緊急事態だけどなまっちょろい思考は捨てさせる
揺れがおさまった後、城では被害の状況確認を行うことが最優先課題として慌ただしく皆が動き回っていた。
国王夫妻は、まさか、と慌てて外の様子を確認し、明日香が見たものと同じ、結界の綻びを確認した。
「あれは……」
「嘘でしょう……!?」
王妃が悲鳴のように叫び、へたりとその場に座り込んでしまう。
何が起きて結界に綻びが現れたのかは分からないが、あれを誰が修復などできるというのか。
──これまで忌み嫌い、蔑んできたヴィオレッタのみ。
「あ、あぁ……っ」
お母様、と幼い頃のヴィオレッタに手を伸ばされても払い除けた。
魔力がないから、と心無い罵倒もしたし、リカルドのように愛を注いだりはしなかったうえに、ヴィオレッタのせいではないにもかかわらず『お前がいるとこちらまで、辛気臭くなるから近付くな』と拒絶もした。
「わた、わたくしは、……」
「まるで、代償を支払えと言わんばかりのタイミングだな」
「陛下……?」
「ヴィオレッタは、出ていくそうだ」
「え……」
「結界の修復に、と言っていたな。だが、ほんの少し前はあんな亀裂など結界には勿論入っていなかったし、綻ぶことなどないと、だから純血王家たるヴィオレッタがわたしも疎ましかった」
「陛下、何を」
「まるで、ヴィオレッタが出ていくことを推奨するかのようなタイミングで亀裂が入ったな、と思ったのだよ。疎ましく思った存在こそが我らを救ってくれる。……皮肉なものだ」
「ま、まって。陛下、まって?」
はは、と国王は乾いた笑いを零した。
王妃は青ざめてカタカタと震えている。聞こえない、聞きたくない、とブツブツ何かを呟いている。
そうだ。ヴィオレッタが出ていくと宣言して、いいや、それより前に聖女召喚をなし得てしまったあたりから、何かが狂い始めたような気がする。出ていく準備を整え始めたことが今更理解出来た、とでもいうのだろうか。
ヴィオレッタにとって、心の拠り所となる存在が現れたことで、もう家族にすがることを綺麗さっぱりとやめたのだろう。更に、婚約者までもいらない、と突き放した。
リカルドも、国王も、彼女から盛大な拒絶を食らって、もはや近づくことすら出来ないほどにヴィオレッタは徹底して彼らを遠ざけた。
世話をしようと今更奮起したメイドたちですらも、ヴィオレッタには拒絶をされていると聞いた。
自分のことは自分で出来るようになってしまったから、お前たちがいる方が邪魔だ、と部屋から為す術なく追い出されている、という報告が上がっている。
メイドですらそんな状態だと聞いてはいたが、王妃は『母親たる自分なら大丈夫だ』と思っていたけれど、そうではなかった。
対話すら拒否され、母娘ごっこ、とまでも言いきられてしまったのだから。
どうしてこうなったのだろう、と考えたところで出てくる答えは『そもそも最初から接し方を間違えていたのでは?』という身も蓋もないもの。
こうなった今、頼みの綱はヴィオレッタ、唯一人。
「陛下……ヴィオレッタに、改めてお願いをしましょう!あの結界を修復してほしいと、そう、王家の一員として勇気ある決断を、と!そして、修復したら盛大にお祝いを!」
「聞いていなかったか、王妃よ。さっき言っただろう」
「……?」
「こちらが言わずとも、ヴィオレッタはもう出発の準備に取り掛かっているのだ」
「まぁ!」
さすがわたくしの娘だわ!と喜んだ王妃だが、国王の言葉で喜びは霧散してしまう。
あぁ、王妃は受け入れたくないから逃避をし始めてしまったのか、と国王はため息を吐いた。
「あれができる前から、準備をしていたのだ。もう完了して早々に出る頃だろう。見送りに行くぞ」
「……ま、まって、王女が勇気ある決断をしたのであれば、それなりの式典をしなければならないでしょう!」
「何故だ。そんなこと、ヴィオレッタは喜ぶと思うか?」
「え……何故だ、って、そんなこと決まっているではありませんか!ヴィオレッタを皆で見送るために、そして、修復さえ終われば彼女はまたここに」
「戻ると、何故思う」
がつん、と殴られたような衝撃を王妃は受けてしまった。
さっき言われたのに、聞きたくなかったから無視していた。
改めて聞いてしまうともう、後戻りができないような、そんな気がしてしまった。
何故、戻ると思えたのか。
何故、ヴィオレッタがまだ家族を愛してくれていると思えているのか。
──何故、母だからと無条件で信頼され、頼られ、愛され続けていると思えてしまうのか。
そういえば、ヴィオレッタがいつの間にかいなくなっていて、でも騎士が『見つけたけれど、今更母娘ごっこをしたいのか』などという伝言を預かってきたと言っていたような、と。
ぐるぐると王妃は考え、そして口元を手で押さえた。
「……っ」
「あれほど好いていた婚約者ですら、もはや不要と言い切ったヴィオレッタのことを、お前は舐めすぎではないか?……まぁ、人のことは言えないが、な」
家族だから大丈夫。
婚約者だから大丈夫。
見えない絆があるから大丈夫。
そんな甘っちょろい夢は、ヴィオレッタ自身の手で叩き壊された。オマケと言っては何だが、元婚約者のアレクシスはどうにかしてまたヴィオレッタに近付こうとしたら、とてつもなく徹底的に拒絶をされてしまっただけではなく、しばらく王宮への出入りすら彼の親から禁じられた。
王家の怒りを買いたくなければ、お願いだから大人しくしていてくれ。そもそも最初にヴィオレッタ王女殿下を疎んだのはお前なのに、何故そうまでして縋りつこうとするのかが分からない、とまで言われてしまったそうだ。
第三者から見ても分かるほどだったのに、今更何を、というのが彼の両親、兄弟揃っての意見。これにはアレクシスも黙らざるを得なかった。
「せめて、見送りだけでも……」
「それくらいなら、許してもらえるかもしれんな」
そう会話をしていると、騎士団員たちが慌てて国王夫妻の執務室へと駆け込んできた。
「何事であるか!」
「ヴィオレッタ王女殿下が、あの」
「ヴィオレッタがどうしたというのですか!」
「さようならを、言いに来ました」
姿はヴィオレッタのまま。
しかしいつでも表に出られるように明日香も臨戦態勢で待機している。
「あぁ……っ、ヴィオレッタ、わたくしの大切な」
「貴女の腹から出てきただけで、家族から一番最初に排除したのはそちら……いいえ、国王夫妻ではないですか?」
「…………え…………」
これには騎士たちも、国王も、真っ青になってしまう。
事実ではあるが、まさか真正面から思いきり誰がぶつけると想像していたのか。
「ヴィオ、レッタ」
「わたくしの認識違いでしたでしょうか。けれど、わたくし、皆様から役立たず、王家の穀潰し、魔力なしなんてとてつもない恥晒し、など……ええと、他には何があったかしら。そういったお言葉しかいただいたことはございません。世話係のメイドにすら見捨てられ、必死でどうにか生きてまいりましたけれど……まぁ、不思議」
にこ、と微笑んだヴィオレッタの目の奥にあるのは、とてつもない蔑みだった。
「どうしてあなた方が被害者です、というお顔をなさっていらっしゃるのかしら。不思議ですわね、ふふっ」
そんなことはない、と言いたいが、事実しかヴィオレッタは言っていない。
きっと今までのヴィオレッタならば、『ようやく皆様のお役に立てることができるのですね!』と感極まって泣いていたのかもしれない。あくまで、純血王家として聖女召喚などをしておらず、初めて役割を聞かされた、という前提条件が付与されてしまうけれど。
だが、もうヴィオレッタには明日香がいる。
今だって、姿を見せていないだけで、ヴィオレッタの背に手をそっとあてて支えてくれている。
言葉なんかいらないし、今はこれでいい。虎の威を借る何とやら、でも良い。
自分たちが何をやってきたのか、理解をした上でこんな人達からおさらばするんだ。もう、こんなところに縛られたくない。
人でなしと言われたくは無いから、結界の修復だけはする。
でも、戻ってなんかこない。
ヴィオレッタが結界の修復の旅に出る、戻ってくる予定なんかない。戻ってこいと言われても拒否一択。つまりこの国そのものを捨てることと同義だ。
死なずにとりあえず生きてこれたから、まぁ結界の修復くらいならしようかな、というくらいの小さな思いと恩返し。
ここにいなかったら、明日香に出会うこともなかった。
絶望の中で自死を選んでいたかもしれない。
そうなったら、本格的にこの国は滅んだことだろう。
「今になって構い倒したかったんでしょう、ようやく利用価値が見えましたものね?」
「ち、ちが、う」
「何が?」
「だって、貴女だって、わたくしの、子で」
「子ではない、価値がない。そう真っ先に仰ったのは、他でもない王妃様ではありませんか」
『どうしてお前は魔力がないの!』
『お母様、ごめんなさい!ごめんなさい!』
『この……』
「出来損ない、そう仰った。覚えておられません?」
がたがたと震える王妃を見ても、ヴィオレッタは何とも思わなかった。いいや、思えなかった。
だって、この酷い言葉をぶつけて、嫌そうに顔を顰めて、ヴィオレッタの頬を叩いて、突き飛ばして、部屋にその日一日閉じ込めたのに。
「……あれ」
言いながら、ヴィオレッタの目からぽろぽろと涙が溢れてきている。
『ヴィオちゃん、交代しよ』
「……はい」
ヴィオレッタが頷いた瞬間、雰囲気も見た目も、すっかり変わって明日香が表へと出てきた。
「『そういうわけですので、無様に縋り付いたりしない方がよろしいと思います』」
「あ、あな、た」
「『見た目も変えていたので、違和感があるでしょうけれど……こうしないと私の声はとどかないものね』」
にこ、とヴィオレッタでヴィオレッタではない顔で、笑うその人は、綺麗なお辞儀をした。
そして、微笑んだまま王妃へと最大の棘を放つ。
「『さぁ、あなた方が役立たずと言い切った存在の真の価値を、不要だと言い切ったあなた方が民に示してくださいな』」




