何もかも諦めた
「まがいもの、ですって……?」
「そうだ!」
ああ、ようやく聞いてくれた。きっとこれでヴィオレッタは自分の話を聞いてくれるに違いないとアレクシスはぱっと顔を輝かせた。
反対に、ヴィオレッタの表情は先ほどよりも更に『無』へと変貌している。
「……何の根拠があって、それを」
「君はきっと、そうだ! 奇妙なものを召喚してしまったんだ! そいつに心の隙に付け込まれてしまったんだよ!」
意気揚々と語るアレクシスは、気付かない。
「そう、そして君はそいつに付け込まれたまま今のようなおかしい言動をしてしまっているんだよ!」
両腕を広げ、未だ演劇を演じているかのようなアレクシスだが、ここまで色々と言い放ってようやく気付いた。
ヴィオレッタの目に宿っている、強烈な怒りに。
「え、ヴィオレッタ?」
はあぁ、と大きな溜息を吐く彼女に、アレクシスは意味が分からないという顔になる。
しかしヴィオレッタはきつくアレクシスを睨みつけた。
ヴィオレッタの中の明日香は、正直気が気ではなかったけれど、アレクシスの言いたいことも分かる。だからといって、何も話を聞かずに全否定だけするのはいかがなのだろうと思う。
大体、『心優しいヴィオレッタ』に戻って何をするつもりだというのか。
アレクシス自身、ヴィオレッタとの婚約に関して結構な物言いをしていたようなのに、これを破棄できてどうして嬉しくないというような言動をするのかが分からない。
「……『心優しいヴィオレッタ』に戻って、私はまたあなた達に馬鹿にされる日々を繰り返さなければいけないのでしょうか」
冷え切った声と、眼差し。じとり、とアレクシス、リカルド、メイドをじぃっと見ていく。
「そうですよね、反論もしないちょうどいいお人形さんですし」
「い、いや、そうじゃない、そうじゃ、ないんだ」
「ハズレと結婚して、王家の血だけ継承できるように適当に子を孕ませればいいとか、そういうことでしょうか」
「……」
アレクシスの顔色がみるみるうちに悪くなっていく。
「……アレクシス様?」
リカルドの声は、聞こえている。聞こえているものの、まるで何か布のようなものに遮断されているかのように、くぐもって聞こえる。
頭の中で何かが、ぐわんぐわんと回っているような気持ち悪い感覚に襲われる。息も浅くなる。
かつて、夜会でアレクシスが自身の友人に対して言った言葉。それをどうして彼女が知っているというのだろう。
「……まぁ、図星でして?」
味方がいるだけでこれほどまでに反論できるとは、正直ヴィオレッタも驚いていた。
虎の威を借る何とやら、なのだろうが、一度胸の内を誰かに吐き出してしまったからこそ、もう止まるわけなかった。
「皆、そうですものね」
ヴィオレッタは淡々と言う。
「メイドのあなた達も、国王陛下も王妃殿下も、王子殿下も」
もう、父や母、弟として見れるわけない。
「あなたもですわ、ヘルクヴィスト公爵令息」
アレクシスの脳内にあるのは、いつもおどおどしていて、まったく自信がないという顔をしていて、背を丸め、誰に何を言われても『ごめんなさい』としか言えなかった、気弱な王女様。
「ストレスのはけ口にできる、ちょうどいい……そうね、反論しないお人形さん。言葉でならばいくら痛めつけても私が泣いて終わり。あなた方は、みーんな」
ひと息ついて、ヴィオレッタは残酷なまでに美しく微笑んでみせた。
「私を、『人』としてなんか、扱ったことないんだもの」
その場にいる全員、言い返せなかった。
違う、そうじゃない。それだけ言えば良いのかもしれないが、信じられるか。
今まで、何年も彼女が泣こうと、嫌がろうと、態度を改めたりなんかしなかったのに。
こうやって距離を開けられ、突き放されようとしてようやく慌て始めている皆が、ヴィオレッタにとっては滑稽でたまらなかった。
「さて、反論はございます?」
明日香は、何も言わない。怒りに満ちていようと心の中でわんわんと泣いているヴィオレッタにただ寄り添ってあげることしかできないから、今は、黙っていようと決めているから。
「……初めてでした。私の中にいる、『聖女』様だけが、馬鹿にしなかった。話を、聞いてくれた。突拍子もない召喚だったのに、ご自分の体の危機もあるかもしれないのに、私のお願いを聞いてくれた」
そっと、胸のあたりに手を置いて、ヴィオレッタは落ち着いた口調で言葉を続ける。
「今、あの方が出てこないのは、私に寄り添ってくれているから。大丈夫だよ、って……そう、言ってくれている」
冷たい顔から一転して、自分の『中』にいる明日香のことを話すヴィオレッタは、とても穏やかで優しい表情を浮かべている。
召喚に成功して一週間も経っていないというのに、どうしてそこまで信じられるんだ、とリカルドも憤っていたが、ヴィオレッタの言葉に納得してしまっていた。
いつから、姉の話を聞かなくなっただろう。
いつから、酷い言葉をかけ、酷い態度で接していたのだろう。
「……ごめん、なさい」
ぽろ、とリカルドが涙を零して、自然と謝罪する。
それを見てメイドが慌て、きっとヴィオレッタを睨みつけた。
「リカルド様はこんなにも! ……こんなにも真摯に謝っておられるというのに! 貴女には人の心がないの?!」
王族であろうと躊躇ってなるものか、という正義の心からだろう。ふぅふぅと息荒く怒鳴りつけたメイドを、ヴィオレッタは首を傾げて見つめ、こう問うた。
「誰が、私の心を、無くさせたの?」
「……………………………え」
誰が。
分かっている、自分たち。リカルドも、アレクシスも、この城にいるメイドも、侍従も、職務に携わっている誰もかれも。
「だ、って……あ、貴女がそもそも最初からこうして役に立てることを示していたらこんなことには!」
「ふぅん……」
あぁ、もう何もかも面倒だな。ヴィオレッタがそう考えると中から明日香の『いいよ、言いたいこと言っちゃいな。私は何があっても君のそばにいる』という声が聞こえてくる。
胸元が、ほんのり温かい。
良かった、そう思ってヴィオレッタは再び口を開いた。
「そうだったなら、私は貴女たちを即座に解雇していたでしょうね。あぁそれから、ヘルクヴィスト公爵令息との婚約も破棄していたわ」
「は?」
「何故だ!」
「もっと早くにこうしていれば、と言ったけれど……時期が早かろうが遅かろうが、最初の私はそちら様曰くの『役たたず』ですし」
あ、とアレクシスは声を出す。
「こうするまでは、どうやったとしても罵られていたわ。たられば、の話をするだけ時間の無駄。今ある事実はね、私は、貴女たちを、弟を、婚約者だった人を、家族を、国を、全てを、諦めたの」
真っ直ぐな眼差しで、さらりと言われたそれは、彼らにとって死刑宣告にも等しいものだった。
「だから、これから国王陛下の元に伺って、まずは公爵令息との婚約の解消を申し上げてまいります。どうぞ、ハズレではない『当たり』のご令嬢とご結婚なさるとよろしいですわ」
それでは、とすたすたと歩き、ヴィオレッタは彼らの前から姿を消した。
残された人たちは、今更ながら後悔しているが、もう遅い。
明日香は、ヴィオレッタの中で呟く。
「きっと、ヴィオちゃんなら何でもかんでも言っていいと思ってたんだろうなぁ……。馬鹿な人たち。こーんなにいい子で、努力家なのに。自分から手を離しちゃった……ううん、突き飛ばして崖下に落としたのにねぇ……後悔先に立たず、っていうのはこういうことかなぁ……」
最後のアスカの声を聞いたヴィオちゃん。嬉しいやら恥ずかしいやら複雑だけど決して表には出しません。
アスカさん、嬉しいんですけれども!!でも!!それ、丸聞こえなんですぅぅぅぅ!!!!(Byヴィオレッタ)