二人三脚(強制)②
あまり背中を擦り続けすぎても良くないか、と思って明日香は一旦背中から手を離した。
じっと見ていると、ほんの少しだけ頬に赤みが戻ってきたように見えたので、先程まで座っていた席に改めて着席した。
「あのー…。さっきの、時期が一致するとか…そっちの世界?からの影響、とかっていうのが…私の体の弱さにどう関わりがある、のかな?」
遠慮がちに問いかけた内容に、ヴィオレッタの体は大袈裟なほどにびくりと跳ねた。そんなにも聞いてはいけなかったのだろうか、と思いながら答えを待っていると、決心したようにヴィオレッタは話し始めた。
「私たちの世界では…伝説の存在として、『聖女』と呼ばれる存在がおります」
「ん?う、うん?」
はて、一体何だと明日香は思ったのだが、きっとこれはツッコミなんかを入れてはいけないのだと察する。口を開かずに黙って聞くのが良いのだろうと判断した。
「『聖女』とは、聖魔力の持ち主。彼女を召喚することで、召喚した主にはとても強大な力が宿る、と言われております」
「…へぇ…」
明日香は内心驚きまくりであった。
ネットでしか見たことのない設定の数々を、目の前にいる超絶美少女がぽつりぽつりと語ってくれているのだ。
ついでに、自分の若干のオタク思考にもここぞとばかりにお礼を言っておいた。
「そして…。『聖女』を召喚できるのは、王家の血を引く…いいえ、王家の始祖からの血を引いた『純血王家』の、しかも王女のみ…」
「つまり、えっと、ヴィオちゃんがそれをしようとした、ってことは…」
「はい…。今、その資格を持つ王家の人間は、私のみです…」
これなんていうお約束だ?と明日香は内心問いかける。
まさかの異世界テンプレのような展開、いや、テンプレだわこれ。そう、心の中で更に呟いてから目の前のヴィオレッタを見つめる。
彼女の目に嘘偽りはない。
本当であり、事実。更には現実。
「あ、の…いっこ、質問良い?」
おずおずと明日香が手を挙げると、ヴィオレッタは小さく鼻をすすってから『どうぞ』と告げた。
「『聖女』?っていうのが私っぽいんだけどさ、召喚して、具体的には何をしたいの?」
あ、とヴィオレッタは呟いた。
それを明日香は聞き逃さなかった。
「こういうのって、何か必要なことがあるからやったんだと思うんだよね。でも、未だにその目的が見えてこない。言いづらいこと?」
「………はい」
項垂れて肯定してから、恐る恐るヴィオレッタは顔を上げる。
自分よりもほんの少しだけ年下の彼女が、今この瞬間だけ何故か幼子のように見えて、明日香は手を伸ばして優しく髪を撫でる。
「大丈夫、大丈夫だよヴィオちゃん」
いいこ、いいこ、と。小さい子にするように、だけれど、それは間違いなく目の前のヴィオレッタを労るための行動。
「ここには私とヴィオちゃんしかいない。あ、でも…話したくないなら無理にとは言わないから…」
ね、と優しく語りかけると、少し迷いがちにヴィオレッタは口を開いた。
「………逃げたいんです」
「へ?」
王女なのに?と言いかけたが、慌ててそれを出さないように口を噤んだ。
王女だから幸せなんだろう。王女だから、何も不自由がないんだろう。
それは明日香の思い込みに過ぎないのだから、口になど出してはいけない。そう感じた。
「何から、逃げたいの?」
「…婚約者と…弟から…。いいえ…もう、何もかも、から…っ…」
やっぱりこれ何かのテンプレか?と明日香は思ってしまった。
自分が入院している間、暇だからとネットで読んでいた小説の中にこういった設定の話があったような気がする。
大体、婚約者が周りから聞こえてくる悪い噂だけを信じて、主人公に対してキツい態度を取ったりしている。身内も、親から厳しい教育を受けている主人公に対して『あいつは出来損ないだから親に厳しく当たられている』と決め付けて辛く当たる。
いやまさかな、と思っているとヴィオレッタが遠慮がちに話し始めた。
「『純血王家』の人間は、もういないと…、言われ続けているんです。だから、その血を引き、古代魔法を使える私は異端の存在として扱われていて…」
「うわぁ」
「本来なら、『聖女召喚』は国を良き方向へ導くための最終手段のようなものなんです。行えるのは人生に一度きりで…、でも…これを使ってでも、私はあの人達から離れたい。逃げたい…っ!」
「もしかして…その、『聖女』っていうのが…」
「アスカさんです。私の呼びかけに応えられるほどの強い力を内に秘めた存在なのです!」
「時期が合う、っていうのは…」
「探し始めたのがちょうど十年ほど前からでして…」
「私が無意識のうちにヴィオちゃんからの呼びかけに答え続けていた、的な!なーんちゃって!」
まさかねー、と笑いながら明日香が言ったが、ヴィオレッタはこくりと頷いた。
まさか、が本当になったと思わず明日香は絶句してしまうが、ヴィオレッタはそのまま言葉を続ける。
「恐らく、生きるための力をこちらからの呼びかけに応答するために使ってしまっていたが故に、お医者様からも周りからも、アスカさんご自身もお体が弱いと思っていたというわけでして…」
自分の予想がこんなにも綺麗に当たってしまうなんて思うわけもない。だが、一拍おいてからふむ、と明日香は呟いた。
そして反対に、ヴィオレッタはあれ?と思う。
こんな話を信じてくれているのだろうか。ヴィオレッタの身勝手な思いから『聖女召喚』をしようとしたのに、しかも、こちらからの一方的な声に応える形で生命力を呼びかけに応えるために使用して、体が弱くなっていたというのに。
明日香からは怒りの気配が、全く感じられなかったのだ。
「あ、の…アスカ、さん」
「ん?何?」
「お怒りに、ならないのですか?」
「いや、えーと。今色々考えてたんだけどね」
「はい」
「ヴィオちゃんが家族や国から逃げたとしよう。どうやってその後を暮らしていくのかな、って」
「遠い…親戚の元に行くつもりでした。その方が私より前に存在した、『純血王家』の方なのです」
「女の人?」
「はい。国や王家から関わりをなるべく避けて、密やかに過ごしていらっしゃると聞きました」
「場所は分かってるんだよね?その人とは会ったことがある?」
「あります」
「ふむ。仲は良いのかな?」
「ええと、そこそこ…」
矢継ぎ早に行われる質問に、ヴィオレッタはキョトンと目を丸くしていたのだが、次いだ明日香の言葉に驚愕した。
「んじゃ、一緒に逃げちゃお!」
「………………え?」
「ちなみに私って、目的達成したら帰れる?」
「か、帰れ、ます」
「帰ったら健康体?」
「少しずつ慣らしていくような形ですが、健康になれます。今回の場合ですと、私の目的を達成するためにお力を貸していただくので、それまでの契約という形になりまして…」
「私以外の『聖女』は、きっと国を豊かにしてその後も協力し続けた、ってとこかな」
「おっしゃる通りです」
「なーるほどねー、おっけー!」
「え」
この人、物分りが良いなぁ。というか、早いなぁ…とヴィオレッタは感心していた。
だが、こんな曖昧な考えにそんなあっさり乗ってくれてもいいものなのだろうか。持ち掛けた側とはいえ、ヴィオレッタはすぐに不安に駆られてしまった。
「…って、ちょっと待ってください!アスカさんは簡単に了承しすぎです!」
「ん?」
「どうしてこんなに簡単に受け入れてしまうんですか!『聖女』が何をするのか、とか聞かなくて不安じゃないんですか!?」
まるでそれは悲鳴のようだった。
今にも泣きそうなヴィオレッタと、あっけらかんとしている明日香。
「私の話が本当かどうか確証も取れてないのに!どうして…っ…!」
「必死なのは本当なんでしょう。なら、助けたいな、って」
「え…」
「助けてほしい、誰でも良い。そう思って、小さい頃から必死で手を伸ばして、今、繋がったんだからさ」
目を見開いたヴィオレッタから、ぼろぼろと涙が零れ落ちていく。
「わああああ!?ヴィオちゃん!!」
泣き始めたヴィオレッタを慰めようとあたふたしている姿も、あっけらかんと話を受け入れてくれたことも、何もかもが嬉しかった。
家族でないひとなのに、こんなにも温かいひとに出会えるなんて、とヴィオレッタの心はじんわりと温かくなっていく。
「…っ、うぅ…」
ぐすぐすと泣くヴィオレッタをどうにかして慰めようと頑張ってくれる明日香のために、と必死で涙を引っ込めようとしているが、どうにもうまくいかない様子だ。
さてどうしようと思う明日香だったが、ヴィオレッタの頭にぽん、と手を置いてからわしわし撫でた。
「えーい!こうなったら好きなだけ泣いちゃえ!ここはヴィオちゃんと私しかいないんだ!思う存分好きなことして、話して、お互いを知ってから始めよう!何するか分からんけど!」
「…ふふ、素直すぎなんですよ…っ、ぐす……アスカ、さんはぁ…」
「人間、素直が一番!」
「…もう…っ」
泣きながら笑うなんて、初めてだ。
でも、明日香の隣は、とても温かいなぁ、と。
ヴィオレッタは成功した聖女召喚と、召喚したのが明日香であることに安堵していた。そのおかげか、思っていたよりも涙はすぐに引っ込んだのであった。
さぁ始めよう。
二人三脚の、この物語を。