思ったより逞しい王女様
「アスカさん、もう落ち着いたので図書館行きたいです」
「ダメー」
「……うぐ」
間髪を容れずに駄目、と言われてしまい、ヴィオレッタの頬はぷぅ、と膨らんだ。
「ヴィオちゃん、目がすわってるんだもん」
「……」
……否定できない。
ヴィオレッタは心の中でぽつりと呟くも、よしよしと明日香に宥められるように頭を撫でられれば、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いたのか、はふ、と息を吐いた。
「ヴィオちゃんね、気張りすぎだから。だから、もうちょっとだけ落ち着いたら、図書館行こう」
「……はい」
恐らく原因は、人の話を一ミリも聞いてすらいないアレクシスの心無い行動だろうなぁ、と明日香は思いつつも、アレクシスとリカルドが仲良さそうな雰囲気だったのを思い出して、手を打った。
「ヴィオちゃん、弟くんと元婚約者くんって仲良し?」
「え?はい」
唐突な質問にヴィオレッタは目を丸くしたが、すぐに頷いた。
「どれくらい仲良し?」
「兄、と慕うくらいには」
「へぇ……」
「揃いも揃って人を馬鹿にしてくれていたので、だからこそ、彼らと真っ先に縁を切りたいわけでして」
「わぁ」
きっとアレクシスのアレは、ヴィオレッタに構ってほしい…というか、こじれすぎた恋心が原因だろうなぁ…と思う明日香だが、迂闊に言えばまた盛大にヴィオレッタが拗ねてしまうことは明らか。
恋心、と言ったところで恐らく、いいや、間違いなく信じるわけがない。
むしろ『あれが恋だなんて、意味が分かりませんが』と問答無用で切り捨てるに違いない。切り捨てるだけなら良いけれど、恐らく切り捨てた後で踏み潰して燃やすくらいはするだろう。あくまでこれはイメージだろうけれど。
ヴィオレッタの精神世界にいる間、明日香はぼんやりと色々考える時間もあった。
時折、ヴィオレッタの感情が爆発したときに、昔の記憶がまるで映画のような形で空に投影されるのだ。
一体これは、と疑問に思っていたけれど、流れている映像を見たらすぐ理解出来た。
ヴィオレッタがぶつけられた、心無い言葉の数々。
家族にも、親戚にも、婚約者にも。
国民にだって、散々笑われていた。
聖女として明日香が召喚され、こうしてヴィオレッタの中にいることは、現状として国王夫妻、弟、婚約者しか知らない。
いっそ公表して、国を守るためについに王女が立ち上がった!という作り話にでも何でもして、上手いこと立ち回ってくれれば良かったのに、彼らが何より優先したのはヴィオレッタとの関係修復。
そんなもの、出来るわけがないのに。
今までのヴィオレッタに対しての期待値が高すぎるどころか、散々馬鹿にし続けたくせに何を都合のいいことだ、と明日香はこっそり溜め息を吐いた。
「ヴィオちゃん、一応聞きたいんだけど」
「?」
「もしも、ね。元婚約者くんが心を入れ替えて」
「いやです、明日香さんってば」
ころころと鈴が転がるように、とても軽やかに綺麗な声で笑ったヴィオレッタだが、一瞬で表情を強ばらせてから、続けた。
「あの人が、心を入れ替えたりしたら、この国を大洪水が襲いますよきっと」
「(アレクシスくんとかいう人よ、諦めた方がいい。アンタの暴言はとてつもなくヴィオちゃんを傷付けまくってるよ…)」
一応、ちょっとした出来心で聞いてみた明日香だが、そんなに甘くなかったかー…と溜め息を吐いた。
これはいかん、と思い『だよねぇ』と笑いながら相槌を打って、そして次は逆鱗に触れないように慎重に言葉を選んだ。
「あのさ、そもそも論の話を聞きたいんだけど」
「ソモソモロン……?え、えーっと、はい」
いきなり話が変わったことで、ヴィオレッタはきょとんとした顔になる。
そもそも論っていう言葉自体、聞きなれないよねごめん!と心の中で明日香はこっそりと謝罪した。
「えーっと、私が呼ばれた本来の理由なんだけれども」
「はい」
「結界の修復?だっけ。ほんとに必要?」
「しておいた方が良いかなー、くらいです。急ぎではありませんが、順序をつけるとしたらなるべく早め、というところでしょうか」
「ふむ」
何となく理解はできているのだが、明日香ははて、と首を傾げて追加で質問した。
「結界の修復をするのに、移動距離とか結構ある?それを目的に旅というか、出たいというか、みたいな雰囲気だったから、いまいちよく分かんなくて」
「遠いです」
きっぱりと言い切って、ついでにヴィオレッタは何度か頷いた。
なお、ここは精神世界のため、ヴィオレッタのこんな表情豊かな様子は他の人は見ることが出来ない。
明日香と精神世界で喋っている間、ヴィオレッタは表では淡々と、無表情で普通に行動している。
「遠い、ってどれくらい?」
「そうですね…。この国をすっぽり覆っているくらいなので…馬車で何日かかかったり…場所によっては馬車では行けないので、徒歩移動だったり」
「ふむ」
「…アスカさん?」
恐らく、ここを出ていくとなれば国王や王妃はここぞとばかり、ヴィオレッタに護衛騎士をつけようとしたり、あれこれ世話を焼くだろう。
ついでに、アレクシスも何やかんや邪魔らしきものをしてきそうな気配がある。
「えーっと…ヴィオちゃんの元婚約者くん」
「……」
んぎぎ、と効果音がつきそうなほど、ヴィオレッタの顔が歪む。
「分かってる、彼に何かお願いすることは有り得ない。ただ、あの人公爵令息とか言ってたでしょ?」
「えぇ、まぁ……えぇ」
──駄目だ、名前を出すだけでこの反応はあかん。ものすんごい嫌がってる。
思わず明日香もつられるように顔をしかめてしまったが、いかんいかん、と思い直してぺち、と自分の頬を叩いた。
「あのさ、どれくらい偉いの?」
「……へ?」
「私のいた世界、公爵とか伯爵とか無縁だったの。だから、あの人がどれくらいの立場の人なのか、とか…全然分かんなくてさ」
「あ…そうなんですね」
「そうそう」
うんうん、と頷いて笑いかけると、確かに、とヴィオレッタは呟いた。
異世界から呼び寄せた聖女が、自分たちと同じ世界のような生活を送っていることなど、ほぼありえるわけがない、と思ってくれたらしい。
実際、明日香との会話の中で知らない単語はほいほいと出てくるし、はて、と思いながら聞き返したことだってある。
「えぇと、簡潔に言いますと」
「うん」
「身分がとても高くて、えらいです」
「えらいのかぁ」
だろうなー、と乾いた笑いと共に明日香は頷いた。
読んでいた小説でも、聞く限り……というか、ちょっとどんなもんか、と思い立って調べたことはあるけれど、めちゃめちゃ身分の高いということは理解していたけれど、その認識で良かったらしい。
自分が異世界召喚された『聖女』で良かったー!と明日香は思う。
それと同時に、家柄を考えれば恋愛結婚なんてほぼ無理なのでは?と思い、加えて考えたのは家同士の結婚。
繋がりを持たせたいから、この人と結婚させれば良いという、貴族ならではのあるあるを記憶の引き出しから引っ張り出してくる。
「もしあの人がヴィオちゃんと結婚できないとして、困る人いる?」
「さぁ……」
「選び放題…」
「そういうわけではないんですけど、でも困りはしないはずですよ。……私、ハズレなので」
「ヴィオちゃん……」
ぎゅう、と拳をきつく握り、ヴィオレッタの眉間にシワが寄る。
恐らく、彼女が事あるごとに言われ続けたという、『ハズレ』という単語。
余程心に突き刺さってしまったのだろうことは簡単に想像できるし、言われ続けることで普通に接することなんてできなくなることくらい理解できなかったのだろうか、思ってしまう。
いくら恋心を拗らせたとはいえ、あまりにやりすぎだ。
幼い頃、明日香の周りにもいた。
好きな子に対して悪口を言ったり暴力を振るったりすることで、どうにかして気を引きたいと思うのかもしれないが、それこそが最悪の手法だとは本人が気付いていない。
結果としてそんな乱暴者は好かれるわけもなく、好きだった子から『気持ち悪い!こっち来ないでよ!』と泣きわめかれたのを小学校低学年の頃だったり、それより小さい頃に見ている。
アレクシスの恋心の拗れっぷりは、もしそれが正解なのだとしたら、まさにコレだろう。
「(頭が悪いのか、もしくは……)」
何となく嫌な予感がしつつも、明日香はよしよしとヴィオレッタを宥める。
「とりあえずまぁその、色々準備もあるし、いきなり窓開けてからすっ飛んでいく訳にもいかないんだから。貰えるもんは貰って、お金に換えたりして、しっかりやろう?」
「う……そうですよね……」
そしてまた明日香ははっと気付く。
「ヴィオちゃん、ちなみに街で買い物とか……」
「普通にしますよ?」
「そうなの?!」
「はい、調子に乗った侍女が私の食事を抜きにしたことがあったので、変装して、持っていたアクセサリーを売って、見よう見真似で買い物したら出来て、そこからは普通に買い物してます!」
「ヴィオちゃん」
君、思ってたよりえげつないことされてるけど、お陰様でたくましくなったんだね………と。
あまり大っぴらに言うことはできないけれど、小説で読んだような『王族なので買い物とかしたことありません!お金?何それ?』ではなくて良かった……と思い、にこにこと笑っているヴィオレッタの頭を、また明日香は撫でてやったのだった。




