彼女の生き方
すっかり盛り上がってしまったヴィオレッタとアリシエルだったが、ふと我に返ってからヴィオレッタがはい、と遠慮がちに手を挙げた。
「あら、なぁに?」
「あの、アリシエル様は……」
「もう……アリシエル、って普通に呼んで? 敬語もいらないくらいなのに……」
「駄目です! 人生の大先輩にそんな失礼な真似できません!」
おお、ヴィオちゃん真面目だ……と、明日香は思わず感心する。
自分だったらそのまま『んじゃアリシエルさんで!』と躊躇なんかしないだろうに、ヴィオレッタはきちんとしているんだなぁ……と思うものの、いや、自分がざっくりしているだけか……?とも考え込んでしまったが、ふよふよと飛んでヴィオレッタの元へと明日香は移動した。
『ヴィオちゃん、とりあえずアリシエルさん、で良いんじゃないかな』
「う、うぅ……アスカさん……」
「アスカ様の言う通りよ」
『えええええ、様付けいらないです! あの、私のことは普通に明日香、でOKなんですが……』
「あら」
そんな平和なやり取りの後、ヴィオレッタはアリシエルを『アリシエルさん』と呼ぶことで、落ち着いた。ついでに明日香のことも『アスカさん』と呼んでくれることになった。
この世界の人からすれば、明日香は異世界からやってきた人で、尚且つ聖女なのだから『様』をつけるのは当然のこと、という思いがあるものの、明日香はそんなこと慣れているわけもないから、言われるたびに慌てまくってしまう。
「それで、ヴィオレッタは何が聞きたいの?」
「その……ですね、色々あるんですが」
どれから聞いたらいいんだろう、とヴィオレッタは悩む。
王家を出て生きていく、と決めたものの果たして自分がどのように立ち回ればいいのか分からない。結界を修復している間に知識をつけようとは思うけれど、何をどうしたら、というところまでは分からない。
「今まで、どうやってお過ごしになっていたのですか?」
「そうねぇ……。簡単に言うと、薬師、かしら」
「薬師?」
「物は言いよう、なんだけどね」
ふふ、と笑うアリシエルの言葉に、明日香ははて、と首を傾げた。
『(薬剤師みたいなもんかな、それって)』
この世界にも病気をした時に飲む薬や、怪我をした時に塗る薬があるだろう。
とはいえ、ここには調剤するための道具などないように思えるのだが、ときょろきょろと見渡してみる。
「近くの村に薬草を行商に行ってたら、いつの間にか『薬師が余分に採れた薬草を安く売ってくれる』って話題になっちゃって……。ついでに治癒魔法で軽い怪我の治療とかしていたら、『無料なんて申し訳ないから代金を受け取ってくれ』って言われて、それがいつの間にか仕事になったのよね」
楽しそうに微笑んでいるアリシエルを見て、ヴィオレッタは目を輝かせている。
あぁそうか、色んな方法があって、アリシエルが取ったのはそのうちの一つなのだ、とすぐに理解したらしい。
学校に通っていたこともあり、魔法以外はもう教えることがない、と言われたと聞いたこともあるし、ヴィオレッタの頭の回転はとても速いらしい。
加えて、あの環境から脱出したこともあって思考回路はとても柔軟になっているようだ。
「そんなこともできるんですね! すごい……!」
「あなたも、出来ると思うわ。いきなり人前に出るのが無理だとしても、少しずつ慣れていけば良いんじゃない?」
「そ、そう、でしょうか……」
「その前に終わらせなければいけないお仕事もある、そうでしょう?」
「あ、そうか……」
やらなければならないこと、結界の修復。
それが終われば、ヴィオレッタは晴れて自由の身となるがどこまで王家が邪魔をしてくるか……というところだが、国王には話をつけてあるから、修復が終わっても城になんか戻らない。
「修復って、でもどうすればいいのでしょう……?」
「ああ、それね。近づけば勝手に体が動くわ」
『え』
「へ?」
どういうこっちゃ、と明日香とヴィオレッタは顔を見合わせるが、アリシエルは微笑んですっと掌を上にして胸の高さまで上げると、ぽう、と光の玉を出現させる。
「あの……」
「貴女の中に、聖女様が……ええと、アスカさんがいらっしゃるのだから、大丈夫。こんな感じですぐに体が動くわ」
体の動きを見せてくれたらしい。なるほど、と明日香はその動きを見てからすいっとヴィオレッタの頭を撫でに行く。
少し不安を感じたから、というのが一番の理由ではあるのだが、まず何事もやってみなければ分からない。そして、今のヴィオレッタは『やってみよう』という行動欲に満ち溢れているから、きっと大丈夫に違いないのだから。
『大丈夫だよ、私がいるもん』
「アスカさん……」
『一人じゃない』
「……そう、ですね。私たち、二人いますもんね!」
にへ、と明日香が笑いかければ、ようやくヴィオレッタも安心していつも通りの笑顔を見せてくれた。
この子の笑顔が曇らなくて良かった、とほっとした明日香は、ふとアリシエルの方を向いてはいはい、と手を挙げる。
「どうなさいましたか、アスカさん」
『ふとした疑問なんですが、アリシエルさんの……えーっと、私みたいな存在、ってどんな人……?だったんです?』
「ああ、私の場合は……」
そこまで言ったところで、アリシエルの肩辺りに、ひょっこりと顔を出した小動物が一匹。
「わぁ、可愛い……!」
『ハムスター……?』
見た目は明日香の世界にいるようなハムスター。
だが、これはつまり聖獣……? と明日香とヴィオレッタが考えていると、そのハムスターもどきはいきなり人の言葉を話し始めたのだ。
『聖獣、ってことかなこの子』
『そうですよぉ』
「言葉分かるの!?」
『わかるぅ』
少し間延びしたようなしゃべり方でちまちま動いている様子を見て、明日香もヴィオレッタもほっこりしている。
アリシエルがそっと抱き上げ、テーブルに乗せればちまちまと歩いて明日香やヴィオレッタの近くにやってくる。そして、小さな体をぺこり、と折り曲げて挨拶をしてくれた。
『聖獣の、ファイ。たまたま召還された縁あってぇ、ずっとアリシエルと一緒ぉ』
『ずっと……?』
ファイの言葉に、明日香の表情が一瞬強張った。
そして、ヴィオレッタはその理由をすぐさま察知した。明日香は、元の世界から、あくまでここに呼ばれただけなのだ。
色々と終われば元の世界に戻れると思っているから、ヴィオレッタにとても好意的かつ協力的にできていた部分もあるのに、とすぐに考えていたが、ファイが慌てて小さな手をぶんぶんと振った。
『誤解があるから言っておくのぉ! ボクが戻れないだけなのぉ!』
「ファイ様は……戻れない、って」
「こちらに召還したタイミングで、元の世界に何か異変があったそうなの。だから、あえて元の世界に戻らない、という選択をしているのよ」
『そ、っか……。私は戻れるのか……良かった……』
ほ、と胸を撫でおろす明日香を見ていたヴィオレッタも、ほっと安堵の息を零している。
最初に帰れる、と言ったこともあってか、まさか『自分の意思で帰っていない』というパターンがあるだなんて、思ってもみなかった。
「世の中には色んな知らないことがあるんですねぇ……」
『私は帰れないかと思って、ちょっと……いや、めっちゃ焦った』
『ごめぇん』
おろおろとしているファイは、やっぱりどう見てもハムスターにしか見えない。
明日香もヴィオレッタも、そんな様子にやはりほっこりとしてしまうが、ファイがよく異世界で生きていこうと思えたな、とある意味で感心もしてしまう。
『ファイくん? ファイちゃん? は、帰りたいって思わなかった?』
『帰ってもぉ、大惨事だからぁ、別にいっかなぁ、って』
のんびりした口調だが、きっとファイはここにいることが安全に生きていられる、ということなのだろう。
何があったかまでは一旦置いておくとして、明日香は諸々が終われば帰れることはきちんと確定した。
そして、この結界の修復が終わればヴィオレッタに協力してくれそうな親戚の人にもこうして会えた。
『ヴィオちゃん、王家の人たちと縁切ってから色々順調じゃない?』
「はい……! というか、アスカさんにお会いできてから、色んなことが順調です!」
嬉しそうにしているヴィオレッタを見ていると、明日香もつられてにっこりと微笑んでしまう。
その光景を見ているアリシエルとファイも、つられてにこにことしている。
そう、ここだけで済んでいれば、何とも平和な光景で、このまま結界の要石があるところを巡ってしまえば、本当の意味での平穏が訪れる、はずだったのに。
ヴィオレッタが思っていた以上に、家族だった人の思いと、婚約者だった人の執着心が強かったことを、改めて思い知ることとなるのだ……。




