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 カルム王国の王ギャストンと、その王妃ニムラは不仲で有名である。結婚当初からあまり上手くいっていなかったのだが、夫婦生活がぱったり無くなったのは、第四王子の誕生がきっかけだと言われている。

 産まれた赤子を見た瞬間、王妃はけたたましい悲鳴を上げ、己の視界に入れるなと命じた。国王は名付ける事すら放棄した。赤子が泣いても、抱き上げてあやす者はいなかった。誰からも望まれなかった王子、それがリファト・グレン・カルムだった。

 誰も近寄ろうとしない。誰も触れようとしない。それが生まれた時からの当たり前で、リファト自身も疑問には思わなかった。だって鏡に写った己の姿は、それはもう醜悪なのだから。人目に触れる顔や手は酷く変質し、服の下でも汚い色の痣がまだらに浮かんでいる。身体を見下ろす本人でさえ気味が悪いと思う。誰が言い始めたのか知らないが"呪われた王子"というのは言い得て妙である。

 世話係にさえ疎まれた王子は、とりわけ家族から忌避された。だが拒絶されるだけなら、まだましだったのかもしれない。どうしても顔を突き合わせなければならない時。リファトは醜い部分を、つまりは殆ど全身を隠さないと折檻された。加虐が顕著だったのは母であるニムラと、第三王子のアンジェロだった。うっかり出会おうものなら、挨拶代わりに罵倒され、手近な品を投げつけられる。逃げ帰る背中へ向けて、再び罵倒が突き刺さる。それがリファトの日常であった。

 劣悪な環境下にあって、彼が精神を病んでしまわなかったのは、恩師の存在があったからだ。リファトが十二歳になるまで教育係を務め上げた師は、口癖のようにこう言っていた。


───他人に優しさを求めるのならば、まず己が他人に優しくあるべきだ。他人に変化を求めるのではない。己がまず変わりなさい。


 恩師の教えに導かれなければ、今のリファトはいないだろう。惜しむらくは恩師がかなり高齢で、引退後すぐに亡くなってしまった事である。きっとカルム王国で唯一、第四王子の晴れ姿を待ち望んでいただろうに、それを見る事は叶わなかった。

 とは言えリファトは、自分に婚姻の話が持ち上がるのか甚だ疑問であった。王位継承権は四番目であるし、体は弱く、容姿は言わずもがな。王子という身分だけは辛うじて利用価値があるのかもしれないが、見捨てられたも同然の立場が果たしてどれだけ有用なのか。

 先に生まれた兄達は、十歳になるかならないかという年頃で婚約し、適齢期に入ったらすぐ挙式していた。列席を拒否されたリファトは、風に乗って運ばれてくる教会の鐘の音を、独りで聞いていたものだ。

 そんな風であったから十八の時に婚姻の話が出たのは、まさに『寝耳に水』だった。結婚相手が決まったとリファトが聞かされた際、真っ先に浮かんだ感情は相手への憐れみだ。"呪われた王子"の噂は諸外国にも届いているだろう。その相手に選ばれてしまった女性の心痛はいか程か。せめてもの償いになればと、リファトは快適な住まいを用意してくれるよう、父ギャストンに申し出た。国王としても無碍にはできぬ相手だったのか、リファトの希望は一応通った。


 一番目の妻との結婚式は盛大に行われた。と言っても広くお披露目はされなかったが、国王夫妻もしきたりに則って顔は出していた。

 妻となった女性は、リファトと同い年だった。しかし、彼女とは気が合う合わない以前の問題が生じた。結婚式が終わるなり、妻は用意された私室に駆け込んだが最後、出て来ることはなかったのだ。激しく泣きじゃくる声だけが、部屋の外まで聞こえてきた。あまりに可哀想で、リファトは彼女が望む事は全て叶えるよう指示を出すのだった。ところが、結婚生活はわずか二十八日で終わりを迎える。他に愛する人がいます、それだけ書かれた紙切れを残して、彼女は忽然と姿を消してしまった。騒然となる周囲に対し、リファトは探す必要はないと静かに告げたのである。


 それから大して間も空けずに、二番目の妻が選ばれた。同盟国の姫君だった。彼女は太っている事が理由で婚期を逃していたようで、折しもリファトが離婚した直後と重なったのである。リファトより年上の姫君は、結婚式の随分前から、何やかんやと要望を伝えてきた。迎える側であるカルム王国は、姫君が望んだ通りに全てを誂えたのだった。

 そうしてやって来た妻は、対面するなり夫を侮蔑した。暴言には慣れきっていたリファトは穏やかにやり過ごしたのだが、それも気に食わなかったのか、言葉による暴力は止まらなかった。それは何と、結婚生活が半年で打ち切られるまで毎日続いたのである。

 日中夜問わず癇癪を起こしていた妻は、終いに宮殿の家財や宝飾品を盗み出した。息子への暴言は無視を決め込んでいた父ギャストンも、窃盗については流石に見過ごせなかったらしい。両国の親交にも亀裂が入りかねないという理由で、姫君は強制送還された。


 周囲も、己も、何か期待をしていた訳ではない。しかし二度の結婚が無惨な結果に終わった事で、両親は改めて失望したのか。はたまた醜聞のせいで数少ない縁談の話も消え失せたのか。リファトは閉鎖的で孤独な生活に逆戻りした。


 最大の転機が訪れたのは、二度目の結婚からおよそ三年後。満を持してベルデ国の王女との婚約が纏まったのだ。

 ベルデ国について、リファトは本で読んだ知識しか無かった。農産物が豊かである点以外、特筆することのない小国。軍事力は低く、希少な鉱物が採れる訳でもない。カルム王国にもたらす利益は少ないと考えられた。しかし"呪われた王子"の妻には丁度良かったのだろう。相手国が強く出られないのを見越して、婚姻はとんとん拍子で決まった。

 結婚に際し、ベルデ国が掲げた条件は自国への不可侵のみ。対照的にカルム王国は、短すぎる準備期間を強要した挙句、使用人の同伴を認めなかった。リファトは具体的な額を聞かされなかったが、ギャストンは持参金の額も提示していたらしい。勿論、花嫁が持ってきたお金は全部没収だ。立場上、ベルデ国の姫君が前妻達みたいに逃げ出せないのを良い事に、やりたい放題である。その場凌ぎにも満たない結婚式は手っ取り早く済まされ、打ち捨てられた城に追いやられるなど、不憫すぎて言葉が出ない。


 しかしたった一つだけ、予想外の出来事があった。

 それは、ベルデ国から送られてきた肖像画を見た瞬間に、リファトが恋に落ちた事である。彼は絵の中で笑う少女に一目惚れしたのだ。まさかこんな事になるなんて彼自身、想像もしていなかった。

 エイレーネはとても愛らしい少女であった。青い目の人間が大多数を占めるとは言え、極上のエメラルドグリーンを持つ者は珍しい。ひだまりを溶かし込んだような橙色の髪は柔らかく波打っていて。そして何と言っても、浮かべている笑みの温かいこと!花が咲うという表現が、これほど似合う人はいないだろうとリファトは感じ入った。

 たかが一枚の肖像画に心を奪われて、会った事もない少女に恋い焦がれる様は滑稽だったに違いない。己が醜い人間だから、綺麗なものに惹かれずにはいられないのだろうか。だが、リファトはどこまでも真剣だった。馬鹿みたいだと自嘲したところで、本気の想いは消えやしない。馬鹿でも滑稽でも醜くてもいいから、肖像画の少女のために出来る限りのことがしたいと切望したのである。


 しかし、リファトがいかに熱烈に願おうと、それが叶えられる事はなかった。現実は先に述べた通りの有り様。あと数年もすれば廃墟になりかねないような城へ、エイレーネを迎えなければならなかったリファトの心境は、筆舌に尽くし難い。彼は父親に殴られてでも抗議したのだが、決定は覆らなかった。融通が効いたのは、荒れ放題になっていた庭の修繕のみ。大方、外から目に付く場所は適当に整えても良かろう、程度の気持ちだったに違いない。それでいて子作りには励んでもらいたいのか、搬入された一つだけの寝具はそこそこ立派で、リファトはついに閉口した。本当に呪いたいのは自分自身だと思った。

 そして、最も哀れな三番目の花嫁が遠路遥々やって来る日になった。がらんとした教会でエイレーネを迎える……それはリファトが心待ちにしていた瞬間だったけれども、喜びと同じだけ遣る瀬なさを抱く。もっと温かくもてなしてあげたかった。心から歓迎している事を言葉以外のものでも表したかった。そんなリファトの想いは微塵も反映されなかった結婚式は、ただただ静かに終わっていった。


 独りぼっちで異国へ赴かねばならなかったエイレーネは、どれだけ心細かったことか。その上、前妻達とは比較にもならないほど最低な待遇が待ち受けていたのだから、気の毒なんて表現でも生温い。それでもエイレーネは、泣きじゃくりもしなければ、癇癪を起こしたりもしなかった。黙って耐えるだけで、小さな不満すら漏らさないのである。リファトはいっそ、恨み言をぶつけてくれと願った。そのほうが幾分か気持ちが救われるというのに。

 エイレーネは言葉少なで、俯いている事が多かった。無理もない事だ。しかしながら、それらを差し引いても彼女はやはり愛らしい少女であった。肖像画に一目惚れしたリファトは、実際に会った時にもう一度恋をしたのである。長い睫毛に縁取られた瞳は、絵の具で描かれたものより遥かに綺麗で、伏目がちなのが実に惜しい。笑ったらもっと素敵だ。ふわふわ広がる髪もまた可愛くて、触り心地が気になってしまう。鈴が転がるような声で「殿下」と控えめに呼ばれるたび、懲りずに舞い上がっているリファトを知ったら幻滅されるだろうか。そうやって内心では身悶えていたリファトであるが、エイレーネとは一定の距離を置くよう心掛けていた。情交を結ぶのは以ての外、リファトから触れる事をも戒めとした。あからさまに拒絶されたり、号泣されなかっただけで充分だったのだ。

 一切の夫婦関係が無かろうとリファトは、形だけでも家族になれて嬉しいと感じていた。己と同じ熱量の気持ちが返ってくるなんて、途方もない希望は持たない。ただ願わくば、一度だけで良いからこの瞳に彼女の笑顔を映してみたかった。


 しかし、呪いだ化け物だ幽霊だと疎まれ続けた王子は、他人を笑顔にする術を知らない。毎日リファトばかりが笑顔になっているのが実際のところだ。何せエイレーネときたら、寝室から出て行こうとするリファトを引き留めたり、食事の準備を手伝ってくれたりと、彼を喜ばせるのが上手だった。遠慮気味な彼女が頑としてパン切り包丁を離さなかったのはちょっと可笑しくて、夜になっても笑いが込み上げてきた。絶えず床に落ちる視線と、か細い声は気掛かりであったが、リファトは礼儀正しい挨拶が返ってくるだけでいつも笑顔になった。

 そんなこんなで、自覚している以上にリファトは浮かれていた。そのせいでエイレーネがひどく困っている事に気付くのが遅れてしまった。使用人達がいい加減な働きをしているのは知っていた。リファトがそう仕向けた部分もある。だが怠慢を許したのは、あくまでも彼自身に関わる仕事のみ。エイレーネに関しては細やかに世話をするよう言ってあったはずなのだ。それが蓋を開けてみれば、彼女は初日から今日まで身支度を丸投げされてきたと話した。夜着のまま身を縮こませ、終いに何も悪くない彼女が頭を下げた。

 リファトの目が届く範囲で起きていた蛮行に、怒りと申し訳なさが募った。以降、使用人達の動向を注視していると、彼らは白昼堂々とエイレーネの悪態を吐いていた。見つけ次第に嗜めても、はなから軽んじられているリファトでは効果が薄い。そして最悪な事に、聞こえよがしの悪口がエイレーネにも届いてしまったらしい。追い立てられるように本へ齧り付く彼女は、明らかに様子がおかしかった。王子のくせに使用人の一人として従えられないとは、なんと情けないのか。

 けれど、ここで挫けては本当に役立たずの腰抜けに成り下がるだけだ。リファトは勇気を奮い立たせてエイレーネに近付いた。暴力を受けた時より、彼女との距離を詰めるほうがよほど怖いと感じるのだから、変な話である。


 言語や作法の違いに四苦八苦しているエイレーネの一助になればと、リファトが始めた教師の真似事は、すこぶる好意的に受け取ってもらえた。誠実な人柄ゆえか、彼女の発音は日毎に上達していった。それと同時に、会話が格段に増えたのである。リファトにとっては嬉しすぎる誤算だった。寡黙なのかと思いきや、本来の彼女は存外お喋りみたいで、話しかけてもらえるだけでリファトは幸せな気分になれた。


 過ぎた幸せだと、リファトは時折怖くなった。けれど間近には、些細な恐怖など消し飛んでしまう程の、大きな幸福が待っていたのである。


 修繕しても殺風景だった庭に、一輪の花が咲いた。


 その日起きた事の説明は短い一文で済む。春になって蕾が開く、そんな当たり前の事象があっただけ。それを……たったそれだけの事をエイレーネは、顔を綻ばせながら喜んだ。嬉しそうに笑う横顔を見つけた刹那、リファトは三度目の恋に落ちた。なんて尊く、そして、なんと綺麗なのかと、飽きもせずに惚れ抜いたのである。

 本来であれば妃殿下と呼ばれ敬われる立場の人が、屈辱的な扱いの中でも無垢な笑みを見せてくれた。"呪われた王子"にできた事など無いに等しいのに、それでも笑ってくれた。感激に震えるリファトは、目頭が痛いほどに熱くなるのだった。

【補足】

第三王子アンジェロは不義の子ではないか、と囁かれています。他の兄弟とはどことなく容姿が違う事、夫婦仲が冷め切っていた頃の懐妊だった事、などが理由です。夫に疑念を持たれ、焦った王妃が偽装のため急いで次の子供を作ろうとして産まれたのが第四王子だった、という噂もあったりなかったり。

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