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 前王の崩御から一年後───陽春の日にライファンの戴冠式は行われた。

 小さき国王の戴冠をお祝いしようと、都には多くの国民が集まった。地方から何日もかけて出て来た者も少なくない。おかげで沿道は大勢の人々でひしめき合っている。王国史を振り返ると、両の足が床に届かぬような子供が玉座につく事は珍しくなくとも、その事に対して民から諸手を挙げて歓迎されるのは大変珍しかった。

 ライファンが後の世で偉大な賢王として名を馳せる未来など、今は誰も知らない。けれども民衆は王宮の外から熱烈な祝福を贈った。何故なら、幼い王の後ろ盾であるリファトとエイレーネを信じているからだ。この二人は弱い立場の者が淘汰されるままにはせず、苦しんでいる者に優しい事を、カルム王国の民はよく知っているのだ。


 華々しい戴冠式には何と、あのマティアスも駆けつけてくれた。彼の王宮嫌いは相当根深く、リファトがいくら誘えども自領から出る事はなかったのに、可愛がっている甥の晴れ舞台は例外だったらしい。マティアスが膨れっ面で王宮の扉を叩いた衝撃たるや、リファトは危うく腰を抜かしそうになった程だ。

 しかし、一旦殻を破ったマティアスの行動力は凄かった。戴冠式が終わって以降、暇を見つけては弟夫婦を訪ねて来るようになったのだ。自分の屋敷にいる日数がみるみる減っており、長年引き篭もっていたのが嘘みたいな活動ぶりである。それに付き合わされる家令が疲れ半分、嬉しさ半分といった感じで溜め息をついていた。

 末娘のラトナとエレノアはよちよちと歩き始め、近いうちに言葉を発するようになるだろう。誰が一番に名前を呼んでもらえるか、現在、ささやかな論争が起きている。特に燃えているのが姉であるステファナと、父親のリファトだ。マティアスも参戦したそうにうずうずしてはいるものの、口下手な伯父は強く出れず終いだった。

 三男のルーフェンは相変わらずおっとりして、ますますおおらかな子に育っている。愛嬌たっぷりで、この歳にして分け隔てなく親切であるから、使用人達からの人気ぶりは止まる所を知らない。滅多に腹を立てることが無く、何でも許して受け入れてしまう節がある為、リファトは時々心配になってくる。

 次男のレフィナードは少しだけ身体が丈夫になった。喜ばしいことに食事の量も徐々に増えている。元気になるにつれ、より勉強に没頭するようになった。王冠を授けられた兄の姿を見て、固めた決意がいっそう強まったようだ。遂にはエイレーネが持っている医学書にも興味を示し、勉強の合間に勉強をするという、とんでもない状態に陥り始めている。

 長女のステファナは一段と愛らしい少女になった。何事にも一生懸命に取り組む姿は癒しである。伯父はすっかり骨抜きにされ、婚約を申し込まれたらまず自分に知らせろと裏でリファトに迫る始末だった。花が大好きで、エイレーネが庭に出る時は必ず引っ付いている。花の名前だけなら、既にリファトより詳しいだろう。家族はもっと大好きで、家族と過ごす時にステファナが笑っていない瞬間は無い。

 長男でありカルム王国の王でもあるライファンは、弟と共に勉強の毎日だ。大国を統べる未来を念頭に置き、謙虚な姿勢で知識を吸収している。それで長子として弟妹に目を掛けるのも忘れないのだから、立派なものだ。未だ恐れや不安の気持ちはあるだろうに泣き言を吐かずに努力を重ねる、そういうところがエイレーネによく似ていた。リファトの目下の課題は、甘えるのが上手ではないライファンの拠り所となる事である。

 エイレーネは王太后として王宮を取り仕切り、サリド皇国とベルデ国との交流も彼女が先頭に立っておこなっている。その方が円滑に進むと判断された為である。公務の合間を縫って子供達を教育しなければならないので、彼女の毎日は以前にも増して多忙だ。しかし近頃は義兄が子供達の相手になってくれるので、とても有り難く思っている。一線を退くその日まで、家族と国と民を守るべく、エイレーネはリファトの傍で奔走する所存である。

 リファトもまた摂政として父親として悩みながらも、周りの助けを借りつつ着実に前へと進んでいる。ライファンが成人して統治を始める時、最良の状態で座を譲りたい。その一心であった。たったひとりの兄、可愛い子供達、そして最愛の妃に囲まれ、リファトの日々は笑顔が絶えない。そんな彼が最近、子供達へしきりに伝えている言葉がある。それは「平和を愛し、大切にしてほしい」というものだった。数々の苦難を乗り越えてきたリファトの穏やかな声音と言葉は、子供達の心に深く刻まれていくことだろう。




 今日もマティアスが王宮に遊びに来てくれた。子供達にわっと駆け寄られた時、彼は嬉しさを隠さなくなった。或いはリファトが、兄の些細な変化を見分けられるようになったのかもしれない。

 子供達はよく、伯父を庭園に連れて行きたがった。リファトとエイレーネの大切な庭が子供達も大好きだったので、伯父にも好きになってもらいたいようだ。子供達に引っ張られるマティアスだが、それも満更ではない様子で断ったためしは無い。ついでに誰が伯父の車椅子を押すかで少し揉めるのも、見慣れた光景になりつつある。


 かつて、一輪のラナンキュラスが咲いた事を喜び合った小さな庭。そこは今、広大な庭園へと姿を変え、咲き誇る満開の花で埋め尽くされている。変わらないのは小さな四阿と、寄り添う二つの背中だ。

 二人並ぶのがやっとな腰掛けに、リファトとエイレーネは居た。四阿から見る景色は随分と様変わりしたけれど、あの頃より大きな幸福に包まれている。二人は身を寄せ合い、陽だまりの中で賑やかに散歩する家族を愛おしげに見つめていた。


「お義兄様は抱っこが上手になりましたね」

「ええ。皆が抱っこをせがむので、腕が痺れたと兄上に文句を言われました」

「実はわたしも苦言を呈されました。子供達にお義兄様が疲れてしまうでしょうと注意したのですが、そうしたら『年寄り扱いはまだはやい』と仰って」

「兄上らしい言い方ですね」

「リファト殿下に似て、とても優しい方です」

「…ありがとうございます。レーネ。私に素晴らしい家族を与えてくれて…言葉ではとても言い尽くせないほど感謝しています」

「家族とは一人でなるものではありませんよ。リファト殿下はご自分の功績を知って、もっと誇るべきです」

「貴女が私に両の手でも抱えきれないくらいの幸せを齎してくれたのは本当です。感謝して然るべきでしょう」

「お言葉ですが、幸せを頂いたのはわたしの方が多いと思います」

「いいえ。レーネの幸せは私の幸せですが、私より幸福な人間はいません。ここは譲りませんよ」

「リファト殿下には目いっぱい幸せになっていただかないと困りますが、国一番の幸せ者はわたしですね。お譲りしたいのは山々ですが、嘘は言えません」

「譲ってもらわなくて大丈夫です。レーネはそのまま国一番でいてください。私は世界で一番幸せだと思っていますから」

「手強いですね。殿下」

「レーネもなかなか頑固ですね」

「………」

「………」

「…ふふっ」

「…ははっ」


 二人して軽やかな笑い声を上げる。ここには、泣きそうになる程の幸せだけが在った。

 優しい顔をしたまま、リファトは徐に澄み渡った空を見上げる。


「…先週だったか、昔の自分を夢で見ました」

「昔の殿下ですか」

「ええ。貴女に出会う前の私です。他人の視線から逃げ回り、部屋の端で息を殺して、いつも何かに怯えていた頃の…」


 ほんの時折だが、リファトはいま立っている場所が夢か現か判らなくなる瞬間があった。本当の自分は未だ、孤独で陰惨としていた時代に取り残されているのではと、馬鹿な事を考えてしまうのだ。だが裏を返せば、それだけ現実(いま)が信じられない程の幸福で満ちているという事でもある。


「黒いヴェールと手袋で覆い隠すのを拒まなかったのは、自分自身を守る為だったのかもしれません。誰も近寄ろうとしない。誰も触れようとしない。私の名を呼んでもらえる事も殆どなく、皆が口々に言うのは"呪われた王子"という呼び名ばかりでした」

「………」

「でも、それらがレーネと巡り合うために必要だったなら、私は喜んで"呪われた王子"である事を選びます」


 "呪われた王子"に永遠の愛を誓ってくれたのは、エイレーネが最初で最後だ。逆も然り。リファトが永遠の愛を誓うのは終生、エイレーネただひとりである。時代が移ろい、身体は老いても、この誓いだけは不変だ。それを知ってさえいれば、たとえ他の全てを失おうと絶望に呑まれることはない。


「そういえば…奇しくも夢を見たその日に、子供達から"呪われた王子"とは誰だと聞かれたんですよ。あまりに絶妙な拍子でしたので、少々面食らってしまいましたね」

「…それで、殿下は何とお答えになったのです?」


 子供達とそっくりな仕草で小首を傾けたエイレーネに、リファトは素早く顔を寄せ、可憐な唇を奪った。刹那にも満たない口付けだった。不意を突かれたエイレーネは束の間、気の抜けたような無防備な顔を晒す。でもすぐさま、花が恥じらうように破顔するのであった。


「『それは"幸せになる呪い"がかけられた私のことだ』と」




政略結婚のお相手は呪われた王子でした。〜完〜

【補足】

エイレーネという名前は「平和」を意味する単語が由来です。

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