声にならない叫び声
ヴィオレッタの叫びに込められた悲痛なる願いに、国王は娘が本気なのだと理解した。分かってはいた、けれど、認めたくなかった。
例えば、ヴィオレッタが結婚すれば。
例えば、ヴィオレッタが何かの拍子に魔法が使えるようになれば。
叶うことのないたらればばかりを考えているうちに、その感情は怒りへと変化し、落胆にもなり、いつしか口からはヴィオレッタを罵る言葉ばかりが出てきてしまった。
「どうか……お願いです。もう、これ以上、わたくしはこんなところに居たくない……。ここで飼い殺されるよりも、飢えて死ぬほうが、野犬に食い殺される方が、魔物に殺される方が、よっぽどいい!」
「そんな……」
そこまでなのか、と言ったところでヴィオレッタから返ってくるのは肯定の言葉だけだろう。
陛下、と慌てた側近の声なんか、どうでも良かった。
立ち上がり、ヴィオレッタの元へ行かねば、と思いよろよろと彼女の元へと歩んでいくが、手を差し出したらぱしり、と払われた。
「え」
「……今更、何なのですか」
尤もだ、としか思えなかった。
今まで散々罵ってきた人から手を伸ばされ、どうして素直に受け入れられるとでもいうのか。
無理だ。
そんなことをされたところで勝つのは嫌悪感のみ。正にヴィオレッタの顔には嫌悪がありありと浮かんでおり、側近が『王女殿下、お父上に対してなんということを!』と叫んでいるのが、どこか遠くに感じられた。
耳の中に水が入ったような、あの気持ち悪い感覚。ぐわんぐわんと揺れるような、なんとも形容しがたいものに襲われてしまうが、ヴィオレッタは嫌悪を隠さないままに一歩後ろに下がり、国王から物理的に距離をとった。
「親子ごっこに付き合う気は、ございません」
もう一度、ヴィオレッタは頭を下げた。
「どうか、公爵令息とは婚約解消を。そして、わたくしに関わらないでいただきとうございます。……それでは」
返事を待たず、ヴィオレッタはすたすたと歩き、執務室から出ていった。
後に残された国王は、あそこまで拒否されるとも思っておらず、ただ呆然として閉じたドアを見つめていた。
「あの、陛下……」
遠慮がちに声をかけてきた側近に、力なく振り向くと言いにくそうに言葉を続けられた。
「……王女殿下は、恐らく……いいえ、間違いなく本気で、いらっしゃいます……」
「あぁ……そうだろうな」
色々な人が、きっと思っていただろう。
ヴィオレッタは、優しいから自分たちを拒否なんかしないと。
だが、人なのだ。
心があり、感情があり、嫌なものは嫌で、辛く感じる。当たり前のことなのに、どうしてか分からないけれど『大丈夫』という意味不明な思いがあった。
恐らく、国の長たる国王自らヴィオレッタを『ハズレ』と声に出さずとも明言していたから。
城の使用人たちも皆一様に、ヴィオレッタをバカにしていた。実際、リカルドたちと一緒にいたメイドたちも、ヴィオレッタをバカにしていた人たちなのだが、はっきりと拒絶をされたことで、遅ればせながらようやく気が付いたのだ。
しかし気付いたところで、もうとっくに遅いし手遅れ。
ヴィオレッタは今現在の、彼女だけの心の拠り所を手に入れた。
明日香が中に居てくれるから、話している間はとても落ち着いて楽しく、心から笑えるから大丈夫。そう迷いなく言える存在を見つけたのだから。
いらない、というだけの『家族』というものなんか、もうこちらから捨ててしまえばいい。
ヴィオレッタは、皆に失望しきるまではこう思っていただろう。
『頑張っていれば、いつか認めてもらえる。愛してもらえる』
だが、そんな日は来なかった。いや、来たのだが、あまりに遅すぎたしタイミングも何もかもが悪すぎた。
既に心の拠り所を手に入れたヴィオレッタに対して、今更甘い言葉をいくらかけたところで何も響かないし届かない。それを家族は、周囲の人間は理解しないまま、我が我が、と声をかけ続けた。
何もかも悪手すぎて、深く事情を把握しきっていない明日香ですら嫌悪感が湧き上がってきたほど。
いや、ヴィオレッタの記憶を共有しているから、何となくは察していたけれど、彼女を通じて触れてしまった家族たちの思いが身勝手すぎて、吐き気がこみあげた。
『はー……良くない。ほんっと、ヴィオちゃんの心に良くない』
「ありがとう、ございます」
『心に悪影響だと体にも不調が出るからね。そうだ、ヴィオちゃん、離宮とかってないのかな。せめて出ていくまではそこに避難的なのできない?』
「……多分、あります。とはいえ、使用人たちも関わりたくないので……」
『だよねぇ』
ヴィオレッタは真顔で自室へと歩きながら、『中』で明日香と会話をしていた。
真っ先にヴィオレッタを労る『頑張ったねぇ!』という言葉をかけてくれて、そしてにっこりと笑ってくれた明日香を見て、ようやくヴィオレッタはほっと一息つけたような、そんな心地だった。
「私の部屋、何かあると弟や婚約者に奇襲をかけられますものね……」
『名前で呼んであげよう?』
「嫌です気持ち悪い」
『うーん重症』
よしよし!とわざとおちゃらけた様子で言ってから、ヴィオレッタをぎゅうぎゅうと抱き締める明日香。
『中』での行動は現実世界には見えたりしない。あくまで見えているのはヴィオレッタが真顔ですたすたと歩いているところだけ。
「いや、どう考えても無理ではありませんか。今更家族ぶられても……」
『そうなんだけどね。理解はできる』
うん、と頷く明日香に、ヴィオレッタはほんの少し甘えるように抱き着いた。
『およ』
「……疲れ、ました」
『……そうだね』
一方的に自分たちの思いばかりをぶつけてくる皆の様子が、明日香もとても気持ち悪かった。
他人がみてあれほど気持ち悪いのだから、当事者であるヴィオレッタはどれほどまでに嫌悪しただろうか。どれほど、腹が立っただろうか。
『ヴィオちゃん、お部屋に戻ったら一旦私と話そうか。これからどうするかを、もっと丁寧に』
「はい」
『だから、ちょっとだけ休憩しよう?』
「……はい」
『急ぎたいよね。でもダメだよ、無理しちゃ』
「……っ」
『焦って描いたものはね、壊れるのも早いんだ。だから、きちんと色々と、話そう』
「……っ、…………うん……!」
ボロボロと、表では出せないけれど、ヴィオレッタは涙を零す。
表では決して泣いてやるもんかと、そう思う。でもどうしてだろうか。
明日香の前ではとても素直に、自然と涙が出てきた。
「……ぁ………り、がと……っ……」
『いいのいいの。泣きたいなら泣いちゃえ。そんで、泣きたいだけ思いっきり泣いて、寝て、スッキリしてもいい。大丈夫だよ、追い出されるとかはなさそうなんだから、衣食住があるうちはいっぱい話そ』
「……………!」
こくこく、と何度もヴィオレッタは首を縦に振る。
今まで我慢してきたものが、溢れ出して止まらない状態なのだろう。
泣きたいなら泣けばいい。
寝たいなら、思いきりだらけて寝てしまえばいい。
明日香はこの世界の人では無い。だからこそ、寄り添えるなら思いきり寄り添ってあげたい。
表でいくら『たすけて』と叫んでも届かないのなら、せめてここでくらいは言いたいことは言いたいときに言わせてあげたい。
『大丈夫、……大丈夫だからね』
明日香に抱き着いて、何度も大きく首を縦に振りながら、ヴィオレッタは泣き続けた。
たすけて、という悲痛な叫び声。
父に、弟に、婚約者にいかに叫ぼうとも、届かない。だから、声にしなくなってしまったそれを、明日香はしっかりと受け止めた。
『頑張ったねぇ、ヴィオちゃん。ちょーっと、休憩だ』
優しく言いながら、ぎゅうぎゅうと抱き締めて、落ち着かせるように背を優しく擦り続けてやったのだ。