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 アンジェロが声高に決闘だと叫んだ日。

 偶然にも、ベルデ国から来た使者がその場に居合わせていた。正式にベルデ王の座を継いだアーロンが、姉へ祝いの品を届けさせていたのである。使者の役目は贈り物を渡して終わりだったはずが、宣戦布告の一部始終を目撃する事となり、大至急で引き返さなければならなくなった。

 姉がいる隣国での緊急事態を把握したアーロンは、しばし思案を巡らせた後、秘密裏にとある人物へ報せを飛ばしたのだった。


「紅茶のおかわりをお持ちいたしました」

「…あらあら。懐かしい符牒だこと」


 ベルデ王家の紋章が付いた書簡は、極めて美しいかんばせを持つ女人の手へと渡った。彼女は畳まれていた手紙に目を通すと、更に笑みを深めるのであった。




 アンジェロは己の計画が大幅に狂っていることに気付き、血眼になっていた。過半数の貴族を味方につける算段をしていたのに、現実はどうだ。過半数どころか、爵位を問わず殆どの貴族がリファトへ流れてしまった。適当に金をばら撒けば貧乏な平民が食いつくと思いきや、彼らはアンジェロを非難する筆頭だ。金なんぞ見向きもされなかった。むしろ民衆の怒りを煽るだけだった。

 数を減らしたアンジェロ派の貴族と、過激派の連中だけでは流石に勝算が低い。あちらには過半数の貴族と騎士、加えて全国民が味方についているのだ。数の不利は否めない。

 ならば諸外国に支援してもらおう。見返りは後で考えれば良い。今はとにかく増援を得る事が急務だ。アンジェロがそう思い付いた矢先の事である。何という好機か、サリド皇国からカルム王国へ訪問客がやって来ていた。




 エイレーネは友好国からの訪問客を歓迎する為、謁見の間へと急いでいた。摂政を代行している今は、外交に関する対応から要人の歓待まで彼女の役目だった。


「久方ぶりでございますね。エイレーネ様」


 サリド皇国の客人は流暢なカルム語でそう挨拶した。しかし何ら不思議ではない。彼女はかつて、カルム王国の王女だったのだから。


「…シルヴィア王女様!」


 謁見の間に立つシルヴィアには、実に堂々たる風格があった。気が弱かった面影なんてどこにも感じられない。

 シルヴィアが来るとは知らされていなかったエイレーネは大層驚かされた。でも、たちまち明るい笑みを浮かべて駆け寄るのであった。


「失礼致しました。もう王女様ではございませんね」

「エイレーネ様になら如何様に呼ばれようと、ちっとも構いません」


 手紙の中で弱音ばかり吐いていたシルヴィア王女。旅立ちの日にも涙を見せていたあのシルヴィアが、皇族の正装を着こなし、活力に溢れた瞳でエイレーネと対面しているのは、えも言われぬ感慨がある。サリド皇国の皇族に嫁いでいった彼女は、三児の母親となったと聞く。


「遅ればせながらライファン陛下の御即位をお祝いしたく、皇国より参りました。慌ただしい訪いになってしまった事、お詫び致します」

「何を仰るのですか。遠路遥々、来てくださり本当に嬉しく思います。どうか子供達に会っていってくださいませ。ハリエットにも報せなくてはいけませんね」


 それはさながら旧友との再会のようであった。手を取り合って喜んだ二人は、堅苦しい挨拶もそこそこにして王宮の奥へと向かう。しかしシルヴィアが、子供達に会う前に少し話がしたいと言うので、エイレーネは進路を変えて、人払いを済ませた一室へと案内するのだった。

 イシュビのみを扉の近くに控えさせ、二人は室内の長椅子に腰掛けた。


「それにしても驚きました。サリド皇国からの先触れには目を通しておりましたが、シルヴィア様のお名前はなかったものですから」

「うふふっ、エイレーネ様をびっくりさせたかったのです」


 エイレーネが話を切り出せば、シルヴィアはにこやかに返してくれた。


「お会いできたのは嬉しいのですが、御子様方は大丈夫ですか?まだお小さくていらっしゃるのでは…」

「母に頼んできましたので、ご心配には及びません」

「ヴァネッサ様なら安心してお任せできますね。その後、つつがなくお過ごしですか?」

「はい。手紙にも書きましたが、こちらに居た頃より元気ですよ」


 住まう国は変われど、エイレーネとシルヴィアは手紙のやり取りを続けている。時々シルヴィアの母がしたためた手紙が混ざっている事もあった。そうやって互いに息災であるのを確認し合っていた。


「此度だけはどうしても私が出向きたくて、ロイド殿下に無理を言ったのです」

「それは…何故でしょうか」

「エイレーネ様にお会いしたかったのも本心ですが、実は…カルム王国での揉め事について、小耳に挟みまして」

「!!」


 騒動は国中に拡がりつつある。他国へ騒ぎが漏れたところで不思議ではないが……それにしても早すぎる。友好国であるベルデ国やサリド皇国ならまだしも、仇敵のウイン帝国にまで漏洩してしまうのは非常に拙い。内乱に乗じて攻め入られては被害が大きくなる。

 エイレーネの懸念を察してか、シルヴィアは慌てて説明を補った。


「ご安心くださいませ。サリド皇国でこの一件を知っているのは、ロイド殿下を含めごく一握りです。最重要機密扱いですので、口を割る者もおりません」

「ご配慮、痛み入ります」

「私が命令した事ではありませんから、頭を上げてください。あと、ウイン帝国についてですが、実情は聞こえてくる話よりだいぶ酷いようです。兵士の食糧も満足に行き渡らないので、民は次々と餓死しているとか…」

「不作続きで困窮しているとは聞いていましたが、まさかそこまで…」


 仇敵とはいえ飢餓に苦しむ民に同情を禁じ得ない。幸いエイレーネは祖国にいた頃も、嫁いでからも、不作を経験したことがなかった。


「他国から奪おうにも、戦力が揃わないほど帝国は衰弱しています」


 最大の脅威であったウイン帝国は、自国の立て直しも危ういようだ。刺激しない限りは、他所の国の揉め事に首を突っ込んでくる事はまずないであろう。というのがシルヴィアの見解だった。


「それではシルヴィア様は、どなたから決闘の件をお聞きになったのです?」

「アーロン陛下から密書が届いたのですよ」

「そうですか…アーロンが…」

「それに密書を届けてくれた方がとても協力的でして」


 シルヴィアは一旦言葉を区切った。それから悪戯が成功したような表情で、種明かしをするのであった。


「実はミランダ様が橋渡し役となり、動いてくださったのです」

「えっ?ミランダ様が…っ!?」


 エイレーネが大きく瞠目したのも無理はない。旅立ちを見送った日よりミランダとは音信不通になっていた。売られた恩にお返しをした、それで綺麗さっぱりお終いだった。潔いあの方らしいとエイレーネも納得していたのだが、栄華を極めた女人の名を今またこの場所で、このような状況の時に再び聞くことになろうとは!


「お話してみると存外、気さくな方でした。迫力はありますけど」

「そうですね。清々しくて気丈夫な方だと思います」

「エイレーネ様によろしくと仰っていましたよ」


 ベルデ国に屋敷を構えているミランダは、アーロンからの報せを受け取った日に出立した。その行き先はカルム王国ではなく、サリド皇国だったという。


「サリド皇国がどちらに与するか、それがこの決闘の要となる…アーロン陛下とミランダ様はそうお考えでした」


 ベルデ国は言うに及ばずエイレーネに味方する。姉弟の仲の良さは誰もが知るところだ。姉がカルム王国との友好を強める為に嫁いだのを分かっていて、その献身が無駄になるのを座視する弟ではない。

 ウイン帝国は長年の敵国。王朝がいくつ移り変わっても和平が達成されぬのに、味方してもらうなど無謀すぎる話である。そしてシルヴィアの話が事実なら、帝国に加勢する余力は残っていない。

 そうなるとサリド皇国が、リファトかアンジェロのどちらを選ぶかにより勝敗は決する。まともな脳みそがあれば、諸外国まで味方につけた相手に挑もうなんて思考には至らないはずだ。


「サリド皇国はライファン様を国王陛下と認め、リファト殿下とエイレーネ妃殿下に力をお貸し致します」


 シルヴィアは毅然と言い切った後、少しだけ眉を下げた。


「…エイレーネ様。私は王族として恥ずかしくない姿をお見せできたでしょうか」


 答えなど一つに決まっている。




 時は前後して、シルヴィアがカルム王国に向けて発った日のこと。

 サリド皇国にある某屋敷では、二人の貴人が優雅にティーカップを傾けていた。


「残念ですわ。あの大きな瞳が零れ落ちそうなくらい見開かれるのを、直に観察できなくて」


 紅茶の香りを楽しみつつ、ミランダは愉快そうに口火を切った。


「…こちらで貴女に再会するとは思いもしませんでした」


 ミランダの冗談に、静かな応答をするのはシルヴィアの母ヴァネッサである。


「同感です。ヴァネッサ様と向かい合ってお茶をする日が来ようとは、数奇な巡り合わせもあったものですね」

「当時はミランダ様と言葉を交わす機会も碌にございませんでしたね。あったとしても、こんな風にお話することはできなかったと思いますが…」


 小さく苦笑するヴァネッサは、過去をすっかり振り切ったようだった。辛い出来事ばかりだった地を離れ、ひとり娘とその孫達に囲まれることで、心にゆとりができたのだろう。もの静かなのは変わらないが、凪いだ雰囲気を纏うようになった。

 今のヴァネッサならば夫であったフェルナンと、もう少し上手く付き合えたかもしれない。今にして思えば、彼も苦しんでいたのだろう。冷酷に振る舞うその裏で、誰にも打ち明けられない苦悩にもがいていたように思う。彼に愛されようという努力ではなく、彼の心に寄り添おうとする努力をするべきだった。彼が与えられないものを求めるべきではなかったのだ。

 最後に見た背中が不意に思い出されたが、ヴァネッサは緩くかぶりを振って、悲しい過去を記憶の片隅に追いやった。どう足掻いても、もはや取り返しはつかぬ。フェルナンは逝ってしまった。


「…ところで、ミランダ様はいつからエイレーネ様と懇意にされていたのですか?」

「そんな風に表される間柄ではありませんわ」

「ではなぜ、わざわざ遠い皇国までいらっしゃったのです?」

「しいて申し上げるならわたくしの自尊心の問題、でしょうか。負けたと思わされるのは悔しいのです。あの方は特別に」

「はあ…左様で」


 ヴァネッサにはミランダの本意が掴みきれなかった。悔しいと口では言いながら、ミランダの顔は晴れ晴れとしているだからだ。


「だってわたくしが否定してきたものを使って、栄光を手にしたのですもの」


 愛なんて口先だけ。優しさは損。親切は徒労。正直者が馬鹿を見る。それがこの世の実相だった。

 そんな世界でもエイレーネは正しく在る信念を曲げなかった。いつも誠実で、親切を惜しまず、打算の無い優しさを示し、真心を尽くしてリファトを愛し抜いた。

 愛情を原動力に大成していったエイレーネの姿は、ミランダの亡き母の生涯を肯定してくれた気がして、少しだけ心が軽くなったものだ。認めるのは癪だけれども。


「今度はあの方がわたくしに、ありがとうと頭を下げに来る番ですわ。時の権威者に跪いてもらえるなんて、わたくしもまだまだ捨てたものではありませんわね」


 捨てたものどころか変わらぬ美貌を保つ彼女が、茶目っ気たっぷりな表情で語るのを、ヴァネッサは不思議そうに眺めていた。




 時を戻してカルム王国内では、第三王子側の敗走が確実とされつつあった。これもシルヴィアが良い仕事をしていってくれたおかげだ。彼女はリファトとエイレーネ、二人の子供達には面会し、皇国の名物である陶磁器もたくさん贈り、三食の食事も常に共にしたのだが、アンジェロのところへは挨拶にも行かなかった。アンジェロが寄越した使者には見向きもしなかった。彼の名前すら出さぬ徹底ぶりで、サリド皇国がどちらの王子と親しくしているか、周囲にとくと見せつけてから笑顔で帰国したのである。

 決闘の行方はリファトが初めから宣言していた通り、戦わずして勝利できそうだ。


「全部落ち着いたらお礼巡りをしないといけませんね」


 執務室で報告を聞いたエイレーネは、イシュビに向かってそんな事を呟いていた。


「…私はユカル達ほど多くを見てきていませんが、妃殿下が示されたご親切が返ってきただけだと思います」

「わたしは正しいと思う事をその都度やってみたに過ぎません。それを親切と受け取ってもらえるかは相手次第です。恵まれていたのはわたしですよ。優しい方々に囲まれていたという事ですから」


 見向きもされなかった小国の王女であろうと、王太后まで登り詰めようと、正しきを貫き、弱きを助ける。芯の通った強くて心優しい主人を見て、イシュビは眩しげに目を細めていた。


「エイレーネ様っ、失礼いたします!」

「まあ、ジェーン。そんなに慌てて…子供達に何かありましたか?」

「はい。レフィナード様が軽い発作を起こされて…ギヨーム先生は既にいらしてますが、エイレーネ様も来てください!」

「すぐに行きます。イシュビ、すみませんが机を片付けておいてもらえますか。あと……こちらの書類を殿下に」

「かしこまりました。お預かりします」


 政務に子育てと、エイレーネは毎日王宮の廊下を行ったり来たりして忙しい。子供達は忙しなく動く両親を見て、極力迷惑をかけないよう過ごしているらしかった。もとより聞き分けの良い子達だが、このところ輪をかけて大人しいと聞いている。長男のライファンが率先して下の子達の面倒をみる姿は、両親の代わりを果たそうと気張っているように映った。実際、エイレーネが様子を見に行くと、発作を起こした弟にずっと付き添っていた。


「…おいそがしいのに、ごめんなさい。ははうえ、あにうえ…」


 ぜいぜいと苦しそうに呼吸し涙ぐむ次男に、エイレーネは胸が締め付けられる。


「たくさん我慢させてしまいましたね。謝らなくて良いですから、ゆっくりお休みなさい」


 喘息の発作はそれ以上悪化しなかったが、せめて今日くらいは子供達の傍にいようと反省した。エイレーネが「今夜はみんな一緒に眠りましょうか」と提案すると、何かと遠慮がちなライファンでさえ、まろい頬に期待を含ませたのだった。

 数日ぶりに母とゆっくり過ごせる。そう聞かされた子供達は夕食の時からそわそわして、夜間着に着替えるなり、寝台に上って待ち構えていた。乳飲み児の双子は寝床を別けているとはいえ、四人も子供が集まれば二人用の寝台は狭く感じる。でも、その窮屈さがむしろ暖かくて安心するのだ。ただリファトと時間が合わなかった事だけが残念だった。


「レフィナード、苦しくないですか?」

「はい…ははうえ」

「おせなか、さすってあげる」

「看病が上手ですね、ステファナ。あら、ルーフェンもお手伝いですか?」

「うん!」


 どんな妙薬よりも家族の優しい手が、息苦しさを一番和らげてくれる事をレフィナードは知っていた。

 レフィナードの顔色が少しずつ良くなってくると、それまで押し黙っていたライファンがおずおずと母を呼んだのだった。


「母上…」

「どうしました?ライファン。浮かない顔ですね」

「…ずっと、お忙しいままですか…?父上も、母上も…」


 何か大変なことが起きている。詳しくは知らないけれど、良くない事は確かである。聡明なライファンは早い段階でそう勘付いていた。寂しくないと言えば嘘になるが、それよりも両親は大丈夫なのか、危険な目に遭うのではないか、もう平穏な毎日は戻ってこないのだろうか。その事が心配で、とても不安だった。

 エイレーネはライファンを手招きし、すぐに傍に座らせた。同様に他の子供達も近くに来させる。


「あなた達にお願いがあります」


 それは夜の帳に溶けるような、しめやかな声音だった。

 続く言葉を決して聞き漏らしてはいけない。不思議なことに子供達は全員が同じ思いを抱いていた。


「家族同士でいがみ合ってはいけません。長所を認め合い、短所は補い合うのです」


 子供達は神妙に頷く。

 小さな四つの頭が縦に動いたのを見て、エイレーネは徐に口元を緩めていった。


「…忙しい日々はあと少しで終わります。あと少しだけ、待ってくださいね」


 エイレーネは決闘を止められなかった。リファトとアンジェロを決裂させる禍根となったばかりか、罪滅ぼしさえさせてもらえなかった。たとえリファトが悪くないと断言しても、エイレーネは己が無関係だと割り切ることはできない。きっと生涯、悔やみ続ける。家族の絆に飢えていた人に、こんな結末しか用意できなかったなんて。謝らせてももらえない苦しさを、エイレーネはずっと抱えていくのだろう。ならばせめて我が子達だけでも、こんな苦い後悔とは無縁の人生を送ってほしいと願う。


 子供達が寝静まった後で、リファトは足音を立てぬよう寝室に入ってきた。子供達は母に寄りかかるようにして眠っている。安らいだ顔つきを眺め、リファトは知らず知らずのうちに詰めていた息を吐いた。

 エイレーネはまだ起きており、目が合うと小さく微笑んだ。お疲れ様でした、と囁き声で労ってくれる。


「…レフィナードは大事なかったですか」

「…はい。症状は落ち着いています」

「…傍にいられなくて申し訳ありません」

「…それはわたしも同じですよ」


 リファトは子供達が起きないよう、そうっと寝台に腰を下ろした。少しの間、沈黙が落ちる。エイレーネが何か話そうとしているのを察知しており、彼女が言葉を選び終えるのを待った。


「………殿下。報告書は、ご覧になりましたか?」

「…はい。昼間のうちに。アンジェロ兄上がこんな暴挙に出たのは、残された時間の短さを自覚していたからかもしれませんね」


 図らずも幾度かアンジェロと相見える中で、エイレーネは彼が病魔に深く冒されていることを見抜いた。アンジェロは巧みに隠していたみたいが、袖口からは発疹の痕が覗き、頸には腫瘍らしきものも見えた。エイレーネはそれらが性病の末期症状ではないかと疑い、第三王子の侍医に探りを入れさせたのだ。侍医の診断は、エイレーネの見立てと大差なかった。


「…どうしてリファト殿下ばかり、何度も何度も悲劇的なかたちで家族を喪うのでしょう」


 人は死ぬ生き物だ。エイレーネとて母を突然に喪った。

 だけどリファトの場合はあんまりだと思うのだ。父は母に毒殺され、母は兄に処刑され、兄は弟にじわじわと追い詰められた。家族が互いに殺し合ったのだ。どこまで凄惨を極めれば、負の連鎖は止まってくれたのか。

 リファトの一番近くにいたエイレーネだけが、恐らく知っている。子供達を微笑ましく見守るリファトの横顔には、ふとした瞬間、綯い交ぜの感情が落ちるのだ。それは羨望か、後悔か、空虚か。彼の気持ちを正確に推し測ることはできないけれど、彼の愁眉が開かれる日をエイレーネは切に祈っていたのに。またしてもリファトは家族を減らしてしまう。

 リファトは殺すと脅しをかけてくる相手でも「兄上」と呼んだ。向こうが「化け物」だ「汚物」だと罵っても、リファトが罵り返すことはなかった。奥底へ仕舞い込んだ彼の悲願が、そういうところに見え隠れしていた気がする。


「…確かに私は親兄弟を次々に亡くしましたが、それでも自分が損な役回りだったとは思いません。不幸は忘れることができました。だって、レーネ。私は貴女に愛してもらえたのですから」


 身を裂くような苦痛を経験したはずのリファトは、変わらぬ穏やかな笑みを浮かべるだけであった。




 あとはもう一刻も早く、アンジェロが観念してくれるのを願うばかりだが、彼がそんな殊勝な性格をしている訳がない。追い詰められたアンジェロ派の貴族達が、諦めるよう説得を始めたものの、当の本人はいきり立つばかりで聞きやしなかった。


「サリド皇国が使えないなら、ウイン帝国に交渉してこい!!協力するなら見返りに領土をやると言え!!」

「しかし殿下っ、検閲が強化された為に帝国へ行く事さえ非常に厳しい状況で…帝国は飢饉によって弱体化していますし、交渉に乗るかどうか…それに、そのような事をして過激派はどうなるのです?連中は帝国との再戦を望んでいます。共闘などできるはずが…」

「ならば始末しろ。元々、エイレーネ姫を疎ましく思っている目障りな奴らだ。使えないと分かれば丁度いい。一人残らず抹殺してしまえ」

「………」


 もう滅茶苦茶だった。アンジェロの言葉には、何一つ整合性が無かった。濁り切った目はエイレーネしか見えていないのだ。七年間じっと好機を待っていた狡猾な男はもう居ない。なけなしの理性を失くしたが最後、ただ真っ直ぐに終焉へ堕ちていくのみであった。

 狂人の乱心をまざまざと見せつけられた貴族達は、置かれている立場の脆弱さを思い知った。


「貴様らも殺されたいか?死にたくなければ、さっさと帝国へ行ってこい」

「……お、恐れながら殿下。一つ、ご提案が…北方におられるマティアス殿下直属の親衛隊を貸していただくのは、いかがでしょう。王位継承権は破棄なさっておいでですが、第二王子からの増援とあらば、周囲の心象も変わるやもしれません」

「…あの変人の兄上か。盲点だったな。というか存在を忘れていた」

「ではっ、急ぎ交渉して参りますので!」


 どうせ狩り以外には興味のない阿呆でしかないから、きっと言いなりになる。アンジェロはたかを括り、己の考えを疑うことさえしなかった。

 仮に、その怠慢が敗因になるとはっきり宣告されたとしても、アンジェロは断固として信じなかったに違いない。

【補足】

ミランダはベルデ国が気に入り、すっかり居付いています。ミランダはベルデ語もサリド語も話せます。衰えを知らない美貌ゆえ、どこへ行っても異性の人気を集めますが、結婚する気も恋人を作る気もありません。

アーロンは事前に姉から話を聞いており、ミランダの有能さに一目置いて、時々頼み事をしたりしています。アーロンは姉のように誠実なので、たとえ絶世の美女が相手だろうと、自分の妃以外に見惚れたりしません。

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