここで自覚したのだが、徹底的に拒絶されてまでして気付けた、というのはあまりにも遅すぎる。
追いかけてきたものの、何もできないままのアレクシスに、従者たちも何も言えないまま気まずそうにしており、その場で立ち尽くしていることしかできなかったのだ。




