閑話休題 手遅れ
ぼんやりとアレクシスは天井を見上げた。
父親であるヘルクヴィスト公爵からは、ただ一言、こう言われた。
「お前と王女殿下の婚約は、無事に破棄された。……破棄、というよりは解消、いいや、『白紙』だ」
確かに、アレクシス自身もヴィオレッタを馬鹿にした。
無能とか、ハズレとか、役立たずとか、罵ったりもしたのだが、アレクシスはきっとヴィオレッタが自分を拒否しないと思っていた。
「何で……」
ヴィオレッタに拒絶されるとか、そもそも想像していなかったのだ。あの婚約はヴィオレッタが『無能』と呼ばれて蔑まれていたときに結ばれたもので、ヴィオレッタ自身は婚約関係に縋るしかなかっただけ、という話なのだ。
それに、今更ながら気づいた。
「……でも、ヴィオレッタは……俺と離れて、きっと悲しんでいるはずなんだ。王宮では強がって、周りの人の目があったから、拒絶するふりをしていただけ、なんだよ……」
ぶつぶつと呟いているアレクシスは、どこまでも本気だった。
これが恋心だと思い込んでいる。
確かに、最初は淡い恋心があったはずなのだ。とっても小さい頃、ヴィオレッタが王宮の中庭でわんわんと泣いていたところにたまたま遭遇し、一輪だけ花をあげて喜んでくれた時のぱっと輝くような笑顔が、ずっと頭の中にあった。
だが、いつからそれが崩れたのか。
ヴィオレッタが純血王家のため、ろくに魔力運用が出来ずに魔法が使えないと分かったあの時。
アレクシスは本能的に思ったのだ、『ああ、何だ。ハズレ王女なんだな、こいつ』と。そして、嫌だな、叶わなければいいな、と思っていたヴィオレッタの婚約が無理やり結ばれてしまったことで、ほんの少しの好意は、反転して憎しみに変化した。
「俺は……ヴィオレッタ以外との婚約は、嫌だ」
嫌だ、と言ったところで、ヴィオレッタとの婚約がなくなってしまった以上、他の令嬢との婚約をどうにかしないといけないのだが、年頃の令嬢は既に婚約者がいる人ばかり。
ヴィオレッタとの婚約がもしなかったとしたら、きっと他の令嬢と良い関係性を構築できていたのかもしれない。
……だが、国民すべてが、貴族全てが、ヴィオレッタを嫌っていたというわけではない。
中には、ヴィオレッタに好意的な貴族も、ごくわずかではあるが存在している。
例えば病気で魔力が消失してしまった人や、そもそも魔力を持っていない人だって存在する。ヴィオレッタの場合はたまたま王族だったから非難の矢面に立たされてしまった。
ヴィオレッタと同じような境遇の人たちは、『王族に生まれてしまったばかりに……』と、陰ながらこっそりヴィオレッタを応援していたのだが、声は届くはずもなかった。
しかし、今回のヴィオレッタとアレクシスの婚約が白紙になったことは、一気に国全体に広がった。
野心のある令嬢は今からでもアレクシスの婚約者になれることを夢見ているらしいが、一部の令嬢からは冷ややかな目で見られているそうだ。
「有能だと分かったとたんに、掌を返すだなんて」
「でも貴族だから仕方ないのでは?」
「王族なのだ、仕方ないだろう」
「ヴィオレッタ様のみがあの結界の亀裂に関して対応できるのだから、我らはこれ以上は黙るのが得策であろうな」
様々な意見がある中、ヴィオレッタと同じ境遇の令嬢たち――後天性であるか、先天性であるかはさておくとして、だ――は、アレクシスに対して冷ややかな目を向けている。
アレクシスは公爵家嫡男だから、家柄の釣り合いが取れている令嬢でなければ婚約を簡単に結ぶわけにはいかない、とアレクシスの両親は考えた。
そしてとある侯爵家の令嬢に未だ婚約者がいなかったので、と婚約を申し入れたところ、令嬢からあっさりとこう切り返されたのだ。
「私、アレクシス様曰くの『役立たず』ですので、一人で生きていくと決めております。ですので、婚約はできませんわ」
――と。
何と無礼な、とヘルクヴィスト公爵は反論しようとしたが、令嬢の母親からは更にこう続けられた。
「大変申し訳ございません、ですが……我らは何かあったとき、娘を悪しざまに言われるようなことは、どうしても我慢なりませんの。……魔力ナシの我が娘は、アレクシス様曰くの『ハズレ』なのですから……もっと素晴らしい令嬢はおりますわ」
微笑みながらの言葉に、ヘルクヴィスト公爵とアレクシスは何も言えず、帰るしかなかった。
なお、その令嬢はアレクシスに対して婚約の『否』という返答のみで、その後は口を開くことはなかったのだった。
「……自業自得、か」
婚約が決まっていなかった令嬢は、魔力ナシの令嬢が多かった。しかし彼女らは家族が幸いにも味方だったこともあって、嫌な思いをして婚約なんかしなくてもいい、と理解を示してくれていたから、婚約の必要はない、と家族に守られていた。
アレクシスたちは、それを知らなかった。気付いていなかった。いいや、知ろうとしていなかったし、興味すらなかったのだから、何もしなかった、というだけ。
「なら……」
公爵家を継ぐにしても、結婚相手は必要だ。跡継ぎの問題だってあるし、アレクシスは既に公爵としての公務にも参加している。今更後継者変更をするだなんて、現ヘルクヴィスト公爵にはプライドが耐えられなかったのだ。
だから、彼は息子に対してこう告げた。
「ヴィオレッタ様をどうにかして連れ帰れ! 王家から廃嫡されているとかは知らん! あのお方が王家の血を引いていることは変えられない事実なのだからな!」
その言葉は、絶対。
元々ヴィオレッタの後を追いかけようとしていたのだから、これ幸い、と言わんばかりに支度を進めていった。
時に、こうして自分の行動を振り返って、ちょっとだけ無気力になってしまうことがあるくらいだが、問題はない、と勝手に判断した。
アレクシスが思っている以上にヴィオレッタの決意は固く、王宮に戻らないことを決めて、自分の持ち物を極限まで減らして旅に出てしまったから、取り返しがつく、つかないという問題以前になっていることも理解していなかったことを、これからアレクシスは思い知ることになるのだが、それはもう少し先の話――。




