解放感と寂しさ
普段よりちょっと短めです。
「やった……!」
ヴィオレッタは涙を流しながら、キャロットに揺られていた。
解放感と、喪失感が同時にやってくるが圧倒的に解放感の方が大きい。
「アスカさん、やりました……! これでもう私、解放されたんですよね!」
『解放はされたけど、こっからだよヴィオちゃん』
「え? あ……」
きっと今は、ヴィオレッタの感情がぐるぐるとしているのだろう。
泣きながら笑っているその姿を他の人が見れば、こいつはおかしい、と思われかねないが、ヴィオレッタは至って正常。
解放されて嬉しい気持ち。
解放されて嬉しいのに、でも彼らを見限ったという悲しさ、寂しさ、虚しさ。
何もかもが混ざりあって、涙は出るわ、笑顔にもなってしまうわ、少々どころではなく大変なことになってしまっているのだ。
「すみません……何といいますか、あの……」
『気持ちがぐるぐるしちゃってるのかな』
「ぐるぐる……そうかもです……」
溢れてくる涙をぬぐったヴィオレッタは、力なく微笑んだ。
だが、泣いているけれど彼女の表情がとてもすっきりとしているのは、戸惑いや喪失感よりも解放感が勝っているからだろう。
「……これで……あの人たちからは、解放されました」
『飛ぶ直前に、王妃様顔面蒼白だったけど……まぁいっか』
「失礼な話ですよね。向こうが先にこちらを見限ったのに」
『失礼っていうか、ヴィオちゃんの感情の上に胡坐かいてるよね彼ら』
「……はい」
ヴィオレッタは、きっと『家族』を見捨てない、離れることもしない。『家族』から突き放されそうになったら、ヴィオレッタが勝手に縋りついてくるに違いない。そう思い込んでいた彼らは、ヴィオレッタが、彼女自身の意志で家族のみならず国も、愛していた婚約者をも見捨てるだなんて、思っていなかった。
国を見捨てた、というのは少しだけ語弊があるかもしれない。
国を守っている結界にほころびが出来て、それを修復する旅が今まさに開始されたのだから。結界は修復するけれど、それで、おしまい。
修復した張本人が、国に戻ることはない。
修復は基本的に内側――国境ぎりぎりを旅しながらするものらしいのだが、明日香にそれを言うとあっけらかんと『え、別に国の内側からじゃないと結界修復できないっていう決まりってなくない? わざわざ国内の道選ばなくても、外から直したら良いんじゃないの?』と言われ、ヴィオレッタも「確かに!」と納得したのだ。
「アスカさんのおっしゃること、言われてみれば! っていうものが多くて……」
『第三者だから、多分冷静に見れたというか、判断できたというか。今までこうしているから、これからもこうだろう、っていう思い込みもあるよね』
「おっしゃる通りです……」
あっはっは、と笑っている明日香の言葉がなければ、もしかしたらヴィオレッタは書物にある通りに国境付近を旅しつつ結界の修復作業にあたっていたかもしれない。
だが、もう既に国は脱出した。
まずはヴィオレッタの前の純血王家の人間である、親戚に会いに行く。文献には『ヴィオレッタの前に先代の純血王家の人間が、結界を修復した』としか書いていないので、男性なのか女性なのかも定かではない。
というか、先代が修復した結界がもろかったのだろうか、ともヴィオレッタは同時に考えてしまった。
「……どうしてこんなにも綻びが早く生まれたのでしょうか……」
『前に直したところがまた壊れた、っていうよりは、前に壊れていなかったところが壊れた、の方が可能性としてはあると思うな』
「え?」
『なるほど、ヴィオちゃんだいぶ固定観念がっちがちね。えい』
「うあ」
隣をふよふよと飛んでいた明日香は、そこそこ遠慮なくヴィオレッタのこめかみに拳をあてて、ぐりぐりぐり、と刺激する。
「あの、アスカさん、それちょっと痛い、で、す」
『刺激を与えて思考回路を柔らかくしようかと』
「あー」
ぐりぐりぐり、と何度かされた後、ヴィオレッタは少しだけしょんぼりしながらこめかみをおさえる。
一体全体どうしてこんなことを、とほんの少しジト目で明日香を見れば、困ったように微笑んでいる彼女と目が合った。
『考えてみて? 結界って、そう簡単に毎回全部の要石?だっけ。それが壊れるの?』
「へ?」
『毎回壊れてその度に純血王家の資格のある人が修復に駆り出される、って結構な頻度になりそうなもんだけど』
「……え?」
あれ、え、と呟きながら、ヴィオレッタはきょとんとしてしまっている。
純血王家の人間が生まれている間隔は、等間隔ではなく、まばら。
もしも、仮に、結界が定期的に壊れる、あるいは要石に何かしらのタイムリミット的な要素があると仮定して、等間隔で異常が発生してしまうのであれば、生まれる間隔も等間隔であるべきでは。
だが、実際はそうではない。
明日香もヴィオレッタも文献を見ていく中で、もしかしたらヴィオレッタは見逃していたかもしれないこと。
結界の修復は、毎回『全ての箇所』で行われているわけではない。
『(まぁ、壊れた=全部なおすって感覚だったのかもしれないけど)』
「えぇと……」
ヴィオレッタは、深呼吸をして、呟いた。
「……もしかして、前の修復は、ほんの少しだけだった……? たまたま、今回が大規模修復になっている……?」
『お』
明日香は助言せず、じっと見ていた。ヴィオレッタが自分で答えに辿り着けるように。
そこまで手を貸してしまうのは容易いことだけれど、毎回そうしていて、後々困るのはヴィオレッタなのだ。
『ヴィオちゃんえらい!』
「え、でも、あれ?」
『もしかしたら、だよ。前の修復ってほんの一箇所しかなかった、とかそういうことかもしれない。でも、それはこれから会いに行く人に聞いてみれば良いね』
「そう、ですよね……」
そう、自分で考えて、自発的にもっともっと行動できるように背中をほんの少しだけ押してやらねば。
『(だって)』
キャロットに乗って揺られるヴィオレッタのほんの少しだけ後ろを飛びながら、明日香は僅かに苦しそうな表情を浮かべる。
『(いつか、私は元の世界に戻るんだから)』
明日香がいなくなった後、ヴィオレッタが独りにならないように、味方を。
ヴィオレッタには、その人に自発的に相談できるように。
別れは寂しいことだけど、この世界に呼ばれている以上、いつか来るその日までに。
『(私は、やれるだけの事をやろう)』
ぐ、と明日香は強く拳を握ったのだった。




