06
「やりましたね、キダさん!」
狩った一角ウサギの片付けを手伝うため、氷の壁の魔術をほどき、声を掛けながらキダさんの方へ近づいた。
キダさんはジッと溶けていった氷の壁のあった場所を見つめている。
「キダさん?」
「……おまえ。ハイリ、おまえ、魔術師なの?」
呼びかけてやっとこっちに顔を向けたキダさんは、ぽかん、とした表情だった。
「魔術師? いや、初歩的なやつを少し使えるだけです」
「いやいやいや」
「自分、初めて魔術を使ってからまだ十日経ってないですよ。旅をするのに便利なやつは運よく早めに使えるようになりましたけど」
「いやいやいや、いやいやいや」
キダさんが壊れた。
さっきから二歳児のごとくにいやいやしか言ってない。
「いや、なんでお前が何言ってんだこいつみたいな顔してんだよ。俺の顔だそれは」
「何言ってんですか?」
なにやらキダさんは憤りのようなものさえ顕にし始めたので、私はとりあえずそのへんに転がった一角ウサギの死体を拾うことにした。
うわ……思った以上に気持ち悪いぞ。
あったかいし、ぐんにゃりしてる。これが死体か……早く慣れなきゃな。
鳥肌がたつのを我慢しつつ、袋を持つキダさんに掴んだ死体を差し出すと、キダさんは条件反射のように袋の口を開いた。
「ひい……」
腰が引けて死体を放り込むように手放す。魔獣とはいえ、小動物の死体の感触が気持ち悪くて涙目なのだが、流れるような動作で残る二匹を無造作に袋に突っ込んだキダさんはまだぽかんとした表情で私を見つめたままだ。
「……あのよ」
たぶん無意識にやってるのだろう、キダさんは袋を一瞥もしないまま口を縛って背負い袋にしまいながら、やっとのようにそう言った。
「お前、ちょっといろいろ話必要だろ。晩飯まで残れや」
「はあ……わかりました」
そういえば、トントン拍子で話が進んで狩りに出てしまったので、晩御飯のことは考えてなかったな。
キダさんは「なんか能天気なこと考えてるだろ」と少し嫌そうに呟いてから、撤収の号令をかけた。
◆
「初日でよく頑張ったねぇ。これ、今日のお手当。おつかれさま」
魔獣猟団の団長だという人は、なんというか、とても穏やかそうな初老の男性だ。
動きやすそうな服を着て、腰に細身の剣も差しているが、荒事の気配は全くと言ってよいほどない。
「ありがとうございます」
「礼儀正しいね。いい子だ」
肉体の年齢が若返っているだけなので、いい子などと言われるとゾワッとする。
給料を受け取り、一礼してそそくさとその場を去った。
「ハイリ、こっち来い」
陽が落ちた後の魔獣猟団の拠点はあちこちで焚き火が焚かれ、団員が思い思いに夕食を摂ったり、酒を片手に仲間と話し込んでいたりする。
呼ばれた方に行くと、レッジさんとキダさん、それから今日なんとなく近くにいた顔ぶれが丸太に腰掛け、焚き火を囲んで食事をしていた。
「座れよ」
煙草を吸いながらキダさんが示したのは、レッジさんとキダさんの間に空いたところだ。
イヤ、めちゃくちゃ座りにくいが?
「し、シツレイします」
のそのそと裏から回って丸太を跨いだ。
キダさんはすぐに話をする気は無いようで、ボーッと焚き火を見つめながら煙を吐いている。
反対側のレッジさんは「おつかれさん」と言うと、私の膝の上にポンと包み紙を置いた。
なんかあったかい。
開いてみると、ケバブサンドみたいな食べ物が入っている。
「今日は初日だから奢りだぜ」
「ありがとうございます! ご馳走になります」
思い出したように空腹感が沸いてきて、口の中につばが広がる。
さっそく齧り付くと、じゅわ、と口の中に肉汁とソースの味が広がった。
炭火で焼いた厚みのある肉の切り落としが入っている。ほんのりと野菜の草っぽい苦味と、甘味だが香辛料と合されたソースが絡む豊かな味だ。
いい。かなりガッツリ感ある味するこれ。すごくいい。
一応宗教団体である勇者教団じゃ絶対に出てこない、久々のジャンキーな味だった。
食べる手が止まらなくなり、咀嚼して呑んではかぶりつき、咀嚼して呑んではかぶりつき……。
あれ、もうない。あれ。
「美味かったか?」
「はい、すごく! ご馳走さまでした!」
「そうかい。じゃ、そろそろお話聞かせてもらうか」
隣から静かなキダさんの声がした。
ケバブサンドの美味さに急上昇したテンションが、冷水ぶっかけられたみたいにスーッと下がる。
「……何話せばいいのか、ちょっと分からないんですけど」
「お? お喋りする気ねえってか?」
「いや違うくて。質問! 質問欲しいです」
キダさんは気のいいお兄ちゃん風だが、普通にガラの悪い見た目なので、凄まれると普通に怖い。毎日魔獣相手に格闘してるからか、なんかちょっとイカツイのだ。
「あー。まず、というか、そもそもなんだが、魔術師がなんでわざわざうちに来たんだ」
少し力が抜けたのか、キダさんは再び焚き火を見つめ直してそう言う。
「なんでというと、お金を稼ぎたいのと、森歩きに慣れるためと、魔術の実践練習がしたいと思ったからなんですけど」
「ん〜、分からねぇ。あれだけ魔術が使えりゃもっといい稼ぎ場はいくらでもあるし、危険な森歩きする必要が無え。実践練習? 冗談か?」
「いや、そもそも旅行がしたくてですね」
「旅行……?」
ぼんやりとした声だった。
それで、そもそも話が根本的に噛み合ってなさそうだということがハッキリする。
もとから、というか最初からそんな気はしていたが、こんなに大本の部分から通じない部分があるとは思わなかった。
思った以上に異世界は異文化だ。なまじ言葉が通じるせいか、甘く見ていた。
「キダさん、勇者ってわかります?」
もうこれ最初から説明しちゃったほうが早い気がする。
「……え。おま、え? まさか勇者様なの?」
完全にびっくりした顔でキダさんがこっちに顔を向け、同時にレッジさんも一瞬バッとこちらを振り向いた。
「いえ、私は勇者じゃないんですけど」
「だよな? 勇者様がこんなとこで遊んでたらやばいもんな?」
「たまたま勇者と一緒に召喚されて来ちゃって」
「いや守護聖様じゃねえか」
え? なに? なんか知らん単語出てきた。
「……守護聖ってなんですか?」
話がぜんぜん先に進まないな、と思いつつも、しぶしぶ尋ねる。これを聞いておかないと、また話が噛み合わなくなる気がしたからだ。
「勇者様と共に魔王を倒してくれる、勇神の遣わした聖人。いや、なんで知らねえの?」
「勇者神教でざっと説明受けましたけど、そんな単語出てきませんでしたよ」
勇者神教の人達は、勇者である神田さんには頑張ってもらわなくてはいけないが、単に巻き込まれてついてきてしまった人には特に何も求めないというスタンスだったと思う。
元・地球の神の加護がない以上、魔王に近づくと魔力が狂うのはこの世界の人々と同じなのだ。
そりゃあ死んでも復活できるという利点はあるが、旅や戦闘の技術があるこの世界の人間がついていった方がよっぽど勇者とその旅のためになるだろう。
「でも、同じ世界から来てるんだろ?」
「キダさん、魔獣猟団の団員が魔獣と戦ってるとして、庇って死んでもいいタイプ?」
「あー……」
キダさんはイヤ、と首を振って、もう守護聖については何も言わないことにしたらしかった。
「いつ来たんだ?」
「だいたい二十日ほど前ですよ」
「王都に来たのがか?」
「違いますよ。この世界に来たのがですよ」
会話を聞いているレッジさんが横で笑いを噛み殺しているのが分かった。
きっと噛み合わなすぎて傍で聞いたらコントみたいになってんだろな。
「あのな。あの……お前、普通の人間が魔術を使えるようになるまでにどのくらい練習が必要だと思う?」
非常に言いにくい、と言わんばかりの調子でそう問われて、考える。
説明担当官は才能次第と言っていた。
魔力を操る感覚を身につけるのが苦手な人や、魔術の形を定める想像の意志力とかいうのが低くて手間取る人がいる、とは教わった覚えがある。
「もしかして、年単位で修行みたいなの必要なんですか?」
「まあ、手のひらくらいの小さな魔術を使うにはそんなにかからねえけどよ。なんて言うかな……剣を持って、振ることは誰でもできるだろ。まぐれじゃなく魔獣を仕留められるようになるのに、どんだけ掛かると思う?」
どれくらいだろうか。
まず最低限、剣を持っても動けるように筋トレが必要な気がする。
思ったとおりに剣を振るのに更に素振りとかがいるだろう。
実践で使うなら、剣の技術だけじゃなくて、魔獣がどう動くかを想定できる知識もいるかもしれない。
「もともとの体格とかにもよると思うんですど、はやければ3ヶ月くらい……?」
「要領のいいやつならな」
ようするに才能があれば、か。
「どう考えてもよ、20日足らずであそこまで魔術を使えるのはおかしいっつうこと」
「あー、確かに。変かも」
顔もわからん説明担当官にイラッとしつつ、頷いた。
今思い返すとあの説明担当、普通はどうとかそういう話は一切しなかった気がする。世俗に興味なさすぎか?
まあ、私には魔術の才能があったんだろう。とはいえこの先、氷以外の魔術を使おうと思ったときに盛大にコケるかもしれないし、スタートダッシュがたまたま非常に上手くいったくらいに思っておこう。
「魔術師って自称? 名乗ったほうがいいですか?」
「自称もなにも、それで飯食える腕があるなら名乗りゃいいだろ」
免許制ではないらしい。名乗ったほうが物事はスムーズそうなので、次はそうするか。