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 咳は早くに治ったものの、微熱だけは長引いていた。それでも天候の回復に伴い、リファトの体調も小康状態まで戻った。とりあえず今日で治療は一区切りつくだろうと予想しながら、ギヨームは玄関の扉を叩く。いつもならエイレーネが出迎え、一礼する場面である。しかし今日は使用人が扉を開けた。道理でえらく待たされた訳だと、ギヨームは独り言ちる。ここの使用人は大半が怠惰だからだ。客人を待たせても、謝りやしない。

 それに比べてエイレーネは、流石に王女として育ってきただけあって、礼を欠く事は無かった。診察のため訪れるたび、彼女はギヨームに様々な事を質問してきた。どうせご機嫌取りの一環だろうと白けた目を向けていたギヨームも、質疑応答を繰り返すごとに彼女の真剣さを感じ取った。後になって、まだ言語の習得が不完全である事を知り、大層驚かされたものだ。更に聞けば、輿入れまでの期間が異様に短かったとか。殿下が先生になってくださったんですよ、と優しい面持ちで語った彼女に、ギヨームは素直に感心した。

 そして、あの雨の日に自分が呼ばれたのは、エイレーネの起こした行動があったからこそ、というのを知った折、ギヨームはとうとう彼女への警戒を解いた。彼はずっと、リファトが自ら使用人に頼んだものと疑わなかったのである。実際は"田舎姫"と軽んじられていた少女が命じたので、事態が動いたのだ。結果としてギヨームは、職務怠慢な使用人達を導いた彼女の手腕に一目置くこととなった。リファトと共に罵られる事を厭わず、人として正しい行いを貫くのは容易ではない。

 今ではエイレーネの要望に応じて、気前良く医学書を貸しているし、聞かれてもいない事をあれこれ教えている始末だ。正直なところ、これまでギヨームが指導してきた者の中で、エイレーネが一番熱心だと言ってもいい。知識を得る事に貪欲で物覚えも良いし、弟子だったならばさぞ鍛え甲斐があっただろう。


 さて、出迎えに現れなかったエイレーネであるが、彼女は庭に出ていた。ギヨームの訪れが昨日までより早かった為、きっと出迎えに間に合わなかったのだ。リファトが窓から彼女を眺めていたので、ギヨームもそれに倣って外の景色を見下ろす。くるくる動き回る橙色の頭が、こちらに気付く気配は無い。


「何をなさっておられるのでしょうな」


 加齢により視力が衰えてきたギヨームには、エイレーネが何をしているかよく見えなかった。何気なく尋ねてみれば、あれは薬草を育てているのだと返事があった。


「薬草ですか?あの方が直々に?」

「ええ。庭の一画を自由にしても良いか、私が庭師に聞いたのです。構わないとの事だったのでそれを彼女に伝えたら、とても喜んでもらえました。今日は種が手に入ったので撒くそうですよ」


 王女が土いじりをするなんて聞いた事も無いギヨームは耳を疑った。だが、眼下の庭に居るのは間違いなくエイレーネで、その手にはじょうろのような物を持っている。

 そう言えばエイレーネが所望する医学書は、薬草関連の本が多かったと思い至った。薬草の種類を問うたところで、ギヨームの予想は確信に変わる。リファトが疑問符を浮かべながら答えたそれは、頭痛、腹痛といった痛み全般や、解熱作用もある薬草だった。ひと昔前は万能薬と謳われた事がある。無論、万能薬などという便利な薬は存在しないけれども、お墨付きの薬効があるのは間違いない。しかしながら栽培が非常に難しい薬草でもある。効能が高いのは茎と根なのだが、市場に出回るのは種ばかりという貴重な植物。ギヨームも王宮を追い出されてからは、お目にかかっていない。そんな厄介な代物を世間知らずの王女様が育てるのは無謀でしかなかろう。ギヨームはそう思った。けれど、嬉しそうに語るリファトと、多分似たような表情を浮かべているエイレーネに、そんな夢の無い話をする気にはなれなかった。


「私は園芸に明るくありませんが、ギヨームなら何か力になれるかもしれません。その時は宜しく頼みます」

「…殿下の頼みに、否やとは言いませんよ」


 この際、たとえ栽培が上手くいかなくても、二人が楽しげにしているなら良いかとギヨームは結論付ける。負の感情に晒され続けた王子では『恋は盲目』の典型に嵌って戻れなくなるのでは危惧していた。だが、良い意味で裏切られたようだ。


 短い診察を終え、荷物を片付けている頃になって、エイレーネが寝室に入ってきた。よほど慌てていたのか、帽子を被ったままである。


「ギヨーム先生っ、出迎えもせず失礼しました!」

「こちらが予定より早く着いただけです。そうお気になさらず」


 一先ず帽子をとったらどうかと促せば、恥ずかしそうに頭へ手を伸ばす。そうして乱れた髪をいそいそと直すエイレーネへ、ギヨームが以前のような視線を向ける事は無い。例えるなら爺が孫を見る目である。随分と絆されたものだ。


「すみませんでした…殿下のお体はもう大丈夫なのでしょうか」

「風邪は治りましたよ。熱も出ないと思いますが、お体を冷やさないようにだけ気をつけてください」


 侍医の指示に、エイレーネは神妙な顔付きで頷いていた。


 出迎えは逃してしまった分、見送りはしっかり行われた。エイレーネは謝罪の気持ちも込めて、丁寧に頭を下げる。しかしいつまで経っても、視界に映るギヨームの爪先が動かない。怪訝に思った彼女が顔を上げた先、どういう訳かギヨームも低頭していたのだった。エイレーネはびっくりして「先生!?」と声を上げてしまう。


「エイレーネ妃殿下。今までの非礼をお詫び申し上げます」


 困惑するエイレーネを置いてきぼりにして、ギヨームは言葉を続ける。


「私は貴女様を疑っておりました。リファト殿下に下心を持って擦り寄ろうとしているのではないかと。真偽が明らかになるまで、貴女様を試していたのです。リファト殿下の妃であらせられる貴女様に、大変な無礼を働きました」

「無礼を働かれたとは、思っていません。先生の仰ることは道理に適っていました。わたしは、先生がリファト殿下を心から慮ってくださるので嬉しかったです。何より、殿下には心強い味方がいらっしゃるのがわかって、とても安心致しました」


 己が感じた安堵を表すかのように、エイレーネは優しく顔を綻ばせる。そこには在ったのは白百合のような清らかさだった。意地汚い打算など、ひと欠片も無い。

 ギヨームの挑発は無駄に終わった事になるが、それがとても喜ばしくて、彼も釣られて笑うのだった。


「……それなら良かったです。最後にもう一つだけ、宜しいですかな?」

「はい、先生。何でしょう?」

「リファト殿下はすぐ定期検診をお忘れになるようでして。妃殿下がお知らせくださると助かります。私は許可が無ければ入って来れませんのでね。入り用な物があれば、届けさせますからご一報をください」

「分かりました。忘れずに文を出します」

「それでは妃殿下も、お体に気をつけてお過ごしください」

「ありがとうございます」


 帰途につくギヨームの脳裏に浮かんだのは、眩しそうに目を細めていたリファトの横顔であった。長年、第四王子の侍医を務めてきたが、あんな明るい表情を浮かべる彼は初めて目にした。しばしの間、幻覚を見ているのかと疑ったくらいだ。

 兎に角、とても良い兆候だとギヨームはほくそ笑む。エイレーネという新しい風が齎す変化に、年甲斐もなく期待が膨らんだ。


「…次は薬草の煎じ方を教えなければいけませんなぁ」


 やれやれ、といった風な呟きであったが、愉しげな響きは隠し切れていなかった。




 公言してはいないが、エイレーネは園芸が得意である。本職の庭師を唸らせる腕前を持ち、栽培が困難とされる薬草でも難なく芽吹かせ、順調に育てている程だ。これには悲観的だったギヨームも脱帽せざるをえなかった。

 王女の特技が園芸とは意外だろう。しかし、彼女の祖国ベルデではごく普通の事であった。何を隠そう、ベルデ出身の人間は"グリーンフィンガーズ"と言って、植物を育てるのに優れた者が多いのだ。とりわけ王に連なる血筋には、その力に長けた人間が生まれやすい。エイレーネも例に漏れず、物心つく前から自然に触れて育ち、祖国の庭園には彼女が手塩にかけて作った花壇もあった。

 ただ、ベルデ国ではそれが一般的でも、他所では違う事もエイレーネは理解していた。わざわざ言いふらさなかった理由はそこにある。教えたのはリファトだけだ。何気ない会話の中で、祖国には自分の花壇があった事を話したら、翌日、彼から此処の庭の一画を自由に使ってくれと微笑まれ、仰天したのは記憶に新しい。驚いたのも束の間、じわじわと喜びが湧いてきて、気を抜けば上擦ってしまいそうになる声を抑えるのが大変だった。だが、これでもかと喜色を滲ませていたのはエイレーネではなく、はにかみながら感謝を伝えられたリファトである。


「なるほど…道理でエイレーネが世話をした植物達は、生き生きとして見えるんですね。私の気の所為かと思っていました」

「褒めすぎですよ。土がしっかりできていてこそですから。功労者はここを整えてくださったポプリオさんです」


 元気になった途端にリファトはいそいそと庭に出て行き、エイレーネと談笑していた。本当は彼女と一緒に草花の世話をしたかったのだが、侍医から止められている。皮膚病で脆くなっている手で土いじりなど厳禁だと言い渡されたのだ。エイレーネにも心配そうな顔をさせてしまったので、リファトはもっぱら日陰になる四阿に座って、せっせと働く新妻を目で追いかけている。そして作業が一段落すると二人並んで腰掛け、お喋りに花を咲かせるのである。

 因みにポプリオとは、リファトに雇われている庭師である。可愛らしい名前にそぐわない強面と巨軀の持ち主だ。だが、大きな図体の割に話し声がとても小さく、その小声っぷりはエイレーネが最初、挨拶を無視されたと勘違いしてしまった程。そもそも対話が苦手なのか、滅多に口を開かない男である。それでいて妻子がいるというのだから摩訶不思議だった。閑話休題。


「先の台詞はそのポプリオが言ったのですよ。貴女の手が触れた植物達は喜んでいるようだ、と」

「ポプリオさんがそのような事を?」

「ええ。彼にしては珍しく饒舌に褒めていましたよ。声はすこぶる小さかったですが」


 大柄な男が蚊の鳴くような声で喋る光景が目に浮かび、エイレーネは思わず笑みをこぼした。リファトも笑っていたが、彼は愛らしい笑顔が返ってきた事に歓喜しているのだ。


「それにしても"グリーンフィンガーズ"とは興味深いですね」

「ベルデ国に残っている古記によると王族は特別視されていたようです。かつては、より植物に愛された者が王に相応しいとされ、性別や長子である事よりも重んじられた、と伝えられています。"グリーンフィンガーズ"の力に優れているほど、国全体が恩恵を受けると信じられていたとか」

「では時代が時代なら、エイレーネが女王になっていたかもしれませんね」

「まさか!わたしの父の方がすごかったです!萎れてしまったお花も、父が数日お世話をすれば必ず元気になるんです。子供の時分は、父は魔法が使えるのだと本気で思い込んでいました」


 エイレーネは以前と比べ物にならないほど明朗になった。いや、正確には彼女本来の姿に戻ったのだ。発音が変だろうと、文法が間違っていようと、リファトが馬鹿にするはずはない。だって、根気よく丁寧に教えてくれたのはリファトなのだから。言葉を交わす時、それは相手の人となりを知る大事で確実な手段となる。エイレーネは彼の目を見て話せば話すほど、果てしない優しさを知り、感じて、心地よさに包まれた。

 片やリファトも、小気味良く続いていく会話を心ゆくまで楽しんでいた。四六時中、破顔していると言ってもいい。彼の口元は緩んだまま、戻る暇が無いようだ。


「それは素晴らしい。私もその魔法を見てみたかったです。しかし魔法と見紛うような力なら、欲する人間もいたのでは…狙われる危険は無かったのですか?」

「大昔のことはわかりませんが、国家機密でもないところを見ると、突き詰めればただの園芸好きなのでしょう。ですが、ここだけの秘密にしていただけると助かります」

「わかりました。他言はしません。私とエイレーネだけの秘密、ですね」


 両者が遠慮し合い、踏み込めずにいたのが一転。二人は時間が許す限り語り合っている。ぎこちない挨拶が精々で、俯いてばかりだった日々の分を取り戻すかの如く、エイレーネはたくさん喋りかけ、たくさん笑った。

 リファトは天にも昇る気持ちになって何度でも恋に落ちた。怖いくらいに幸せだった。彼の望みは叶えられたのだ。ところが困った事に人間とは欲深い生き物で、一つ願いが叶うと、また新たな願いが生まれる。次から次へと際限が無い。リファトは確かな充足を感じつつ、その先を求めている内心も自覚していた。エイレーネが笑ってさえくれれば他は何もいらないと本気で思っていても、彼女に触れたいという欲求がリファトの胸に宿り始めるのを止められなかった。だが膿や血で汚れ、薬の匂いが染み付いた手で彼女に触れるなど、決して許されない気がして行動には移せない。肉親であっても完膚なきまでに拒絶された記憶が、リファトの思考を悪い方へと引き摺り落としていくのだ。

 柔和な微笑みを絶やさない彼が、蒼い瞳の奥で燻らす葛藤を、エイレーネは見つけていた。問い詰めるのは簡単だ。けれど、それでは意味が無い。黙って察せられたら良かったが、付き合いの浅いエイレーネには難しい。傍にいるのに相手が遠く感じるのが、歯痒くて、切ない……こんな物思いもあるなんて知らなかった。

【補足】

この小説で登場するグリーンフィンガーズはSF(少し・不思議)要素が入っています。予めご了承ください。

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