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 つっけんどんな態度をとった自覚があるギヨームは、翌日、変わらぬ様子で出迎えに来たエイレーネを見て片眉を上げた。お待ちしていました、と柔く微笑む彼女からは、剣呑な空気など全く感じられない。


「…殿下のご様子はいかがですかな」

「夜中に熱が上がったのですが、朝方には大分下がりました。まだ微熱はあるようで、食欲もあまりお戻りになっていません」

「左様ですか」


 ギヨームは念の為リファト本人にも体調を尋ねてみるが、返ってきた答えは概ね同じだった。ただ、手袋の下の事は彼女も把握していなかろうとギヨームが診たところ、皮膚の炎症が少し悪化していた。恐らく、身体の抵抗力が落ちた為だ。


「殿下。処方していた薬をさぼりましたね?」

「すみません。取りに起きるのが億劫で…」

「そこの呼び鈴は飾りですか?全く、仕方がありませんな」


 不機嫌そうに喋りつつ、ギヨームは塗り薬を取ってきて枕元に置いていた。その後、薬品箱から同じ薬を取り出して、手袋を外したリファトの手に塗り込んでいく。

 その間エイレーネはというと、後ろから治療の様子をじっと眺めていた。


「……そうまじまじと殿下を盗み見るのは行儀が悪いですよ、姫君」


 しかし、彼女の熱心な視線にギヨームはとっくに気付いており、ひとこと物申さずにはいられなかった。

 特に隠していた訳ではなくても、無作法と指摘されれば罪悪感も湧く。エイレーネが直ぐさま謝罪を述べようとした時。


「ギヨーム。私は構いませんから、彼女の好きにさせてください」


 侍医に叱られるままだったリファトが口火を切った。穏やかながらも有無を言わせぬ口調に、一番驚いたのはギヨームだった。


「殿下…申し訳ありません。他にも処方されていたお薬があるとは知らず…」

「エイレーネは悪くありませんよ。私がすっかり忘れていたんです」


 二人のやりとりをギヨームは鋭く観察していたが、エイレーネは気付いていなかった。彼女の意識は、痛ましく膿んだリファトの手に集中していたからである。


 先日と同じくギヨームは一人で厨房にこもり、薬を煎じた。リファトに渡した煎じ薬が空になるのを見届け、ついでに小言も言い残し、さて帰ろうとした時になってエイレーネが彼を呼び止めた。


「ギヨーム先生」

「…何ですかな」


 昨日と同じ事を言おうものなら、きつく灸を据えてやろうとギヨームは構える。しかし拒絶の姿勢を見せても、エイレーネが尻込みすることはなかった。


「殿下の枕元に置かれていた塗り薬について、お聞きしたい事があります」


 エイレーネが口にしたのは、またしても頼み事であった。だが、その内容は昨日と違っていた。件の塗り薬の成分は?薬効は?包帯を巻く必要は無いのか?等々、やたら詳しく聞いてきたのである。さしものギヨームも、若干勢いに押されてしまった。

 矢継ぎ早に出てくる質問へ答える前に、ギヨームは渋面を作って問い掛ける。


「…それを知ってどうするというのです?」


 王子に付け込んで何をするつもりだ。そこまでは言葉にしなかったものの、彼は初めからエイレーネに強い疑いを持っていた。


 かつてのギヨームは、王宮に出入りできる特権を持つ名医の一人であった。彼は王族や王侯貴族に重宝されるくらい腕の立つ医者なのだ。そんな彼が偏屈な町医者に落ちぶれた理由は、ひとえにその性格が原因だった。

 ギヨームは気に入られた貴族から、たびたび毒殺に一枚噛んでほしいと指示を受けていた。けれども、彼が首を縦に振ることは終ぞ無かった。いくら金を積まれようと見向きもしなかった。同僚は巧みに取り入って出世していくのとは反対に、ギヨームの立場は落ちていった。"呪われた王子"の担当医にされたのも、丁度その頃だった。しかし病人である以上、ギヨームにとっては患者の一人だ。呪い云々は関係無かった。しばらくは真摯に患者と向き合う日々が続いたが、ある有力貴族の怒りを買った事が引き金となり、彼は王宮から追いやられた。


 そういう経緯もあり、ギヨームは常に警戒してきたのだ。王族に取り入ろうとする人間は掃いて捨てるほどいる。リファトとて、疎まれてはいても正真正銘カルム王家の王子である。利用価値が無いとは言えない。無垢な素振りに騙された人間を、ギヨームはごまんと見てきた。ただでさえ後ろ盾の無い王子だ。命まで失われては哀れでならない。


「殿下は…リファト殿下だけが、この国に来たわたしを温かく迎えてくださいました」


 ギヨームの見極めるような厳しい視線を、エイレーネは静かに受け止めていた。


「殿下が優しくない日など、一日たりともありませんでした。わたしが気付かないところでも、たくさんお心を砕いておられることと思います。ですが、わたしはいただくばかりで、何もお返しできていません」


 一旦言葉を切ったエイレーネはどこか寂しそうで、それでいて嬉しさを噛み締めるような表情を浮かべるのだった。


「リファト殿下がしてくださったように、わたしもしたいと思う気持ちばかりが逸ってしまうのです」

「………」

「知識も無いのに薬を取り扱おうとした事、傲慢かつ浅慮であったと反省しています。まずは看病の仕方から、ご指導していただけないでしょうか」


 ギヨームを見上げる双眼は曇り無く、確かな決意が宿っていた。それでも彼は直ぐに信用することをしなかった。だから、試してみる事にした。それで化けの皮が剥がれるなら、さっさとリファトから遠ざけるだけの話だ。


「…良いでしょう。お教え致します」


 ギヨームは主に皮膚病の手当ての仕方を伝授した。苦労を知らぬ華奢な手で、呪いと称される王子の世話に耐えられるかどうか。やれるものならやってみろと、内心で挑発するのだった。




 教えを受けたエイレーネは早速、実践に移ろうとした。ほんの短い時間で教わった事と言えば、塗り薬の用法だけであったので、やる事は多くない。不慣れだがきっとできると意気込むエイレーネだったが、結論から言うと失敗した。リファト本人が自分でやるから大丈夫と言って聞かなかったのである。てっきりいつもの調子で「ではお願いします」なんて言われるとばかり思っていたエイレーネにとっては、ある種の衝撃だった。


「今は膿も出ていて汚いですからっ」

「わたしは平気ですよ?」

「私が気にします。気遣いの気持ちだけで本当に嬉しく思っています。ですから、どうかここは聞き分けてもらえませんか…」


 そんな風に言われてしまえば、エイレーネも強くは出られない。やる気に満ちていた分、どうしても気落ちしてしまう。悄気ているのを悟られないよう振る舞ったが、リファトに露見していないかは怪しい。

 あれだけ息巻いておいてこの有り様。ギヨームをさぞかしがっかりさせるだろうとエイレーネは思ったが、まったくその通りであった。彼は出来ませんでしたの一言を聞くなり、すぐに見切りをつけようとした。

 だが、そうはならなかった。それは診察している最中、エイレーネが席を外した際に告げられた、リファトの言葉があったからである。


「…エイレーネに何を吹き込んだのですか?」

「はい?」


 その言い様はギヨームを咎めるような響きがあったので、思わず聞き返していた。リファトは侍医が何事かを仕組んだと勘違いしているが、はっきり言って仕掛けたのはエイレーネの方からである。教えを請われたから指導したまでの事、ギヨームはそれだけ説明した。


「殿下が不快な思いをなさったのなら、止めるよう私から言っておきますよ」

「……そうではありません。むしろその逆と言いますか…」


 どうにも要領を得ない返答だ。ギヨームは怪訝そうに眉を顰めた。しかし、幾つか質問するうちに、リファトの主張が見えてくる。


「…彼女に心配してもらえるだけで私は充分幸せなのですが、それが伝わってくれないのが、もどかしいですね」


 まとめると、夫婦となったものの自分からエイレーネに触れられない現状で、必要以上に接するのは色々と身が保ちそうにない、らしい。

 何だその好きな人との触れ合いは緊張するという、初めて恋を知った少年みたいな理由は。ギヨームはそう理解すると同時に沈黙するしかなかった。彼の心境は複雑の一言に尽きる。


 いやしかし王子が好意を寄せているのなら、余計に油断ならない。ギヨームは屋敷から帰る道中で眉間の皺を深くしていた。他人の好意を手玉に取るのは上流階級の常、お人好しから淘汰されていく世界だ。まあ世の中どこもそんなものだろうが、権力争いともなればより顕著となる。

 如何したものかと頭を悩ませるギヨームを他所に、エイレーネは彼から渡された本を夜なべして読み込んでいた。いきなり看護の真似は無謀でしたな、という溜息と共に手渡されたのは医学書だった。入門書として扱われるそれは、本職の人間からすれば至極簡単な内容である。しかし素人のエイレーネにとっては紛れもなく専門書であり、尚且つ異国語で書かれているのだ。すらすらと読める代物ではない。

 ギヨームに悪気は無かった。エイレーネの喋りが流暢だったため、この国の言葉に苦労しているとは露にも思わなかったのである。彼はいつでも患者一筋で、世情にはやや疎かった。そのため、エイレーネがここでどんな扱いを受けてきたか知らないでいた。

 それを知る事ができたのは、本当に偶然だった。


「余所者のくせに大きい顔をされるのは腹立たしいわ」

「まったくだわ。あたしなんて、包帯を巻く練習台にされたのよ。業務外の事をさせられて、余分に給金は出るのかしらね」

「このおんぼろ城を見なさいよ。そんなお金がどこにあると思う?」

「あの姫君も小さなお国のご出身だから、何にも期待できないわ」

「威張りたいなら、金貨の一枚くらい寄越しなさいよね。何が『主人に然るべき敬意を払うのは、雇われているあなた方の義務です』よ。"足の生えた幽霊"に払う敬意なんて、ある訳ないわ」

「いやだ、今の"田舎姫"にそっくりだったわよ」


 罵りの言葉ほど、聞くに堪えないものは無い。厨房にいたギヨームは、聞こえてくる下品な笑い声に嫌悪感を覚えた。

 ギヨームの主観で語るなら、エイレーネという王女の外面は純朴な少女であった。好き好んで使用人達と不和になるような真似はしないと見受ける。しかし使用人達の悪態は、どう聞いてもエイレーネを標的にしていた。壁の崩れた「おんぼろ城」では、意外と声が通ってしまう事を知らないのか。むしろ、聞かせるためにわざとやっているのか。世情は大して気にも留めないギヨームでも、自身の患者であるリファトの境遇についてだけはよく知っていた。使用人達のこういう態度を見るのは、今日が初めてではない。注意されて止める連中ならば、とっくにギヨームが正している。

 女の噂話は信用しないのがギヨームの持論だが、聞こえてきた内容に限って言えば、エイレーネが使用人達に放ったと思われる台詞は正論でしかない。それに、ギヨームやリファトの見ていない所で、自分にできる事を真面目に取り組んでいたのは評価したいと感じた。


───リファト殿下がしてくださったように、わたしもしたいと思う気持ちばかりが逸ってしまうのです。


 リファトが置かれている悲惨な境遇を知り、自身も巻き添えを食らい、それを嘆くでもなく、恨むでもなく、純粋に他人の為を想って行動できるものなのか。少なくともギヨームは、そのような貴人に出会えた試しが無い。

 けれど、結論を出すのはもう少しだけ様子を見てからの方が良さそうだ。彼はそう思い直す事を決めた。

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